JANIE'S GOT A GUN

3

その夜、次元は、昼間ジェイニーが「働いている」と言っていた酒場を訪れた。

彼女が薦めたから来たわけではなく、この町には他に酒が飲めそうな場所が一つもなかったのだ。

確かにジェイニーが言ったように、モーテルから歩いて幾らもない場所にそれはあったのだが、開店していなければまるで廃屋のように見える建物だった。

しかし、客を得てさんざめく小さな酒場は、暗く、ひっそりと静まり返った町の中で、まるで蝶を誘う夜の街灯のように、群青色の空にほの白く滲んで見えた。

こう言う風情は嫌いではない。

スウィングドアを片手で押して中へ入ると、途端にむっとした熱気に包まれた。

大声で歌う声、女の嬌声、わめき声、怒声…。

地球上何処へ行っても、酒場の風景は変わらないものらしい。

店内はそれなりに混雑しており、気に入った
空席を見つけるのに少々苦労した。

次元が席を探していると、あちこちからもの問いたげな視線が飛んできた。

当然だろう、外国人が珍しいのだ。

もっとも、外見だけなら次元を外国人と分かったかどうか…。

ジェイニーが言ったように、次元は物腰も身長も東洋人ばなれしているのだ。
町の人々を引き付けたのは、帽子を目深に被っていても、彼の全身からにじみ出てしまう独特の異邦人の空気かもしれなかった。

中々席が空きそうもないので、仕方なく次元は「一番行儀良く飲んでいそうな」連中のテーブルについた。

ぼそぼそと何か話しながら安酒をあおっていたそのテーブルの男たちは、次元が近づくと無遠慮な視線を向けてきた。

次元はそれには目もくれず、疲れきった顔をした中年のウェイトレスにウィスキーを注文した。

見知らぬ土地の酒場に一人で行けば、こんな視線には当たり前に出くわすもので。
次元には慣れっこなのだ。

「…外国人かい?」

次元がグラスに口をつけたとき、男の一人が聞いてきた。顔が酒で赤く焼けている。

「まあね。」

目もくれずに次元は答えた。

「一人かい。」

他の3人もニヤニヤしながら次元を見ている。

「悪いかね。」

相変わらずグラスの中の琥珀色の液体に目を落としたままで、次元はいいかげんに返事をした。

「悪かぁないさ。ただね、物好きだね、あんた。何しに来たんだい?」

「…オレが知らない町の酒場へ行く。そうすると決まって今の質問をされる。…答えは同じさ。『別に何も。』」

赤ら顔の男が何か言いかけた時、若い女の声がそれを遮った。

「ダイ!?」

ジェイニーだった。

「何してるのよ、こんなとこで。」

次元の腕を引っ張りながら、ジェイニーは小声で、しかし怒った様に言った。

「酒を飲んでる。酒場に来てする事と言ったら、それくらいだろう?」

「そうじゃなくて。あんな連中と同じテーブルで飲むことないってこと。お酒がまずくなるわ。あたしを呼んでくれれば、いい席に案内したのに。」

ジェイニーは本気で怒っているようだった。

「ようジェイニー、新しい彼氏かい?」

先ほどのテーブルの男の中の一人が、大声でひやかした。
途端に、下卑た笑いが店内に広がった。

「そうよ!あんたらが宇宙の果てまで飛べたってかなわないいい男でしょ!」

ジェイニーは振返って負けじと叫んだ。

冷やかした当の男は肩を竦めて歪んだ苦笑をし、ほかにも、鼻白んだような溜め息や舌打ちが、これみよがしに聞こえてきた。

「ふん。」

ジェイニーはまっすぐ前を見たまま、口を引き結んでどんどんと歩いた。
次元の腕を掴んだまま。

その手にこめられた力の強さで、次元は、少女が必死で闘っているのが分かった。

酔っ払いを掻き分けて辿りついた奥の席では、小さな老人が一人でウォッカを飲んでいた。

「ここでいいわ。誰もここにはちょっかいを出さないから。ヴィクトル、いいでしょ?」

ヴィクトルと呼ばれた老人は、ひょいと顔を上げてジェイニーを見た。

「ダイ、こちらヴィクトルよ。ヴィクトル、こちらダイスケ・ジゲン。日本人なの。ご一緒させてあげて、ね?」

ヴィクトルはもごもごと口を動かして何か言いかけたが、また俯いてグラスに酒を注ぎ始めた。

「ジェイニー!何してる!6番テーブルだ!!」

大柄な男が怒声を上げた。

その顔は酒のせいではなく、暑さと怒りで赤くなっていた。

「分かったわよ!!…もう行かなくちゃ。ゆっくりしていってね、ダイ。来てくれてありがとう。」

ジェイニーは微笑むと、急ぎ足で厨房へと消えていった。

別に礼を言われる事ではない、酒を飲まないと水を飲まないのと同じだけなのだが。

まあいいか、と思い直して、次元はヴィクトルの向かいに腰を降ろした。

ヴィクトル…ロシア人か。暫く次元は、グラスを傾けながら老人を観察した。

しわくちゃの顔、禿げ上がった頭、そこにわずかに残った金髪…。

共産主義に嫌気がさして亡命してきた口かな、と次元が考えていた時、老人が何か呟いた。

「え?何だって?」

次元は思わず身を乗り出して問い掛けた。

「い、いい子だろう。」

老人の手は小刻みに震えていた。

「あ、あの子は、は、働き者の、い、いい子だ。」

しわくちゃの顔に更にしわを寄せながら、老人は笑った。

「あの子って…。ああ、ジェイニーかい?」

次元は少し大きめの声で聞いた。

老人は顔を上げて次元を見て、またにっこりと笑うと、頷いた。

「そうだな…働き者かどうかは、オレは良く知らないんだが…。何せ今日会ったばかりなんでね。だが、いい子だってのは分かるよ。」

次元も笑いながら、静かに言った。

老人がじっと次元を見た。その瞳はガラス玉のようで、顔からは笑みが消え、何の表情も読み取れなかった。

喧騒が遥か遠くに聞こえ、まるでそのテーブルだけが周囲から切り離されて、別の空間にワープしてしまったようだった。

「…じいさん?」

次元は声に出して言ってみた。そうしないと、空間に飲み込まれてしまいそうだった。

老人は次元を見たままだ。

「ヴィクトル!」

次元はもう一度、先ほどより大きめに声を出してみた。

老人が笑った。その瞬間、喧騒が戻ってきた。

次元はほっと息をついた。

ヴィクトルはもう、グラスに夢中で酒を注いでいる。
大きな瓶を持つ手が震えて、カチカチと音をたてた。次元もグラスを干した。

もう一杯ひっかけても良かったのだが、何処か落ち着かない気がして、店を出る事にした。

「じゃあな、じいさん。相席させてくれてありがとよ。」

ヴィクトルはグラスを見たまま、うん、うんと頷いた。

次元が笑って背を向けた時、老人の声が追いかけてきた。

「あの子を、助けてやれ。」

先ほどまでの声とはちがう、きっぱりとした調子だった。

次元は振り向いて、帽子の下から老人を見た。

だが、ヴィクトルは、にこにこと笑いながら、四分の三ほどウォッカで満たされたグラスを見つめているだけだった。



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