JANIE'S GOT A GUN

2

「…なるほどな。ここがこの町で ’一番上等な’宿ってわけだ。」

次元は、足元に散らばるインスタント・フードの紙屑や潰された缶ビールの空き缶を軽く蹴飛ばして歩きながら、ジェイニーに言った。

「そうよ。ベンはここでは一番のお人よしなの。…そりゃあ、少し掃除が行き届いてないかもしれないけど、奥さんのリリーが生きてたころはもっとちゃんとしてたのよ。」

ジェイニーは、蜘蛛の巣がかかったブラインドを開け放ちながら言った。通された部屋の窓は、この町のメイン・ストリートを目の前に望む事が出来た。

ジェイニーが案内した、この町で ’一番上等な宿’『LILY'S MOTEL』 は、ベンという老人が一人で経営している小さな宿屋で、言われなければ宿屋とは分からないくらい古びて朽ちかけた外観をしていた。
看板すら、もう今更直す気など無いと言わんばかりに、文字は長年の風雨でほとんど消えかけ、ボルトが外れて左下に大きく傾いていた。

「’少し’ねぇ…。」 

元来それほど几帳面というわけではないが、どちらかと言えば綺麗好きな次元にとっては、この部屋の荒れ具合は決して気持ちの良いものではなかった。

床の至る所に紙屑が散らばり、埃がうずたかく積もって、ジェイニーと次元、ふたり分の足跡がくっきりと残っている。
天井には蜘蛛の巣が張り、壁紙は所々剥げかけていて、ソファやベッドは、これまた長い間誰にも使われていなかったことを示すかのように、たっぷりと埃を含んでいた。

ジェイニーは、開け放った窓の枠に頬杖をついて、ぼんやりと窓の外を眺めているようだった。むっとした空気が流れ込んでくる。

「…窓を閉めてくれないか。暑くてかなわない。一番上等な宿っていうからには、エアコンくらいあるんだろ?」 

次元は申し訳程度にソファの埃を払うと、どさりと腰を下ろした。安物のスプリングが軋んだ。

「ふふん。」 

ジェイニーは少し小首を傾げると、部屋の隅に歩き出した。パチン、とスイッチを入れる音がして、くぐもった機械音が聞こえ、次にお世辞にも涼しいとは言えないが、この暑さを和らげるくらいには役に立ちそうな程度の風が、エアコンから送られてきた。

「どう?」 

ジェイニーは得意げに次元に向き直って言った。

「…Good. 」 

次元は、帽子を片手で鼻先に下ろしながら答えた。

「まさかちゃんと作動するとは思ってなかったでしょ。」 

ジェイニーは笑いをこらえる様に肩を震わせて、口元に手を当てている。

「まあ、上出来ってところかな。」 

次元はタイを少し緩めながら言った。

「気に入ってもらえてよかったわ。」 

そう言いながらジェイニーは、落ちている紙屑を拾い集め始めた。次元はそれを制して、

「それくらいの事は自分で出来る。」 

と言ってジェイニーにもう帰るよう促した。日はまだ高いものの、初対面の、しかも年端も行かない少女に、これ以上自分の相手をさせるわけにはいかなかったし、一人になりたかった。

ジェイニーはほんの少し残念そうな顔をしたが、

「わかったわ。」 

と言ってドアに向かった。

「礼になるようなものは何もないんだが…。」 

おとなしく部屋を出ていこうとする少女に、次元は、一週間前バークレー・スプリングスに滞在していたとき、サンドイッチマンに無理やり手渡されて、そのままシャツの内ポケットにしまってあったサーカスの案内状を渡した。

「ひまな時に観に行くといい。…君には子供っぽすぎるかな?」 

ジェイニーは、とても嬉しそうにパステルトーンで描かれたピエロや、ライオンの絵を眺めていた。

「…ありがとう…!!あたし、誰かにプレゼント貰ったのって初めて。」 

ジェイニーは案内状を両手で胸に押し当てて顔を輝かせながら言った。

「そんなたいしたものじゃないさ。気の利いたものがなくて悪かった。何せ気ままな一人旅なもんでね。良かったら受け取ってくれ。」 

少女が余りにも無邪気に喜ぶ顔を見て、次元の口元にも微かだが笑みが浮かんでいた。

「本当にありがとう。…あなたのこと、なんて呼べば良いかしら?」 

頬が興奮でうっすらと紅色に染まっている。

「何とでも。」 

次元は肩を竦めた。

「ダイスケ・ジゲンよね…。じゃあ、ダイって呼んでもいい?」

今まで出会った女達の中で、自分の事をファースト・ネームで呼んだ女は一人しか居ない。
赤いフリルのドレスの裾から覗く白く美しい足のライン、猫のような瞳、何処までも一途で、誰よりも激しく自分を愛した女…。

「どうしたの?」 

ジェイニーが不審そうに聞いた。次元は、鮮やかな赤の記憶から引き戻された。

「…いや、何でもない。」

別に過去にこだわる必要など無い。それに、ジェイニーはまだ幼いと言って良いくらいの年頃なのだ。

なんと呼ばれようが、構わないではないか。

「それで構わんよ。好きなように呼んでくれ。」 

次元はペルメルを口に銜えながら言った。

「じゃあ、ダイ、これ、ありがとう。それから、あたし3ブロック先の『Amsel 』 って酒場で働いてるの。良かったら、来てみて。」 

少女はドアノブに手をかけながら顔だけこちらに向けて言った。次元は片手を挙げて少女を送った。

ドアが閉まり、磨り減ったパンプスの足音が遠ざかって消えると、後には古いエアコンの無骨な音が部屋に響くだけだった。

次元は、暫くジェイニーを見送ったときと同じ場所に立ちずさんで紫煙を吐き出していたが、思い直したように踵を返すと、煙草を灰皿にねじ込んでベッドに横になった。かび臭さが鼻を突いた。

(まったく今日のオレは、本気でどうかしてる)

ぼんやりとヤニで汚れた天井を見上げながら、次元は思った。

陽炎の中にルパンの幻を見たばかりか、はるか昔に愛した女の事まで思い出すとは…。

この死んだ町が記憶を呼び起こさせたのか、或いはあの奇妙な少女と出会ったのが…。

そこまで考えて、

(まあ、どうでもいいさ)

と、次元は思考を放棄した。外よりは幾らか涼しい部屋の空気が、眠気を運んできた。

ボルサリーノを顔に被せて長い足を組むと、やがて次元は規則的な寝息を立て始めた。



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