JANIE'S GOT A GUN

1

あれからもう、3年の月日が流れた。

焼け付くような真夏の日差しがアスファルトをぎらつかせている。
夏の日差しは、若者たちを輝かせ、生けとし生けるものを生命の躍動に導くはずなのに、この町に限ってはそうはいかない様だった。

空気はどんよりと沈み、足元に絡みついた。
何処かで生ゴミでも腐っているのだろう、饐えた匂いが鼻をつく。

痩せこけて肋骨の浮き上がった野良犬が、2〜3匹うろついている。

蝶番が外れかかった酒場のドア。割れたままの窓ガラス。

酒樽の上や、店先のポーチに力無く座りこむ死んだ目をした男たち…。

その誰もが、一様に酒瓶を片手にしている。

死にたくても死ねないんだ、だから酒を飲むんだ。そう言いたげだった。

先ほどこの町の唯一の外界との接触地点である、寂れた無人駅に降り立った黒尽くめの男は、目深に被った帽子の陰から、そんな死んだ町の風景を見るともなしに見ながら、無言でメインストリートを歩いていた。

アメリカの片田舎では、こんな風景などそれこそごまんと有る。珍しいことじゃない。

男はそう思ったが、それにしても日差しが強すぎた。

夏でも着崩すことの無い着なれたスーツが、酷く暑苦しく感じた。

小さく舌打ちすると、男は漆黒のジャケットをひらりと脱ぎ去り、肩にかけてまた歩き出した。ふと顔をあげれば、遠く陽炎が立ち上っている。

夏の日が見せる幻…。

一瞬、揺らめく気の中に懐かしい緑色のジャケットを見たような気がして、次元大介は目を閉じた。

暫くして目を開けると、陽炎はただゆらゆらと、周囲の空気を歪ませているだけだった。

(どうかしてるぜ)

次元は心の中で自らに舌打ちした。

日本でルパンと共に暴れまくっていたのは昔。

「たった」3年か、「もう」3年か…。

月日の流れが早いのか遅いのかはよくわからない。

けれども、最後に、埋蔵金を頂くと言う大計画をルパン、五右ェ門、不二子と共に実行して、銭形に海の中まで追いかけられて、それでも難なくがなりたてる追っ手を振り切って辿りついた東京湾の外れの小さな小島。
そこでルパンは言ったのだ。

「とっつぁんにこんなにてこずってる様じゃ、オレもまだまだかなぁ。」

4人とも、海の中を泳いできた所為でたっぷりと塩気を含んでしまった衣服を、思い思いに干したりしているときだった。

「まあルパン、随分殊勝なこと言うのね。」 

不二子がクスクスと笑いながら言った。

「冗談事じゃねぇよ、不二子。オレはまじめに言ってんだ。」 

ルパンは緑色のジャケットをきつく絞りながら答えた。

「それにな。何もヤマ張るのを日本に限定しなくたっていいだろ。これからは、世界さ。オレは、世界を見てみたくなった。」

そう言ったルパンの目は、獲物を見つけたときに特有の、暗い炎を湛えていた。その目が本気であることは、誰よりも長く傍らに居た自分が一番良く分かっていた。しかし、続いた言葉にはルパン以外の全員が驚いた。

「…と、言うわけで、オレらルパン一味は一旦解散。みんな、あとは好きにしてくれや。」 

まるで ”今日の朝メシなんだ?” くらいの軽い口調で言ったのだ。

「おい、ルパン、どういうことだ?これからは世界だってぇのは分かるが、何でオレ達が ”一旦解散” なんだよ?!」

次元は勢い込んで尋ねた。

「ん?ああ、それはな。しばらくはオレが一人で動きたいからだ。」 

ルパンはニヤリと口元を歪めた。

「…武者修業と言うことか。」 

それまで斬鉄剣を抱えて胡座をかき、無言で聞いていた五右ェ門が口を開いた。

「まあ、そういうこったな。」 

ルパンはスラックスのポケットに両手を突っ込むと、背を逸らせて得意げに言った。

「…そう言う事なら、それも良かろう。またいつの日か会うこともあるかもしれん。短い間だったが、世話になった。」 

五右ェ門はそう言うと、立ち上がって背を向けて去っていった。

「…貴方がそう言うんじゃ、仕方ないわね。」 

去って行く五右ェ門の背を見送りながら、不二子は腕を組んで溜め息混じりにそう言った。

「せいぜい腕を磨くと良いわ気障男さん。もっとも、その間にわたしは誰かのものになってるかもしれなくてよ?」 

困ったような笑顔だった。
この女にこんな顔は似合わない、と次元は思った。

「ほ。奪い返して見せるさ。お前が何処に居て、誰のものになっていようとな。」 

挑むようにルパンは言った。不二子は、今度こそ泣きそうな顔で笑った。

「いいわ。楽しみにしてる。さよなら、気障男さん。」 

不二子もまた、五右ェ門とは別の方向へ歩き出した。

ふたりが去ってしまうと、後にはルパンと次元だけが残された。波が岩壁にあたって砕ける音がやけに耳に痛く感じられた。

何か言わなければ。

けれども、何を言えば良いのか言葉が出てこない。次元は足元に目を落とし、拳を強く握り締めて、じっとそのまま動けずにいた。

「なあ次元よぉ」

どれくらいそうしていただろうか。ふいにルパンが口を開いた。

「今度ばっかしは、俺の我が侭通さしてくれや。」 

次元は目を上げてルパンを見た。ルパンも、次元を真っ直ぐに見つめていた。

「ダメなんだ。今の俺じゃ。俺は、もっともっとデカい事をやりたいのさ。お前がそう望んでいるように。」

俺がいつ、と言いかけて、次元は再び俯いてボルサリーノを引きおろした。

「ケッ。お前が我が侭通さなかった事なんて、今まであったか?」 

シャツの胸ポケットから、煙草を取り出す。しかし、それは水浸しになってしまっていて吸えた代物ではなかった。

次元は忌々しげにペルメルを箱ごと海へ放った。こんな時にタバコがないなんて。イライラする。

次元が革靴の底で砂利を踏みにじっていると、どうやって海水から守っていたものか、ルパンがジタンを取り出して、次元にすすめた。

「………」 

一瞬間を置いて、次元はルパンの手の中の箱からジタンを一本抜き取り、口に銜えた。ルパンがゴールドのライターで火を点ける。思いきり吸いこんで紫煙を吐き出すと、幾らか気分が落ち着いた。




「…好きにするがいいさ。」

次元は呟いた。

ルパンは、心底嬉しそうに、しかしそれまで見た事も無いような哀しみを湛えた目で微笑った。

それが、最後だった。

 
陽炎の中に、あのジャケットを見たような気がしていたからだろうか。昔の、余計な事を思い出してしまった。

それにしても、暑い。次元はジャケットを肩にかけたまま、シャツの袖をめくった。汗が幾筋も首を伝って背中へ流れ落ちていく。
早めに何処か宿を見つけて避暑を決め込んだほうが良さそうだった。
それにしても、こんな町に正常に動作するエアコンの有る気の利いた宿なんざありそうもないが。

次元がそう思いながら辺りを見まわしたとき、視界の隅に若い女が飛び込んできた。

壊れかけた酒場のドアを勢いよく開けて、路上に走り出してきたのである。

次元の数メートル先で立ち止まると、何か鬱陶しいものを振り払うように淡い黄色のミニ・スカートをはたき、続いて白い丸首のブラウスをはたく。亜麻色の髪をポニー・テールに纏めて、裸足に赤いパンプスを引っ掛けた女は、よく見れば若いというより未だ幼さの残る顔立ちをしたティーンエイジャーだった。

色褪せたクリーム色のハンドバッグから安物のサングラスを取り出すと、蓮っ葉に顔にかける。そのまま空を仰いで、盛大に溜め息をついた。
そして、自分の数メートル先に立つ黒い影に気がついたのか、こちらに視線を向けた。

暫くふたりは無言だった。

先に口を開いたのは、少女のほうだった。

「Hi 。」
「…Hi 。」

少女はまた暫くそのまま次元を見つめていたが、やおらサングラスを鼻先まで下ろすと、黙ったままハンドバッグからキャンディを取り出し、それを舐めながら今度は上目遣いに次元を見た。その青い目が、立派に「女」の目をしている事に、次元は戸惑った。

見れば手や足も年の割にはずっとしなやかな柔らかい線を描いていて、妙に大人びて見える。

服装のアンバランスさや態度も手伝って、何とも見ていて落ち着かなくなる少女だった。

もっとも、そんなことで一々うろたえるような事はしない。

次元は黙って少女の脇を通り抜けた。歩きながらペルメルを銜えてジッポで火を点ける。すると、後ろで声がした。

「外国人?」 

安物の香水が汗の匂いに混じって香ってくる。

「…そう見えるか?」 

次元はそっけなく言って紫煙を吐き出した。

「旅行…じゃないわよね。ここには観るものなんて何も無いわ。何しに来たの?」 

無遠慮に聞いてくる。若いと言う事は強いものだ。

「…別に。ただふらりとね。いい加減列車に揺られるのも飽きたと思っていたら、一番手近に着いたのがここだったってだけだ。」

「ふうん…。物好きな人ね。あと一つ二つ駅を過ぎれば、もう少し大きな町だってあったのに。」 

少女はいつの間にか次元の横に立って歩いていた。背丈はちょうど次元の肩より少し低い。

歩を進めるたびに、亜麻色の髪が頼りなく揺れた。

「今夜はここに泊まるの?」 

次元のほうを見もしないで、相変わらずキャンディを舐めながら少女は聞いた。

「…さあね。決めてない。」 

次元も少女を見ることはせず、短くなった煙草を指で弾いて道端に捨てた。

「…だったら、参考までにこの町で一番 ”上等” な宿屋を教えてあげるわ。
よそ者は、いいカモくらいにしか考えてないからね。この町の連中は。ヘタな所に行ったら、身包み剥がされて有り金毟り取られるのがオチよ。」

「別に頼んでもいないし今夜ここに泊まるかも決めてないと言ったはずだが。」 

次元は心底不愉快だという口調で言った。

「いいじゃない、あたしあなたが気に入ったのよ。中国人にしちゃちょっとないくらい背も高いし、声もいいわ。何よりこの暑いのにスーツ着てるのが笑えるわ。」 

少女は本当に可笑しいと言う風に笑った。

「…No, Japanese. 」 

次元は更に不機嫌になって言った。

「あら!ごめんなさい。」 

しかし少女は少しも悪びれずに、次元を見上げて、

「あたし、ジェイニーよ。」 

と言って笑った。

「…次元大介。」 

溜め息とともに答えて、次元はボルサリーノを被りなおした。



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