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今までに好きになった馬達です!! |
[38] トウカイテイオー | ||
1988年4月20日生まれの牡馬で、父シンボリルドルフ、母トウカイナチュラル、母父ナイスダンサーという血統の持ち主。
毛色は鹿毛。生涯成績は9 0 0 3。
この馬は、私が競馬を好きになるきっかけを与えてくれた馬です。
まだ、それ程競馬にのめり込んでいなかった頃にこの馬は現れました。
父、シンボリルドルフと同じ様に無敗でクラシックへと駒を進めます。
この当時は、まだ競馬の知識があまりなかったので、この馬のおかげで『皇帝 シンボリルドルフ』の事をしりました。
そして、その子供がまた父と同じ道を歩もうとしている姿に私は感動し、競馬にのめり込んでいきました。
この時に、競馬は『ブラッドスポーツ』だという事に気付かされ、競馬が好きになりました。
父と同じ騎手がまたがり、同じ道を歩んでいくなんて、かっこよすぎました。
この馬は無敗でダービーを制した後、故障により戦線離脱を余儀なくされ、父子二代での無敗の三冠制覇は夢と散りました。
翌年、大阪杯から復帰し無敗で天皇賞(春)へ向かいます。
断トツの1番人気でしたが、名馬『メジロマックイーン』に敗れます。
その後、天皇賞(秋)に出走しますが、人気薄のレッツゴーターキンに敗れます。
これはまさに、父と同じ様な軌跡を辿っているのでまた、競馬の魅力に引き込まれました。
ご存知だとは思いますが、父『シンボリルドルフ』も天皇賞(秋)でギャロップダイナに敗れているからです。
その後のジャパンカップは見事に勝利し、有馬記念ではまたもや、人気薄の『メジロパーマー』に逃げ切られてしまいます。
そしてこの馬の最後のドラマが、引退レースとなった有馬記念です。
このレースはまるっと1年休養明けという、とんでもないローテーションでした。
それにも関わらず、見事に奇跡の復活劇を演じました。
この時に、「この馬は本当に絵になる馬だなぁ〜」と感動しました。
この馬が様々なドラマを見せてくれた事に感謝しています。
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[37] スティルインラブ | ||
2000年5月2日生まれの牝馬で、父サンデーサイレンス、母バラダマンテ、
母父Robertoという血統の持ち主。
毛色は栗毛。生涯成績は5 2 1 8。
この馬は私が見た、初めての『牝馬三冠馬』です。
『牝馬三冠』と言えば過去に『メジロラモーヌ』一頭しか達成していない偉業でした。
過去に名牝と言われた馬達でも、なかなか牝馬三冠は達成できずじまいでした。
そんな中、この馬が現れました。
私は、『テイエムオペラオー』が現れて以来、競馬熱が徐々に薄れていっていました。
もし、この馬が『牝馬三冠』をあの時期にしてくれていなかったら、もっと競馬熱が冷めていたかもしれません。
あの時期に競馬を盛り上げてくれた貴重な一頭です。
実際、その当時の私は競馬熱も冷めていたので、『牝馬三冠』でも『メジロラモーヌの牝馬三冠』とはレース自体が違うので『スティルインラブの牝馬三冠』を認めてはいませんでした。
しかし、今一度、振り返ってみるとやはり『牝馬三冠』はつくづく偉業だという事を思い知らされます。
さらに、今回初めて気がついた事なんですが、『サンデーサイレンス』は牡馬、牝馬共に『三冠馬』を輩出いている事に気がつきました。
つくづく、『サンデーサイレンス』の偉大さを思い知らされました。
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[36] サイコーキララ | ||
1997年5月1日生まれの牝馬で、父リンドシェーバー、母サイコーロマン
母父モーニングフローリックという血統の持ち主。
毛色は黒鹿毛。生涯成績は4 0 0 4。
この馬は無名の石山繁騎手が騎乗していたので好きになりました。
デビューから3連勝して重賞に挑戦します。
このレースで、石山繁騎手は重賞初制覇がかかっていました。
この時はドキドキしながら、レースを見ていたことを思い出します。
断トツの1番人気に推されたこの馬は、私の不安をよそに重賞を見事制覇します。
この4連勝によって、クラシックの主役へと登りつめます。
続く、桜花賞でも断トツの1番人気に推されました。
石山繁騎手のG1初制覇のチャンスがやってきました。
しかし、さすがにG1は一筋縄ではいきませんでした。
シルクプリマドンナの4着に敗れてしまいます。
続く、オークスは距離の壁に阻まれ6着、クイーンSは11着と大きく敗れ引退となりました。
もし、石山騎手ではなく他の騎手が騎乗していたなら、違った結果が待っていたかもしれません。
しかし、若い石山繁騎手にチャンスを与え続けた浜田光正調教師の温情に感動したことを今でも覚えています。
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[35] テイエムオーシャン | ||
1998年4月9日生まれの牝馬で、父ダンシングブレーヴ、母リヴァーガール、母父リヴリアという血統の持ち主。
毛色は鹿毛。生涯成績は7 1 4 6。
この馬はダンシングブレーヴの仔という事で、好きになった馬です。
新馬戦、500万条件を連勝して札幌3歳Sに挑みますが、後のダービー馬『ジャングルポケット』の3着に敗れます。
この時に、この馬の凄さが現れていたと思います。
暮れのG1、阪神3歳牝馬Sを制し、G1馬の仲間入りを果たします。
明けてチューリップ賞、桜花賞を連勝してオークスへと駒を進めます。
この時に、私は牝馬相手なら負けないのではないかと思っていました。
そして、ダンシングブレーヴという血統からも『牝馬三冠』の夢を見始めていました。
しかし、2冠目を懸けたオークスでレディパステルの3着に敗れてしまいます。
この時に『牝馬三冠』というものは、この馬でも無理な程、難しいものなのだと思い知らされました。
そして、改めて『牝馬三冠』の重みを感じました。
その後は秋華賞でオークスの雪辱を果たし、『牝馬2冠』を達成します。
続くエリザベス女王杯では、トゥザビクトリーの5着、有馬記念も6着に敗れます。
翌年はG1の王道路線を歩み、天皇賞(秋)は13着、ジャパンカップは9着、有馬記念は10着に敗れてしまいます。
翌年も重賞に出走はするものの勝つ事は出来ず、引退となりました。
この馬は、歴史的名馬『ダンシングブレーヴ』の血を引く馬なので、その血を次に繋げていって欲しいものです。
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[34] サイドワインダー | ||
1998年4月2日生まれの牡馬で、父トニービン、母ゴールデンジャック、
母父Afleetという血統の持ち主。
毛色は栗毛。生涯成績は8 4 3 22。
この馬は一回目のすきうまで書いた『ゴールデンジャック』の仔です。
好きな馬の子供なので、ずっと応援して来ました。
そろそろ、引退かな?っと思って調べてみたら、登録抹消されていました。
そういう事なので、今回はこの馬を書くことにしました。
この馬はデビューが遅く、クラシックにはのる事が出来ませんでした。
02年の京阪杯でようやく重賞初挑戦にして制覇をし、素質開花をアピールします。
03年のマイルCSでは、デュランダル、ファインモーションらを抑え1番人気に推されますが、8着に敗れてしまいます。
この時には、1番人気になった事が嬉しかった事を今でも覚えています。
その後もG1へ挑戦しますが、G1制覇の夢は、叶う事はありませんでした。
母親と同じ栗毛の馬体に母を重ねて、悲願のG1制覇を願っていましたが、この思いは届きませんでした。
しかし競馬はブラッドスポーツなので、こうやって好きな馬の子供を長く見ていられたという事はとても嬉しく思います。
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[33] ディープインパクト | ||
2002年3月25日生まれの牡馬で、父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア、母父Alzaoという血統の持ち主。
毛色は鹿毛。生涯成績は12 1 0 0。
言わなくてもご存知だとは思いますが、この馬は、『無敗の三冠』を成し遂げた名馬です。
引退したばかりですが、私がもう一度、競馬に熱をあげるきっかけを作った馬なので、今回は書くことにしました。
この馬がいなければ、メルマガの発行もホームページを立ち上げる事もなかったかもしれません。
競馬ファンにとって、やはり三冠を達成しそうな素質馬がいると、競馬熱が嫌でも上がってきてしまうことを思い知らされました。
ましてや、『シンボリルドルフ』以来の『無敗の三冠馬』ですからね。
04年にデビューし、05年の皐月賞、日本ダービー、菊花賞を無敗で制し、『無敗の三冠』を達成します。
有馬記念では惜しくもハーツクライの2着に敗れ、無敗は敗れてしまいます。
06年に入っても勢いは止まらず、天皇賞(春)では驚異の3分13秒4という世界レコードを記録します。
その後の宝塚記念も制し、世界一を目指し『凱旋門賞』へ挑戦します。
その凱旋門賞では3着に入線しましたが、禁止薬物の使用により失格処分となります。
このときに受けた衝撃は、とてつもなかったですよね。
その後、汚名返上で挑んだジャパンカップを制し、遂にラストランとなる有馬記念に挑みます。
ジャパンカップの時は心配しながら見ていましたが、有馬記念は心配もする必要もなく、安心して見ていました。
引退レースの有馬記念も制し、有終の美を飾りました。
この馬が引退するのが、とても残念でなりませんが、次の世代へ世界で見せたあの走りを繋げていって欲しいものです。
この馬には、いろんな意味で感謝しています。
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