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今までに好きになった馬達です!! |
[43] ウイニングチケット | ||
1990年3月21日産まれの牡馬で、父トニービン、母パワフルレディ、
母父マルゼンスキーという血統の持ち主。
毛色は黒鹿毛。生涯成績は6 1 2 5。
この馬はビワハヤヒデ、ナリタタイシンと共に、平成三強の一角を担った馬です。
やはり、この馬といえば日本ダービーだと思います。
柴田政人騎手にダービーを勝たせる為に、産まれたと言っても過言ではないですよね。
柴田政人騎手に念願の日本ダービー制覇を成し遂げた馬ですからね。
クラシックは平成三強が仲良く、皐月賞をナリタタイシン、日本ダービーをウイニングチケット、菊花賞をビワハヤヒデが制しました。
残念なのは、種牡馬としてこの馬から代表的な牡馬が出なかったことですね。
これからの余生をゆっくり過ごしてもらいたいです。
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[42] ナリタトップロード | ||
1996年4月4日産まれの牡馬で、父サッカーボーイ、母フローラルマジック、母父Affirmedという血統の持ち主。
毛色は栗毛。生涯成績は8 6 8 8。
この馬は、テイエムオペラオー、アドマイヤベガと共に、1999年のクラシックを盛り上げました。
皐月賞はテイエムオペラオー、日本ダービーはアドマイヤベガ、念願のG1初制覇は最後の一冠、菊花賞でした。
このG1勝利は渡辺薫彦騎手の初G1制覇でもありました。
今でこそ、サンデーサイレンス系の種牡馬が活躍し内国産馬の活躍が目ざましいですが、この当時の内国産馬は、まだまだ活躍馬は少なかった時代でした。
そんな中、アイドルホース『サッカーボーイ』の仔であるこの馬の活躍は、私の心に響きました。
そんな事から、内国産馬代表として応援していました。
結局、G1制覇は菊花賞の1勝のみでしたが、『テイエムオペラオー』、『ジャングルポケット』、『マンハッタンカフェ』、『シンボリクリスエス』などの名馬達と互角に勝負していた姿は私の心の中に残っています。
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[41] ジェニュイン | ||
1992年4月28日産まれの牡馬で、父サンデーサイレンス、母クルーピアレディー、母父What Luckという血統の持ち主。
毛色は青鹿毛。生涯成績は5 7 1 8。
この馬はサンデーサイレンスの初年度産駒として記憶に残っています。
三冠馬候補と言われた『フジキセキ』がリタイアし、混戦模様となったクラシック路線にこの馬は現れました。
皐月賞トライアルである若葉Sを快勝すると、皐月賞も制し早くもG1馬へと登りつめます。
続く日本ダービーは『タヤスツヨシ』の2着に敗れます。
この馬の凄いところは、菊花賞ではなく天皇賞(秋)に駒を進めた事です。
普通なら皐月賞を勝ちダービーで2着なら普通は菊花賞へ駒を進めるのが、これまでのセオリーでした。
しかし、この馬は距離適正を考えクラシックをあきらめるという新しい概念を根付かせました。
この馬がいなければ、『バブルガムフェロー』の4歳での天皇賞(秋)制覇や『NHKマイルC』などの距離別のカテゴリーが早い時期に整備されたのかは疑問が残ります。
この馬はサンデーサイレンス旋風の幕開けと、その当時のカテゴリー分けに功績を残したといっても過言ではありません。
残念ながら天皇賞(秋)は2着に敗れますが、この時期に古馬と4歳のトップレベルが通用することの証明になりました。
その後、有馬記念に挑戦しますが距離の壁に阻まれ10着に敗れます。
翌年は安田記念は4着、天皇賞(秋)は14着と敗れますが、マイラーが不在だったマイルCSで押し出される形で1番人気に推され見事にG12勝目をあげます。
その後はG1に挑戦はしますが、勝つ事はありませんでした。
しかし、この馬が歩んだ軌跡は今の競馬に多大な功績を残したと私は思っています。
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[40] ダンスインザダーク | ||
1993年6月5日産まれの牡馬で、父サンデーサイレンス、母ダンシングキイ、母父Nijinskyという血統の持ち主。
毛色は鹿毛。生涯成績は5 2 1 0。
この馬は姉にダンスパートナーを持ち、G1馬の弟として期待を背負いながらデビューしました。
新馬戦を勝つとすぐに、ラジオたんぱ杯3歳Sに挑戦します。
結果はロイヤルタッチの3着でした。
しかし、ここでこの馬の能力は証明されました。
次はきさらぎ賞に挑戦します。
しかし、ここでもロイヤルタッチの2着でした。
それでも、ラジオたんぱ杯3歳Sの時には0.6秒差あった着差はクビ差まで詰まっていました。
続く、弥生賞でようやく重賞初制覇を成し遂げます。
しかし、皐月賞に出走できなかったのは残念でなりません・・・
続く、プリンシパルSを圧倒的1番人気で勝利し、ダービーへと駒を進めます。
しかし、このレースには和製ラムタラと言われた『フサイチコンコルド』が出走していたので、クビ差の2着に敗れ、ダービー制覇は成りませんでした。
続く、京都新聞杯を勝ち、菊花賞へ駒を進めます。
この菊花賞が私の記憶に深く残っているレースです。
もちろん、姉弟でG1馬になったレースでもあるんですが、このレースの最後の直線はいつまでも忘れることが出来ません。
この馬は12番手から一気に追い込んで、このレースを勝ちました。
上がり3F33.8は衝撃のタイムでした。
本当に凄い脚を見せてもらいました。
結局はこの負担がかかってしまったのかは分かりませんが、レース後に屈腱炎を発症し引退となりました。
この馬が、種牡馬として血を繋げていく事を楽しみにしています。
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