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すきうま
    
 
 
            今までに好きになった馬達です!!

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 [32]   マーベラスサンデー
1992年5月31日生まれの牡馬で、父サンデーサイレンス、母モミジダンサー、母父ヴアイスリーガルという血統の持ち主。
毛色は栃栗毛。生涯成績は10 2 1 2。
この馬はサクラローレル、マヤノトップガンと三強を形成した馬の一頭です。
この三頭とも好きな馬なんですが、三頭の中で一番G1を勝ったのが遅かったこの馬に一番思い入れがありました。
勝てそうで勝てない姿に、いつも歯がゆい思いをしていた事を思い出します。
この馬には他の二頭が持っていた、武器という物が特にあった訳ではなかったですからね。
95年にデビューし、96年に復帰すると破竹の6連勝をして初めてのG1の舞台に挑戦します。
この時には正直、この馬は好きではありませんでした。
武豊騎手のお手馬として、強い馬が出てきたなという印象でした。
このレースで、バブルガムフェローの4着に敗れた後、有馬記念ではサクラローレルの2着に敗退します。
97年は大阪杯を快勝した後、天皇賞(春)に向かいます。
この天皇賞は物凄いレースだったので、今でも覚えています。
このレースには前述したサクラローレルとマヤノトップガンも出走して、三強対決と言われました。
両馬ともに、3000m以上のG1を勝っていたので、この馬はどうしても3番手評価でした。
このレースから、この馬を応援し始めたような気がします。
結果はマヤノトップガンが、この当時の世界レコードで勝ち、この馬は3着でした。
G1を武豊騎手が騎乗しながら、勝てそうで勝てないこの馬に段々と惹かれていきました。
そして、前述の二頭が出走しない宝塚記念で念願のG1制覇をし、有馬記念はシルクジャスティスの強襲にあい、2着に敗れて引退しました。
二強がいなくなってから、G1を制した辺りが、なんとも寂しいですが、6連勝をしてエリートと思われた馬が、ようやく掴んだG1制覇には感慨深いものがありましたよ。
update:
2007/01/08

 [31]   オレンジピール
1994年3月15日産まれの牝馬で、父サンデーサイレンス、母バッフドオレンジ、母父Exclusive Nativeという血統の持ち主。
毛色は栗毛。生涯成績は4 1 0 19。
この馬は97年のクラシックで、追いかけていた馬です。
私の大好きな『ゴールデンジャック』に姿を重ねて、応援していました。
同じ栗毛の馬で、桜花賞トライアルとオークストライアルを勝ったところなど、被る要素があったので姿を重ねていました。
結果的には、桜花賞5着、オークス5着、秋華賞4着と、G1には手が届きませんでした。
この年の河内騎手の調子があまり良くなかったので、もし、違う騎手が乗っていたら、もう少し違う結果になっていたんではないかなと、私は個人的に思っています。
update:
2006/12/25

 [30]   メイショウドトウ
1996年3月25日産まれの牡馬で、父Bigstone、母Princess Reema、
母父Affirmedという血統の持ち主。
毛色は鹿毛。生涯成績は10 8 2 7。
この馬はなんといっても、テイエムオペラオー抜きには語れない馬ですよね。
テイエムオペラオーのライバルですからね。
この馬は遅咲きの馬でした。
重賞初挑戦が00年の日経新春杯で2着、続く中京記念で念願の重賞初制覇をします。
この時にはまだ、テイエムオペラオーとの名勝負の数々は想像も出来ませんでした。
その後、確実に力を付けたこの馬は遂に、あのテイエムオペラオーとの戦いが始まります。
00年の宝塚記念でテイエムオペラオーの2着、天皇賞(秋)でもテイエムオペラオーの2着、ジャパンカップでもテイエムオペラオーの2着、有馬記念でもテイエムオペラオーの2着に敗れます。
いつも、この馬の前にはテイエムオペラオーという名馬が立ちはだかっていました。
どうやって、乗ればテイエムオペラオーに勝てるのか?
それともテイエムオペラオーには敵わないのか?
と色々な声がありました。
ちょうど、この頃に私もテイエムオペラオーの独裁に競馬への興味が薄れてきていました。
だって、G1は全部テイエムオペラオーとメイショウドトウの組み合わせで決まりなんですから・・・
この2頭のおかげなのかは、分かりませんが三連複の導入が決まりました。
01年になっても、この2頭上位独占は続きました。
01年の天皇賞(春)もテイエムオペラオーの2着に敗れます。
しかし、遂にテイエムオペラオーへ雪辱の時がやってきました。
01年の宝塚記念で早めのスパートで押し切り、悲願のG1制覇を成し遂げます。
しかし、この2頭の時代は、これを境に終焉を迎えつつありました。
続く、天皇賞(秋)ではアグネスデジタルの3着、ジャパンカップではジャングルポケットの5着、有馬記念ではシンボリクリスエスの4着に敗れ、引退となりました。
その当時は、馬券的に面白くなかったので、競馬熱がどんどん冷めていってしまいましたが、今考えてみると、この2頭の時代が1年以上も続いていた事の凄さに、ただ感心してしまします。
update:
2006/12/18
 [29]   エイシンバーリン
1992年3月11日産まれの牝馬で、父Cozzene、母Blade of luck、
母父Bladeという血統の持ち主。
毛色は芦毛。生涯成績は6 7 2 13。
この馬は芦毛という毛色と、逃げという脚質に惚れてずっと追いかけていた馬です。
G1馬にはなれませんでしたが、私の心には強く思い出として残っています。
97年の高松宮杯がシンコウフォレストの2着、その年のスプリンターズSは名馬タイキシャトルの10着でした。
この馬は最後に坂のあるレースよりは、平坦コースの方が走りましたから、当然の結果といえばそうなんですけどね。
98年の高松宮杯はシンコウフォレストの3着、そして、その年のスプリンターズSはマイネルラヴの10着でした。
特に98年の高松宮杯は物凄く惜しかったと思っています。
雨が降ってきて、馬場が悪くなって、そこで得意の中京コースだったので、めちゃくちゃ期待していました。
結果は先程、書きましたが3着でした。
逃げ馬が好きな私にとっては、この馬は忘れられない1頭です。
 
update:
2006/12/10

 [28]   タニノギムレット
1999年5月4日産まれの牡馬で、父ブライアンズタイム、母タニノクリスタル、母父クリスタルパレスという血統の持ち主。
毛色は鹿毛。生涯成績は5 1 2 0。
この馬はNHKマイルCからダービーというローテを実践し、ダービーを制覇した馬です。
前年にNHKマイルCからダービーへ挑戦した馬がいました。
その馬は『クロフネ』です。
この馬はNHKマイルCの後にダービーへ挑戦しましたが、惜しくも5着に敗れてしまいます。
同厩舎である、この先輩と同じローテでダービーへ挑戦し、見事制覇しました。
この当時は、NHKマイルCとの距離の差やローテがきついことから、このローテに疑問を持っている人はたくさんいました。
皐月賞を1番人気に支持されながら伏兵のノーリーズンの3着に敗れ、続く、必勝態勢で臨んだNHKマイルCでも1番人気に支持されながら、テレグノシスのまさかの3着に敗れてしまいます。
G1を獲らせたい為の無理やりなローテーションに世間には映りました。
しかし、前年の『クロフネ』の教訓を見事に活かしてのダービー制覇には感慨深いものがありました。
今日の阪神ジュベナイルフィリーズを見てこの馬の末脚が産駒に受け継がれているのを見て、この馬を思い出し、今回『すきうま』に書かせていただきました。
update:
2006/12/03




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