一日一東方

2011年10月18日
(神霊廟・宮古芳香)

 


『触診』

 

 

 おはよう。
 いい夢は見れたかしら。気分はどう?
 ……そう。なら良かったわ。
 解っていると思うけど、あなたは大祀廟を守らなければならない。封印の地を守護する勇敢な戦士。私はあなたを誇りに思う。これはあなたにしかできない役目よ、しっかりと務めを果たしなさい。
 この墓地に近付く者を全て排除すること。
 頼みましたよ。
 ……それでは、またね。

 芳香。

 

 

 

 目が開く。
 辺りは暗く、かすかに虫の音が聞こえる。月と星の明かりは木の葉に遮られて乏しく、けれど雲に隠れているわけではないようだった。
 時は夜。
 どうやら、自分は仰向けに寝転がっているらしい。痛みはないが、肌が草に触れている感覚はある。身体を起こそうとして、しかしどうにも上手く関節が曲がらない。四肢の欠損があるかと思えば、視認できる範囲に限れば五体満足ではあるようだ。
 意識があるということは、生きているということだ。感覚があるのであれば、死んではいないということで、自分は人間や妖怪や動物といった生き物であるらしいということもわかる。
 ところで。
「おー……」
 自分は、果たして何者であったろうか。
 発した声は若い女のそれで、頭の隅に『芳香』という名前が置き去りにされている。それが自分の名前だろうか。判然としないが、今はそれを寄る辺にするよりほかない。
 薄霞の掛かった記憶の中を漁っていくと、少しずつ、己を形作る要素が浮かび上がってくる。
 勇敢な戦士。
 封印の地。
 あなたは大祀廟を守らなければならない。
 それが務め。
 この墓地に近付く者を全て排除せよ。
 排除。
 ――つまるところ、そういうことらしい。
「う、うー」
 さしあたって、立ち上がらなければ始まらない。肘と膝は固まったままだが、股関節は動かすことができた。半身を起き上がらせ、周囲の状況を確認する。その頃には瞳も暗闇に慣れ、自分が墓地の真ん中にいることがわかった。
 墓地だからか知らないが、辺りには無数の霊が漂っている。お腹が空いたらあれを食べよう、と芳香は無意識のうちにそう考えた。そうすることが最善と理解していた。
「ぐ、お」
 あまりにも身体が動かないから、気張っているうちに、自然と身体が浮き上がった。そうだ、自分は空を飛べるのだ。何故失念していたのだろう、よく覚えていないが、生きているような、死んでいるような、そんな不安定な存在であることまでは思い出していた。
 御影石を踏み台にできる高さまで浮き上がって、浮遊霊と同じ軽々しさで辺りを漂いながら、思い出せることはないか、思い出さなければならないことはないか、芳香は模索を続ける。
 口を半開きにしたまま、低く呻き声を上げ、生気の感じられない濁った瞳で。
「大祀廟……大祀廟、て、なんだっけ……?」
 頭がくらくらする。起きてすぐだから、脳が上手く働かない。そも、始めから正常に働いていたという保証もない。額を押さえて蹲りたくとも、肘が曲がらないからそれもままならない。視界が中途半端に遮られているのは、額に何かが貼られているせいだと察していても、それを剥がすこともできない。剥がしてはならない、という禁忌に震えることもなかった。これを貼り付けた者が、お札にそれほど強い効力を付与していなかったのかもしれない。
 仕方がないから、侵入者を探してふらふらと漂い続ける。
 たまにそこいらを漂っている霊を喰い、大して味もないから旨いとも不味いとも感じず、ただ食欲のみを満たす。そうしているうちに夜は明け、太陽の眩しさと、身体の焼ける感覚に嫌気が差し、土の中に隠れて昼を過ごした。普通の人間なら息苦しさに耐え切れないだろうが、芳香には苦に感じなかった。むしろ心地よいとさえ感じていたから、自分はきっと人間ではないのだろうと思った。
 夜になれば、不審者はいないかと墓地をぐるぐる巡回する。
 朝が来れば、土の中に潜って太陽をやり過ごす。そのうち、適当に墓石を持ち上げて、その中に入ることを覚えた。墓に入るか土に潜るかは、その日の気分で選んでいた。
 気楽な生活であった。
 自分の行動を疑わず、そうあることを当然とし、与えられた自由を存分に謳歌する。
 ある日、夜の墓地に初めての侵入者が訪れた。
 年端も行かない子どもたちが数人、気の強そうなのが先頭に立って、提灯と包丁を構えている。肝試しだろうか、怯えている者もいれば、茶化す者もいる。女の子などは既に泣き出しそうだ。
 芳香は、人間の子であろうとも例外なく、墓地に近付く者を排除するべく動き出す。ゆっくりと高度を下げ、ちょうど子どもたちの行く手を遮るように立ちはだかる。
 ひぃッ、と押し殺された悲鳴が漏れていた。
「ちーかよーるなー……」
 勿体ぶって、おどろおどろしく警告する。
 わざと声も低くして、両腕を前に突き出し、手首を下に垂らす。適当に弾幕でも展開しておけば、恐れをなして逃げていくのだろうが、今はまだ弾を出すことに慣れていない。相手を傷付けても、あるいは殺しても問題はないが、そうすることに抵抗があるのも確かだ。
 何故だろう。
「くっ、来るな!」
 気の強い少年は、提灯を別の子どもに渡して、自身は包丁を構えて勇敢にも芳香に立ち向かった。身体は小刻みに震えているものの、瞳に灯る光は力強い。
 おそらく、少年が怯えて逃走すれば、後ろに控える子どもたちも恐慌状態に陥る。そうはさせまいと、少年は恐怖を押さえつけて芳香に刃を突き付けているのだ。
「勇ましいのはいいことだ……が、相手が悪かったな……」
「う、うるさい! 近寄るんじゃねえ!」
 じりじりと、芳香が近付いた分だけ、少年も後ずさる。虚勢を張っているのは明白だ、後は何か、感情を決壊させる条件が揃えば、彼らは散り散りに逃げ惑うだろう。
「うーむ」
 どうしたものか。呑気に考えているうちにも、状況は切迫する。
 徐々に距離が詰まっていく中で、なおも気丈に振る舞う少年。
 そして。
「――とッ」
 芳香は、そのいじましい距離感が急に煩わしくなって、一足で少年の懐に飛び込んだ。
 音もなく、一瞬のうちに。
「――――、……」
 目と鼻の先に、顔と顔が突き合わされる。押し潰された悲鳴が響く。伸ばし切った腕の間に少年の首が収まり、ともすれば、抱擁を求める恋人のようにも見えた。
 少年が咄嗟に突き出した包丁の刃が、芳香の左胸に突き刺さっていることを除けば。
「……う?」
 どちらも、その状態に驚いていた。
 芳香は呆けていたが、少年は恐慌し、刺さった刃を引き抜こうと必死にもがいていた。涙を零しながら、声にならない声を発し、芳香の傷口を広げることも厭わず、深く食い込んだ刃を右に左に掻き回した。その度に行き場を失ったどす黒い血液が漏れ、暗闇の中にもくすんだ赤色を滴らせた。
「ひ、ぁ……う、うあぁぁっ!」
 子どもたちは、ひとりまたひとりと堰を切ったように逃げ出し、ついには少年一人になってしまった。
「ひぃ、は、はやく……、抜けろ、抜けろよぉ! くそおぉッ!」
 悲痛な叫びと対照的に、芳香は酷く冷静だった。何しろ痛みが感じられないのだ、動揺しろという方が無茶である。そのうち、喰い込んでいた包丁はすっぽりと抜け、少年は身体を支え切れずに尻もちを突いた。その拍子に、少年の手から包丁がすっぽ抜けて、どこかの墓石に当たってからんからんと高い音を響かせた。
「ぁ、あ……」
 腰砕けになって、這うように逃げていく少年を追う気にもなれない。芳香はただ、心臓に近い部位に付けられた傷口を、塞ぐべきか否かを探っていた。
 時折、自分は何者なのかと考えていた。
 妖怪であることは疑いない。妖怪にも様々な種がある。仲間はいるのか。たったひとりなのか。仲間があるなら、同じ境遇にある者として話が弾むこともあるだろう。たったひとりなら、この孤独を諦めることもできるだろう。
 だが、その前提さえ、間違っているのではないか。
「……死、ぬ?」
 現実味に欠ける。死に至る傷であることは、何とはなしに悟っていた。人間の尺度は通用しないにしろ、人間の身体があるのならば、相応の痛みがあっていいはずだ。あるいは、それに等しい喪失感が。
 ならば、どうして死が遠く感じられる。
 ……そもそも。
「私は、生きているのか……?」
 答えは出ない。考えてどうこうなる問題ではないことも知っている。
 今は猛烈にお腹が空いた、とりあえず、無数に漂っている浮遊霊を貪り食う。それだけで、傷口は簡単に塞がってくれた。身体にも活力が漲っていく。一体、自分は何なのだ。生きているのか死んでいるのか、そのどちらでもないのか。死にながら生き、生きながら死んでいる、どっちつかずな曖昧な生命。生命と呼ぶのもおこがましい、意識を与えられた意志なき人形。
 それが、芳香。
「……みやこ、よしか」
 ――ぴし、と脊髄に電撃が走る。
 霞の掛かった記憶の海が、真名を得て急速に晴れていくのを感じる。
 宮古芳香。
 己を形成する名前と、存在の性質と、破ってはならない使命と。
 失われていたおおよそ全ての記憶が蘇る。封じられていたのか、ただ忘れていただけなのか、それさえ些細な違いだと断じることができる。
 自分が今まで考えていたことは全て正解だった。何も間違ってはいなかった。宮古芳香は生きてもいるし死んでもいる。生きた死体、リビングデッド。生の定義は。死の定義は。生と死の境界に立ち、どちらでもあり、どちらでもない存在として己を維持している人の形。
「私は、ゾンビだ……」
 主の命に従って使命を果たすキョンシー。なればこそ額に札が貼られていることにも得心がいく。パズルが次々と解き明かされていき、視界が晴れやかになる。身体が動かないのは死後硬直で固まっているからだ。痛みを感じないのは痛覚が死んでいるからだ。
 全ての現象には理由がある。
 それが、常軌を逸してさえいても。
「私は……、宮古芳香だ! やっとわかった、ようやく、私は、私だと……! そうだ、あぁ、そうか……!」
 笑い出したい気持ちを押さえ、感情が先走って意味の通らない言葉を垂れ流す。
 芳香は幸せだった。ゾンビであろうとも、己が如何なる存在であるのかを知れたことが幸福でならなかった。
 たとえ、ゾンビに至る前の、人間であった頃の記憶を思い出せなくても。思い出そう、という気が全く芽生えなかったにしても。
 宮古芳香は、己がゾンビであることを認識し、それを受け入れた。
 それは、幸せなことに違いない。
 きっと。
「ははっ……! うん、そうだ、主の名前も覚えているぞ! あれは、そう、何だったかな……、覚えているんだ、ちゃんと……!」
 興奮を隠し切れず、芳香は目をぎらぎらと輝かせて喋り続ける。
 月の明かりが、血まみれの包丁に吸い込まれて、虚しく消えた。

 

 

 

 狂ったように叫び声を上げるゾンビを見下ろして、虚空に腰を掛ける仙女がひとり。
 口元を、柳の描かれた扇で隠し、物憂げに呟く。
「――気、れては風、新柳の髪をけづる」
 眼下の死体は、あちらこちらに漂う霊と同じように、ふらふらとどこかに消えていく。
 仙女は夜風に衣をなびかせながら、隠された唇をそっと緩ませて、笑う。
「思い出せてよかったわね。芳香」
 彼女はパチンと軽妙に扇を閉じ、夜の藍色に溶けるように、ふっと姿を消した。

 

 

 



幽谷響子 霍青娥 蘇我屠自古 物部布都 豊聡耳神子 二ッ岩マミゾウ
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Index

2011年10月18日  藤村流
東方project二次創作小説





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