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成熟への無理な欲求がラダマンティスの運命を駆り立てていた。あれだけの犠牲者を出しておきながら、愚かにも三日後にはラダマンティスは狩りへと繰り出していたのだ。
あれほどの事件が起きたのだから一帯に厳戒態勢が敷かれていた。ラダマンティスはそれを嘲笑うかのように、警邏中の警官を仕留めた。人外の存在に官権や人界の法は届かない。
だが、その欲求と奢りが全ての命運の尽きだった。彼は狩りに夢中でカノンが気配を殺して忍び寄っていることに気付けなかったのだ。
『…随分と派手にやってくれるな』
虚ろな光を発散させる回転灯の青い光に照らされながらカノンは投げかけた。最後に襲った警官の心臓を抉り出したばかりのラダマンティスは、一瞬たじろいだが次の瞬間にはその動揺を恥じていた。
『…また貴様か』
まるでもののように犠牲者の骸を投げ捨てたラダマンティスは、形は人だが既に人以外のものとなっていた。異様に吊り上がった眼と逆立った髪は、さながら悪鬼のようにも見えた。相変わらず半裸にジーンズ姿で、その筋肉美は覚醒とともに更に洗練されており、カノンは無意識に舌を舐めずった。
かなり冥闘士として完成している。ラダマンティスは、たった今刳り貫いた心臓を興味が無いようにパトカーの車体に叩き付けた。それは、まるでトマトのように血を弾けさせて、白い車体に放射状の印を付け、弾力的に跳ねて地面に落ちた。
カノンは、敵が犠牲者をぞんざいに扱った以上に、思ったよりも敵が強大なことを苦々しく思っていた。前回ならばどうにかなっただろう。だが、今回は勝てる見込みが見えない。
だが、相手は冥衣を纏っていない丸腰、そして自分も丸腰なのだ。どうにかなるだろう。
『…お前等の狼藉をこれ以上見過ごすことは出来ない』
カノンの吐いた言葉は建前だった。看過するのが聖域の方針だからだ。何故ラダマンティスを見過ごせないかというと、それは人道的な側面ではなくただ単に戦いたいという欲求があったからだ。
しかし、放っておいてもいずれ対峙する機会はあった筈だ。兄の身に何かありさえすれば。
まずは、カノンから仕掛けた。俊速で懐に入ったカノンを、ラダマンティスは見逃すこと無く斬りつけた。寸でのところで躱したカノンの頬に、やはり一筋の血液が滴った。
『…お節介なことだな』
血に濡れた爪をラダマンティスが舐める。『全くだ』不覚を取ったという以前に、カノンは血液を舐めとるラダマンティスのその妖艶な仕草にくらくらとした。
『…丁度良い。最後の仕上げに貴様を食らってやろう』
そうすればより強大な力を手に入れることが出来る。雑多な犠牲者をちまちま募らなくても済む。
カノンの喉笛をまっすぐ狙うラダマンティスを、カノンは蹴りであしらう。ラダマンティスは衝撃を受け流しつつ反動を利用して壁を跳ねて鋭い爪で狙った。爪はカノンを引き裂いたかに見せて、実際裂いたのは工事の防音用ビニールシートだった。
『甘いな』背後からカノンの強烈な一撃が加えられたが、寸でで衝撃を躱され、沈黙には至らかった。
『…チッ』舌打ちするカノン。ラダマンティスとて同じ心境だった『やるな…』。
その瞬間、ラダマンティスはある小宇宙を感じた。そう、何かが自分を呼ぶ声に。
やっと気付いたか。ラダマンティスは不適に笑うと、叫びのような衝撃波のようなものを放った。
カノンがその笑いを訝る間もなく、衝撃音が耳をつんざく。一瞬周囲の空間が振動したが、カノンの聴力を奪ったり方向感覚を狂わせたりするたぐいのものではなかった。
何だ、虚仮威しか。カノンはラダマンティスを確実に仕留めようと更に仕掛ける。反撃の隙を与えない程の猛攻でラダマンティスを追いつめた。やはり、力ではラダマンティスがやや押されている。勝負はあった、そう感じたカノンの背中に衝撃が走った。躱そうとした隙にラダマンティスの蹴りが脇を攫い、カノンは幾らかの廃材を吹っ飛ばしながら工事現場の資材置き場に激突して止まった。幾らかの資材が硬質な音を立てて飛び散る。
衝撃波の正体を確認する間もなく不吉な黒い陰がカノンを襲った。
それは、蝙蝠のような翼を持つ鋼鉄の生き物。鋭い爪と禍々しい牙を剥く。
翼竜、カノンがそう悟った時、ラダマンティスの拳が先ほど蹴り飛ばした脇腹に入った。『がはぁ…っ!』これをまともに受けたカノンは、僅かな唾液を宙に吐き、先ほどとは別方向の建築途中の足場に飛び込んで補強用の資材を弾き、足場を崩しながら建物の壁に激突した。
余りにも無様な有様だ。脇腹を抱えて顔を上げるカノンの首をラダマンティスは掴み上げた。
その背後には、黒い硬質な翼を持つ翼竜が羽をはためかせながら構えている。
翼竜の姿を見たカノンの記憶が自分が対峙している冥闘士の正体が一体何者であるかを訴えていた。
少々相手が悪かったか。相手が予想外の大物であったことに、今気付いたのだ。
『…巨頭か…貴様…』
まさか、ワイバーンを呼べるようになっていたとは…。気道を締められながら、カノンは歯咬みした。
ワイバーンとの連携で攻撃されると分が悪い。まさか、冥衣に人を襲う能力があるとは夢にも思わなかった。
ラダマンティスは牙を剥き、不敵な笑いを上げた。
『そうだ。残念だったな、節介焼きの聖闘士!貴様の命運も、ここまでだ』
今までの犠牲者の血で赤く染まるラダマンティスを手がカノンの心臓を狙ったとき、カノンもまた、先刻ラダマンティスが感じたものと似た小宇宙と共鳴を感じた。
危機を察して双子座の聖衣が駆けつけてくれたか。だがカノンのその期待はあっさりと裏切られた。
『…随分と苦戦しているな。弟』
その声にカノンは舌打ちした。そもそも、双子座の聖衣の正当な所有者は兄だ。聖衣がカノンの危機に駆けつけることは無い。
ラダマンティスはその声を聞いて振り向いた。建築途中の骨格だけの虚ろな建物の階上に、重厚な聖衣を纏ったサガが優雅に佇んでいた。
『未成熟な冥闘士相手にその有様とはな。修行が足らんぞ。カノン』
カノンと全く変わらない風貌。ただ、顔つきの鋭角が目立つカノンに対し、兄はやや柔和で、黒目の勝った翠色の潤んだ瞳が印象的だった。それもまた、不思議な光を帯びている。
『ジェミニ…』冥闘士としての知識がラダマンティスに記憶を呼び起こさせた。
『…そうか。貴様等、双子座だったのか』
双子と知ってもラダマンティスの不敵さは相変わらずだった『一人だろうが二人だろうが関係ない』。
要は纏めて始末するまで。ワイバーンを召喚できるに至った今、人数が増えようが物の数ではない。それに、正規の黄金聖闘士を倒したとあらば、かなりの箔が付く。
その考えの浅はかさこそが、彼を滅亡へと導いた原因の一つでもあった。
兄に気を取られた一瞬の隙をついてカノンがラダマンティスの手から脱した。だが、ワイバーンはすかさず鋼鉄の鳴き声を上げてカノンに襲いかかった。
『それはお前に任せたぞ』サガがラダマンティスに仕掛け、戦局は二分化された。
まさかのサガ乱入。聖衣の有る無しでサブキャラに甘んじるカノンが哀愁だ。