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その日、カノンは不意に聖域に訪れていた。ここの雰囲気もまた、正規の聖闘士ではないカノンを歓迎していなかった。彼は、あらゆるものに歓迎されないこの聖域の、自分の属性が護る宮殿の奥で、あるものを眺めていた。
あの未成熟の冥闘士をあの段階で抹殺しておれば、不吉の根源の一つは断てた。将来宿敵と成る冥闘士を一人退治することが出来るのだから。今はただ、不謹慎な考えに心を奪われて手傷を作り、相手の姿だけ見ておいて逃げられてしまったことが酷く口惜しい。
カノンの目の前に佇むそれは、双児のレリーフの施された重厚な黄金色の函だった。彼は、それをぼんやりと眺めていた。そして、透視をするかの如くこれの中に入っている聖衣を想う。これを身に纏うことが出来たらあれと対峙することが出来るだろう。一度取り逃がしてしまった“奴”は、今頃更なる成長を遂げているだろう。
『何を見ている』
まるで、函がそう問いかけたかのような無機質な声が宮殿に響き渡った。その声に夢想を断ち切られたカノンは不意に眼を見開いた。
この世界では気配を出さないのがデフォルトなのか。黒い法衣を身に纏った男が、まるでカノンの鏡写しかのように佇んでいた。服装こそは違ったが、その姿は鏡のように互いに似通っていた。
彼らは双子であったからだ。
自らの鏡でもあるその双子は無機質な声で続けた。
『…私の聖衣を見に来るとはな。それを持ち出すことは禁じられているぞ』
『金目に換える気でもあるまい』その風貌にそぐわず軽口を叩くが、全く冗談には聞こえなかった。『………』反応をしないカノンが面白くないのか、双子はカノンの首筋を認めて話題の切り口を変えた。
『…数日間姿を見せないと思ったら、まさか、首に傷を作って帰って来るとはな』
そこは指摘されると思って覚悟はしていたが、動揺は隠せなかった。この傷をカノンは隠す気もなかったが、指先で微かに瘡蓋で盛り上がる首の傷に触れた。
『痴話喧嘩で相手に引っ掻かれたか?』
双子の茶化しをカノンは心ここに在らずの状態で適当にあしらった。
『金額交渉で失敗して、怒って引っ掻かれた』
事実を適当な隠語に置き換えて軽口を軽口で返す。真に受けたのか、双子は溜め息をついた。
『カノン。…夜遊びは程々にしてもらわんと困るな』
聖域では存在を知るものは殆どいないこのアウトローを相手に、風紀に関わると言いたい訳だろうか。そう考えるとカノンは苦々しい思いを隠しきれないでいた。
『それもそうだなサガ。お前は遊びたくとも遊べないのだからな』
双子の兄を一瞬睨みつけて、皮肉を吐いた。サガと呼ばれた双子の兄は、一瞬動揺した振りをして再び首の傷を見やった。傷そのものはかすり傷でもう微かだが、その勢いも鋭さも、まるで獣に襲われたみたいだ。
その傷にサガは人外のものの予感を感じ取っていた。
『金額交渉…、な』サガがもう一度反芻すると、煩わしいと言わんばかりにカノンは席を立ち、踵を返してこの宮殿を去った。
互いの好奇心がもたらした不吉な邂逅は、確実にラダマンティスの命運を蝕んでいた。
好奇心で自分から接近したとは言え、適わない相手と知って逃げ出した事実をラダマンティスは非常に悔いていたのだ。全ては自分が非力で未熟だったせいなのだ。
未熟なラダマンティスは、未だに自らの守護獣であり戦闘衣でもあるワイバーンを呼べないでいた。まだ、互いに感応できないのだ。そんな状態で聖闘士と対峙したのがそもそもの不幸だった。
逃げる判断は至極正しかったが、ラダマンティスの戦士としてのプライドが許さなかった。
今度こそはあの聖闘士を仕留めて殺す。そうすることで逃げ出した事実から逃れたかったのだ。
そのためには聖闘士に負けない力が必要だった。力を蓄えるために、彼はより強烈な渇きに教われ、多くの血を欲した。
今まで慎重に狩りを行っていたこの狩人はやや常軌を逸脱し、狩りを行う人数も、残忍さもあからさまになった。
そんな真似をしたら、相手がラダマンティスの行動や所在にすぐ気付くことも知れず。
『これは酷いな…』
前回の港町から離れた町の、廃墟となったボーリング場の地下駐車場にカノンはいた。相変わらずレポーターのように。人混みと警官、そして幾重にも張られた進入禁止のテープ越しに僅かに垣間見える惨状を目の当たりにしながらカノンは呟いた。
『まるでブギーマンの襲来だな。全部食われちまったか』
詰めかける報道陣と迸るフラッシュ。近くでは本業のレポーターがマイクに向かって惨状の詳細をがなり立てている。これ以上現場に近づくことは物理的に不可能だったが、喧噪で拾い集めた現状の断片と後で確認した報道によると、この駐車場で殺された人間は24名。ここは街のごろつきの溜まり場で堅気ならば絶対に近づかない場所だ。その夜、ここで集会を開いた連中が襲撃に遭い、殆どが身体を引き裂かれて全員死んでいた。そして、遅れてやってきた別グループが惨状を発見したということだ。
尋常でない力で引き裂かれているので、皆、何らかの獣に襲われたことは確かだ。後の詳しい鑑定でそれらの歯形や爪の痕跡が人間によるものであると知ったら、恐らく惨状が発見される以上のパニックとなるだろう。まるで出来の悪いB級スプラッターかパニック映画の世界だ。カノンはここで行われた殺戮を想像する気も起こらない。
言うまでもないことだが、カノンにはこの惨状を作り上げた犯人の目星はついていた。事件現場の気配で分かってしまうのだ。ラダマンティスは確実に狩りを楽しんでいる。一つの建物から、犠牲者を一人も逃がすこと無く確実に仕留め、そして全てを食っていた。
その貪欲さに呆れつつ、一刻の猶予もないことをカノンは感じていた。奴らは犠牲者の数だけ成長する。完全に覚醒する前に、何としても奴を仕留めなければ。
気が付けば三文エロ小説からB級スプラッターの世界に。