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※この作品は無理矢理描写、性描写、暴力描写を含みます。といっても桃川が書くのでぬるめのはず。


賭けをしよう  2

 翌日の朝、体中の痛みで目を覚ました。
 なぜこんな痛みが、と一瞬疑問が湧いたが、すぐにその原因を思い出し、菊は盛大に顔をしかめた。
 思い出すだけで体中の毛がよだつ、昨夜の狂宴。
 あんなもの、いっそ忘れてしまえたらいいのに。そう思うのに、体に残された痛みがそれを許さなかった。
 幸いなことに、男たちの精液はきれいに拭い去られているようだが。

「……え?」

 生じた不審点に、菊の意識は一気に覚醒する。
 あのとき確か自分は、いつの間にか気を失ったのではなかったか。清拭をする体力も気力もなかったはずだ。
 第一、雑居房には清拭に使えそうな水や布がない。
 自分がこうして少なくとも清潔でいるのは、物理的にありえない事態だった。
 そしてもうひとつ、菊は重要なことに気付く。

「部屋が、違う」

 ぐるりと四方を見回して、確信した。
 そこは昨日まで自分が留置されていた部屋ではなかった。
 広さも違うし、何より自分に襲いかかった同室の男たちがいなかった。
 どうやら自分は、独房のような場所に移されたらしかった。
 独房といえば捕虜たちに恐れられている場所だ。入れられたら最後、出てきた者は皆気が狂うか廃人になるかのどちらかだという。
 まあ菊としては、あんなことがあった今、あの男たちと同室でなくなったのはうれしいことである。あのまま同じ部屋にいたら今後自分が何をされるかわかったものではない。
 現在の状況はもしかしたら、考えられる限り最高の状態なのではないか。少なくともあんなことがあった後としては。
 あんなこと。
 その内容を鮮明に思い出してしまい、菊の体が震える。
 自分の体をまさぐる男たちの手、熱い息。こちらの意思など無視した、不快と苦痛しか生まない行為。
 よみがえってきた恐怖のせいで、体の震えをどうしても止めることができなかった。
 たまらなくなって体を抱きしめていると、扉が予告なく開けられた。

「起きたみたいだね」

 捕虜収容所というこの場所に似つかわしくないほどのんびりとした声。
 はっとしてそちらを見ると、そこには大柄な男が立っていた。
 看守のイヴァン・ブラギンスキだ。
 大柄な体格にそぐわない、子供のような表情が特徴的な男である。それでいて、捕虜たちに最も恐れられている人物でもあった。
 彼に恐怖を抱くのは、菊とて同じだ。
 子供の純粋さなど、大人が持っていたって残酷さにしかならないのだ。
 イヴァンは鍵を閉め、部屋の中へと大股で踏み込む。
 菊は一歩後ずさった。

「気分はどう? できるだけきれいにはしといてあげたんだけど」

 イヴァンが菊に話しかけた言葉は、流暢な日本語であった。
 彼は持ち前の日本語能力を買われて、シベリアの刑務所からはるばる東部の捕虜収容所へ異動となったのだ。そこまでの詳しい事情は菊の預かり知らぬところであったが、彼が日本語を自在に操れることだけは知っていたので驚きはしなかった。
 とはいえ、彼が日本語を話せたところで何の安心材料にもならない。菊は目に力を込めて、イヴァンをにらみつけた。

「あなたは、昨日のあれを見ていたのでしょう?」
「え? なんのことかなぁ」

 イヴァンはとぼけるそぶりを見せたが、菊は確信している。
 昨夜、悪夢の最中に扉の覗き窓から垣間見えた冷たい瞳。
 あれは間違いなく、この看守のものだった。

「あんなものを覗き見するなんて、悪趣味です」

 精一杯の憎しみを込めて菊は吐き捨てる。
 この状況で看守を怒らせることが得策ではないことくらい、菊にだって十分わかっている。それでも、昨夜の理不尽な行為への憤りを何かにぶつけずにはいられなかった。
 八つ当たりともいえる菊の罵倒。
 しかしイヴァンは、気分を害するどころかより楽しそうな笑みを浮かべた。

「君のそういうところ、僕は好きだよ」

 また一歩、イヴァンは菊に近づく。
 それにあわせて菊もまた後ずさったが、狭い独房内では既に逃げ道はなかった。冷たい壁の感触を背後に感じる。冷汗が流れる感覚も。

「ねえ。僕とちょっとした賭けをしない?」

 菊との距離を詰めながら、イヴァンは言う。
 表情はいまだ笑顔のままで、その真意は読めなかった。

「賭け、ですか?」
「そう。制限時間を決めてさ。5日くらいがいいかな。君が僕に降参するのが先か、5日経つのが先かで賭けてみない? もし君が勝ったらこの収容所から解放してあげるよ。それだけじゃない、日本まで船で送ってあげる」
「そんな……解放だなんて。あなたにそんな権限があるんですか」
「ないよ。でも君が勝手に逃げたことにしちゃうから大丈夫」

 それなら僕は罰せられないしね。イヴァンは楽しそうに言う。
 本当に一体何を考えているのか、菊には全く分からなかった。
 でももしかしたら、これはまたとない好機なのかもしれない。この看守の言うことが本当に実行されるなら、日本に帰れるかもしれないのだ。
 イヴァンに見せるのは癪であるが、湧きあがる興奮を菊は隠しきれなかった。

「……制限時間が来る前に私が降参したら、どうなるんですか」
「そうだねえ。ああ、君と同室だった男たちとまた仲良くさせてあげるよ。昨日の君の可愛い声は部屋の外にも漏れてたから、君と仲良くしたい人がほかの部屋にもいるかもね。その人たちも混ぜてあげなきゃかわいそうだよね」

 つまり、賭けに負ければまた男たちの慰み者にされるということか。しかもより多くの男たちを相手に、看守公認で。悪夢のような話だった。
 それにしても、嫌味な表現が巧みな男である。

「どうする? 別に賭けに乗ってくれなくてもかまわないけど、その場合は君を殺してばらばらにしちゃうから」

 問いかけてくるイヴァンは、すでに目の前にいた。
 菊は鋭く睨みつけながら、必死で頭を働かせる。
 イヴァンのつきつけてきた「賭け」は、要約すればこういうことである。
 勝てば自由の身、負ければ肉奴隷。乗らなければ惨殺。
 おそらく自分を屈服させるために、考えるのも恐ろしいような拷問が行われるのだろう。
 そこまで思い至って、菊は歯噛みした。
 どう考えても、あまりにこちらの分が悪い賭けであった。おまけに乗るかどうかの選択権もほぼないといって過言ではない。
 しかし、それはある意味当たり前のことなのかもしれない。もとより囚われの身である菊に持ちかける賭けが公平であることなど、初めからありえないのだ。
「解放」の2文字に、内心少しでも期待してしまった自分が馬鹿だった。

「……5日間、あなたは私に何をするんですか」
「いろいろ、だね。だいたい君が想像してるようなことであってるんじゃないかな。僕が言えるのはこれくらいだけど、そろそろ返事を聞かせてくれない?」

 僕、そんなに気が長いほうじゃないし。
 そう言って笑うイヴァンの子供のような無邪気さに鳥肌が立つ。きっと、虫に対するのと同じように平気で他人をいたぶれる人間なのだろう、この男は。
 それでも、菊が返すことのできる返事は一つしかなかった。

「嗜虐趣味までお持ちとは。ますます悪趣味ですね、あなたは」

 了承の言葉を返す余裕なんてない菊は、憎まれ口を返事の代わりにした。
 虚勢を張らなければ、これからされることへの恐怖で押しつぶされてしまいそうだった。今自分を支えてくれるのは、この理不尽な状況とこの男への怒りだけだ。
 それを瞳に込め、あらんかぎりの力でイヴァンをにらむ。
 触れただけで切れそうなその視線を間近で受けたにもかかわらず、イヴァンは至極楽しそうに目を細めた。

「そう、その目だよ。その目を少しでも長く僕に見せてね」

 イヴァンは嬉しそうとも形容できる笑みを浮かべて、そう言った。

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菊様は弱音を吐かず耐え忍ぶ、そういう男前だと信じてます。




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