『It takes two to tango.』02

 昼休み中に開放された屋上に上がり、王は落下防止用フェンスの網目に指をかけて、深 いため息をついた。  渡瀬と後味の悪い別れ方をしてから今日で3日目、彼女は体調不良を理由に学校を休み 続けていた。  心配になった王は渡瀬に連絡を取ろうとしたが、ずっと携帯電話の電源が切られている せいで通じない。家の電話にかけてみたものの、渡瀬の母親が取り次ぐだけで本人は出て くれなかった。  直接、渡瀬に会う勇気はない。  心底会いたいと、謝りたいと願っていながら、彼女を目の前にしてきちんと言葉を口に 出せるかどうか自信がなくなってきた。渡瀬の欠席を知るまでは、意気揚々と胸を張って 学校に来たというのに、いまとなっては気持ちがしぼみかけている。  そして何より、渡瀬の母親から聞かされた親友の言葉が王の心をくじけさせた。 「あたしには会いたくない……」  痛いくらいにフェンスの格子を握りしめても、胸の苦しみはまぎれない。  教室にいると、いつまでも空いたまま隣の席を見るだけでつらくなるせいで、逃げるよ うにここまで来てしまった。 「利葉、あんまりそこに寄りかかってると危ないよ?」 「わぁあっ、ち、ちーちゃん!?」  突然、眼前に現れた少女に驚いて、王は跳ぶようにしてその場から後ろに離れた。おか しな具合に足をついたために、治りかけの足首に痛みが走って顔をしかめた。 「ごめーん! びっくりさせちゃった?」  謝りながら小さく舌を出して、収まりの悪い髪を首元でふたつに分けたその少女、神代 があろうことかフェンスの外側に立っていた。 「びっくりするのは当たり前でしょ。だいたい危ないのはちーちゃんのほうじゃない」 「だって、利葉が今にも身投げしそうだったから、落ちないようにと思って」  ひどい言われようだったが、親切心で驚かされて心臓麻痺でも起こしたらたまったもの ではない。  王は恨みがましく神代を睨みつけたが、その視線は半透明になっている体をすり抜けて しまい、彼女には通じていないようだった。  さすが幽霊だけあって、その体で簡単にフェンスの向こう側に回ったのだろう。今度は 神代がフェンスの内側に通り抜けたと思えば、そこに背中を預けた。そうして幽体と実体 を器用に切り替えるさまはいつものことながら便利に見えた。  だが、そんなちょっとした感動もすぐに憂鬱さに取って代わられた。  王はまたフェンス際に寄ると、下の校庭を眺めるわけでも、はるか遠い空を見上げるわ けでもなく視線をさ迷わせた。まるで、そこにいない人間を探し求めるように。  そんな様子を見かねたのか、神代が話しかけてきたが生返事で答えるだけで、王にそれ 以上は会話を発展させる気力がなかった。 「利葉、お昼食べた?」 「うん」  昼休みが始まってすぐに屋上で食べたはずだが、つい先ほどのことなのに弁当の中身を 思い出せない。 「ひとりで食べたの?」 「うん」  いつも昼食をともにしていた友人がいなかったから、それは当然だった。他の誰かを誘 おうとする気もなかった。 「そんな……ひとりで食べても味気ないでしょ」 「うん」  そのせいか、弁当を残してしまったことだけは覚えている。連日、同じことを繰り返し ているからには、母親に不審がられていることだろう。  単調な返事ばかりに神代が呆れた顔をして口ごもるのを、王は視界の隅にとらえた。そ れで彼女がこの場からいなくなったとしても止めるつもりはない。むしろ、申し訳ないと 思いつつも、ひとりきりにして欲しかった。  だが、だからこそ神代は王のそばを離れようとせず、再び口を開いた。その顔がどこか 意地悪そうなものに変わっていたが、心ここにあらずといった王は気づかない。 「利葉は中国拳法の達人だ」 「うん」  何かおかしなことに頷いてしまったようだが、気にしない。 「利葉は謎の妖術の使い手だ」 「うん」  とにかく気にしない。 「利葉は大好きな光のことを思って毎日ひとりエッチしちゃってる」 「うん……って、ななな何言ってるの!? してない! してないよ?」  そこは必死で否定した。  気がつくと、にやけた顔つきで神代に見られている。文字通り顔から火が出そうなほど 赤面して、王はうつむいた。 「そっかー。やっぱり、利葉も少しずつ大人の階段を昇り始めてるんだね。で、いつから し始めたの?」 「そんなこと言うわけないじゃない! だいたい、光のことは大好きとか、そんなんじゃ なくて!」 「好きなんでしょ?」 「……うん」  そこは絶対に否定できない気持ちだった。  それに今さら隠したところで、神代にはこの恋心を知られているのだから意味はない。 3年間いっしょのクラスにいれば、自分がどれだけ渡瀬に思い焦がれているか、神代でな くともわかってしまうだろう。  結局、神代が一枚上手だったのか、王は彼女を無視することもできずに向き合う羽目に なった。多少はそのやり口に不満があったが、悪い気はしない。 「何があったか話してみてよ。ひとりで悩んでも解決しないことってあるからさ」  あえて一歩踏み込んで話を聞こうとすることが、神代にとっての優しさなのだと、王は 感じ取った。同時に、そう思える分には自分に余裕ができたことがわかり、 「じゃあ、ちーちゃんに聞いてもらってもいいかな?」 「まかせなさい。あたしは利葉より長くこの世にいる分は相談に乗れるよ。何たって虹浦 中の生き字引みたいなものなんだから」  言われて神代が軽く50年は現世にとどまっていることを思い出した。それだけ長い年月 を過ごせば、過去に恋の悩みを聞いたことなど数え切れないほどあるはずで、王は話を始 めるよりも先に感謝した。  だが、口に出したのは別のこと。 「ちーちゃんって結構おばあちゃんだよね」 「なー!」  恥ずかしい思いをさせられた仕返しに年寄り扱いすると、神代はよほどこたえたらしい。 言葉に失うほど嫌そうな顔をした彼女を見て、王は久しぶりに笑うことができた気がした。  休憩用に備え付けられたベンチにふたりで座り、王はさっそく話を始めたが、神代に話 せる内容はそれほど多くはなかった。  3日前に起きた出来事と、渡瀬に連絡が取れないこと、そして、彼女に拒絶されたこと を知ったこと。それらを伝え終えたあとでも昼休みを20分と残していた。  話を聞くと、神代はすぐに何かを言うわけでもなく、頭の中で状況を整理しているよう だった。それもわずかばかりの時間でおわったのか、 「まず聞くけど、利葉は光が怒った理由が何なのか考えてみたりした?」 「うん。進学のことが一番の原因だと思う……」  問題の日の放課後、帰る時間を過ぎても渡瀬とお喋りに夢中になっていたが、最初の頃 に一度だけ彼女に来年受験する高校の話を振られたことがあった。  だが、王にとってはあまり触れられたくない話題だったせいで、その話を逸らすために 矢継ぎ早にまくし立ててしまったことを思い出した。その後は何を話していたか忘れるく らい他愛もないお喋りを続けたが、渡瀬は納得できなかったのか、途中で不満が爆発した のだろう。 「なるほどね。でも、何でそんなことしたの? 仲がいいんだから、どこに行くのか教え ればいいじゃない」 「そうなんだけど、光の入学先を考えると気おくれしちゃって」  虹浦中学校に3年連続でラクロス中学生大会の優勝カップをもたらした渡瀬は、ラクロ ス部を有する全国の高校から好条件で誘いを受けていた。  その中で、彼女は市内にある有力スポーツ校を選び、入学が確定しているのを王は人づ てで聞いていた。  県外に出れば、さらに強豪の高校が多数あり、渡瀬の実力ならどこでも充分活躍できる ことは間違いなかったが、彼女はあえて地元の学校を選んだのだ。  神代もそのことは知っているのか、ひとつ頷くと再び王に尋ねた。 「光が地元を選んだ理由も考えたりした?」 「県外に出て寮生活をするがイヤだったとか、元々その高校のラクロス部に入りたかった とか想像したことはあるけど」 「それだけ?」 「……自惚れだけど、あたしがいるから地元に残ってくれたなら嬉しいかな」  反面、そうであれば王には重荷でもあった。自分のせいで渡瀬の可能性を潰してしまっ たのではないかと思うと、素直に喜ぶことができない。 「でも、そう思うってことは、光が利葉のことを好きなんだって考えてるわけだよね」 「そうだったらいいなぁ」  自信なさそうに言うと、神代がベンチからずり落ちるどころか、また半透明になって尻 から落ちたのは大げさもいいところだった。 「利葉ぇ……しっかりしてよ」 「だって、いまだにあの子の気持ちがよくわからないし!」  それは本心から出た言葉だった。  渡瀬を好きになってから、王は何度も彼女にその想いを伝えようと、時には正攻法で、 時には絡め手で攻めようとはしたがどれも未遂に終わっていた。  一度だけふたりの気持ちが通じ合った出来事があったが、そこから恋愛に発展すること はなく今日まで来たのだ。 「あたしから見たら、光は自分の気持ちに気づいてないだけで、ちゃんと利葉のこと好き だって思うんだけど……」 「ちーちゃん、何かあるならちゃんと言ってよ。気になるじゃない」  神代が口の中で喋っているせいで何を言ったのか聞き取りづらく、ひとりで得心する彼 女の肩を揺り動かしたが答えてはくれなかった。 「まあ、いいからいいから。で、利葉が入学を考えてる高校はどこ?」 「もちろん光と同じところよ」  どんな理由であれ、渡瀬が地元に残るからには一緒の学校に行きたかった。  渡瀬の選んだ高校は各種スポーツの専攻科があり、入学試験の条件として学力よりも運 動能力が重視されていた。  テニス部を引退するまで何ひとつ形になる成績を残せなかった王ではあるが、決して合 格の可能性がないわけではなかった。 「だったらなおさら光に教えればいいでしょ。喜ぶよきっと」  それができないのは王の渡瀬に対する屈折した感情によるものが大きかった。王は彼女 に出会ってから抱き続けた憧れとともにある、ひとりよがりな劣等感に苛まれ続けていた。  明るくさっぱりとした性格で、スポーツを何でも器用にこなし、ひとつの競技に集中す ればどんなものでも大成するだけの力がある渡瀬と違って、王は自分がごくごく一般的な 中学生であることを自覚していた。  そんな自分が渡瀬と一番仲の良い関係になれたことは嬉しいが、同時に釣り合わないの ではないかといつも心の片隅で不安は続き、何とか彼女に飽きられないよう気を引こうと いつも必死だった。  だからこそ、渡瀬と同じ高校を選んだことを教えれば、さすがの彼女も気持ちに気づい てくれるかもしれない。だが、実力を認められて推薦入学を果たした渡瀬に対して、彼女 が好きだから学校を選んだというのは不純な動機に思えて、はっきりと進学先を教えられ なかったのだ。  親にすら語ったことのないその心情を思い切って王は神代に告白した。膝の上で痺れる ほどに握った両の拳がじっとりと汗をかき、次に神代に何を言われるのかを想像するだけ で胸が苦しくなった。  だが、そんな王をよそに神代が思いもかけないことを口にした。 「いいじゃない。好きな子がいるからその高校を選んだって」  何てことはないとばかりに軽い調子で肩を叩いてくる彼女に、王は面食らった。 「え? で、でも……」 「利葉は考えすぎ。高校のひとつやふたつ選ぶのに、あんまり真剣に悩むのは損だよ?  進学に有利だから、やりたい部活が強い所だから、単にその学校が家から近いから。選ぶ 理由はいくらでもあって、利葉みたいな子が他にいないわけじゃないんだから」  それは同じ教室の生徒の誰かを言っているのだろうか。考えてみれば、思い当たる節が ないわけではない。王はクラスメートの顔を思い浮かべると、少しは勇気づけられた。  神代に言われた通りに、すぐ気持ちを切り替えられるわけでない。特に長年染み付いた 劣等感を払うことは簡単にはできないだろう。それだけよくも悪くも渡瀬の存在が大きく、 差す光が強ければ影もまた色濃く落ちるのだから。  それでも王の心は固まった。 「あたし、今度こそ光に本当のことを伝えるよ」  高校のことだけではない。好きだという想いもきちんと渡瀬にぶつけてみるつもりだっ た。せめて気持ちだけだけは彼女に負けたくなかったから。  ようやく自信を持ち始めた王を後押しするように、神代が頷いた。 「利葉がそれだけ決心したことを光がわからないようなら、無理やりにでもキスすれば、 鈍感なあの子でも気づくでしょ」 「そ、それはどうかと……」 「利葉は利葉で押しが弱いから、それくらいでちょうどいいの!」  締めくくりに思い切り神代に背中を叩かれて、王が立ち上がると、ちょうど午後の授業 を知らせる予鈴が鳴り響いた。  王は空を見上げて澄んだ空気を吸い込めば、胸の内でわだかまっていた気持ちが晴れた 気がした。 「ちーちゃん、ありがとう」 「うん。その気持ちは半分だけもらって、残りは利葉が光と仲直りできたときにもらおう かな」  王と同じくらい満足そうな表情を神代が浮かべているのは、それだけ心配していたとい うことなのだろう。  渡瀬とは違う意味で、親しい友人のことを王はありがたく思った。これで長生き(?) した分だけ一言多い癖がなくなれば最高なのだが。 「問題なのはどうやって光と会うかってことだよね。学校に来ないんだし、利葉に会いた くないって言ってるんだし」 「ちーちゃーん」  もともと悩んでいたことを思い出されて、王は神代が恨めしかった。  結局、解決したことと言えば自分自身の心情に整理がついただけで、渡瀬が怒った理由 も拒絶されてる理由も憶測でしか考えようがない。  相変わらずの前途多難に王は頭を抱えた。 「よしよし。一度きりの青春だもの、悩むのは悪いことじゃないよ。命短し恋せよ乙女っ てね」  思春期に命を落として幽霊となった少女の台詞だけに、なかなかの重みがあった。

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