『It takes two to tango.』01

 平手で机を叩きつける音が、下校時間をとっくに過ぎても教室に居残っている生徒たち の動きを止めた。  彼女たちはほんの数秒前までは思い思いの放課後を過ごしていた。  風切と西京は目の前の課題プリントに頭を悩ませ、木束はそんなふたりの居残り勉強の 面倒を見ていた。その木束が帰るまでコスモは、身動きのとれない主人に代わって教室に 置かれた花鉢に水をやるマリアンヌの手伝いをして待っていた。  だが、突然生じた大きな音に驚き、彼女たちがその視線を教室の中心に向けると、そこ に頭の両端で髪を結わえた女の子が両手で机を打ちつけて立っているのが見えた。  その少女――渡瀬の目の前に座っている王もまた驚いていた。  さっきまで机の正面を突き合わせて楽しく渡瀬とお喋りをしていたはずが、気がついた 時には彼女が怒り出してしまった。  王には渡瀬の怒る理由がわからない、というより何も考えられない。  いつも溌剌としている渡瀬の人を怒る姿を見たことがなかった。それだけに自分が当事 者として彼女にきつく当たられたことが何よりも耐えがたく、頭が混乱していた。 「光、えっと……ごめん」  わけがわからないなりに王は謝ったが、そんな態度が余計に渡瀬の癇に障ったらしく、 「利ちゃんのばか!」  彼女は手にしていたロゴ入りの白いスポーツタオルを王の顔に投げつけて席を離れた。  王がタオルを顔から払った時には、すでに彼女が教室を出て行くところだった。 「光!? ちょっと待って!」  追いかけようと慌てて席を立ったせいで、机に足をひっかけてしまった。派手な音を立 て、周辺の机や椅子を巻き込んで転倒する。  そこで、すぐさま木束が椅子を乗り越えてやってきた。 「おい、王! 大丈夫か!」  王は呼びかけに返事をしようとしたが、痛みに耐えかねてとっさに言葉がでなかった。 その痛みは机や床に体をぶつけてできたものよりも、一番の親友から怒声を浴びたことに 対する心のきしみから生まれたものの方が強かった。  そのせいで立つ気力も沸かず、その場にしゃがみこんでいたが、不意に腕を引っ張られ て、そばにあった椅子に座らされた。  顔を上げると、木束が心配そうな表情を浮かべていた。そして、木束だけではなく、教 室に残っていた生徒たちも王の周りに集まって似たような顔をしている。何故か西京だけ いなかったが。 「しっかりしろって。いったい何があったんだ?」  王は木束の問いかけに答えようとしたが、落ち込んでいる上に複数の視線に見つめられ て、気恥ずかしさのあまり、とっさに言葉がでなかった。  それでも呼吸を整えて、重苦しくも口を開いたその瞬間、 「今の音はどうした!? 事件の臭いがするぞ! そんな時はこのブイレヴレッドにおま かせだ!」  いつの間に教室から出て着替えてきたのか、真紅の変身スーツを身につけた西京が現れ た。王たちは廊下の窓から差した夕日を背にした少女をまともに見ていられない。あまり にも彼女が場の空気を読めなさ過ぎて。 「風切……わりーけど問題児を連れて帰ってくれ」 「押忍っ」  木束の言われるままに風切が背後から西京を羽交い絞めにすると、軽々と持ち上げた。 西京は必死になってその拘束から逃れようとするが、力の差がありすぎてどうすることも できなかった。 「何をする風切クン、いや、ブレイヴイエロー!」 「はいはい、一緒に帰るっスよ西京。今日は何して遊ぶっスか?」  暴れる西京を適当にあしらいながら、風切がコスモからふたり分の鞄を渡されて教室を 出て行こうとする。  王は、人ひとり分以上の重さを抱えて平然と歩く風切の相変わらずの怪力に、自分のこ とを忘れて感心して見ていたが、西京はなおも必死に抗っていた。 「私はブレイヴレッドだ! だいたいせっかく登場したのに、どうしてこんなおざなりな 扱いなんだ! いつからキミは委員長クンの言いなりなってしまったんだー!」  それはもちろん、これ以上勉強をしないですむからだった。  中学卒業と同時に修行の旅に出ると言っていた風切だが、せめて高校までは出るように 家族と担任の鳥尾から説得されて、夏の終りから受験勉強を始めていたはずだった。  腕力では教室一でも、学力では西京とともに底辺を競い合っている風切だけに長時間、 机に縛り付けられて苦痛だったのだろう。だからこそ、彼女の教育係を買ってでた木束か ら帰るようお墨付きをもらえれば、何でも言うことを聞くに違いなかった。  王がぼんやりとそんなことを思い返しているうち、風切が西京を連れて帰ったおかげで 教室が再び静けさに包まれた。それでも西京が廊下の曲がり角に消えるまで、往生際の悪 く喋り続けるのが聞こえていた。 「ったく、いちいち騒ぎ立てやがって……」  木束が呆れた顔して悪態をついたが、あまりの馬鹿馬鹿しさに教室の空気が和んだのは 確かだった。西京本人が意識してやったわけではないにしろ、王もいく分は気持ちが軽く なったおかげで、普通に話すことができるように思えた。 「で、王ってばどこか怪我したんじゃねーのか。すげー音立てて倒れただろ」 「うん。でも、そんなたいしたことないから。これくらい平気平気」  言葉どおりの姿を見せようと、王は床の上で小さく跳んでみたが、右足首に走った痛み に顔をしかめてしまった。そのせいで余計な心配をかけてしまい、今度はコスモの顔を曇 らせた。 「ぜんぜん平気そうじゃないですよ。早く保健室に行きましょう」  それ以上は言葉を必要としないのか、コスモが木束に目配せすると、その眼鏡をかけた 少女が王の腕を取って自分の首に通して下から支えた。  王は自分だけでも歩こうとしたが、たんに世話好きなだけではすまない木束の真剣な顔 に何も言えず、そのままふたりで教室の出入り口に向かおうとする。  だが、痛めた足を引きずっているせいで歩きづらく、保健室まで行くのに時間がかかり そうだった。  その時、ふたりの頭上に影が差した。  王は見上げると、日がな崩すことのない柔らかな笑顔が視界に映り、肩に巨大な棺桶を 抱えた長身の女性が隣に立っているのに気づいた。  今まで教室内の動向を黙って見守っていたマリアンヌが、王たちに手を差し伸べた。 「木束様、ここはわたくしにおまかせいただけませんか?」 「そっか。あたしよりはマリアンヌにまかせた方がよさそうだ」  圧倒的な重量感を誇る棺桶を涼しい顔で運ぶ彼女になら、女の子ひとりを運ぶくらい造 作もないことだろう。  木束が王をマリアンヌに預けると、お団子頭の少女の顔がふくよかな体に埋まった。王 はあまりの気持ちよさに、ラベンダーの匂いと太陽の匂いが染み付いたエプロンの上から 豊満な胸に頬をすり寄せてしまった。 「あらあら、王様ときたら大胆ですね」 「ご、ごめんなさい!」  慌てて顔を起こそうとしたが、逆に押さえつけられてしまった。王は、マリアンヌが彼 女なりに気分を和ませてくれようとしているのを察して、申し訳ない気持ちになった。  加えて誰もがここまで優しくしてくれるのを見る限り、自分がよほど落ち込んでいるよ うに他人から見られているのがわかった。 「では、王様、行きましょうか。でも、その前に」  マリアンヌが肩に担いでいた棺桶を無造作に投げ捨てた。轟音が教室内に響き渡り、大 量のほこりが宙を舞った。 「あらあら、お掃除がなっていませんね」 「あらあら、じゃねー! 何考えてんだ!」 「委員長さん! 床が、床が抜けてますー!」  木束たちが騒ぐのも無理はない。ほこりが晴れると、教室の真ん中に棺桶が頭から深々 と突き刺さっていた。 「マ、マリアンヌさん、アメリーが!」  王も驚きのあまりそれ以上言葉が出ない。果たして棺桶の中にいる少女は大丈夫なのか と、自分のことを忘れて心配した。 「お嬢様? お聞きの通り、王様を保健室までお連れしますので、しばらくそこでお待ち くだいませ」 「それだけでいいんですか!」 「ご心配なく、ああ見えてお嬢様は頑丈ですから」  それは棺桶のことであって中身を問題としていなかったが、痛い目にあったはずなのに 黒光りした蓋の向こう側からアメリーが、妙に嬉しそうにしていたのが見えたのは錯覚だ ろうか。 「さあ、あまり時間をかけると学校が閉まってしまいますわ。それでは、失礼します」  マリアンヌが一礼すると、あろうことか王はいわゆるお姫様抱っこの形で持ち上げられ た。確かにこれなら保健室まで運ぶのもたやすいだろうが、たどり着くまでの道のりを考 えると、恥ずかしさで顔が真っ赤になった。 「マリアンヌさん、下ろしてください! あたし、自分で歩きますから!」 「王様、あまり聞き分けがないようですと……投げますよ?」  朗らかな笑顔はそのままに、少し冷めた口調でマリアンヌが視線を棺桶に向けた。この ままでは教室に二つ目の奇妙なオブジェが創造されそうだった。  ふと、木束とコスモを見れば、「黙って言うことを聞いた方が身のためだ」と言いたげ にジェスチャーを送っていた。  こうなると、もう諦めるしかない。 「お、お願いします……」  しぶしぶ頷くと、それを見て笑みを深めたマリアンヌに抱えられ、教室を出て行った。  悠々と廊下を歩く女性の腕の中で、とんでもない放課後になってしまったと、王は小さ くため息をついた。  独特の臭いに包まれた保健室のベッドに腰をかけて、王は赤面してうつむいていた。  いくら放課後で人の数もまばらとはいえ、ここにたどり着くまで金髪のメイドに抱えら れた姿が複数の生徒に見られたのだから、恥ずかしくてたまらない。 「王様、お怪我が痛みますか? もう少し待ってください。すぐに手当ていたしますから」  ずっと黙っていたせいでマリアンヌに気を使わせてしまったのか、彼女は室内に備え付 けられた薬品棚のあちこちを開いて、急いで準備を整えていた。  保健室の責任者である滝野芳子は不在だったために、マリアンヌが怪我を診てくれるよ うだが、部屋の中を勝手知ったる様子なのは、主人であるアメリーに何かあった時のため に調べ尽くしているからだろうか。  王はマリアンヌの準備が終わるまで間をもたそうと、何気なく会話を始めた。 「ここまで連れてもらってありがとうございました。それで、あの……あたしのこと重た くなかったですか?」 「そんなことはありませんでしたよ。お嬢様とくらべれば、羽毛のような軽さです。ただ、 部活を引退されて運動不足になられた分は重かったですわ」 「うわー! マリアンヌさん、けっこうきついですよそれ!」  聞かなければよかったと、王は後悔した。確かに夏の大会が終わったあと、テニス部を 引退してから下校中に買い食いする機会も増えて、少し太ったような気もするが、他人か ら改めて指摘されてると余計に気分が落ち込んだ。 「まあまあ、いいじゃないですか。本当のことですし」  さらりとひどい台詞を言われた気がするが、マリアンヌの笑顔を見ればあまり腹も立た なかった。 「さあ、王様、準備ができましたから、お足をこちらに見せてください」 「何から何までお世話になります」  王は頭を下げると、あらかじめ靴下を脱がした右足を正面の椅子に座ったマリアンヌに 差し出した。  ほっそりとした長い指に足の表面や足首を触れられると、むやみに胸が高鳴った。まる で自分付きのメイドにかしづかれて奉仕されているような錯覚にとらわれてしまう。  マリアンヌに痛いところがないか聞かれて、夢うつつに王が答えると、その部分を中心 に冷却スプレーで冷やされてようやく目が覚めた。 「すみませんマリアンヌさん。もう帰る時間なのにご迷惑かけちゃって……」  先ほどから恐縮しっぱなしで謝ると、マリアンヌがそんなことはないと言わんばかりに 首を振る。 「いいんですよ。私はこの学校の生徒ではありませんが、3年間ともに過ごせば、王様を 始め、皆様方を同じクラスのお仲間と思っていますから」 「……はい、あたしもマリアンヌさんのことを同じクラスメートだって思ってます!」  それは本当に心からの気持ちだった。虹浦中学校に入学した当初は、あまり積極的に話 しかけることもなかったが、日にちを重ねるごとに打ち解けていったのも事実だった。ク ラスメートたちも同様だろう。  力が強くて、たまに言葉が辛辣になるけれども慈愛に満ち溢れたマリアンヌは今やあの 教室になくてはならない存在になっていた。   「王様にそう言っていただけて何よりですわ。あのクラスにいると、わたくし、身も心も 15歳になった気分になるんですよ?」 「それは、無理があるんじゃ……」 「何か?」 「いえ! 何でも!」  硬い金属製の冷却スプレーをマリアンヌが軽く握っただけで、表面が指の形にへこんで しまったのを見て、王は肝まで冷やした。  背中にも変に冷たい汗を流しながら緊張しているうちに、マリアンヌが患部である足首 をテーピングで硬く固定してくれた。 「診たかぎりでは、足首を軽くひねられた程度ですし、他にお怪我もないようですから、 このまま無理をしなければすぐに治るでしょう」 「ありがとうございます」  王のその一言で診察は終わった。  窓の外に視線を向けると、ほとんど日が沈みかけていた。冬が近づいてから、夜のふけ る時間が早くなっているようだ。  マリアンヌが片付けをするのを手伝おうとして断られたあと、王は手持ちぶさたになり、 思い切って尋ねてみた。 「……マリアンヌさんは聞かないんですか? あたしと光のこと」 「聞いて欲しいんですか?」  逆に質問を返されて、図星をつかれてしまった。  保健室に入ってから手当てが終わるまで、教室で起こった出来事についてマリアンヌに 触れられないよう話を逸らしていたのは自分自身だったのに、いざ聞かれないままでいる のを不安に思って今度は話を聞いてもらおうとしたのは、卑怯なやり方だった。  だから、王は正直な気持ちを聞いてもらおうと姿勢を正した。 「実を言うと何を話せばいいのかわからないんです。どうして、光が急に怒り出したのか、 あたしにもわからなくて。きっと、そのことも怒らせる原因なんだと思うんですけど」 「それならば、わたくしには余計に事情がわかりかねますし、元よりおふたりの間に踏み 込むようなつもりはありませんから」  それは意を決して心情を語ったことに対して冷たい言葉だったが、王にとっては下手に 慰められるよりよほど気持ちが良かった。 (そうよ。だって、これはあたしと光の問題なんだから、自分で説明できないのに相談す るのは早すぎるよね)  マリアンヌが傷の手当てをしてくれたのは、彼女がクラスの仲間としてできる優しさを 見せてくれたからであって、それ以上その厚意に甘えることは自分のためにならない。  だからこそ、あえてマリアンヌが突き放したのも優しさのひとつだと感じ取れた。 「マリアンヌさん、ありがとう」  ほんのわずか話を聞いてもらっただけでも、少しは気持ちの整理ができた気になり、王 は深々と頭を下げて部屋から出て行こうとするが、マリアンヌに後ろから抱きしめられた。 「王様、わたくしからひとつアドバイスをさせていただきますと……笑顔をお忘れになら ないでください」 「笑顔、ですか?」 「はい。先ほどから王様を拝見致しておりましたが、今にも泣き出しそうなお顔ばかりで した。それでは気持ちが沈むばかりで、あまりいい考えを思い浮かべることもできなくな ります」  王は、マリアンヌからの助言を忘れないよう、一言一言、胸に刻みつけた。 「ですから、笑いましょう。誰もが羨むほどの笑顔でいれば、気持ちも軽くなって物事を いい方向に変えることもできますから」 「はい!」  話が終わるのと同時にマリアンヌに顔を覗き込まれて、王はとっておきの笑顔を浮かべ た。そうすることが彼女にできる精一杯のお礼だったから。 「よくできました。その笑顔が渡瀬様の前でもできれば、すぐに仲直りできますわ」  そう喜びに満ち溢れたマリアンヌこそが、今この瞬間、最も笑顔の似合う人だったに違 いない。彼女は嬉しそうに王を抱きかかえると、保健室の扉を開こうとした。  だが、マリアンヌの腕の中に収められた王は必死になって彼女を止めにかかろうとする。 「も、もう、いいですよ! あとは自分で歩けますから!」 「どのみち教室までご一緒するんですから遠慮なさらずに」  二度までも恥ずかしい思いをしたくない王は、何とかしてマリアンヌの腕の中から逃げ 出そうとしたが、異様な力で押さえつけられて身動きがとれなかった。 「王様……あまり暴れられますと投げますよ? そこの中庭に」 「それもイヤー!」  王の叫びもむなしく、マリアンヌが保健室を出ると、ちょうど部活帰りの生徒たちが部 屋の前を歩いていた。 「あらあら」  困った口調のわりに嬉々とした表情を浮かべると、マリアンヌはわざわざその集団の中 を通り抜けていく。  無数の好奇な視線にさらされて王は身を縮こまらせながら、自分の教室に戻るまで羞恥 に耐え続けるしかなかった。    学校に来た時よりも動かしにくくなった足を庇いながら、王が下足場を出ると、すっか り日が暮れていた。  暗がりの中にある校舎を見上げると、自分の教室とその下の教室にだけ明かりがついて いる。今頃、あそこでは木束たちが大掃除に奮闘していることだろう。盛大に空いた穴は コスモの宇宙船によって修復したが、上下の教室に飛び散ったほこりが充満してしまって いた。  そうなった元々の原因は自分にある以上、王は率先して掃除にとりかかろうとしたが、 怪我をおしてまですることはないと、木束たちに帰るように言われたのだった。 「みんな、ありがとう」  感謝の気持ちを声に出したものの、それを聞くものは他に誰もいない。そのことが少し 寂しくて、胸にこみ上げるものがあった。 「ダメダメ、笑顔、笑顔」  王は両頬を叩いて、無理やりにでも微笑むと前を向いて歩き出した。毎日帰るときには 隣にいてくれた少女がいないせいか、体の右側がいつもより肌寒い。 「明日、ちゃんと仲直りできるよね」  自分に言い聞かせるようにして、王は校舎を後にした。

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