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『復元されてゆく世界』
初出;「NONSENSE」様のコンテンツ「椎名作品二次創作小説投稿広場」(2007年12月から2008年2月)

第一話 はじまり
第二話 巫女の神託
第三話 おキヌの決意
第四話 開かれた封印
第五話 きずな
第六話 ホタルの力
第七話 デート






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第一話 はじまり

『アルバイト募集 ゴーストスイーパー助手』

 と書かれているポスターを貼っていたのは、亜麻色の髪をなびかせた女性だった。
 スタイルも抜群で、しかも、それを強調するかのように、ボディコンシャスを着こなしている。
 こんな美人に街ですれ違ったら、普通の男なら思わず振り返ってしまうだろう。だが、この場に通りかかったのは、『振り返る』だけでは終わらない奴だった。

「一生ついていきます、おねーさまーッ!」

 そう言って飛びかかっていったジーンズ姿の男を、

「なにすんのよ、変質者!」

 と、一撃のもとに殴り倒す。
 これが、美神令子と横島忠夫、二人の出会いであった。




    第一話 はじまり




(変ね。なんだか前にも、コイツをシバいたことがあるような気がするんだけど?)
(あれ? このネーチャンにシバかれるのって、妙に馴染むと言うか、懐かしいと言うか、初めてじゃないというか・・・)

 この時、心の中で、彼らは同じ既視感にとらわれていた。
 もしかしたら初対面ではないのだろうか、と思い返してみても、そんな記憶は出てこない。
 だが、思い返そうという試みの中で、瞬間、二人の頭の中に、四つの光る球の映像が浮かぶ。ただし、意識すら出来ないほど短い『瞬間』であったため、その映像を二人が認識することは無かった。
 だから、光る球に文字が書かれていたことにも、その文字が『記』『憶』『封』『印』であることにも、二人は気付かない。
 気付かないまま、話は展開していく。

「すんません、違うんです。
 雇って下さいと言うはずが、近づいたら、あまりのフェロモンに我を忘れて・・・」
「雇うって・・・。あんたを?」
「俺、マジで今、ちょうどバイトを探してるとこだったんスよ。
 そこにこんな美人が募集をかけてるでしょ? つい興奮して・・・。
 お願いします! 今まで、おねーさんみたいな物凄い美人見たことなくて!
 どうしていいか分からんくらいキレイです! バイトしてみたい!」

 その素直さに免じて、この場はセクハラを許す美神。さらに、

「給料なんか、いくらでも構いません!」

 と言われて、時給250円で横島をバイトに採用してしまったのである。


___________


 ある春の天気の良い日。
 人骨温泉へと向かう山道を、一組の男女が歩いていた。美神と横島である。
 山道とは言え、車も通行できるように整備されている。山肌や木々には、まだ雪が所々残るものの、道路には見られなかった。
 美神は手ぶらで気持ち良さそうに歩いているが、横島は全く違う。少し後ろから、ゼーゼー言いながら付いていこうとしている。
 だが、それも難しい。何しろ、両手にトランク、背中に大きなリュック、その上にさらに荷物をくくり付けられた状態なのだ。
 標高のせいもあって酸素も足りなくなり、時々倒れてしまうのも仕方がないだろう。だが、悪い意味で彼を信頼してる美神は、ついに、

「先に行くわね」

 と、サッサと一人で行ってしまった。

「いかん。女っ気がなくなって、ますます意識がモーローと・・・。進まねば・・・」

 気力を振り絞って立ち上がる横島。彼は気付いていないのだが、実は『女っ気がなくなって』は間違いであった。
 木の陰から、横島を見守る少女が居たのだ。
 いや、『居た』というより、『突然現れた』と言った方が正しいかもしれない。しかも、いっちゃった目付きで、

『あの人・・・。あの人がいいわ・・・』

 と呟いているのだから、なんだか危ない雰囲気である。
 いつのまにか少し先回りした少女は、今度は岩陰に隠れて、横島が来るのを見計らっていた。そして、ただでさえ瞳孔が開いた目を、さらに大きく見開いて、

『えいっ!』

 と、横島に体当たりする。

『大丈夫ですか? 私ったらドジで・・・』
「今『えいっ』と言わんかったか? コラッ!」

 背中の荷物の重さ故に、ひっくり返った亀のようになってしまった横島だが、ちゃんとツッコム所はツッコムのである。
 そして、少女に手助けされて起き上がり、初めて、この少女を正面から見た。

「!!」

 可愛い。
 巫女姿の清楚な美少女だ。
 もちろん、先程までのアブナイ目付きは、とうに消えていて、少女らしくクリッとした眼になっている。しかも、その『先程まで』を横島は知らない。
 なんだかバックの空気まで、ホンワカと言うかメルヘンと言うか、そんなトーンに変わっていた。

 一瞬ではあるが、フリーズした時間。
 横島だけでなく、初めて横島と向き合った少女の方も、固まってしまっていたのだ。

(私、この人に会ったことがあるような気がするんだけど・・・)
 彼が隣に座って、
「ほれ、これやる。おキヌちゃんにだ」
「野菊・・・?」
「おキヌちゃんは野菊の花のようだ」
 言われた私は顔を赤らめ、視線をそらしつつ
「あ、ありがとう・・・。忠夫さんはリンドウの花のよう・・・」
 と返す。
 そんな光景が、少女の頭に浮かんだのだ。

『せっかく死んでいただけそうな人を見つけたのに』
(この人を殺すことは出来ない・・・)

 後半を心に留め前半を口に出しつつ、少女はスーッと消えていった。
 幽霊だ!
 それを見て、横島も再起動する。

「・・・。
 うわああ! 美神さん!」

 一目散に走り去った。
 そして、その後ろ姿を見送るかのように、少女は、再び姿を現す。

(でも、あのふたりなら、何とかしてくれそう・・・)

 少女の胸に、そんな想いが飛来した。


___________


「15、6の女のコの幽霊?」

 人骨温泉ホテルの一室にて。
 部屋に運ばれた料理に舌鼓を打ちながら、美神は横島の話を聞いていた。彼女は、

「温泉に出るのと同じ奴かしら」

 と、近くに座った中年男性に話を振る。

「うんにゃ、ウチに出るのはムサ苦しい男ですわ」

 彼は、温泉ホテルのお偉いさんであり、今回の依頼者である。
 美神と横島が温泉にやって来たのは、(当たり前だが)プライベートの旅行でもなんでも無く、除霊仕事のためであった。
 露天風呂に幽霊が出て客が激減している、何とかしてほしい、と頼まれたのだ。

「・・・だそうよ。今回とは別件ね。
 それに、軽く突き飛ばすくらいなら、かわいいイタズラよ。別に命までとられそうになったわけじゃないんでしょ?」
「そったらメンコイお化けなら、かえって客寄せになるで」

 二人からそう言われると、横島としても返す言葉が無い。
 考えてみると、『死んでいただく』とか何とか物騒なことを言われはしたものの、それは口だけだった。

(むしろ、ぶつかった後で、やさしく手を差し出して助け起こしてくれたんだよな・・・
 待てよ・・・。ということは、もしかして、アレか?
 あれは『パンをくわえた転校生が突然曲がり角から出てきて衝突』の新バージョン?
 『パンをくわえた転校生』が『巫女姿の幽霊』に変わって、
 『曲がり角』が『岩陰』に変わっただけで!
 王道パターンの心霊スポットバージョンだったのか! しまった!
 慌てて逃げ出さなきゃ、あんな可愛いコとの、ラブコメが始まるはずだった!!
 そしてラブコメの最終回でカップルになった二人は、続編でメロドラマの世界へ突入し、
 ついに、あんなことや、こんなことを・・・」

 妄想の後半を口に出してしまうのが横島のお約束であるならば、

「バカなこと言ってないで、問題の露天風呂に行くわよ」

 美神が横島をシバくことでそれを止めて、話を先に進めるのも、お約束である。
 そして、露天風呂へ引き摺られていく横島にも、横島を引き摺っていく美神にも、

(これが『お約束』になってしまうのは、まだ早いんじゃないだろうか?)

 という疑問は全く浮かばないのであった。


___________


「見たところ、霊の気配は無さそうね」

 問題の露天風呂で、『見鬼くん』という霊体検知器を使う美神。
 後ろから、さりげなさを装いつつ、横島が声をかける。

「や、やっぱ女性が、ふふ風呂に入ってないと、ダダダメなのでは?」

 全然さりげなく無い。しかし、

「うーん。じゃ、とりあえず入ってみましょうか」

 ちゃららーん! 美神は横島の提案を受け入れた!

(さすがプロ! 必然性があれば、ためらわない!)

 と感激する横島だったが、それも束の間の夢。ぬか喜び。
 二人の前に、

『じっ、自分は、明痔大学ワンダーフォーゲル部員であります。
 寒いであります。助けてほしいであります』

 ヒゲ面の登山姿の幽霊が現れてしまったのだ。

「アホかー、貴様ー!
 あと五分、いや三分が何で待てんのだ!
 もーちょっとで美神さんの裸体が拝めたものを!」

 幽霊に怒鳴る横島は、続いて、

「幽霊とはいえ、それが男のすることかー!
 バカ! バカ! バカ!」

 と喚きながら風呂桶をガンガン叩く。八つ当たりである。

 美神は『入ってみましょうか』とは言ったものの、どういう格好で入るかは言ってないし、ましてや、横島の目の前で入るとも言っていない。
 普通に考えれば『裸体が拝める』わけはないのだが・・・。

 横島が『普通』じゃないと分かっている美神は、ツッコムことすらしない。幽霊の

『な、なんでありますか?』

 という質問にも、

「気にしなくていいの」

 と返すくらいである。
 そんな状況のところへ、

『あの・・・。
 お取り込み中のところ、すいません』

 と、巫女姿の少女の幽霊まで現れた。


___________


「・・・こっちの事情は、だいたい分かったわ」

 露天風呂の岩に腰掛け、美神は、ヒゲ面の幽霊から話を聞いていた。
 仲間とはぐれて雪に埋もれて死んでしまったが、死体は発見されずに放置状態。それを見つけて供養してもらえれば、心残りもなくなり成仏できる、という状況らしい。

 ちなみに、この説明の間、横島は倒れていた。頭から血を流して、ピクピクしている。
 巫女姿の幽霊に向かって、

「ラブコメ娘!」

 と叫びながら飛び掛かっていき、押し倒したところで、美神にシバかれたのだ。その時、美神が手にしていたのは見鬼くんだったのだが、どうやら基底部の角の部分がヒットしてしまったらしい。
 そんな横島は(もちろん)放っておいて、

「で、あんたは何なの?」

 美神は、少女の幽霊に話を向けた。少女は素直に説明する。

『私はキヌといって、三百年ほど昔に死んだ娘です。
 山の噴火を鎮めるために人柱になったんですが・・・。
 普通そういう霊は地方の神様になるんです。
 でも、あたし才能なくて、成仏できないし、神様にもなれないし・・・。
 だから誰かに替わってもらおう、って』

(なるほど、地脈から解放されるために、代わりの幽霊を用意しようと考えたわけか。
 『かわいいイタズラ』どころか、ホントに横島クン殺すつもりだったのね)

 自分の判断ミスに気付く美神だが、内心に留め、もちろん口には出さない。

『あそこまでコキ使われて平気な人なら、喜んで替わってくれると思って・・・』

 と、おキヌが説明を続けた所で、

「じゃあ、本気で殺す気だったんかい!」

 ツッコミを入れるために横島が回復した。
 こうして全てが分かったところで、美神が提案する。

「よろしい、じゃ、こうしましょ。
 ワンダーフォーゲル部!
 あんた、成仏やめて山の神様になんなさい」

 彼としては、もちろん依存は無い。感激して一瞬固まった後、

『やるっス! やらせて欲しいっス!』

 熱意を込めて賛成の意を表した。

「あんたも、これでいいわね?」
『はいっ!』

 美神の確認に、おキヌも頷く。

 あっさりと話は決まってしまったが・・・。美神の提案は、かなりのオオゴトだ。
 いくら美神が一流の霊能力者であるとは言え、所詮、一人の人間である。
 基本的に、神族の力と人間の力との間には、大きな隔たりがあるのだ。
 ましてや、今、美神が行おうとしているのは、一柱の神(の候補)と一人の人(の幽霊)との間での、身分の変更である。神界への大きな干渉だと言っても過言ではないだろう。
 素人ならば、この辺りの事情は分からなくても当然かもしれない。霊能力ってスゲーなあ、何でも出来るんだな、と感じることも許されるだろう。
 しかし、美神は違う。一流のゴーストスイーパーであるからこそ、何が出来て何が出来ないのか、何が容易で何が困難なのか、その境目をキチンと理解しておかなければならないし、実際、ちゃんと把握している。
 それなのに・・・。
 このときの美神には、この行為が、ごく自然に可能だと思えてしまったのだ。
 まるで、当然の帰結であるかのように。
 まるで、『出来た』という確定した未来を知っているかのように。

「この者をとらえる地の力よ。
 その流れを変え、この者を解き放ちたまえ・・・!」

 美神の念じる言葉に続いて、おキヌの足下でバチッと音がした。
 そして、ビュンという音と共に、何かがワンダーフォーゲル部に入り込み、彼の姿を変化させる。右手に弓を持ち、背中に矢を抱えた、神々しい姿へと。

『これで自分は山の神様っスね!』
「とりあえずはね。
 力をつけるには、まだまだ永い時間と修行が必要よ」
『おおっ、はるか神々の住む巨峰に雪崩の音がこだまするっスよ!』

 そして、神に昇格した幽霊は、山奥へと飛び去っていった。
 それを見届けてから、おキヌは、

『ありがとうございました。これで私も成仏できます』

 と、美神に礼を言い、

『横島さんも・・・。あなたのことは忘れません。
 幽霊を押し倒した男として、次の人生でも語りつぎたいと思います』

 と、横島にも挨拶して、

『さよなら・・・』

 空へ浮かんでいく。
 しかし、たいして進まないうちに、ハッとしたような表情で戻って来た。

『あの・・・。
 つかぬことをうかがいますが、成仏ってどうやるんですか?』

 横島はズッコケ、美神は呆れる。

「長いこと地脈に縛りつけられてて安定しちゃったのね。
 こりゃ誰かにおはらいしてもらうしか・・・」

 原因を分析し、対応策まで口にする美神だが、それを実行するつもりは無かった。無料で除霊する美神ではないのである。

「こうしましょう。うちで料金分働きなさい。日給は奮発して30円!」
『やります! いっしょうけんめい働きます!』
「お・・・鬼だ」

 帰り道を歩きながら、明るく会話する三人。
 その場の雰囲気に幸せを感じたおキヌは、

(成仏できないのは、美神さんが言ったような理由だけじゃなくて、
 心残りもあったのかもしれないなあ)

 とも思う。そして、美神達に対して、

『あの・・・。
 ずっと前に、どこかで、お会いしたことがありましたっけ?』

 と質問するが、二人に思い当たることはない。

『テレビかしら? 出てませんでした? 朝八時くらい?』
「出てませんっスよ、俺たち」
「おキヌちゃん、幽霊なのに、どこでテレビなんて見てたのよ」
『え? あれ、私、なんでそんなこと言ったんだろ?
 そもそも『テレビ』って何ですか?』

 おキヌの返事に、ずっこける二人。
 こりゃあ天然ボケならぬ幽霊ボケね、と思う美神たち。
 微笑ましい三人である。
 それは、彼らが、おキヌの発言が意味するところをキチンと理解していなかったからであろう・・・。


(第二話「巫女の神託」に続く)

             
第二話 巫女の神託へ進む



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第二話 巫女の神託

「おキヌちゃんは、いい子ねー」
「えへへー、ほめてもらっちゃった!」

 美神に頭を撫でられて、喜ぶおキヌ。
 横で見ている横島としても、これは納得である。何しろ、今日の仕事が無事に終わったのは、おキヌのおかげだったからだ。




    第二話 巫女の神託




 それは、ほんの一時間足らず前の出来事・・・。
 今日の仕事は、オフィスビルの除霊。相手は、社長室を占拠している凶暴な悪霊だ。
 三人は、現場である32階までエレベーターで上がる。ドアが開くと同時に、

「この気配は・・・!
 株に失敗して全財産をすって半狂乱になり、
 このビルのこの部屋から飛び降りて病院に収容後、
 3時間12分後に死んだ霊・・・!」
「い、いきなり、そこまで?」
「依頼書にそう書いてあったのよ。
 霊能者にはハッタリが重要よ」
「よその霊能者が聞いたら怒りますよ」

 普通の言い方ではないものの、必要かもしれない情報を、そして自分の除霊テクニックの一端を横島に伝える美神。
 今回が初参加となるおキヌは、そんな二人のやり取りを黙って後ろで聞いていた。

「神通棍を」
「は、はい!」

 美神に命じられるまま、横島は、その場に置いた荷物の中から神通棍を取り出して、手渡す。

「聞こえる?
 悪さすんのも、いい加減にしなさい!
 おとなしく成仏すればよし!
 さもないと力ずくで片付けるわよ!」

 悪霊に呼びかける美神であったが、返事はない。
 ただし、反応はあった。突然、天井が崩れてきたのだ。
 三人に直撃はしなかったものの、エレベーターの入り口が塞がってしまう。

「武器もおふだもエレベーターの中に・・・!」

 と、横島は焦るが、美神は冷静だ。意味ありげな視線を、おキヌの方へチラッと向ける。
 おキヌが、

『美神さん・・・』

 と一言だけ返したところで、問題の悪霊が現れた。

『けーっけけけ、けけけけっ!
 けけけっ・・・、けけけけけけけっ。
 けけっ? けけけけけけけっ!』
「人格が崩壊しちゃってるわ・・・。
 一番やっかいなタイプね」
『けーっ!!』

 襲ってきた悪霊を神通棍で受け止める美神だが、受け止めるだけで精一杯だった。

「やっぱり・・・! 強い!!
 パワーが足りないわ。」

 咄嗟に左手で、首からぶら下げているペンダントを毟り取り、

「精霊石よ・・・!」

 悪霊へ投げつける。その効果で悪霊が怯んだ隙に、三人は逃げ出した。
 廊下の曲がり角に隠れながら、

「あー、やばかった!
 神通棍じゃ歯が立たないわ。まずいわねー」
「まずいって、どういうことですか?」
「つまりヘタすると私も横島クンも殺されちゃうってことね」
「なるほど! ・・・え?」

 美神の言葉に驚愕する横島。だが、

「ウソ、ウソ。
 今のは、普通なら殺されちゃう、って意味よ。
 でも、今日は特別だから大丈夫。
 強力なのが一枚、ここにあるから」

 そう言いながら、美神は、胸元から一枚の破魔札を取り出した。

「美神さん。
 ポケットも無いのに、そんなところから取り出したってことは・・・。
 美神さんのブラとナマ乳の間に挟まれていたのか!
 この野郎! おふだの分際で!!
 なんて羨ましい・・・、って、ウギャっ!!!」

 叫び出した横島を、美神は神通棍でシバいて止める。

「バカ言ってんじゃないわよ。
 私だって、ふだんは、こんなところに入れとかないわ。
 『今日は特別』って言ったでしょ」

 と言ってから、美神は、おキヌに微笑みを向ける。おキヌも笑い返す。
 その時、先程の横島の騒ぎを聞きつけた悪霊が、再び襲ってきた。しかし、

「依頼料を考えると、ちょっともったいないんだけどね・・・。
 いやしき怨霊よ! この世は汝の場所にあらず!
 黄泉の国こそ、ふさわしい! 吸引!!」

 と、アッサリと美神に撃退されてしまったのである。
 そして、美神は、横島に事情を説明した。

「事務所でね。
 今日から除霊に参加してもらうわよ、
 っておキヌちゃんに言ったら、
 こういう事態を予言したのよ、おキヌちゃんが」

 実は、その予言の際に、おキヌが美神に聞かせたのは、ここで実際に起こった出来事とは少し違う。
 なぜか荷物と分断されてしまい、手持ちの武器では歯が立たないため、おキヌ一人が荷物のところへ何かを取りにいく。でも、それを持って戻ってくるどころか、その場で失敗して壊してしまう・・・。
 それが、おキヌが感じた『未来』だった。初仕事と聞かされて興奮した際に、ボンヤリと頭に浮かんできた光景。
 結局、最後までその通りに実現することは無かったが、実現しなかったのは、そうなるかもしれないという可能性を踏まえた上で対処したからだ、とも考えられる。
 だから『おキヌのおかげで助かった』となったわけだ。


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 しばらく経ったある日のこと。
 おキヌは、事務所で留守番をしていた。
 美神は、横島を連れて、仕事の打ち合わせのために銀行へ出かけている。

『横島さんが言ってたなあ。
 銀行ってところには、
 美神さんの大好きなお金がたくさんある、って。
 今日はいつも以上にゴキゲンで帰ってくるんだろうな』

 そんなことをおキヌが考えていたところへ帰ってきた美神達。
ただいま、の代わりに美神が口にしたのは、

「来週、銀行を襲撃するわよ!」

 という言葉だった。


___________


「防犯訓練で幽霊と一緒に銀行強盗!?」

 そう、銀行を襲撃すると言っても、依頼料を渋った銀行に腹が立ったから襲ってしまえ、というわけではない。
 そもそも、今回の依頼は、二人組の幽霊をなんとかして欲しい、という内容だ。
 彼らは、押し入る直前に交通事故で死んでしまった銀行強盗(未遂)であり、今は『悪霊退散』のふだのせいで店内には入れないものの、未練がましく窓に張り付いている。彼らにそのつもりが有るにせよ無いにせよ、これでは営業妨害である。
 美神にとっては、正攻法で除霊しても手間取る仕事では無い。しかし、今回は、

「来週、防犯訓練があるので、それを利用する。
 美神が二人組の幽霊を率いて銀行を襲撃。
 これによって、彼らの未練を断ち、成仏させる」

 ということになったのだ。

「どーして、そんなことになっちゃったんですか!?」

 という横島の質問に、

「そーすりゃ全員が納得するからよ!」

 と答える美神。この『全員』には、依頼者である銀行の支店長および美神自身が含まれている。
 今回の契約では、この襲撃で強盗側が盗んだお金が美神のギャラとなる、という取り決めになったのだ。
 うまく行けば、かなりの金額を得られるだろう。しかし、逆に言えば、強盗を阻止されたらタダ働きだ。
 こんな状況になったのも、先程の『腹が立ったから襲ってしまえ』では無いものの、『銀行が依頼料を渋ったから』が理由であることは間違いないであろう。

 そして、一通りの説明を受けた横島が帰っていった後、おキヌが美神に質問する。

『美神さん。
 今の説明だと・・・。
 押し入った時点で、強盗さん達、満たされて成仏しちゃうんじゃないですか?
 そうなると、私たち三人だけで逃げ切らないといけないですよね?』

 幽霊のおキヌが言うだけに、説得力がある話だ。
 だが、美神は、ふと気になった。

「おキヌちゃん、それ、例の『予言』ってやつ?」
『いえ、違います。そうじゃないです』

 美神に言われて、否定しながらも、おキヌは、

(銀行を襲撃して、その後、どうなるんだろう?)

 と、『未来』を知ろうと努力してみる。美神の

「おキヌちゃんには、別働隊として内部撹乱を頼むつもりだったんだけど。
 当日は幽霊も店内に入れるし、幽霊のおキヌちゃんなら、
 何かあった際に逃げ出すのも簡単だろうから」

 という言葉も耳に入らないくらい、頑張って集中した結果、

『こんぴーたって面白ーい』

 という一言が、おキヌの口からこぼれ出した。


___________


 銀行襲撃の日がやって来た。
 朝八時五十五分、銀行前に一台の車が停まっている。

『・・・銀行強盗は閉店前が定石じゃないのか?』

 運転席の美神に対して、二人組の幽霊が後ろから声をかける。後部座席の無い車だが、幽霊はプカプカ浮いているので、座る必要もない。

「相手は私たちが来ることを知ってるのよ。
 ウラをかいて開店直後を襲うの!」

 答える美神の横では、横島が、手にしたものを凝視している。

「・・・美神さん、この銃、まさか本物じゃ・・・?」

 おそるおそる尋ねると、

「本物よ」

 とアッサリ返ってくる。

「ちょっとおおおっ!!」
「弾丸は特製のに替えてあるわ。
 当たっても死にゃしないから計画通りやればいいの!」
「ウソだ!
 美神さん、前にも俺を鉄砲玉にしようとしたじゃないっスか。
 超小型ビデオカメラ持たせて、
 録画スイッチ押したらレンズから銃弾が出るように細工して!!」
「いつ私がそんなことした?
 アンタ何ワケ分かんないこと言ってんのよ。
 ほら、開店よ! 行って!!」

 ちょうど銀行のシャッターが開き、美神は横島を送り出した。
 美神に言われたからではなく、

(超小型ビデオカメラ? レンズから銃弾?
 確かに、そんなモン使ったこと無いぞ。
 何言ってんだ、俺)

 自分が不可思議なことを口にしたと気付いたために、落着きを取り戻す横島。
 一方、美神は、

(レンズから銃弾が出るビデオカメラ、か。いいアイデアね)

 と、横島の言葉を肯定的に受け入れていた。


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 プロ顔負けの手際の良さで、一度は約三億の大金を手にした美神達。
 二人組の幽霊は、押し入った直後ではなく、

『やったあ!! ポリが来るより先に逃げたぞ!』
『やりましたね、アニキー!!』

 と、逃走劇の序盤で成仏していった。
 それでも、美神のドライビングテクニックと、ピストルから飛び出す低級霊弾を駆使して、見事に追跡部隊を振り切る。
 しかし、特殊部隊には敵わなかった。歩道橋の上から投下されたマキビシで車を止められ、窓口嬢制服の一団に包囲されたのである。

「やたーっ!
 金は守りきったぞー!
 最後に笑うのは、やはり我々だったんだーっ!」

 と、祝勝モードの銀行側だったが・・・。

 一方、美神と共に事務所に戻った横島は、おキヌが居ないのを不思議に思った。

「あれ? おキヌちゃんには留守番頼んだんじゃないですか?」
「違うわよ。おキヌちゃんには、今回の仕事で一番の大役を任せてるの」

 ニヤリと笑う美神。

「ただいまー!」

 ちょうどそこへ、おキヌが戻ってくる。

「どう? うまくいった?」
「はい、スイス銀行の美神さんの秘密口座に、十億円入金してきました」

 唖然として、二人の会話を聞く横島。
 美神達が銀行側の注意を集めている間、おキヌが銀行に潜り込んで、どさくさまぎれにオンラインの不正操作をする。
 これが、横島も聞かされていない、今回の作戦だったのである。

「さすが、美神さん。
 魔族も舌を巻く悪知恵と言われるだけのことはある・・・」
「いつ誰がそんなこと言ったのよ?
 ・・・ま、この計画は、おキヌちゃんのおかげで思いついたんだけどね」

 美神は、横島に説明した。
 おキヌが銀行でコンピューターを操作している彼女自身の姿を『予知』したからこそ、美神も、こういう手段を考えることが出来たのだと。

「凄いなあ、おキヌちゃん」
「えへへー」

 横島の一言に、照れながらも喜ぶおキヌ。
 美神は美神で、

「巫女の神託、ってやつでしょうね」

 と、おキヌの予知能力を説明してみせた。
 優秀な巫女は、いわゆる『神様のお告げ』を聞くことができる。
 山の神様になるはずだったくらいだから、おキヌが、ある程度の力を持っていても不思議は無い、ということだ。
 さらに、

「しかも、おキヌちゃんのは、
 確定した未来だけじゃなく、回避し得る未来も見せてくれるみたい。
 だからいいのよね」

 と、先日のオフィスビル除霊の件を思い出しながら、言ったのだが、

「確定した未来? 回避し得る未来? どういうことっスか?」

 横島には意味が通じなかったらしい。
 そこで、美神は説明を続ける。

「うーん、どう説明しようかしら。そうねえ・・・。
 悪魔ラプラスって知ってる? 別名『前知魔』とも言うわ。
 もともと『パンドラの箱』に入っていた災厄の一つなんだけど、
 全てを見通す目、完全な予知能力を持ってるの」
「予知能力が災厄なんっスか? 便利でいいと思うけど?」

 しかし、どうも、まだ美神は、オカルト知識のレベルが全く異なる者に説明する、ということに慣れていないらしい。
 横島がついて来られない例を出して、いっそう混乱させてしまった。

「バカねー、未来が全部わかるということは、希望や夢を奪われるってことよ。
 聞いた話では、百年くらい前、
 二度の世界大戦をラプラスから予告された人がいて、自殺したそうよ。
 ラプラスの予知は、どうあがいても避けることの不可能な、事実の予告だから。
 そう、事実の予告、って言ったらいいのね。それが確定した未来。
 でも、おキヌちゃんの予知は違う。
 もし、おキヌちゃんから『二度の世界大戦』を予知されても、自殺する必要は無い。
 むしろ、自殺なんてしてる暇は無いわ。
 だって、その『二度の世界大戦』という可能性を知った上で、
 その情報に基づいて頑張れば、『二度の世界大戦』を回避できるんだから。
 ほら、この間の、オフィスビルの除霊。
 おキヌちゃんの予知のおかげで、危機を回避できたでしょ?」

 この説明で、横島も、美神の言いたいことを理解した。
 横島の表情を見て、美神は、それ以上の説明は必要無いだろうと判断し、

「でね、おキヌちゃん。
 私の将来に関して、何か重大なこと、予知できる?」

 正面からおキヌに顔を近づけて、聞いてみた。
 何か読み取ろうと努力するおキヌだが、何も頭に浮かんで来ない。
 そこで、

「じゃあ、俺は?」

 と、今度は横島が、おキヌの前に来た。
 横島をジーッと見つめるおキヌ。
 集中して、集中して・・・。
 すると、頭の中にボンヤリとした映像が浮かび始めた。

『・・・!!』

 突然、おキヌの頬を一筋の涙がこぼれた。

「え?」

 横島だけでなく、美神も驚く中で、

『ごめんなさい、言えません』

 とだけ言って、おキヌは、自分の部屋に逃げ込んでしまった。
 何とも言えない雰囲気の中に残された二人。
 美神も横島も、ワザとらしく敢えて軽い口調で言葉を交わす。

「おキヌちゃん泣かせちゃダメじゃない」
「俺が悪いんっスか?
 あんなリアクション取られたら、むしろ、こっちが泣きたいくらいなんですけど」

 こうして、今日の仕事の話から、おキヌの予知能力の件へと話題が変わっていって、そこで会話が終わったために、

「いくら美神から教わったとはいえ、わずか一周間足らずで、なぜ、三百年前の幽霊であるおキヌが、不正オンライン操作が出来るほどコンピューターを使いこなせるようになったのか?」

 という疑問は、誰の頭にも浮かばなかったのである。
 また、おキヌの予知能力に関しても、『巫女の神託』という言葉で上手く説明出来たために、

「おキヌが未来予知できるのは、本当に『巫女の神託』という能力のためなのか?」

 という疑問も、誰の頭にも浮かばなかったのである。

 そして、部屋に籠ったおキヌは、一人、頭の中で先程の『予知』を反芻していた。
 横島の未来として、見てしまったもの。それは・・・。

 恋人を救うために仲間と世界を犠牲にするか。
 全てを救うために彼女を犠牲にするか。
 その選択に迫られた横島の姿だった・・・。


(第三話「おキヌの決意」に続く)

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第三話 おキヌの決意へ進む



____
第三話 おキヌの決意

 夏の海水浴場。
 大勢の人々が、それそれの夏を満喫している。
 そんな中に、美神達三人の姿もあった。
 もちろん、彼らは仕事で来ている。だが、夜中にホテルに現れ水跡を残して去っていく怪物の正体を突き止め、二度と出ないようにする、というのが依頼内容である。だから、昼間は、普通に遊んでいた。
 美神はビーチパラソルの下でノンビリと過ごし、横島はナンパに精を出している。普通は、断られるか無視されるかのどちらかなのだが・・・。

「お一人ですか?」

 なんと逆ナンされた。それも、可愛らしく前髪を切りそろえた長髪の美人に。
 ナミコと名乗った彼女は、横島の横に座って、ポツポツと語る。

「私、ずっとつきあってたヒトがいたんですけど・・・。
 そのひと浮気ばかりするんで別れてきたんです」
(な、なんだ、この雰囲気は・・・?
 おいしい!! おいしすぎるぞ・・・!)

 そう思った横島が、彼女の肩に手をまわそうとしたところで、

『横島さん・・・。
 何をしてるんです、何を・・・!?』

 後ろからズイッと身を乗り出してきたおキヌちゃんに邪魔されてしまった。
 おキヌの態度を見て、勘違いして、

「ちッ、彼女いるんじゃん」

 と呟きながら、ナミコは立ち去る。
 横島の夏、終了・・・。

 ちなみに、横島達は、その夜、仕事の現場でナミコと再会した。そして、

「ナミコが人魚であること。
 実は子持ちの人妻であり、半魚人の旦那から逃げ出してきたこと。
 半魚人は、単にナミコを連れ戻しに来ていただけであること」

 が判明し、特に美神達が何をするでもなく、当事者同士の話し合いで事件も解決したのだった。だが、それは、横島の夏物語としては蛇足である。




    第三話 おキヌの決意




 一ヶ月くらい経ったある日のこと。

「きょ・・・、共同作戦?
 待ってよ! そんな話、聞いてないわよ!」

 これが、その日の仕事場での美神の第一声だった。

「じゃ、私はこれで・・・」

 くるりと反転して立ち去ろうとする美神を、一人の女性が引き留めた。

「私は令子ちゃんと一緒にお仕事できるのを、
 楽しみにしてたのよ〜〜。
 そんな言い方ないじゃないの〜〜」

 この女性、年齢は美神と同じくらいであろうが、やや童顔なせいか、おかっぱ頭の髪型が可愛らしく似合っている。お嬢様チックな服装も、うまく本人の雰囲気に合致しているようだ。

 ここで、初老の男性が口を挟んだ。彼が今回の依頼人である。

「新築マンションなのに建物の相が悪かったらしく、
 周辺の霊が集まってきて人が住めんのです。
 何しろ千体以上も除霊するわけですし、
 早急に作業を進めるためにも、
 お二人で協力していただきたいと思いまして」
「お願い〜〜。
 いいでしょ〜〜?」
「同業者は私だけじゃないでしょ!?
 ほかをあたって、ほかを!」
「令子ちゃんがいいの〜〜!!
 令子ちゃんじゃなきゃイヤ〜〜!!」

 そう言って、女性はブンブン首を振っている。そこへ、何やら企んでいそうな様子の横島が近づいた。

「あの・・・。
 おとりこみ中ですが、その可愛い方は美神さんのお友達で?」
「はじめまして〜〜。六道冥子です〜〜」

 礼儀正しく、ペコリとお辞儀する冥子。
 それを見た横島は、キリッとした表情に変えて、冥子の手を取り、

「ずっと前から愛してました!!」

 と言う。だが、そのとたん、強い力で冥子から引きはがされてしまった。

『横島さん・・・。ダメですよ』

 おキヌちゃんである。同時に、

「今お会いしたばかりですけど〜〜」

 冥子自身からも、ツッコミをくらう。
 そして、冥子は、話の矛先を再び美神へと向ける。

「〜〜と、そんなことより令子ちゃん〜〜。
 一緒にお仕事してよ〜〜。
 でないと〜〜、私〜〜」

 冥子の目に涙がジワッと滲み始めた。
 それを見た美神は、大慌てで、

「わかった! やる! やります!」

 と、了承する。
 そんな様子を見たおキヌちゃんは、

『なんのかんの言っても、やさしいんですよね、美神さんって』

 と微笑むが、美神の表情は少し険しい。

「・・・あんたは式神使いの恐ろしさを知らないのよ!」
『式神使い?』
「冥子は『式神使い』といって、自分の影の中に十二匹の鬼を宿しているの。
 それを自在に操る能力があるんだけど、冥子の場合、不安定なのよ」

 冥子は、興奮すると式神のコントロールができなくなってしまうのだ。
 しかも、ちょっとした事でも動揺してしまう性格なため、頻繁に式神が暴走する。
 これまでの付き合いの中で、美神は、それを何度も目の当たりにしてきたのだった。


___________


「最上階のこの部分が、
 鬼門から霊を呼び込んでしまうアンテナになっちゃってるわね」

 マンションの駐車場で、建物全体の写真を見ながら作戦会議をする美神達。

「どうするの?
 これじゃ祓っても祓っても霊が集まってきちゃうわよ」
「私がまわりの霊を食い止めてる間に〜〜、
 令子ちゃんは結界を作って霊の侵入を止めてほしいの〜〜」
「・・・そのあと二人で溜まった霊を除霊すれば、
 問題の部分を改善して、人が住めるようになるってわけね」

 一応の方針は決まったが、最後に、美神は、おキヌに問いかけた。

「おキヌちゃん。
 この仕事に関して、何か、神託ある?」

 美神に言われて、おキヌは、写真ではなく、実物のマンションの方に目を向けた。
 ジーッと見ていると、なんだか、マンションがぼやけて見えるような気がし始めた。
 ただし、マンションの一階辺りは、むしろ逆にゴチャゴチャとしている。
 周囲の他の建物は、普通にシッカリと見えるのだが・・・。

 それをおキヌから聞かされて、美神は少し考え込んだ。

(このマンションだけがぼやけて見える? でも一階はゴチャゴチャ?
 ・・・まさか、それって)

 一つの可能性に思い当たり、

「横島クン、ちょっと来なさい。
 あんたに最重要任務を与えます・・・」

 美神は、秘密の命令を横島に耳打ちした。


___________


 美神ら一行は、悪霊を蹴散らしながら、マンションの中を進んで行く。
 先頭を行くのは、美神と冥子。横島とおキヌは後ろにいる。
 そして、この一行は四人だけではなかった。四匹の異形の生き物も含まれていたのである。
 ウシの鬼神、バサラ。ウマの鬼神、インダラ。ヘビの鬼神、サンダラ。ヒツジの鬼神、ハイダラ。冥子が従える式神達である。
 バサラは、行進の間ずっと、大きな口を開けて霊を吸い続けているので、前方から来る悪霊は、ほとんどそれだけで片付いてしまう。後方から迫るものも、ハイラの毛針攻撃とサンダラの電撃攻撃で撃破。
 そんな状況なので、ここまで、美神の出番は無い。神通棍を手に、備えてはいるのだが。
 残りの一匹、インダラは、本来、新幹線以上の速さで走行可能な式神なのだが、お嬢様座りの冥子を乗せて、人間の歩くスピードで進んでいる。

「凄いっスね・・・。無敵じゃないですか」

 横島は、初めて見る式神の力に驚いているが、美神は冷静に、

「霊の数が多すぎて、バサラの吸引力が弱まってるわ!
 このままだと数分で満腹になっちゃう。急ぎましょう!」

 と、指示をとばした。

 そして、最上階に辿り着いた美神達。

「結界を作る間、奴らを近づけないでよ!」
「はい〜〜」

 美神が、おふだを要所要所に貼って行く。その場で、それぞれに念を込めなければならないので、このメンツの中では、美神が最適人物なのである。
 冥子は、ここでも、バサラ、ハイラ、サンダラを使役して悪霊と戦っている。その近くに、横島とおキヌが控えているが、彼らは戦力としてはカウントされない。

「急いでね〜〜。
 そろそろみんなバテてきたわ〜〜」
「あと三枚で完成よ!」

 と返しながら、美神は、

(ミスったわね・・・。
 ここへ来るまでに、式神を使い過ぎたんだわ。
 さっきまでは私も戦えたんだから、冥子に式神を温存させとくべきだった)

 と、少し悔やんだ。

『あっちじゃ! あっちの女じゃ!
 連れとる化け物は強いが、あいつ自身は弱いぞ』
「れ、令子ちゃん〜〜。
 なんだか私を狙いうちしだしたみたい〜〜」
「終わったら手伝うから待ってて!
 結界さえ完成すれば、外から新しい霊が入ってこなくなるわ」
「でも〜〜、待てそうにない〜〜!」

 悪霊達の、冥子自身への直接攻撃。それは、もはや、式神でもカバーしきれないくらいになっていた。
 そして、ついに、一匹の悪霊が、冥子の頬をかすめた。

「あ〜〜。血が〜〜」

 冥子の言葉に、ギクリと反応する美神。振り返って様子を見ると、冥子は今にも泣き出しそうである。

「あっ・・・、バカ! 泣いちゃダメよ!」

 美神の言葉も、冥子の耳には入らない。
 そして、冥子がプッツンして式神の暴走が始まろうかという瞬間。
 美神は叫んだ。

「横島クン! 今よ!」

 バシッ!
 どこからか取り出したバット状のもので、横島が冥子の頭を殴りつけた。

「・・・すんません」

 と小声で謝りながら。
 冥子は気絶し、式神達は冥子の影へと戻った。

「・・・ふう。最悪の事態は防げたわね」

 安心した表情で呟く美神。
 彼女の想定していた最悪の事態は、冥子の式神が暴走して、マンション全体が破壊されるというケースだった。
 スッキリと何もなくなったマンション、その姿が現在の姿とオーバーラップしたせいで、ぼやけて見えたのではないか。
 下の方のゴチャゴチャというのは、瓦礫の山と化したマンションの残骸なのではないか。
 それが、おキヌの神託に関する、美神の解釈だったのだ。冥子の暴走癖を知るが故に出来た推理である。
 そして、それを防ぐために、気絶させて強引に冥子を止めることにしたのだ。
 もし失敗した場合、式神暴走の被害を最も受けるのは、自分ではなく、一番近くの人物となる。そこまで計算して、横島に役を割り振っていた。


「・・・あのう、美神さん。
 で、この悪霊達はどうしましょう?」

 おそるおそる横島が尋ねる。
 表情から判断して、おキヌも同じ疑問を感じているようだ。

「・・・あ」

 という美神の言葉に、一瞬、その場の空気が凍った。
 そして、再び動き出す。

「なんとかしなさい。・・・頑張ってね!」
「なんとかって・・・。気絶させた後のこと、考えてなかったんかい!」
「仕方ないでしょ!
 冥子のプッツン止めること考えるだけでイッパイだったんだから!
 あんたは暴走の怖さ知らないから、そんなこと言えるのよ!」
『ケンカしてる場合じゃないですよ』

 二人が喚き合っているところへ悪霊達が襲って来るものだから、もうグシャグシャである。特に武器もない横島は、気絶した冥子を抱えて、逃げまどうだけ。
 美神は、結界作りに集中したいのだが、そうもいかない。ふりかかる火の粉は、はらわねばならないのだ。襲いかかる悪霊を、神通棍で対処して行く。
 しかし、これではキリがない。結界を完成させない限り、次から次へと悪霊が入ってきてしまうのだ。

「横島クン! 私の盾になりなさい。
 これ使っていいから!」

 美神は、自分の腰にあるフォルダーを目で示した。左のフォルダーには霊体ボウガンが、右には色々な種類の破魔札が入っている。

「うわあ・・・、美神さん!」

 何を誤解したか、あるいはワザとか、美神の腰そのものに飛びつく横島だったが、もちろん、美神に蹴りとばされる。

「そうじゃなくて!
 霊体ボウガンなら、当たりさえすれば素人でも使えるから。
 あと、もったいないけど、破魔札。
 ・・・あ、『封魔』『退魔』って書いてあるのはダメよ、
 知識の無いあんたには使えないから。
 『破魔』って書いてあるやつだけ、爆発させるタイプだけ使いなさい」

 口早に指示する美神。それに従って、横島は、

「無茶言わんでください。俺は平凡なバイト学生なんですよ!」

 文句を言いつつも、それなりに悪霊をあしらっていく。
 その姿は、結構サマになっていた。
 まるで、以前に何度も使ったことがあるかのように。
 まるで、体が使い方を覚え込んでいるかのように。

(あれ・・・。意外と使えるじゃない、コイツ)

 軽く驚く美神だが、それでも、横島だけでは完全には悪霊を防ぎきれない。依然として、美神自身も戦っており、結界のほうは、なかなか進まない。
 そんな状況の中で、

『何か私にも出来ることは・・・』

 と、おキヌはオロオロするだけだった。
 かろうじて出来るのは、

『横島さん!右後ろ!』

 と、死角から襲ってきた悪霊を教えるくらい。
 だが、もちろん、乱戦の中、全ての悪霊の動きを把握することなど出来ない。ちょうど今、強力な悪霊が横島の背中から襲いかかろうとしていた。前から来る悪霊に手一杯で、横島自身は、これに対処出来ない。

『ダメー!』

 考えるよりも先に行動していた。
 おキヌは、両手を広げて、横島と悪霊の間に立ち塞がった。

『ウッ』

 その悪霊の動きが、一瞬、ビクッと止まる。
 そこへ、おキヌがたたみかけるように話しかける。

『あなたたちの気持ちはわかります。
 辛いでしょう、苦しいでしょう。
 だから、ダメなんです、人を殺したりしては。
 そんなことをしたら、ますます成仏できなくなるわ。
 苦しいのが終わらないのよ・・・』

 霊の言葉は、霊の心に通じるのだろうか。
 悪霊達の動きが鈍る。
 いや、それどころか、

『もう・・・、やめよう。ね? みんなお帰り・・・!』

 というおキヌの言葉に従って、マンションの外へと、元々自分たちが居た場所へと戻って行く者も出始めた。

「凄い・・・!」
「でかした。おキヌちゃん!」

 そう。
 悪霊達が数を減らしたことで、この仕事も、もはや困難では無くなったのである。
 結界が完成し除霊が完了するまで、それから、たいして時間はかからなかった。


___________


 その夜。
 一人になったおキヌは、

『うふふ。横島さんを助けちゃった』

 と、今日のことを振り返った。
 おキヌにとっては、悪霊達を蹴散らしたことそのものよりも、それによって横島を救ったことの意味の方が大きかったのである。

『でも、こんなの、まだまだ小さいですよね』

 実は、おキヌは、もっと大きな意味で、横島を助けたいと思っているのだ。
 それは、横島の未来に関すること。

 しばらく前に、おキヌは、横島の未来を予知をして、涙を流してしまったことがあった。
 翌日、その内容を聞きたがる美神と横島には、

『何でしたっけ? 忘れちゃいました』

 と、ケロッと言ったおキヌだったが、もちろん、忘れたというのはウソだ。
 簡単に忘れられるようなシロモノではなかった。そして、忘れていないからこそ、

『横島さんに恋人が出来なければいいんだわ。
 それならば、あんな辛い選択をする必要もないんだし。
 横島さんが特定の誰かと、くっついたりしないように、
 しっかり私が見張っておかなきゃ』

 と、おキヌなりに、横島を助けようと決意しているのだ。
 これこそ、最近、横島の女性へのアタックをおキヌが頻繁に邪魔している理由なのであった。

 もしも、おキヌが誰かに相談していたら。
 もしも、おキヌが幽霊ではなく人間のセンスを持っていたら。
 もしも、おキヌの横島への好意がもっと弱かったら。
 その場合、もう少し違った方法を考えていたのかもしれない。

 しかし、おキヌはおキヌなのであった。

 おキヌに悪気は無いのだが・・・。
 哀れなり、横島。


(第四話「開かれた封印」に続く)

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第四話 開かれた封印へ進む



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第四話 開かれた封印

「・・・作業を完了しました。ドクター・カオス!」

 アンドロイド少女のマリアが、主である老人に声をかけた。
 この老人、ドクター・カオスは、有名な錬金術師である。古代の秘術で不死の体になり、千年以上の時を生きているらしい。
 最近、魂を交換して他人の肉体と能力を奪うという秘法を完成。
 その対象として、強力な霊能力を持つ人間を捜していたところで、たまたま六道冥子と遭遇。
 冥子から美神の存在を知り、その体を乗っ取ろうと考えたのだが・・・。
 その企ては失敗。返り討ちにあったのである。

「うむ! なかなか良い出来だぞ、マリア!
 すぐに包装して美神令子の事務所へ届けたまえ!」

 美神を逆恨みしたカオスは、今、この世から美神を消滅させてしまおうと考えていた。
 暗殺用魔法薬『時空消滅内服液』を使って・・・。




    第四話 開かれた封印




「よかった・・・!
 今日の仕事は久々に良かった・・・!」

 仕事から事務所に戻った直後、横島は、あらためて今日の出来事に感激していた。
 それは、除霊中のアクシデント。床が崩れて、美神とともに階下へ落ちて行く際、美神の唇が横島の頬にブチュッと触れたのである。
 意図せずして起こった『ホッペにキッス』であった。

(ぺちょんと柔らかく、あくまでソフトに・・・。
 そして、かすかに感じる呼吸の流れ・・・。
 ああっ、思い出すだけでとろけそー!)
「・・・なんなの、なんたはさっきから。
 脳ミソにヒビでも入ったの?」

 回想に耽ったまま現実に戻れない横島を、美神は呆れながら見ている。そんな二人のところへ、

『お茶がはいりましたー!』

 おキヌが、紅茶とケーキを運んできた。

「おいしそう。どうしたの、これ?」
『え? 美神さんが買っといたんじゃ・・・?』
「!
 香料に混じって、かすかに何か匂うわ!
 これは・・・。
 呪術に使う魔法植物と薬品の匂いだわ!」
『あの・・・。私は、てっきり・・・』
「食べないで捨てた方がよさそうね」

 ケーキに関して二人がそんな話をしている横で、まだ惚けていた横島は、自分の分のケーキを食べてしまっていた。

『よ、横島さん!』
「ん? どしたの、おキヌちゃん?」

 その時、横島の体がドクンと震えた。


___________


 呪術の効き目を遅らせる薬を飲ませ、時間を稼ぐ美神たち。
 その間に、残りのケーキを分析して、何が含まれていたのかを突き止めた。
 『時空消滅内服液』である。
 恐ろしい薬だ。
 この薬には、この世と人間との縁を断ち切る効果があると言われている。
 つまり、その人物が初めから生まれて来なかったことにしてしまうのだ。

「は、早く解毒剤を・・・」

 美神の説明を受けて、当然のように解毒剤を求める横島だが、返ってきた答えは非情だった。

「・・・そんなもの、この世にないわ」

 ただし、助かる方法がないわけでもない、と補足もする。

「さっき飲んだ中和剤で効き目はかなり弱まっているはずよ!
 じわじわと効いてくるから、その間に手を打つの!」
「じわじわって・・・?」
「ゆっくり時間を逆行していくことになると思うわ」

 説明しながら、美神は、『時間を逆行』という言葉に、妙な引っ掛かりを感じた。もちろん、それにこだわっている場合では無かったのだが、ここでおキヌが口を挟んだ。

『横島さんが過去へ行くということは、
 今の横島さんと過去の横島さんと、
 二人で協力して何かするってことですか?』

 わかりにくい質問だったが、急いで頭を回転させて対応する。

「違うのよ、おキヌちゃん。
 おキヌちゃんが言ってるのは時間移動ね。
 時間逆行は、それとは別物よ。
 例えば、十五歳の時点へ逆行するというのは、
 十五歳の自分になっちゃうってことなの」
『十五歳の自分そのもの?
 十五歳以降の現在までの記憶も経験も全部なくなっちゃうんですか?』
「じゃあ、何をしたら良いのか、覚えておけないじゃないっスか!」

 おキヌと横島、二人が美神の言葉に反応した。それを聞いて、美神の中で、違和感が大きくなっていく。

(おかしいわ・・・。
 時間逆行とか、それに伴う記憶の保持云々とか、以前にも、
 この三人で同じような議論をしたことがあるような気がするわ。
 そんなはず無いんだけど・・・)

 だが、今は、そんな違和感の原因を追及している場合では無い。
 軽く頭を振って、美神は答えた。

「大丈夫。
 心も体も昔の自分に戻っても、今の記憶は残っているわ。
 ・・・逆行に関して、私の知識が間違ってなければ」
「ちょっとー!」

 そこまで会話が進んだとき、横島の体が透け始めた。

『横島さん!』
「う・・・、うわっ?」
「薬が効き出したのよ!
 時間がないわ! よく聞いて!!」

 最後になってしまったが、美神は、一番重要なことを横島に伝えた。

「元に戻るには、この世との結びつき・・・、つまり縁を強めるしかないわ。
 二十四時間以内で強烈に印象に残っていること、
 それを過去の世界で再現しなさい!
 そうすれば・・・」

 そこまで聞いたところで、横島は意識を失った。


___________


 意識を取り戻した横島の前には、おキヌ一人が居た。

『大丈夫ですか? 私ったらドジで・・・』
「・・・あれ、おキヌちゃん」
『え?』

 驚きながらも、横島を見つめるおキヌ。

(そういえば、私、この人に会ったことがあるような気もする・・・)

『・・・忠夫さん?』
「・・・? 
 どうしちゃったの、おキヌちゃん」

 いつもと違う呼び名を使われ、不思議に思う横島。その目の前で、

(この人を殺すことは出来ない・・・)

 おキヌちゃんはスーッと消えていった。
 一人取り残された横島は、周囲を見回し、場所が変わっていることに気付いた。

「ここは確か・・・。
 今年の春、仕事で来た温泉か?
 ほ・・・、本当に過去に戻っちまったのか?」

 それならば、やるべきことは一つ。
 二十四時間以内で強烈に印象に残っていること、の再現。
 つまり、美神さんから、頬にキスしてもらうしかない。

 横島は、美神の宿泊するホテルへ、一目散に駆けて行った。


___________


 横島は、今、頭から血を流して倒れていた。
 美神を見つけて、喜んで飛びついた結果、シバキ倒されたのである。
 『時空消滅内服液』の件を説明しても、信じてもらえなかった。

「私があんたにキスしたなんて話・・・。
 信じられると思うの?」

 と、再びシバキ倒された。

「どうせ私の本棚の魔法の本でも読んで思いついたんでしょうが!
 タチが悪いわね!」

 と、三たびシバキ倒された。
 そして、そのまま、美神からの暴力とは別の意味で、横島は意識を失った。


___________


 次に意識を取り戻した時、横島は教室の中にいた。

「こ・・・、ここは?」
「どうした、横島? 顔色が変だぞ?」

 授業中に突然立ち上がった横島に、クラスメートが声をかけた。

「・・・中学の教室か?
 この顔ぶれは中一の・・・。
 今度は四年近くも逆行を?」
「横島!
 ふざけるのもたいがいにして、まじめに授業を・・・」

 教師も声をかけたが、横島は、それを振り切って教室を飛び出した。
 美神の事務所へ向かって走りながら、

「冗談じゃねえぞ!
 戻るためには、早く美神さん見つけて・・・」

 そこまで口にしたとき、横島は、わからなくなった。

(戻るって、どこへ?)

 ケーキを食べて、時空消滅内服液にやられた日へ。

(そう、そこから来たはずなんだ。
 だから、そこへ戻るべきなんだ。
 ・・・じゃあ、なんで、戻った時点以降の記憶があるんだ?)

 前回の逆行と今回の逆行とには、大きく異なる点があった。
 高校二年生の横島には有って、中学一年生の横島には無いもの。
 美神と出会った後の横島が持っていて、出会う前の横島が持っていないもの。
 ・・・それは、『記憶封印』という枷。
 今の横島の中に、記憶を封印するものは、何も無かった。

 そして、『戻った時点以降』を考えてしまったことで、膨大な記憶が溢れ返る。
 横島の精神はオーバーフローを起こし・・・。
 そこで横島は倒れた。

 目まぐるしく変わる記憶の映像の中で、倒れる直前の瞬間、横島の頭に浮かんでいた一場面。
 それは・・・。

「でも、いっぺんに八個も文珠を使うなんて、
 ちょっと制御できる自信無いっスよ」
「大丈夫、私たちも手伝うから。
 ・・・三人で行くのよ」
「これがホントの『三人寄ればモンジュの知恵』ですね」
「おキヌちゃん、この場合、意味としては『三本の矢』だと思うんだけど」

 美神とおキヌとの、三人での会話だった。


___________


 そして、横島は、次の逆行が始まる前に立ち上がった。
 横島が倒れていたのは、決して短い時間ではない。既に、太陽も大きく西へ傾いている。
 精神のオーバーフローは完全には収まっておらず、まだ朦朧としている。それでも、脚を引きずるようにして、目指す場所へと歩いて行く。

 もはや、横島の頭の中で、美神から頬にキスされた印象など、完全に消え去っていた。
 それどころか、時空消滅内服液のことすら、記憶の片隅に押しやられていた。
 それでも歩みを止めないのは、嵐のように渦巻く記憶の中で、その地での記憶だけが、何度もリフレインされていたからだ。

(行かなきゃ・・・。
 あそこへ・・・。
 あそこで・・・)

 横島は進む。


___________


 横島は辿り着いた。
 東京タワー展望台の上に。
 そこに座って、夕焼けを眺める。

「昼と夜の一瞬のすきま・・・。
 短時間しか見れないから、よけい美しい・・・」

 未だ朦朧とした意識の中で、横島は呟いた。
 誰に聞かせるわけでも無い、何しろ、ここには横島一人しか居ないのだから。
 しかし、横島は、左に誰かが座っているように感じた。

 ・・・それは幻。

 もしかすると、それは、文珠による『幻』だったのかもしれない。
 横島は、中学生時代の微かな霊力から、無意識のうちに何とか一つだけ練り上げて、やはり無意識のうちに使ったのかもしれない。

 もしかすると、それは、魔力による幻術だったのかもしれない。
 霊力による逆行の際に、記憶とともに霊体も僅かに引きずられてきており、そこに含まれる特殊な霊気構造の力が、無意識のうちに発揮されたのかもしれない。

 あるいは、それは、白日夢が見せた、文字通りの幻なのかもしれない。

 あるいは、それは、奇跡と言われる類いの力で描かれた、理屈を超越した幻なのかもしれない。

 理由も正体も誰にもハッキリしない。
 しかし、そこに、女性の幻が存在していることは確かだった。
 それは幻であるが故に、具体的な姿を確定させることは無かった。
 大切な女性達の一人であるかのように見えれば、その直後、別の女性であるかのようにも見える。

「ねえ、横島さん! 美神さんのこと、どう思っ・・・!」
「きゃーっ!?」
「急にそんなんじゃ、びっくりするじゃないですか!」
「もう・・・。いやなわけないですよ。全然」
 
「ねえ、横島クン! ルシオラのこと、どう思っ・・・!」
「きゃーっ!?」
「急にそんなんじゃ、びっくりするでしょ!」
「ばっかね・・・。いやなわけないでしょ! ぜんぜん」
 
「ねえ、ヨコシマは彼女のこと、どう思っ・・・!」
「きゃーっ!?」
「急にそんなんじゃ、びっくりするでしょ!」
「ばっかね・・・。いやなわけないでしょ、ぜんぜん」

 ・・・そして、再び、横島は意識を失った。


___________


 この世との結びつき、つまり縁を強める。
 それが、時空消滅内服液の効果を打ち消す、唯一の方法だ。
 縁を強めるための手段は、

「二十四時間以内で強烈に印象に残っていることを、過去の世界で再現すること」

 だと言われているが、他の手段で縁を強めることは無理なのだろうか?
 また、なぜ『二十四時間以内』なのだろうか?
 例えば・・・。

 もしも、二十四時間以内に強烈な印象が何も無く、二十五時間前に強烈な印象があった場合。
 それを再現しても、縁は強くならないのだろうか?

 もしも、二十四時間以内に強烈な印象が何も無く、一年前に強烈な印象があった場合。
 それを再現しても、縁は強くならないのだろうか?

 もしも、二十四時間以内の強烈な印象よりも、それ以前の強烈な印象の方が勝った場合。
 それを再現しても、縁は強くならないのだろうか?

 そして、ここに、未来の記憶を持つという特殊な男がいた。しかも、その未来の記憶の中にこそ、強烈な印象が残っているという特殊なケース・・・。


___________


 次に意識を取り戻した時、横島は美神の事務所にいた。

「・・・再現しなさい!
 そうすれば・・・」

 美神が、時空消滅内服液への対応策を説明している。

「も・・・、元の事務所だ・・・!
 戻ってきたのか!?
 助かったあーっ!!」
「・・・?
 あっそうか、もう行って戻ってきたのね?」
「会いたかったー!!」

 いつものセクハラとは違う意味で美神に飛びかかる横島だったが、美神の反応は同じである。
 いつも通りにシバかれた横島は、頭から血を流したまま、

「ところで、なんで俺助かったんだろ?
 凄く苦しくなって、どこか高い所へ上ったことは覚えてるんだが。
 なんか大事なことを忘れているような・・・」

 と、自問する。
 『現在』の横島へと戻ってきたが故に、記憶封印という枷が復活したのである。

「忘れているくらいなら、大事じゃないのよ。
 ホントに大事なら、そのうち、ちゃんと思い出すでしょ」
『きっと魔法の毒より横島さんの『縁』の方が強かったんですよ』

 おキヌの言葉に、妙に納得する三人であった。


(第五話「きずな」に続く)

第三話 おキヌの決意へ戻る
第五話 きずなへ進む



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第五話 きずな

 彼らは知らない。自分たちには、深い深い絆があるのだ、ということを。
 彼らは知らない。自分たちが、今、何を試みているのか、ということを。

 そして、彼らは知らない。自分たちの試みの前提が間違っている、ということも。

 ・・・今は、まだ、知らない。




    第五話 きずな




『横島さんのカップがひとりでに・・・!?』

 事務所にあったティーカップの一つが突然割れた。
 それを見て過剰に反応するおキヌに対し、

「・・・そんなことで、いちいち騒がないでよ」

 と返す美神。

「そういや、また遅刻ね。減給ものだわ」
『私、ちょっと様子見てきます』

 美神とは対照的に、おキヌは心配そうだ。フワフワと外へ向かう。


___________


 一方、事務所のドアの前では、別のドラマが繰り広げられていた。

 実は、横島は既にここまで来ていた。扉の前に立ち、

「どーやったらギャラ上げてもらえるんだろう」

 なんて呟いている。

 美神のところのバイト代だけでなく、外国の辺境に住む両親からの仕送りも乏しい。そんな環境で、横島は一人暮らしをしているのだ。最近、さすがに苦しくなってきた。
 別に横島の両親はケチなのではない。

「自分でなんとかするから、どーしても日本に残る、
 って言ったのはあんたでしょ!
 生活キツいんなら、こっちに来なさい」

 というのが彼らの言分であり、今朝も電話で繰り返されたばかり。
 横島としては、仕送りの増額は期待できない。
 かといって、あの美神から給料アップをせしめるのも難しかろう。

 そうして立ちすくむ横島に、今、一人の女性が声をかけた。

「ちょっと、おたく!
 美神令子の関係者なワケ?
 ちがうんなら、そこどいて欲しいワケよ!」

 美神同様、ボディコンを着たスタイルの良い女性である。
 ただし、ストレートではない長い黒髪、褐色の肌、エキゾチックな顔立ちなど、美神とはまた違うフェロモンを発していた。

「関係者ですっ!!
 もーこれ以上はないくらいの関係者です!
 私、横島といいまして、美神さんの右腕でありますっ!!」

 と、勢いづく横島に対し、その女性は、

「横島? おたくが?
 そりゃ、ちょうど良かったわ!
 あたし・・・。
 おたくが欲しくて来たのよ」

 と言って、横島の顎に指をかけた。
 なんという展開!!
 震える横島は、ジャケットを脱ぎながら、

「ど・・・、どーぞ・・・!!」

 と、我が身を差し出したのだが・・・。
 そこに、

『よ・こ・し・ま・さん。
 何をしてるんです、何を・・・!?』

 と、声がかけられる。
 ドアからスーッと、おキヌが顔を出したのだった。


___________


 おキヌの登場の仕方を見れば、彼女が幽霊であることは、誰が見ても明らかだ。
 しかし、何やら言い合っている二人の様子は、一見、普通のカップルの痴話喧嘩のようにも見えた。

(幽霊がカノジョなワケ?)

 と、褐色の女性は不思議がる。
 おキヌとしては、別に横島の彼女然としているつもりはないのだが、初対面の女性には勘違いされることが多い。

『恋人が出来たら、将来、横島さんは凄く辛い目に遭う。
 だから、横島さんは恋人を作ってはダメ』

 と考えた上での行動が、ちょうど、ヤキモチのように見えてしまうのだろう。
 ただし、そうした誤解も最初だけであり、彼らと深く関わっていくうちに自然に消滅するらしい。
 だが、この時点では、まだ褐色の女性は勘違いしており、

「・・・ちがうから、安心して。
 あたしは横島クンの才能が欲しいワケ!
 つまり、引き抜きよ!」

 と、二人に声をかける。

「引き抜き・・・?」

 横島とおキヌは、言い合いを止めて、女性の方へ顔を向けた。


___________


『美神さあーん! 大変です!』

 大騒ぎしながら、美神のもとへ戻るおキヌ。
 気だるそうにしていた美神だったが、おキヌと横島に続いて入って来た女性を見て、表情が変わる。

「小笠原エミ・・・!?」
「ハーイ令子。
 優秀な助手を引き抜かせてもらいに来たワケ」 
「ブードゥーからエジプトまで呪いがご専門のあなたが、
 なんの冗談?」
「あらあ、本業はあくまでゴーストスイーパーよ」
「スイーパーですって? ハ!!
 あんたの呪いのせいでひどい目にあったのは
 一度や二度じゃないわよ!」
「そっちこそ、
 しょっちゅうあたしの仕事のジャマばかりして!!
 営業妨害もはなはだしいわ!」
「呪いをかけられた人間に依頼されて
 それを祓うのは当然でしょ!?」
「政府や国際機関の依頼で、
 法の目をかいくぐる悪党におどしをかけているだけよ!
 金さえもらえばどんなマフィアの言いなりにもなるおたくとは
 ワケがちがうわよ!」
「呪い屋の分際で何を偉そーに!!」
「そーゆーおたくは地上げ屋みたいなもんじゃなくて!?」

 バチバチと火花を交わしながら、美神とエミは舌戦を繰り広げる。
 二人の様子を、

『・・・なんかすごく根の深い関係みたいですね』
「商売上のカタキ同士だったのか・・・!」

 と、やや引き気味に見ていたおキヌと横島であったが、そちらにも火の粉が飛んできた。

「横島クン!!」
「は、はいっ!?」
「いったい、どーいうこと!?」

 美神に詰め寄られて、ビビりまくる横島。
 そこへ、エミからの助け舟が入った。

「あーら。
 おたくなんかよりずーっといい条件で引き抜こうっていうお話をしただけよ」

 そして、横島の方を向き、

「ウチにくれば年俸二千万!! 完全週休二日!!
 希望すれば社宅としてマンションも提供するわ」

 と、具体的な条件を提示する。

「で、そちらの条件は? 」

 エミの質問に対し、美神の解答は非情だった。

「時給250円!!」
「ホーッホホホ。
 それではセリにはならないわねっ!!」
「み、美神さん・・・っ!!」

 勝ち誇るエミと慌てる横島を見ても、美神の勢いは変わらない。

「250円ったら250円!!
 それが気にいらないっていうのなら、240円!!」
「ひええーっ!!」
「ほらほらどーするの!?
 どんどん下げるわよ! 230円!! 220円!!」
『ちょ・・・、ちょっとやめてください、美神さん!!
 横島さん本当にとられちゃいますよっ!?』
「210円!!」
『冗談でしょ!? 冗談ですよね!?』
「私は本気よ!! 205円!!」

 そして、ついに、

「10円!!」

 と美神が言い切ったところで、決着がついた。

「それじゃ、もらってくわよ」

 首に縄をかけられ、横島は、エミに連れて行かれてしまったのだ。
 事務所の窓越しに二人の後ろ姿を見ていたおキヌは、振り返って、

「美神さん、なんであんなこと言ったんですか!?
 今ならまだ・・・」

 と、美神に問いかけるが、無駄であった。

「よこしまあああ・・・!! あの裏切者っ!!
 よりによってエミのところになんか・・・!!」
『あたりまえじゃないですかっ!!』
「あそこで横島クンが泣いてあやまれば、
 エミのメンツもつぶれるってもんでしょーが!!」

 そんな理由を答えとして口にする美神であったが、

(それに、どうせ横島クンは・・・)

 と、心の中では少し違うことを考えていた。


___________


「ほーっほほほ!!
 令子のメンツはつぶしたし、人材は確保できたし、一石二鳥ってワケね!!」

 『小笠原ゴーストスイープオフィス』と看板を掲げた小ビルの中で、エミは、祝杯をあげていた。

「ま、横島クンも、あんなバカ女のとこなんか辞めてよかったわよ。
 これからよろしくね」

 横島は、惚けたように椅子に座り込んでいたが、エミの言葉を聞いて、ジワジワと事態を実感する。

「なんで・・・!?
 今までさんざつくしてきたのに・・・。
 美神さんのバカ・・・!!」

 そして、立ち上がって、

「ちくしょおおおっ!!
 幸せになってやる・・・!!
 絶対幸せになってやるからなっ!!」

 と叫ぶ横島の前に、エミは、一枚の書類を差し出した。

「じゃ、ここにハンコ押して!」

 雇用契約書である。

「俺っ!! がんばりま・・・」

 言われるがままに判を押そうとした横島だったが、その手が、途中で止まってしまう。
 ここにハンコを押したら、完全に美神と決別することになるのだ。
 そう頭で考えているわけではないが、体がそれを理解していて、横島を制止してしまうのである。
 横島の様子を見たエミは、

「あら・・・。
 あたしの仲間になってくれるんじゃなかったの?
 早くして、早く・・・」

 横島の後ろに回り、肩に手をかけつつ、背中に胸を押し付け、さらに耳に息を吹きかけるようにして誘惑する。

「あああっ!
 おっぱいが背中ああ。
 いや耳に息ああああ」

 これは、横島の最大の弱点を攻めたものなのだが、なぜか、この時の横島は陥落しなかった。

「うわあああ・・・!!」

 手にしたハンコを書類に向ける代わりに、自分の額にガンガンと何度も打ち付ける。そして、頭から血を流しつつ、エミの事務所から出て行ってしまった。
 走り去る横島を見ながら、エミは、

「・・・このままじゃ、すまさないワケ」

 と、苦々しく呟いた。


___________


 バタン!
 美神令子除霊事務所のドアが、勢い良く開いた。
 横島が飛び込んできたのだ。

「すいませんでした!!」

 開口一番、床に頭を擦り付けて、美神に謝罪する。しかし、

「えーっと・・・。
 横島さん・・・だったかしら?
 あなた、小笠原エミさんのところの助手ですよね。
 何しにいらしたのでしょう?」

 美神は他人行儀な態度をとり、冷たくあしらう。
 その横では、美神の態度に驚いたおキヌが、

『み・・・、み・・・。
 美神さん・・・』

 何か小声でつぶやいているが、美神の耳にも横島の耳にも入らない。

「いや、まだエミさんの助手にはなってません!
 俺、やっぱりココで働きたいっス!!
 よそへ行くことなんて出来ません!!」

 横島としては『正式にはエミの助手ではない』と主張したつもりなのだが、美神には、別のニュアンスで伝わってしまった。
『まだ・・・ない』
予想される状態・段階に至っていないこと。
この意味で用いられた場合、
『将来、そうした状態になるであろう』
という含みが生じる。
「『まだ』・・・?」
「あああ、そういう意味じゃなくて!」

 こめかみをピクつかせる美神と、慌てて両手で否定する横島。
 そんな二人の行動を止めたのは、おキヌの爆発だった。

『美神さんの、
 バカバカバカ、バカバカバカ、
 バカバカバカ、バカバカバカ、
 バカバカバカ、バカバカバカ、バカバカバカーーーっ!!』

 あまりの大声に、

「なによっ!!
 なんであたしが横島クンの裏切りを許してあげなきゃいけないのよっ!?」

 耳をおさえながら反論する美神だったが、おキヌには通じなかった。

『バカバカバカ、バカバカバカ、
 バカバカバカ、バカバカバカーーーっ!!
 横島さん戻してくんなきゃ、ずーっと言っちゃうからっ!!』
「・・・」
『バカバカバカ、バカバカバカ、
 バカバカバカ、バカバ・・・』
「あーもう、わかったわよ、
 うっとーしいっ!!」
『それじゃ・・・』

 おキヌの勝ちである。
 美神は、横島に向き直り、

「横島クン!!
 時給255円でよけりゃ、戻ってらっしゃい!」

 横島の苦境を察していたのであろうか、美神は、さりげなく5円値上げする。

「は・・・、はい・・・!」

 美神の事務所に戻れることを喜んだからであろうか。
 あるいは、値上げに気付いてそれを喜んだからであろうか。
 それとも、逆に、依然として低い賃金を悲しんだからであろうか。
 涙を流しながら、頷く横島であった。

 こうして、『横島が美神の事務所を辞めてエミのところに入所する』というイベントは回避された。
 これにて一件落着であるかのように思えたのだが・・・。


___________


 ある日の夕方。
 横島は、いつもより遅い時間に、美神のところへと向かっていた。
 別に遅刻したわけではない。あらかじめ、

「徹夜仕事になるから、少し仮眠してから来なさい」

 と言われていたのだ。
 事務所ではなく仕事場へ直行できるように、そちらの住所も聞いていたが、

「まだ間に合うし、美神さん達と一緒に行けば、電車賃もかからないから」

 ということで、事務所を目指して、少し足早に歩いていた。
 そんな横島の前に、今、一人の大男が立ち塞がった。

「横島忠夫くん・・・だね?」

 ベレー帽をかぶり、コンバットジャケットを着た男だ。平和な日本の都会には、やや似合わない格好である。

(危険だ・・・!)

 本能が告げるまま、

「違います、人違いです。
 横島なんて名前、見たことも聞いたこともありません!」

 その場を逃げ出そうとして、クルリと回れ右した横島であったが、その場で硬直する。
 そこには、もう二人、同じ格好の男達が立っていたのである。
 横島を囲むようにして、三方から歩み寄る男達。

「我々としても、手荒なことはしたくない。
 黙ってついてきてくれたまえ」
「どういうご用件でしょう・・・?」

 逃げ出すことも出来ず、横島は、したてに出るしかない。
 だが、

「来れば分かる」

 という言葉と同時に首筋に当てられたスタンガンが、横島の意識を失わせた。
 十分、手荒である。


___________


「金ならいくらでも出します!!
 どーか幽霊を退治していただきたい!!
「私の見たところ、毎晩あなたを襲うという幽霊は、
 霊ではなくて呪いの類ですわ、組長さん!」

 横島が襲撃されたことなど知らない美神は、おキヌを連れて、ヤクザの邸宅へ来ていた。
 地獄組の組長が、今回の依頼人である。

「呪い・・・!?
 すると極悪会の連中が!?」
「ああ、おたくとは抗争中でしたわね。
 でも、そうじゃありません」

 その『幽霊』は、『抗争の仕掛人であることを警察に自首しなければ殺す』と組長を脅しているのだ。
 美神は、呪いの背後には警察勢力が関与しているであろうと推理していた。

「エミに間違いないわ・・・!
 警察と組んで組織つぶしをもくろんでるわけね。
 タチの悪いマネを・・・!!」
『エミさん・・・ですか?
 そういえば、横島さん遅いですね』

 エミの名前を聞くと、おキヌとしては、先日の横島引き抜きの件が思い出される。その流れで横島のことを口にしただけだったのだが、

「確かに遅いわね、あのバカ。
 こういう徹夜仕事こそ、あいつが必要なのに。
 やっぱり減給ものね」

 やぶ蛇になったかもしれない。


___________


「ハッ、ハックショーン!」

 噂されたせいか横島はクシャミをし、その自分のクシャミで目を覚ました。

「あれ? ここは・・・?」

 大邸宅の庭だろうか、それとも、どこかの森の中だろうか。
 木々に囲まれながらも少し開けた場所に、横島は居た。
 ただし、立たされていたわけでも、座らされていたわけでも、寝転がされていたわけでもない。
 丸太ん棒に縛りつけられていたのだ。グルグル巻にされ、首から下は完全に縄に隠されている。ある意味ミノムシのような状態で、全く身動きが取れない。
 丸太は直立しており、地面には、日本語でも英語でもない言語や、横島を中心とした円や五芒星が描かれていた。

「なんだか知らんが、
 また、ろくでもない目にあっているような気がする・・・!!」

 そんな横島の前に、ズンと現れた一人の女性。
 エミである。その姿は、

「な、なんすか、そのやらし・・・、
 もとい妙なカッコは?」

 横島が自分の立場も忘れて思わず質問してしまうほどであった。
 後ろに垂らしたフードと大きく垂れた両腕部の裾が相まって、マントのようにも見える服。
 その黒衣は上半身をしっかり覆っているのだが、下半身には申し訳程度の布地しかついていない。日常の服装とは違った露出を見せていた。
 耳の部分に羽飾りのついたヘアバンドを頭に装着し、頬には、それぞれ三本の黒い線が引かれている。
 脚にも、外側のラインに沿って上から下まで、何か呪文が書き込まれているが、肌に直接書いているのか或いは極薄のストッキングをはいているのか、横島には分からなかった。

「呪術の衣装とメイクよ!
 これから呪いの儀式を始めるワケ!」

 エミが説明する。

「・・・でもね、例によって仕事をジャマしよーとする女がいるの。
 まずは、そいつを片づけなきゃならないワケ!」

 横島の頭に、一人の人物が思い浮かぶ。

「それって、ひょっとして美神さん・・・!?」
「そう!!
 おたくを引き抜こうとしたのも、このためだったワケ!
 すさまじい邪欲を持ち、
 おまけに美神令子とは常に行動を共にしていた・・・。
 これから行う呪いにはぴったりのイケニエね!」

 何でもないことであるかのように淡々と説明するエミ。
 しかし、横島としては、素直に受け入れられる話ではない。

「イ・・・、イケニエ!?」
「あ、大丈夫!
 そんなにおびえることなくてよ。
 別に死にゃしないから!
 寿命は二、三年縮むけど」
「あ、あんた、美神さんよりタチが悪いぞっ!!
 1.25倍(当社比)くらいっ!!」

 喚き立てる横島には取り合わず、その横で、エミは、不思議な踊りを始めた。


___________


「来た!!」

 美神は椅子から立ち上がった。
 おキヌも気持ちを引き締めて、美神の視線の先に目を向けた。
 床の一部が不気味に変色し、ズブッ、ズブッ、と少しずつ盛り上がってきている。
 そして、それは、最後には人の形を成した。

『よ、横島さんっ!!』

 おキヌが叫ぶ。
 その泥人形のような物体は、明らかに、横島を模したものだった。

「なんてこと!!
 あのバカ、結局、エミの側についたのね!」

 横島が拉致されたことなど知らない美神は、彼は買収されたのだと決めつけた。
 美神は、おキヌに説明する。

「横島クンの煩悩パワーを呪いのパワーに上乗せしてるのよ!
 しかも横島クンは私のそばにいることが多かったから、
 私の霊能力にも多少の免疫があるはずだわ!!」
『えっ!! それじゃ・・・!?』
「・・・強敵よ」

 美神がそう呟いた途端、その『呪い』は襲いかかってきた。

「だからってエミなんかに負けるわけには、いかなくてよ!!」

 神通棍をのばして、美神も立ち向かった。
 そして両者は激突する。

 ドン!

「く・・・!!
 な、なんてバカ力・・・!!」

 両手で神通棍を支える美神であったが、それでも、押されてしまう。弾き返すことは出来ない。

 ズガガッ!

 両者の間で圧縮されたエネルギーが爆発したが、吹き飛ばされたのは美神のみ。

「このっ・・・!!」

 瞬時に体勢を立て直し、おふだを介して霊波を放射したが、『呪い』には全く効かなかった。
 絶体絶命だ。
 きっと、今頃、エミは高笑いしていることだろう。
 ひょっとすると、その横で、横島まで一緒になって・・・。
 そんなことを思い浮かべてしまった美神。その頭の中で、何かがキレた。

「横島ああっ!!
 あんた、いーかげんにしなさいよっ!!」

 ビクッ!

 美神の一喝を受けて、『呪い』の動きが止まった。
 横島は、煩悩のズイまで美神に支配されているからだ。

 美神令子と横島忠夫。
 二人が出会ってから、まだ一年足らず。
 それだけの間に、横島には美神への服従が刷り込まれている。
 いや、本当に『一年足らず』であるならば、それは『呪い』の動きを一瞬制止させる程度の効果しかなかっただろう。
 しかし、彼らの付き合いは・・・。
 彼らの意識としては『一年足らず』なのだが・・・。
 もっと深い部分で、もっと長い時間を共有してきたのだった・・・。

 美神に一喝された『呪い』は、動きを止めるだけでなく、反転し、逃走し始めた。逃げ込む先は、出現地点。

『ひっこんでいく・・・!?』

 おキヌが口にした通り、『呪い』は、その地点に亜空間の穴をあけて、帰還しようとしていた。
 ここで美神が冷静であったなら、この穴に飛び込んでエミの儀式の場へ殴り込むという選択をしたかもしれない。
 しかし、いまだブチ切れていた美神は、その場にとどまり、

「こんにゃろ! こんにゃろ!」

 と、『呪い』の逃げ残りの部分を神通棍で叩き続けたのであった。


___________


「ぐべっ!?」

 逆流した『呪い』を口から吐き出す横島。

「呪いが逆流した!?」

 驚くエミだったが、

「いったん呪いを回収して、再攻撃よ!」

 すぐに次の策を考える。
 だが、しかし、その計算は甘かった。
 美神に恐れをなして逃げ帰った『呪い』は、もはや、エミにはコントロール出来なくなっていたのだ。
 両手を広げて、エミに襲いかかってくる。こうなったら、エミとしても、迎え撃つ以外に手はない。

「ヘンリー!! ジョー!! ボビー!!
 霊体撃滅派を使うわっ!! ガードして!!」

 その言葉に応じて、近くに停車したバンから、コンバットジャケット姿の三人組が飛び出してきた。横島を拉致してきた三人組だ。
 エミには『霊体撃滅派』という強力な必殺技があるのだが、これは放射前に三分間の呪的な踊りを必要とする。その間、無防備となる彼女を守るのが、三人組の本来の仕事であった。
 今も、盾として『呪い』の前に立ちはだかったのだが・・・。

「うわーっ!」
「ぎゃーっ!」
「ひぃーっ!」

 一瞬で三人は弾き飛ばされ、空の彼方へと消えていった。

「・・・」

 踊りをやめて、逃走に切り替えるエミ。
 襲いかかる『呪い』にバンも破壊されてしまい、自分の脚で走って逃げていく。
 『呪い』に追われながらも、エミは、

「令子に負けたワケじゃなくてよ!!
 自分の呪いに負けただけよっ!!」

 と、一応の捨て台詞を残したのだが、誰も聞いていなかった。
 ただ一人その場に残された横島も、『呪い』が逆流した際の衝撃で気絶していたのだ。

 そして、そのまま一時間くらい経過した。

 ピューッ。

「ハッ、ハックショーン!」

 夜風が身にしみて、その寒さで目を覚ました横島は、依然として縛られたままであることに気付いた。
 しかも、周りには誰もいない。

「・・・で、俺は、このまま放置?」


___________

 翌朝。
 横島は、ようやく解放された。
 呪いの儀式の場を探り当てた美神が、助けにきてくれたのだ。
 一晩放置されたせいで風邪を引いてしまったのは不幸だったかもしれないが、美神が来るまでそのままだったことは、かえって幸いだったかもしれない。
 その姿を見せたおかげで、『裏切ったわけじゃなく、強制されていたのだ』と納得してもらえたのだから。

 その日は特に仕事も入っておらず、風邪気味の横島にも休みを与えた。
 美神とおキヌしかいない事務所は、静かである。
 美神にしては朝が早かったこともあり、夜、早めに入浴する美神。
 一人、バスタブに浸かりながら、ふと、今回の一連の騒動を振り返ってみる。

(私だって、本気でクビにする気なんか、なかったわよ)

 まず頭に浮かぶのは、横島がエミに連れられて出て行った時のこと。
 おキヌにはメンツと説明したが、実は、

(どうせ横島クンは戻ってくる)

 と信じていたからなのだ。
 さらに、当時のことを考えて、

(おキヌちゃんだって、窓越しに見送るだけで、
 横島クンを追いかけて行ったりはしなかった。
 わかってたんでしょうね)

 と、おキヌの心中も想像した。
 そして、それ以上、この件に関して考えるのをやめて、美神は風呂から上がった。
 美神の表情は、とても幸せそうに見えた。入浴後の心地よさ、というだけでは説明出来ないくらいに・・・。


 横島が、エミと契約できなかったように。
 美神も、横島が本気で裏切るなんて思ってはいない。
 おキヌが『バカバカバカ』と美神に食ってかかったのも、二人を信じていればこそ。

 断つことの出来ない人と人との結びつき、それは絆と呼ばれる。
 この三人には、深い絆があるのだ。長い長い付き合いに基づいた絆が。
 三人が思っている以上の深さ、三人が気付いている以上の長さで・・・。


(第六話「ホタルの力」に続く)

第四話 開かれた封印へ戻る
第六話 ホタルの力へ進む



____
第六話 ホタルの力

「除霊が盛んになり、たくさんの悪霊が祓われてきたが、
 一方で、より強力な悪霊たちが生まれつつあるということさ。
 我々も修行して、さらに力をつける必要があるだろう」

 と説いているのは、額の広くなってしまった中年男性。
 唐巣神父と呼ばれる彼は、美神令子の師匠にあたる人物である。
 今、彼の話の聞き手となっているのも、その美神なのであった。
 ここは、唐巣の教会。
 唐巣と美神の他に、美神が連れてきた横島とおキヌ、そして、唐巣の弟子であるピートも同席していた。
 高校生くらいの外見を持つピートは、実はバンパイア・ハーフであり、700歳を越えている。唐巣を介して、ピートが美神やその仲間たちと知り合ったのは、一ヶ月少し前のことだ。彼らの力を借りて、ピートは、父親である強力なバンパイアを倒したのだった。その後、唐巣の教会に住み込んで、修業を続けているらしい。
 ピートと横島は、今日の会話の冒頭で、下手に口を挟んで師弟の会話を邪魔してしまい、美神に怒られている。そのため、今は静かにしていた。

「・・・そのことですけど先生、
 私、妙神山へ行こうと思うんです」

 唐巣の言葉を受けて、美神は宣言した。
 しかし、これは唐巣を驚かせる。

「妙神山!?」
「コツコツやるのは私の好みじゃないわ。
 どーせなら一発で、
 どーんとパワーアップしたいんです」
「君にはまだ早すぎる!!
 ヘタをすると命に関わるぞ・・・!!」

 唐巣は椅子から立ち上がり、美神を説得しようとするが、彼女は意に介さない。

「でも、先生も昔あそこへ行って強くなったんでしょう?
 何事も、やってみなくちゃ、わからないわ!」




    第六話 ホタルの力




「あー、死ぬかと思った」

 目的地に辿り着いた横島の第一声である。
 何しろ、険しい山肌の表面に申し訳程度に付けられた歩道は、ヒト一人通るのがやっとの幅しかなかった。いつ足を踏み外してもおかしくない、そんな山道が延々続く中を、いつも通りの荷物を持たされてきたのである。

(ここまで来るのも、修行の一環なんじゃないのか?
 美神さん、手ぶらでラクしてちゃ修行になんないぞ)

 と考えてしまう程だった。

「何言ってるの。
 ここからが本番よ」

 美神が言う通り、今、三人の前には、

『妙神山
 修業場』

 と書かれた大きな門が建っていた。
 その門戸には、左右それぞれ一つずつ、鬼の顔が埋め込まれている。その鬼の体に相当するのであろうか、門の両サイドには、首無しの石像が飾られていた。
 また、門の下部には、

『この門をくぐる者
 汝一切の望みを捨てよ
 管理人』

 という文字が刻まれている。
 それを見た横島は、不吉な予感におそわれるのだが、一方、美神は、

「ハッタリよ、ハッタリ!」

 と、言葉の書かれた場所を叩く。
 この美神の行動に、腹を立てる者がいた。

『何をするか、無礼者ーッ!!』

 門についていた鬼の顔が、突然、怒鳴り出したのである。

『我らはこの門を守る鬼、
 許可なき者、我らをくぐることまかりならん!』
『この右の鬼門!』
『そしてこの左の鬼門あるかぎり、
 お主のような未熟者には
 決してこの門開きはせん!』

 しかし、その時、

「あら、お客様?」

 中から門戸を押し開けて、一人の少女が出てきた。
 服装は和風であるが、典型的な着物姿とは違う。動きやすそうな格好であり、むしろ祭装束に近いイメージだ。ノースリーブではないが、肩が見えるのではないかというくらい、袖口は短い。
 紅白に組まれた紐が肩から腰にかけて巻いてあり、この組紐で、やや幅広な剣を鞘と共にぶら下げている。
 ショートカットの赤毛の隙間からは、リストバンドとお揃いの鱗模様のヘアバンドが姿を覗かせており、このヘアバンドにつながったアクセサリーであろうか、左右一対の節ばった突起が後方へ向かって伸びていた。
 少女は、

『しょ・・・、小竜姫さまああっ!!』
『不用意に扉を開かれては困ります!
 我らにも役目というものが・・・!!』

 鬼門たちの泣き言も、

「カタいことばかり申すな!
 ちょうど私も退屈していたところです」

 と切って捨てて、美神に向き直る。

「あなた、名はなんといいますか?
 紹介状はお持ちでしょうね」
「・・・私は美神令子。
 唐巣先生の紹介だけど・・・」
「唐巣・・・?
 ああ、あの方。
 かなりスジのよい方でしたね。
 人間にしては上出来の部類です」

 そう言って朗らかな笑顔を見せた少女に対して、横島も自己紹介を試みる。

「俺は横島・・・」

 さわやかな表情を作り上げて、少女の手を握ったのだが、

『よ・こ・し・ま・さん・・・!!』

 右後ろからおキヌちゃんに耳を引っ張られ、

『小竜姫様に気安くさわるな無礼者っ!!』

 左後ろから鬼門に扉全体で叩かれてしまった。
 横島のせいで、いっそう印象が悪くなったのかもしれない。鬼門たちは、

『やはり規則通りこの者たちを試すべきだと思います!
 このようなうつけ者ども、ただで通しては鬼門の名折れ!』

 と、少女に訴えた。

「・・・しかたありませんね、早くしてくださいな」

 少女の許可を受けて、鬼門たちは美神たちに告げる。

『その方たち、我らと手あわせ願おうかッ!!
 勝たぬ限り中へは入れぬ!!』

 その言葉と共に、首無しの石像が動き出したのだが・・・。
 美神は、アッサリとこれを倒してしまった。門に括られて動けぬ顔の部分をおふだで目隠しするという方法で。
 まだ上着すら脱いでいない美神としては、『戦った』という意識もないくらいである。

「こんなバカ鬼やあんたじゃ話にならないわ!
 管理人とやらに会わせてよ!」

 強い口調で美神が要求したが、少女は軽く笑うだけだった。
 そして、突然、少女から強力な霊気が放射され、美神たちは吹き飛ばされた。

「あなたは霊能者のくせに目や頭に頼りすぎですよ、美神さん。
 私がここの管理人、小竜姫です。
 外見で判断してもらっては困ります。
 私はこれでも、竜神のはしくれなんですよ」

 吹き飛ばされた衝撃から回復した横島と美神は、二人で話をする。

「・・・竜神というと、あのコ神さまなんスか・・・!?」
「そのようね。
 人間とはケタ違いの力を持ってるわ」

 そう、人間の少女のような外見はしているものの、彼女は、神様だったのだ。
 頭の突起もアクセサリーではなく、竜の角なのだろう。

「さっき吹っとばされたのも、攻撃されたわけじゃない・・・。
 おさえてた霊気の圧力を解放しただけよ。
 あんなのがもし、本気になったら・・・」

 ここで、おキヌが美神のところへやってきて、小声で耳打ちする。

『み・・・、美神さん・・・。
 今の霊気を受けた時、小竜姫さんの未来がチョット・・・』
「何? 久々の神託?」
『はい・・・。
 小竜姫さんが横島さんにキスしてる姿が、見えちゃいました』

 小竜姫の霊波が何かの引き金になったのであろうか。
 おキヌの頭の中に、小竜姫が横島の額のバンダナにキスしている映像が浮かんだのだ。
 だが『キス』という一言で伝えられたそれは、美神の頭の中で、恋人同士の、唇同士のキスの映像に変わってしまっていた。

「えっー!!」

 あまりに衝撃的だったので、思わず美神は大声で叫んでしまう。
 美神のそばにいた横島は、

「いったい何の騒ぎっスか?」

 と、不審がって質問する。
 引きつった表情のまま、首だけをギギギッと横島の方へ向ける美神。

「あの神さまがね・・・」

 と言いかけたのを見て、

『あ、美神さん、ダメ・・・』

 慌てて口止めしようとするおキヌだったが、間に合わなかった。
 おキヌの秘めたる決意(第三話「おキヌの決意」参照)を知らない美神には、内緒にしておこうという意図は分からなかったのである。

「あんたとキスするんだって」
「え・・・、え・・・?
 うおーっ!!」

 横島は喜びの声を上げた。
 横島の頭の中に、さきほど美神が頭に浮かべたよりもさらに濃厚なキスの映像が浮かぶ。
 スイッチが入ってしまった横島は、唇を突き出しながら、小竜姫に飛びかかっていった。

「小竜姫さまああっ!!」

 しかし、当然のようにヒラリとかわされて、頭から地面に突っ込むことになる。

「私に無礼を働くと・・・」

 と言いながら、小竜姫は、横島が起き上がるのを待ち、

「仏罰が下りますので注意してくださいねっ!!」

 腰から剣を抜いて振り回す。

「うわちっ」

 かろうじて避けた横島だったが、

「神さま怒らすなー!
 こっちまで巻き添え食らうでしょ!」

 美神にはシバかれてしまう。
 おキヌも、それを止めるどころか、

『私の予言なんて、ほら、
 変わり得る未来ですから・・・。
 サッサと忘れちゃってください』

 手近に転がっていた石で横島の頭をガンガン叩いている。
 そんな三人の様子を見ながら、

(へえ・・・。
 手加減したとはいえ、
 私の刀をよけた・・・!?)

 小竜姫は少し驚いていた。
 斬るつもりはなかったが、それでも、峰打ちするつもりはあったのだから。


___________


「生きてる方は、俗界の衣服をここで着替えてください」
「・・・なんなの、このセンスは」

 美神の呟きも無理はない。小竜姫に案内された先は、銭湯の入り口にしか見えなかったのである。
 『女』と書かれた暖簾をくぐろうとした美神は、後ろの会話が聞こえて、ふと足を止めた。

「あなたはこっち!」
「え。俺も・・・!?」

 小竜姫が、突っ立ったままだった横島を、『男』の脱衣場へ連れて行こうとしていたのだ。

『ここの修業って、とっても厳しいんでしょう?
 横島さんは・・・』
「え? シロート・・・!?
 ただの荷物持ち?」

 おキヌがちゃんと説明してくれたようだったが、ここで、横島が意外なことを言い出した。

「いいんですか?
 じゃあ俺も修業受けます」

 驚いて振り返る美神の目にうつったのは、いつもとは違う雰囲気の横島だった。

(何、この落ち着いた感じ・・・。
 こんな表情も出来るんだ、このコ)

 美神は、自分の気持ちまで否定するかのように、ブンブンと頭を振り、

「ダメよ、横島クン。
 あんたには無理、ゴーストスイーパー資格すら持ってないんだから。
 せめて資格とってからね、ここで修業するのは」

 と命じる。

「・・・そうっスよね。
 なんで突然、修業したいなんて思っちゃったんだろ?
 逃げ出す方が俺の性分にあってるのに。ははは・・・」
 
 素直に美神の言葉を聞き入れた横島の表情は、いつも通りに戻っていた。
 自分でも不思議なくらい、突然、心の奥底からわき上がった衝動。それは、

(強くならなきゃ・・・)

 という思いだったのだが、こうしてアッサリ却下されて、再び奥底へと沈んでいくのだった。


___________


「わ・・・、悪い夢のよーですね」
「なるほど。
 異界空間で稽古つけてくれるのね」

 拳法着のような姿の横島と美神がつぶやく。
 これに着替える際、小竜姫から

「当修業場にはいろんなコースがありますけど、
 どういう修業をしたいんです?」

 と聞かれた美神は、

「なるべく短時間でドーンとパワーアップできるやつ!
 この際だから、唐巣先生より強くなりたいわね」

 という答えを返している。
 ここが、そのための場所なのだろう。
 脱衣場の先にあったのは、風呂場ではなくて、不思議な空間だった。
 空には何もなく、広々とした平原には、所々に、岩山とは言えない程度の大きさの岩が生えている。
 そして、表面を石で舗装された円形の闘技舞台が、ただ一つ、用意されていた。

「人間界では、肉体を通してしか精神や霊力を鍛えることはできませんが、
 ここでは直接、霊力を鍛えることができるのです。
 その法円を踏みなさい」

 小竜姫に促されて、美神は、闘技舞台の端にある法円へと足を進めた。

「踏むと、どうなるわけ?」

 ビュウゥム!!

 突然、美神の肉体から何かが飛び出す。

 シュウウゥー!!

 それは、長い髪をした女性のような姿へと確定していく。ただし、その大きさは、人の背丈の二倍か三倍くらいある。

「な・・・、なにこれは・・・!?」
「あなたの影法師(シャドウ)です。
 霊格、霊力、その他あなたの力をとりだして形にしたものです」

 確かに、美神から抽出されたエッセンスなのだろう。
 胸は大きく露出している。ブラジャーよりも小さなパーツでしか守られていない。
 他に、上半身には、両肩部のアーマー、ガントレット、ヘッドギアくらいしか防具がない。
 下半身も、レオタード様のもので覆われているだけだ。
 細い槍を手にしているが、これも、神通棍をメイン武器として使う美神のスタイルから作られたものかもしれない。

「シャドウは、その名の通りあなたの分身です。
 彼女が強くなることがすなわち、
 あなたの霊能力のパワーアップなわけね」

 と、美神のシャドウを見上げながら話していた小竜姫は、美神の方を向き、説明を続けた。

「これからあなたには、三つの敵と戦ってもらいます。
 ひとつ勝つごとにひとつパワーを授けます。
 つまり全部勝てば、三つのパワーが手に入るのです。
 ・・・ただし、一度でも負けたら、命はないものと覚悟してください」

 これを聞いて、横島やおキヌは怯えた表情となるが、美神は不適に笑う。

「つまりこれは真剣勝負なのね・・・? 上等!!」

 そして、

「剛練武(ゴーレム)!」

 小竜姫の言葉に応じて、第一の敵が出現する。
 それは、二つの口をもつ一つ目の巨人。よく引き締まった筋肉をしているように見えるが、それは筋肉ではなく、岩の塊だった。

「始め!!」

 小竜姫の言葉を合図に、ゴーレムが美神のシャドウへと向かって行く。

「行けーっ!!」

 美神も、シャドウをゴーレムに向かわせる。
 突進した勢いも込めて、槍で突くのだが、

「硬い・・・!!」

 岩の表面を削ることすらできない。

「ゴーレムの甲羅はそう簡単には貫けませんよ。
 力も強いので注意してくださいな」

 クスクス笑う小竜姫。
 その間にも、美神のシャドウは、左腕をゴーレムに掴まれていた。

「まともに組むと危ない!! 離れて!!」

 美神の意思に応じて、右手の槍で、ゴーレムの右手を振り払うシャドウ。
 しかし、シャドウが距離をとる前に、ゴーレムが左手で殴りつけた。

「み、美神さん!!」

 心配した横島たちが叫んでしまうのも無理はない。
 シャドウが受けた衝撃が伝わり、一瞬、美神の意識がとんだのだ。
 グラッと倒れそうになった美神だったが、その背を支えてくれる存在に気がついた。

(あ・・・、ありがとう。・・・ん?)

 急いで美神の後ろに回った横島が、抱きつくようにして支えているのだが、横島の両手は、美神の胸に回されていた。

「やわらかい・・・。
 ええ感触やー。」

 本来ならば、ここで美神の胸を実際に揉んでしまう横島ではないのだが、おキヌから聞いたキスの話で、少しテンションがハイになっていたのかもしれない。

「こんな時に下品な冗談するんじゃないっ!!」
「条件反射やったんですっ!!」

 横島を蹴りとばしながらも、『やわらかい』という言葉が耳に残った美神。

「そうね・・・。
 やわらかい部分を突けばいいのよ!!」

 槍を構え直したシャドウは、一直線に目標へと向かっていく。
 狙うは、ゴーレムの目!

 シュッ!

「やった・・・!!」

 槍が突き刺さったゴーレムは、煙のように消えていく。
 同時に、美神のシャドウの姿が変化する。

『ヨロイがつきましたね』
「防御力がアップしたってことかしら?」

 腕、脚、腰などを覆うようなパーツが加わり、アーマーパーツの素材自体も重厚なものとなったのだ。

「その通りです。
 霊の攻撃に対して、
 あなたは今までとは比較にならない耐久力を手に入れたことになります」

 小竜姫が、おキヌと美神の言葉を肯定した。
 そして、次の試合が始まる。

「禍刀羅守(カトラス)! 出ませい!!」

 小竜姫に呼び出されたのは、四つ脚の黒い化物。
 脚は膝関節までしかなく、その先は、巨大な刃となっている。背中にも四つの刃がついていた。

「悪趣味ねー」
「な・・・、なんか痛そうなデザイン」

 美神と横島が話している間も、

『グケケケーッ』

 カトラスは、脚の巨刃で近くの岩を真っ二つに斬ったりしている。デモンストレーションのつもりなのだろうか。

「本ッ当に悪趣味ねー」

 と、美神が苦笑している隙に、カトラスがシャドウを攻撃した!
 その身をかばうように左腕を前に出したが、ヘッドギアの一部が斬り落とされ、左手や右脚のアーマーにも傷をつけられてしまった。

「あーっ、きったねーっ!!
 いきなり・・・!!」

 横島だけでなく、

「こらっカトラス!!
 私はまだ開始の合図してませんよっ!!」

 小竜姫も怒るのだが、それをカトラスは笑い飛ばした。

「私の言うことが聞けないってゆーの!?
 なら、試合はやめです。私が・・・」
「待って!!」

 試合中止を考えた小竜姫を、美神が制止する。

「あんたがやっつけたら、
 私のパワーアップにはならないんでしょ?」
「・・・それはそうですけど、これでは公平な戦いには・・・」
「いーえ、やるわっ!! 行くわよっ!!
 この・・・、くされ妖怪ーっ!!」

 シャドウを突進させる美神だったが、素早く身を屈めたカトラスは、シャドウの下をくぐって後ろへ回り込み、背中に一撃を加えた。

「くっ・・・!!」
「み・・・、美神さんっ!!」

 そんな様子を見た小竜姫は、

「やはり最初のダメージが大きすぎましたね。
 しかたありません。
 特例として助太刀を認めましょう」

 と言いながら、横島へと歩み寄り、

「あなたのシャドウを抜き出します」
「ちょ・・・、ちょっと待・・・」

 横島の戸惑いも無視して、彼の頭に手をかざした。

 バシュ!

 横島のシャドウが、その場に現れる。美神の場合とは違って、それは、人間の身長の半分くらいの大きさしかなかった。
 その姿は、全体的に黒を基調としており、一見、洋装の礼服のような感じだ。だが、所々に混じる赤い模様がその雰囲気を少し壊している。それに、上着の下から覗くのはワイシャツ様のものではなく、和装の着物のようだった。それも、外側に羽織る着物の形状をしている。
 また、コートの背中も特徴的だった。燕尾服のように長く伸びて、その先は二つに分かれていた。
 首から上も、やや奇妙だ。幅広のバイザーが、両目だけでなく、顔の半分くらいを隠していた。一方、唇はルージュを塗っているかのように着色されており、少し目立っていた。さらに、頭には、細いアンテナ状のものが一対ついている。

『なんだかゴチャゴチャしていますね』
「こんな統一感のないシャドウは初めて見ました」

 おキヌと小竜姫の感想である。
 しかも、このシャドウ、出現してすぐに、勝手に横島の左後ろへと回り込み、その腕に抱きついた。

「横島さんって、ナルシストだったんですね・・・」

 小竜姫の言葉を、横島は、ブンブンと首を振って否定する。
 だが、そのシャドウは横島に寄り添って、腕を組んで立ったままだ。全くコントロールできていない。

『・・・とか言ってる間に、美神さんが危ない!!』

 三人の中で、いち早く美神の戦いへと意識を戻したのは、おキヌだった。
 美神のシャドウは、カトラスに押し倒され、その刃を何とか右手で押し返そうとしている状態だった。
 左から来た刃は、かろうじて首を振ってかわしたが、その際、手にしていた槍が転がり落ちてしまう。

「槍が・・・!!」

 ドギャ!

 慌ててのばした左腕を、カトラスの刃が直撃した。

「やば・・・。
 このままじゃ、せっかくのヨロイもダメになっちゃう・・・」
『意地はってないで小竜姫さんに・・・』
「絶ーっ対いやっ!!
 まだ負けたわけじゃないわ!!」

 膝を落とした美神の姿を見て忠告するおキヌだが、それも受け入れられない。

 ガキッ!

「ぐっ!」

 美神のシャドウは、さらにカトラスの攻撃を受けてしまう。

「意地っぱりですね。
 このままだと死んじゃいますよ」

 という小竜姫の言葉を聞いて、

『あたし行きます!!』

 ついに飛び込んでしまうおキヌだったが、カトラスに弾きとばされる。

「おキヌちゃんっ!?」
『だ、大丈夫! 私、幽霊ですもん。
 もう死んでますから』
「バカ! 相手も霊体なのよ!
 ヘタするとバラバラにされて成仏できないまま、
 永久に苦しむことになるのよ!!」

 おキヌの身を案じる美神だったが、おキヌは戻らない。

『せめて槍を・・・!』

 槍をシャドウのもとへ運ぼうとするが、おキヌ一人では重すぎた。

『横島さんっ!!』

 助けを乞うおキヌ。

「生身の人間は中に入れないし、
 あなたがシャドウをコントロールするしかありません」
『お願いーっ!! 手伝って!!』

 小竜姫とおキヌから言われた横島は、自分のシャドウに怒鳴った。

「こらっ!!
 ちょっとは俺の立場も考えろっ!!
 いいとこ見せんかいっ!」

 横島に一喝されたシャドウは、ションボリと肩を落として、横島のそばを離れた。
 そして、渋々といった歩き方で、闘技場の中へ入っていく。

『グゲゲ?』

 美神のシャドウを組み伏していたカトラスは、もう一体のシャドウが向かってくることに気がついた。
 動きの鈍いシャドウだ。片手間に相手するだけで、こんなもの一瞬で一刀両断出来るだろう。
 そう思って、刃の一つを振るったのだが、何の手応えもない。

『・・・ケ?』

 逃げられたわけではない。そのシャドウの姿は、まだ目の前に見えている・・・。
 しかし、突然、その姿はボンヤリとしたものに変わり、そのまま薄くなって消えてしまった。
 戸惑うカトラスだったが、まだ美神のシャドウとも戦闘中だ。わけのわからないものに構っている暇はない。
 その美神のシャドウは、先程まであれだけ抵抗していたのに、全く押し返さなくなっていた。気力が尽きたのだろう。
 とどめだ、斬り刻んでやる。
 カトラスは、左右両方から挟み込むようにして、複数の刃を振るったが・・・。
 こちらも、全く手応えがなくなってしまった。

「幻影・・・!!」

 戦いを見ていた小竜姫が口にしたように、美神のシャドウは、いつのまにか、幻とすり替わっていたのだ。

『ウッ!?』

 この間に、実物は槍を拾い、すでにカトラスに迫ってきていた。

「この・・・!!」

 今までのお返しとばかりに、カトラスの腹を貫く。
 一撃で勝負は決まった。


___________


「横島クンに、こんな霊力があったなんて・・・」
『シャドウって、いろんなことが出来るんですね』
「いいえ、たとえ本人が特殊な霊能力を持っていたとしても、
 普通、シャドウはそんなに器用じゃないはずなんですけど」

 美神、おキヌ、小竜姫がそんな会話を交わす中、横島は、

「凄いんだな、おまえ・・・」

 と、自分のシャドウに声をかけていた。
 シャドウも、なんだか誇らしげである。
 だが、そんなのんびりした空気も、小竜姫の一言によって壊された。

「ま、何はともあれ、いいチームですね。
 仕上げは私みずから本気で相手をしてあげましょう」
「え・・・!?」

 美神は考え込んでしまう。

(まいったなー。
 小竜姫の霊格はケタが違うわ。
 さすがの私もこんなのと正面から組んで勝てるわけない。
 ・・・ん? 『正面から』?)

 一つの策を思いついた美神は、

「ねえ・・・、小竜姫さん。
 しばらく私たちだけにしてくれない・・・」
「え」
「次の戦いに負ければ、私はたぶん、霊も残さず消滅するわ。
 だから今のうちに、みんなと話しておきたいの」

 と、時間をもらった。
 三人だけになり次第、

「横島クン!!
 あんた、このシャドウをどれくらいコントロール出来る?」

 しおらしい表情をかなぐり捨てて、美神は横島に詰め寄った。

「え・・・?」
「さっきみたいな幻影、いつでも出せるの?」

 聞かれた横島は、傍らのシャドウに目を向けた。
 全く表情のないシャドウだが、横島には、それが肯定の表情を浮かべているように思えた。

「はい、たぶん大丈・・・」

 と言いかけたところで、美神の蹴りが入る。

「『たぶん』じゃない!
 できるかできないか、ハッキリなさい!!
 こっちは命かかってるんだから!」

 美神に踏みつけられながら、

「できます・・・」

 と答えてしまう横島。
 それを聞いて、

「よーし、それじゃ・・・」

横島に、作戦を伝え始めた。


___________


 少し経って、小竜姫が戻ってきた。

「話はすみましたか?
 では・・・!」

 小竜姫の角が光り、それを介して、小竜姫は自らをシャドウと化した。

『用意はいい?』
「オーケー!!」

 対する美神のシャドウの武器は、カトラスを倒したことで、両刃の長刀へと変化していた。

『これは特別サービスです』

 小竜姫が手をかざすと、美神のシャドウのヘッドギアが修復された。
 それを見てから、

『行きます!!』

 小竜姫は、美神のシャドウへと突撃する。

 ビュン!!

 ギンッ!!

 振り抜かれる剣を、美神のシャドウは、長刀を合わせることでこらえる。
 二度、三度打ち合った後、次の攻撃は、手をついて体を回転させて避けた。

『防戦一方では勝てませんよ!
 打ってきなさい!』

 と言いながら小竜姫が突進してくるが、これも、横にジャンプしてかわした。
 美神のシャドウが、小竜姫の斜め後ろに回り込んだ形になったが、それでも、美神の側から攻撃することはない。
 小竜姫は、体を反転させて、再び、美神のシャドウと対峙し、

『・・・どうやら防御に徹する気ですね。
 でも、そういつまでもは続きませんよ。
 私には、こういう技もありますから』

 人間には決して見えないくらいのスピードで、美神のシャドウへ向かう。超加速と呼ばれる神術だ。
 そして、その剣を振り下ろしたのだが・・・。

 スカッ。

 手応えがない。
 小竜姫が斬ったシャドウは、横島のシャドウによって作られた幻影だったのである。

「・・・!!」
「もらった!!」

 美神のシャドウの実物は、小竜姫も気付かぬうちに背後から迫ってきていた。
 その長刀が、小竜姫の背中に直撃する!!

「・・・やった!!」

 しかし、それは、表面を浅く薙いだ程度に過ぎなかった。
 シュウウーッと、元の姿に戻る小竜姫。服の背中の部分はバッサリ切られているが、その肌には傷一つない。

「おおっ! これぞチラリズム!」
『・・・あれ?』

 服の裂け目から見える乙女の柔肌に、すっかり興奮する横島であったが、おキヌは、人肌らしからぬ何かが見えていることに気がつき、不思議に思っていた。
 一方、戦っていた当事者たちは、

「あーっずるいっ!!
 途中で元に戻るなんてっ!!」
「ずるしたのは、あなたでしょう!!
 横島さんのシャドウ使ったじゃないですか!!」
「特例として助っ人を認めるって言ったわ!!」
「あれは、さっきの試合だけです!!」
「そんなこといつ言った!?
 何時何分何曜日!?」

 と、口論していた。
 最後の美神の台詞など、まるで子供の口喧嘩のようだが、心の中では、全く別のことを考えていた。

(・・・かかったわね、小竜姫)

 そう、この口喧嘩も、美神の計算のうちだった。

(あんたは、まだ闘技場の中にいる。
 あんたがどんな姿をしていようが、
 試合は続いてるのよ、今も)

 小竜姫が美神本人との口論に気を取られている間に、美神は、自分のシャドウを小竜姫の背後へと移動させていた。
 そして、再び振るわれた長刀は、今度こそ、服の裂け目の間から小竜姫の生肌にヒットしたのだった。

「あ」

 小竜姫が倒れこんだ。

「勝った・・・のよね?」

 美神の考えは甘かった。

ビクン。

 小竜姫の体が発光し、突然、その姿は巨大な竜へと変化した。


___________


 美神も横島も、知らなかった。
 小竜姫の背中に、『逆鱗』と呼ばれるシロモノがあることを。
 それが、ちょうど美神のシャドウが斬りつけた場所にあったことを。
 おキヌだけは、そこに何かがあることに気付いていたが、それが『逆鱗』であるということまでは、わかっていなかった。

 ・・・結局。
 自分たちが小竜姫の『逆鱗』に触れてしまったことすら知らないまま、ただ、三人は逃げ惑うしかなかった。

「ひええーっ!?」

 巨竜となった小竜姫は、口から炎を吐きながら、美神たちに襲いかかる。
 そんな中、美神は気付いた。

「法円から出ても、私のシャドウは消えてない。
 小竜姫が巨竜になっても、横島クンのシャドウは消えてない・・・。
 まだ使える!」

 そして、横島に向かって命じる。

「横島クン!! 幻影!!」
「・・・そうか」

 その言葉をあうんの呼吸で理解した横島は、自分たちの幻影をシャドウに作らせ、それを巨竜に追わせることに成功した。

「これで少し時間が稼げたわね」
「でも、根本的な解決になってないっスよ。
 そもそも、何で小竜姫さまが竜になっちゃったのか、
 その理由も分からないんだから」
『やっぱり、あんまりズルしたから、
 怒っちゃったんじゃないでしょうか』

 美神は、自分が責められているような気がし始めたが、

「原因追及は、後でも出来るわ。
 今は、どう対処するかが重要よ」

 と、二人を丸め込む。そして、

「横島クン。
 そのシャドウの力、どれくらい続きそう?
 小竜姫が疲れ果てるまで、ずっと幻を追わせておくことって、出来る?」
「・・・できるか、そんなこと?」

 美神は横島に、横島は自分のシャドウに質問する。
 シャドウは何も言わない。
 しかし、横島の頭に響く言葉があった。

「・・・え? 今、誰か何か言いました?」

 そんな横島に、美神がすがりつく。
 溺れるものはワラをもすがる、といった雰囲気である。

「どうしたの、横島クン。
 シャドウが返事したの? どう?」
「・・・『麻酔』って言ったような気がするんです、コイツが」

 それは、質問に対する解答ではなかったが、現状を打開するには十分な解答であった。

「・・・」

 少しの沈黙の後、美神が頷いた。
 それを見て、

「行け!!」

 横島が、シャドウに命じる。
 シャドウは、思ったよりも機敏な動きで飛んで行き、気付かれないよう、背後から竜に近づく。そして・・・。
 左手を竜の首筋に押し当てた途端、竜は、光に包まれた。

『グギャアアアッ!!』

 行動の自由を奪われながも、最後のひと暴れをする巨竜。
 しかし、すぐにその場へ倒れ込み、シュウウーッという音と共に、元の小竜姫の姿へと戻った。

「終わった・・・」

 ホッとする横島だったが、

「何言ってるの!!
 一番大切なことが残ってるでしょ!!」

 と美神の喝が入る。
 シャドウに小竜姫を引きずらせて、自分も闘技場まで戻る美神。
 横島とおキヌも、とりあえずついて行く。
 美神のシャドウは、美神の意志に従って、小竜姫を闘技場の真ん中へと横たえた。
 そして、その上から、踏みつける。

「ちょっ!!」
『美神さん!!』

 横島とおキヌが驚くが、美神は平然としている。
 ケロッとした表情で、

「こうしておけば、
 私が倒したと思うわよね?」

 と言いきった。
 そう、これは、敵を倒してパワーアップを勝ち取るためだったのだ。

 ・・・もちろん、後になって意識を取り戻した小竜姫が美神に騙されてしまったのは、言うまでもない。
 こうして、妙神山修業場の破壊こそ免れたものの、やっぱり詐欺のようなやり方でパワーアップした美神なのであった。


(第七話「デート」に続く)

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第七話 デートへ進む



____
第七話 デート

 美神は、妙神山での修業を経て、強くなった。
 霊に対する防御力や攻撃力だけではなく、総合的な霊能出力自体もアップしたからだ。

 また、修業場での出来事は、横島にも少しながら影響を与えていた。
 何しろ、煩悩が強い以外はごく普通の少年、ただの素人と思われていた彼に、特殊な霊能力があると判明したのである。
 しかし、横島の場合、あそこで具現化されたシャドウこそ幻影を作ったり相手を麻酔したり出来たものの、それらが本人の霊能力として発現されることはなかった。

「あれって、本当に俺の潜在能力だったんですか?」

 と、本人も半信半疑になるくらいだ。
 しかも、小竜姫の暴走が修業場の異界空間内でケリがついてしまったために、美神たちは、

「どうせシャドウは、
 あの空間の中でしか使えないからね・・・」

 と思い込んでいる。だから、シャドウだけが特殊能力を持っていたところで、それが日頃の除霊仕事に活かされることはなかった。
 それでも、美神の横島を見る目が少し変わったことは確かであろう。美神は、あのとき冗談のつもりで口にした、

「せめて資格とってからね、ここで修業するのは」

 という言葉を、真剣に検討し始めている。
 ただし、それは全て内心に留めており、決して態度には出さない美神なのであった。

 そして、美神と横島だけではない。おキヌにも影響はあった。
 彼女の場合、修業云々、霊能力云々ではない。
 小竜姫が横島にキスするという未来像を見てしまったことが、一番大きな意味を持っていたのである。
 特に、横島が霊能力を持っていると判明したこともあって、

『横島さん、ここに残って修業することになるのかしら。
 それで小竜姫さんと、あんな関係に・・・』

 と、おキヌは心配したのだが、それは取り越し苦労だった。
 美神も小竜姫も、今、横島の霊能力を引き出そうと強いるつもりはなく、また、横島本人も、特にこだわっていなかったからだ。
 三人で事務所に戻ってからも、少しの間ヤキモキしていたおキヌであったが、それも長くはなかった。
 妙神山から降りてきてしまえば、その後、小竜姫と連絡を取り合うことすらないのだ。
 以前とあまり変わらない横島を見ていると、

『小竜姫さんが横島さんの相手、ってことでもないのかしら?』

 と、自分の想像に対して疑念すら持ち始める。
 思い返してみると、おキヌが見た『キス』の映像は、恋人たちのキスとは少し違うようでもあった。
 ただし、では何が『恋人たちのキス』なのか、どう違うのかと問われたら、おキヌには、よく分からない。
 また、横島が色々な女性に飛びかかっている行為、美神がセクハラと呼ぶ行為も、女性を本気で口説いている、というのとは少し違うようにも見える。
 だが、それも自分には分からない。

『幽霊だからかな。
 幽霊の私には、恋愛の細かいことはわからないんだろうな・・・』

 と、ちょっと寂しく思うおキヌであった。




    第七話 デート




「300年ぶりに自分の足で歩くのって変な感じ・・・」

 商店もまばらに存在している静かな住宅街。その中を、一人の少女が歩いていた。
 丈の長すぎるスカートのせいか、バサバサした前髪も、だらしないというより不良っぽく見える。だが、そんな外見とは異なり、表情は清々しい。
 実は、この不良娘の体の中には、おキヌの霊魂が入り込んでいた。
 この少女の守護霊が道に迷っていたのを助けたところ、お礼として、この少女の肉体を預けられたのである。最初は、

『いけませんよ、そんなこと・・・!』

 と遠慮していたおキヌであったが、半ば無理矢理、体の中に放り込まれてしまう。そして、その『お礼』を受け入れたのだった。

「でも気持ちいいなー!!
 生きてる頃には気づかなかったけど、
 体があるってそれだけでいい気分・・・!」

 今、おキヌは、歩くという行為そのものに感動していた。そのまま進み続けたおキヌは、

「わあ・・・!」

 花屋の店先で立ち止まった。花の色も香りも、肉体を通すと、いっそう豊かに感じることが出来る。
 そんなおキヌに、

「ちわーッス!」
「ちわっス!
 何なさってるんスか?」

 二人組の少女が声をかけてきた。おキヌと同じ制服で、同じようにグレた外見をしている。

「・・・は? あ!
 お知り合いの方ですね?
 どーもこんにちは!」

 ペコリと挨拶するおキヌに対して、

「あ、いえ、どーも」

 と対応してしまった二人組だが、

「・・・え?」

 何か変だと気づいた。さらに、

「いい香り・・・!!」

 花の香りを楽しむおキヌを見て、違和感が増大する。
 だが、別人が憑依しているなんて想像出来ない二人は、

「何ヤッてんスか!?
 アンパンっスか!? シャブっスか!?」
「悩みがあるなら話してほしいスよー!!」

 と、自分たちの常識に照らし合わせて、おキヌに迫った。
 そして、ちょうど、この時、

「どこ行ったんだ、おキヌちゃんは。
 買い物に出てもう3時間だぞ・・・!」

 ブツブツ言いながら、横島が近くを通りかかったのである。


___________


 この体の中に入った直後、おキヌは言われていた。

『ただし知り合いに会う時は気をつけなされ。
 誰かに正体を見破られたら元に戻る決まりになっておる』

 それを思い出したから、というわけではないが、

「横島さん・・・!!」

 顔を赤らめながら、おキヌは、二人組のかげに隠れてしまう。
 さらに、

「ど、どうしたんだろ。
 胸が・・・なんか、どきどきしてる・・・?
 なんだろう?
 体がない時は、こんな気持ちにならなかったのに・・・?」

 などという自己分析を口にしてしまったから、さあ大変。
 二人組は、『自分たちのセンパイがグレてない男に恋をして悩んでいる』と思ってしまった。

「まかせてくださいッ!!」

 勘違いしたまま駆け出していく二人を、

「・・・ま、いいか」

 と見送るおキヌ。彼女には理解出来なかったので、仕方がないのだが・・・。
 このとばっちりを食らうのが、横島である。
 しばらくして、犬と戯れていたおキヌの前に、血だらけの横島が投げ出された。

「よ、横島さんっ!!
 どうしたんですかっ!?」

 駆け寄るおキヌを見て、横島は、

「わああっ!!」

 ビクつきながら逃げようとする。
 何しろ、不良娘の二人組にヤキを入れられたばかりであり、そこへ別の不良娘が迫ってくるのだから。
 だが、突然、横島の動きが止まった。

「・・・あれ!?」

 確かに、目の前の少女は不良に見える。でも、その目を見ていると・・・。

「おキヌちゃん・・・!?
 おキヌちゃんか・・・!?」

 バシュッ!!

 横島が気づいてしまったことで、おキヌは、肉体から排出されてしまう。
 少女の生き霊と自動的に交換されたことで、今、おキヌの目の前には、発端となった守護霊が浮かんでいた。

『無事、元に戻ったようじゃな。
 楽しかったかね?』
『・・・はい! とっても!』

 おキヌは知らなかった。
 本来ならば、おキヌが戻るのは、もう少し後になるはずだったのだ。
 本来ならば、横島は、もう少し後まで気づかないはずだったのだ。
 あの後、横島は、二人組に叩き込まれた台本に従って、

「以前からあなたが好きでした!
 ハンパじゃないっス!
 つきあってくださいっ!!」

 と言うところだったのだ。
 本心ではなくても、横島から告白の言葉を受けたら、おキヌはどう感じただろうか・・・。
 しかし、それを知らないおキヌは、

(・・・そっか。
 横島さん、すぐに私だってわかっちゃったのかあ・・・。
 ふふ・・・)

 一人、幸せに浸るのであった。

 こうして、『本来』以上に深い絆があるが故に、少しずつ歴史の歯車がずれてゆく。時には小さく、時には大きく・・・。


___________


「遅かったね、おキヌちゃん」

 事務所へ戻ったおキヌに最初に声をかけたのは、横島であった。いつのまにかケガから回復している。
 横島は、さらに、

「買い物に出かけてたんだよね?
 ずいぶん時間かかったみたいだけど・・・」

 と質問したのだが、それは、奥歯に物がはさまったような言い方だった。

『ええっと・・・。
 途中、色々あって・・・』

 おキヌの返事も、何だかハッキリしない。
 しかし、その態度を見て、横島には分かってしまった。

「そうか、やっぱり・・・。
 あれは、おキヌちゃんだったんだ」
『えへへ・・・』

 おキヌの顔に笑顔が浮かぶ、
 おキヌも、胸のつかえが取れたような気がしたのだ。
 自分から今日の対面に関して言い出すのは、何だか気が引ける。それで最初は曖昧な返事をした。だが横島の方から話題にしてくれるのであれば、詳細を語るのに躊躇いはない。

『実は・・・』

 と、おキヌが語り始めようとしたところを、横島の言葉が遮った。

「・・・えーっと。
 俺と会った途端にあのコの体から出ていっちゃったのは、
 俺に見られたのが嫌だったから? 恥ずかしかったのかな?」

 横島としては、

(人間に取り憑いたのを責められると思ったのかな?)

 と聞きたいところであったが、そこまで口にすることは出来なかった。

『そんなこと、ありません。
 ただ、そういう決まりだったそうで・・・』

 語り始めたおキヌの笑顔を見て、横島は、自分の邪推を恥じた。

(ごめん、おキヌちゃん)

 心の中で謝罪する。
 こうして、その場の空気も丸くなったかと思いきや、

「アンタたち!
 自分たちだけでわかりあってないで、
 私にもキチンと説明しなさい!」

 美神が邪魔をした。
 今日は仕事もないので、先程から、美神はソファに寝そべっていた。積極的に二人の会話を聞くつもりはなく、ただ耳に入るにまかせていたのだったが、なんだかイライラし始めたのだ。
 この人は、普通の人以上に、のけ者にされるのが気に食わないのである。
 だが、今回はタイミングが悪かった。わざわざ美神が怒鳴らなくてもよかったのだ。
 何しろ、ちょうど、おキヌが今日のエピソードを語り始めたところだったのだから。美神の一言こそが、それを遮ってしまったのだから。

『そうですね、幽霊のおじいさんに会ったところからですね。
 買い物の帰りに・・・』

 気を取り直して、おキヌは語り始めた。


___________


『・・・というわけなんです』

 おキヌが最後まで語り終えたところで、横島の表情がくもった。

「そっかあ。
 俺のせいで、せっかくの体験も終わりになったのか。
 悪いことしちゃったな、
 いつもおキヌちゃんには世話になってるのに」

 すまなそうな態度になった横島を見て、

『そんなことないですよ』

 と言うつもりのおキヌであったが、それより早く、横島が言葉を続けた。

「美神さん。
 今度の休みの日、
 丸々一日おキヌちゃんを借りていいっスか?」
「え? ・・・いいけど?」

 急に話を向けられた美神は、横島の意図が分からないながらも、それを許可する。
 美神の了承を受けて、横島は、おキヌに笑顔を向けた。

「おキヌちゃん、今度の休みに二人で遊びに行こう」
『・・・え?』

 やや照れたような表情で、横島は言葉を続ける。

「俺が相手じゃ、本当のデートにはならないだろうけどさ。
 でも、そういう気分だけは味わってもらえるかな、なんて思って」

 今時の若い女のコの楽しみを、もっとおキヌに経験させたい。
 それが、おキヌの体験を途中で止めてしまったことに対して、自分に出来る償いであり、また、お詫びでもある。
 横島は、そう考えていた。
 そんな横島を見て、美神は、

(へーえ・・・。いいとこあるじゃない)

 少し感心していた。横島の口調には、いつものセクハラ少年の雰囲気が全く無かったからだ。

(女のコと一日デートしたら、結構お金かかるだろうに)

 と、まず金銭面に気が向いてしまうのも、美神らしい。
 一方、おキヌは、

(横島さんとデート・・・)

 ただそれだけで、あたたかいものが心の底からわき上がってくるように感じていた。


___________


 そして、次の休みの日。
 待ち合わせた時間に、横島は、事務所までおキヌを迎えに来た。

「あれ・・・」

 横島は少し戸惑った。
 おキヌが、中で待っているのではなくドアの前に立っていたからだ。
 しかも、いつもの巫女姿ではない。

「その服、たしかクリスマスの・・・」

 おキヌが着ていたのは、クリスマスに横島がプレゼントした洋服だった。エクトプラズムを特殊加工した糸で織られているので、幽霊でも着られるのだ。
 これを手に入れるために、横島は大変な思いをした。楽しみにしていたクリスマスパーティーにも遅刻したくらいだ。
 その苦労話は、おキヌも知っている。

『はい。
 これが私の、よそいきの服ですから』

 とだけ、おキヌは答えたのだが、心の中では、

(横島さんからプレゼントされた服ですから)

 と付け足していた。
 そんなおキヌを見て、

(今日のおキヌちゃん、ずいぶん雰囲気が違うな。
 なんだか幽霊じゃないみたいだ・・・)

 と感じる横島。その口から出た言葉には、内心の思いが少しにじみ出ていた。

「じゃあ、行こうか。少し歩くけど・・・」


___________


 おキヌにデート気分を味わわせようと考えた横島であったが、そもそも、横島本人にデートの経験がない。とりあえず、事務所の近くには池袋という繁華街があるので、その辺りでデートスポットっぽい場所を色々と案内しようと思っていた。

「まずは、あそこへ行こうと思うんだ」

 ある程度近づいたところで、横島は、最初の目的地を指さした。

『うわあ・・・』

 それは、高層ビルだ。おキヌも驚く程の高さである。

「このビルの最上階に、有名な展望台があるんだよ。
 おキヌちゃん、幽霊だから、
 高いところへは何度も上ってるだろうけど・・・」

 横島が、少し口ごもる。おキヌの反応次第では、ここはパスして次へ行くことにしようと決めていた。

『でも、ここまで高いところへは、
 行ったことないですよ』

 ビルを見上げながら、おキヌが答えた。
 それを聞いて、横島はホッとする。

「よかった。
 じゃあ、展望台まで行ってみようか?
 このビルは、サンシャイン60といって、
 作られた当時は、日本一高いビルだったらしいよ・・・」


___________


『高い・・・』

 これが、展望台から外を眺めて、最初におキヌの口から出た言葉だった。
 あまりにもそのままな感想だ。
 いつもの横島ならば、

「そのままやんけー!」

 なんてツッコミをいれたかもしれない。だが、今日の横島は違う。ただ微笑むだけだった。

『車も家も、ずいぶん小さいですね。
 私たちの事務所って、どこでしょう?』
「うーん、わからん・・・。
 この高さからだと、近すぎるんじゃないか?」

 おキヌの様子は、普通の人間のものと同じである。
 それを見た横島は、

(幽霊だから高いところ行っても面白くないかも、
 なんて心配する必要なかったな)

 と、自分自身に対して苦笑した。
 気を楽にして、少し周りを見渡してみると、

「あれ?
 前に俺が来たときは、こんなの無かったと思うけど・・・。
 おキヌちゃん、ここから外へ出られるよ!」

 スカイデッキの存在に気が付いた。展望台から屋上へと出られるようになっていたのだ。
 解放日は限られているのだが、『まるで空の中にいるような気分が味わえる』ということで、この展望台のウリの一つである。
 横島に連れられて、スカイデッキへ来たおキヌ。残念ながら、空を飛ぶことの出来る彼女には、その魅力は伝わらなかった。しかし、幸い、そのことに横島は気付いていない。

「凄いな、ここ!!」

 横島本人が、スカイデッキを満喫していたからである。そして、

(横島さん、楽しそう・・・)

 そんな横島を見ているだけで、おキヌまで楽しくなるのであった。


___________


 サンシャインシティと呼ばれているように、サンシャイン60には、いくつかのビルが近接している。
 展望台の次に二人が向かったのは、そうしたビルの中にある水族館だった。

『わあ、きれい・・・』

 色とりどりの魚が泳いでいるのを見て、おキヌは喜んでいるようだ。
 海から離れたところで生まれ、幽霊をしていたおキヌである。あまり大きな魚を見る機会はなかった。
 それに、川や湖で魚を見ることはあっても、それは上から見るだけだ。横から見るのは、魚を買う時や料理する時くらいだったので、つい、

『魚屋さんとは、ずいぶん違うんですね』

 なんて言ってしまうおキヌであった。
 一方、横島は、展示されている魚そのものよりも、周りの客層に目を向けていた。

(ここは大丈夫みたいだな?)

実は、先ほどの展望台では、大人の観光客や親子連れが多く、

(もしかして、デートスポットじゃなくて、観光スポットに連れてきちゃった?)

 と少し焦りもしたのだ。
 そこと比べれば、ここには、カップルもチラホラいる。これならば、安心だ。

 そして、ここの展示に横島があまり関心を向けていない理由は、もう一つあった。
 この水族館は、横島が面白いと思える程の規模ではなかったのである。小学生の頃に関西に住んでいたことのある横島は、その近辺で大きな水族館にも行っていた。心の中で、つい、そうした水族館と比べてしまう。
 そんな横島の様子に気付いたらしく、おキヌが、不思議そうな目を横島に向けた。

「子供の頃、親父やおふくろに連れられて、
 もっと凄い水族館に行ったことがあってさあ」
『凄い水族館?』
「機会があったら、おキヌちゃんも連れて行ってあげたいな。
 海遊館とか、鳥羽の水族館とか」

 横島は話を続けた。
 おキヌの視線が『説明してください』と言っているように見えたからだ。

「海遊館には、でっかい水槽があるんだ。
 上の階からも下の階からも同じ水槽が見えるくらい。
 三つか四つのフロアにまたがってるんじゃないかな」
『・・・?』

 おキヌには、よくわからなかったらしい。
 そこで、横島は、やや大げさな例え話をする。

「美神さんの除霊事務所の入っているビル、
 あれが丸々一つの水槽だと想像してもらったらいいかな?」
『へえ・・・』

 おキヌは、目を丸くした。そして、頭の中で自分がイメージしたものと比べるかのように、もう一度、目の前の水槽を見やった。
 そんなおキヌの様子から、横島は、海遊館の説明は十分と判断して、次に進んだ。

「鳥羽の水族館は、とにかく凄く広いんだ。
 大通りを渡って、あっち行ったりこっち行ったりしなきゃいけないくらい。
 魚の水槽だけじゃなくて、アシカショーとかもあって・・・」
『あしかしょー?』
「あ、おキヌちゃんは山国育ちだから知らないか。
 アシカショーっていうのは・・・」

 そして横島は、昔の記憶を辿って、説明していった。
 海の生き物が、目の前で芸をする。
 まるで、人間の言葉が分かるかのように。
 後になって、他でも似たようなショーを見たが、それらは、最初に見た印象にはかなわなかった。
 当時のインパクトなどを、何とか伝えようとする横島。その説明は、決して分かりやすいものではない。
 しかし、おキヌは、子供の頃の思い出を交えて語る横島の姿を見ているだけで、なんだか満ち足りていた。
 ちょうど一通り説明したところで、横島は、館内の案内に気がついた。

「あ、ここにもあるんだな、アシカショー。
 開演時間も、いいタイミングみたいだ。
 見に行こうか?」
『はい!』

 おキヌは笑顔で頷いた。


___________


 水族館を楽しんだ後、二人は、同じビル内のプラネタリウムへと入った。
 ここは、水族館よりもカップルの比率が多いような気がする。その雰囲気も少し違う。

(よし、これは、デートっぽいんじゃないか?)

 そう思う横島であったが、同時に、

(でも、おキヌちゃんの育った場所や時代って、
 今の東京なんかより、夜空はきれいだったんだよな。
 今さら、こんな人工のを見て、楽しんでもらえるんだろうか?)

 という心配もしてしまう。
 横島は、隣の席へと視線を向けた。おキヌは、投影された夜空を楽しみ、音声で流れてくる説明もちゃんと聞いているようだ。
 ・・・そのまま時間が流れ、やがて、プログラムが終了する。
 おキヌの感想は、

『せいざって面白い。
 星って、いろんな意味を持ってたんですね』

 だった。
 どうやら、満足してもらえたらしい。
 安心する横島であった。


___________


 サンシャインシティから池袋の駅前へ向かう道は、いくつかある。
 『サンシャイン60通り』『サンシャイン通り』『サンシャイン中央通り』など、どれも似たような名前がついているが、この辺り一帯は若者で賑わっていた。
 映画館、ゲームセンター、カラオケなど、遊べる場所が色々とあるし、また、若い人たちが買い物を楽しめる店も多い。
 そんな通りを、横島とおキヌが歩いていた。

(こういうところをブラブラ歩くのも、今時の若い女のコだよな?)

 と考える横島。
 一つのビルの前で、ふと足を止めて、おキヌに尋ねた。

「おキヌちゃん、ボーリングとかビリヤードとか、やったことある?」

 おキヌは首を横に振る。
 そもそも、ボーリングもビリヤードも何だか分からない。
 横島は、おキヌを連れて、そのアミューズメントビルへと入っていく。一階がゲームセンター、屋上がバッティングセンターとなっていて、途中の階には、ボーリング、ビリヤード、カラオケがあった。

(バッティングセンターは場違いだとしても、
 カラオケやボーリングなら、カップルがデートで行くよな?)

 まずはボーリング場へ。

「ここ、中学生の頃には、何度か来たな。
 クラスの奴らといっしょに」

 むしろ今よりも中学生時代のほうが遊ぶ金も時間もあった横島である。わずかだが、その顔に、昔を懐かしむような表情が浮かんだ。

『これは、どういう遊びなんですか?』

 フロアの受付から、ゲームを楽しんでいる人々の様子が見える。その様子を示しながら、また、自分の体験談を交えながら、横島は、おキヌに説明した。それから、

「やってみる?」

 と尋ねたが、おキヌは乗り気ではなかった。

『・・・いいえ。
 なんだか、横島さんのお話を聞いてるだけで十分です』

 料金表を見て、

(今日は、もう、たくさんお金を使わせちゃったし・・・)

 と考えたおキヌだったのである。

 そして、同じことがビリヤード場でも繰り返された。遊んでいる人々の姿を見て、横島が説明して、おキヌが遠慮する。
 カラオケも同様。これは受付からでは中の様子は見えなかったので、横島が口で説明するだけ。でも、その分、

「でさ、『カラオケタダちゃん』なんて言われて・・・」

 など、横島の昔話がたくさん聞けたので、おキヌとしては面白かった。


___________


 そして、一階へ降りてきた二人。ゲームセンターとなっているところを通って、ビルの外へ出ようとする。
 ここで、おキヌが、ふと呟いた。

『あれ、何ですか?』

 幽霊とはいえ、コンピューターが使えるおキヌである。いわゆるテレビゲームという概念は理解していた。理解しているどころか、除霊仕事に絡んでゲームの中にとじこめられたこともあるくらいだ。
 しかし、今、おキヌの目に入ったものは、それとは少し違うようだった。
 透明な大きなケース。
 水族館で見た水槽とも似ているが、水や魚の代わりに、たくさんのぬいぐるみが入っていた。

「ああ、これ。
 クレーン・ゲームっていうんだ。ほら」

 この中には、あまり魅力的な景品が無いのであろう。誰もプレイしていない。
 しかし、別の筐体では、カップルがキャアキャア騒ぎながら遊んでいた。横島は、それを指し示しながら、クレーン・ゲームの仕組みを説明した。心の中で、

(女のコが欲しがるぬいぐるみを、
 せがまれた男が取ってあげる。
 うん、これぞデートだ)

 一人納得した横島は、

「おキヌちゃん、何か欲しいのある?」

 と、おキヌに水を向けた。
 横島は、こういうゲームには自信があるのだ。
 ただし、取れるモノから取る、というのが鉄則なので、難しい位置にある物を指定されると、ちょっと困る。

『じゃあ、これ・・・』

 高い遊びではなさそうだと思いながら、おキヌは、一つのぬいぐるみを指さす。
 花を擬人化した黄色いぬいぐるみ。どの花を元にしているのか、人によって意見が分かれるだろうが、おキヌには、それは野菊に見えたのだった。

「よし!」

 ピロリロリー。チャラリララー。

 簡単に取れる位置にあったので、横島は、あっさりワンコインでゲットする。
 その姿を見ながら、おキヌは、もう一度思い出していた。初めて会ったときに何故か頭に浮かんだ映像を。
 横島が隣に座って、
「ほれ、これやる。おキヌちゃんにだ」
「野菊・・・?」
「おキヌちゃんは野菊の花のようだ」
 言われたおキヌは顔を赤らめ、視線をそらしつつ
「あ、ありがとう・・・。忠夫さんはリンドウの花のよう・・・」
 と返す・・・。
(あれって、一種の予知だったのかしら?
 少し違うけど、今のこの場面?
 じゃあ、ここで横島さんは・・・)

 そんなことを考えていると、ぬいぐるみを手渡された。

「おキヌちゃん、はい」
『ありがとうございます!』

 横島からのプレゼントだ。
 期待していた言葉こそ聞けなかったものの、それでも、おキヌは幸せだった。


___________


 『サンシャイン60通り』を抜けると、大通りに至った。駅ビルの百貨店へと向かう道路だ。

『凄いですね・・・』

 そこから見える駅前の人込みは、今まで歩いていたところ以上だ。

「大丈夫。
 俺たちが行くのは、そっちじゃないから」

 西へ向かえば駅前なのだが、横島たちは南下した。すると。

『へえ・・・』

 すぐに、緑が見えてくる。
 駅のすぐ近くとは思えない雰囲気だ。
 お寺や墓地があるからなのだが、それだけではない。ここには、南池袋公園という、都会にしては大きな公園があった。

「おキヌちゃんってさ。
 生まれが生まれなだけに、やっぱり、こういうところが落ち着くかな、と思って」

 少し照れたような表情を見せる横島。彼は、ここをデートのシメにしようと最初から計画していたのだった。

 公園中央の広場まで行くと噴水があった。二人は、その近くのベンチに腰を下ろす。

「・・・楽しかった?」

 わざわざ聞いてしまう横島は、やはりデート慣れしていないのだろう。

『・・・はい! とっても!』

 凛とした声でおキヌが答える。

「よかった。
 ・・・ヘタに説明をしようとしてさ、
 俺の昔話を聞かせたりしちゃったけど、
 退屈じゃなかったよね?」
『退屈どころか!
 子供の頃のお話聞くのって、面白かったです。
 家族の話とか・・・』

 最後のところで、おキヌの笑顔が少し陰った。

(・・・あ!)

 横島は気づいた。
 おキヌは、生きていた頃のことをあまり覚えていないのだ。小さかった頃のことも、両親のことも。
 横島の表情が変わる。それを見て、おキヌも、横島に気づかれたことを悟った。

『でも、私・・・』

 しんみりとした空気を変えよう。おキヌは笑顔を作って、口を開いた。
 しかし、横島の言葉が、そんな空元気を遮った。

「おキヌちゃん。
 思い出なんてさ、これから、いくらでも作れるよな。
 ほら、おキヌちゃんには寿命はないから、
 時間はたっぷりあるだろ?」

 真面目な雰囲気で話し始めた横島であったが、最後の言葉は、敢えて少し軽い感じに変えていた。

『そうですね。
 こういうとき、幽霊って便利ですね』

 おキヌも調子を合わせる。
 そして、横島は口調を戻して、続けた。

「それに、今のおキヌちゃんには、家族もいる。
 俺や美神さん、っていう家族が」

 横島の言葉を聞いたおキヌは、

『・・・ありがとう』

 とだけ呟いて、うつむいた。
 嬉しい。泣きそうなくらい、嬉しい。
 でも、だからこそ、かえって横島を直視出来なかったのだ。
 そして、下を向いたことで、膝の上においた自分の両手が見えた。その手には、ぬいぐるみが握られている。

(横島さん・・・大好き!
 私には恋愛のことは分からないし、それに、
 これが恋心だとは思わないけど、でも・・・。
 横島さんを好きって思う気持ちと、
 美神さんを好きって思う気持ちは、なんだか違います)

 おキヌがそんなことを考えているとは知らず、横島は少し心配になる。

(変なこと言っちゃったかな?
 やっぱり、あんなセリフ、俺のキャラじゃなかった?)

 平然とした様子を装いつつ、でも、おそるおそる尋ねた。

「どうしたの、おキヌちゃん?」

 おキヌは、顔を上げて、横島に笑顔を見せる。そして、

『なんでもないです!』

 はにかみながら、視線を空へと向けた。
 きれいな夕焼け空だ。
 それを見ながら、

(このまま、今の状態がずっと続いてほしい。
 ずっとずっと、永遠に・・・)

 と願う、おキヌであった。


(第八話「予測不可能な要素」に続く)

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第八話 予測不可能な要素へ進む

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