守ってあげたい 60話
朝起きて、簡単な朝食を取る。そして、午前中は一応教科書を開いて、勉強することにしてた。
神奈川に来てからの生活で、ともすれば乱れがちになる生活を正すべく、私はそれを日課にすることにした。
一応、大学を卒業しているので復習程度の勉強なのだが、私はそれを自分に課した。
それと共に、少し早いが夏休みの課題として出されているテキストもあるので、教科書片手にそれらを片付けるのにも、丁度いい時間である。
お昼前に、少し多目に自分のお弁当を作り幸村の病室に行ってそれを食べる。
食が細りがちな幸村に、少しでも食事を食べされるべく自分のお弁当を取り分けて食べさせてみたりと、自分の思いつくことで出来る事をしよう、そう思い行動にうつしていた。
それから、病院の夕食の時間前に病院から帰る。そんな単調な毎日。
あれから、幸村との関係は表面上変わる事は無かった。
異世界とかそんな話を一切せずに、昔と同じように振舞う私に幸村は何も言わなかった。
やわらかに、微笑うその笑顔。
やさしい、その声。
私に向けられる、その何もかもが、こっちの世界の“彼女”のモノだった。
それを当たり前に、うけながら。当たり前の顔をして、私は微笑んだ。
やわらかく心が締め付けられる。少しの寂しさと、チクリとした痛みが私を襲う。
想像していたほど、幸村の側に居る事は辛くなかった。いや、穏やかでさえあった。
そんな日を4、5日続けた後に、ある程度予想してはいたのだが、想像どおり病院からの帰り道に仁王の姿を見た。
仁王は私の姿を見つけると、口元を緩めふっと微笑みを漏らした。
純粋な笑みという訳でも無く、喰えない笑みという類のものだがその微笑みを見て少し安心出来る自分が居て、少し自分自身の心の変化にとまどいを感じた。
「お疲れさんやのう。幸村の調子どうじゃった?」
「そっちこそ、お疲れ。部活帰りなんでしょ?」
大きなテニスバックを肩から、下げているので部活帰りだろうことが伺える。
「もっと早く現れるのかと思ったわ」
「おまいさんからの連絡をまっちょったんじゃけんどのう」
前髪をいじり、その前髪越しに私を見るその目線が色っぽくてくらくらしてしまいそう。
「無駄にフェロモン放出しないでよ。道端で迷惑よ」
そう言っても髪をかき上げ、強烈な流し目をくれる。
ある意味、犯罪だと思う。この男は。
「何の事やら分からんぜよ」
「もういいわ。とりあえず、どっか入りましょ」
夕方とはいえ、夏のジリジリした暑さが充分残っていた。
この間の二の舞を踏まないように、近くのカフェに入る事を提案した。
私は無難にカプチーノを仁王はブレンドのブラックを注文した。
ふかふかのソファに腰掛けて、自分が思いのほか疲れている事に気がついた。
いつもよりガムシロップを多めに入れて飲むと少しだけ、疲れが癒えたような気分になる。
「顔色がマシになって良かったぜよ」
「気づいてたの?」
「最初に言うたじゃろ?お疲れさんちゅうて」
「そう言われてみればそうね」
お疲れ様なんて、社会人の間では言いなれた言わば挨拶みたいなもんだから。その言葉に違和感を感じなかった。
学生でお疲れ、だなんてあんまり言わないわよね。
「幸村の様子どうじゃった?」
「変わり無しって、とこかしら?あ、でも食事は摂るようになったわよ」
「ほう、そうか。それは安心じゃのう」
にっと笑うその姿に歳相応の姿が見えて、ちょっと安心する。
仁王の幸村を思いやる気持ちが、私の心も暖かくしてくれる。
和んだのもつかの間、仁王が雰囲気を変えいきなり問いかけてきた。
「ところで、聞かせてもろうてもええか?」
「何?」
「おまいさんが、幸村に罪の意識を持っとる事は俺も気がついちょった。やけんど、どう考えてもそれが今回の理由とは思えん」
「どういう意味?」
「週末だけこっちに通うてくるようにちょったはずが、いきなり休学する理由が分からんちゅうとるんじゃ」
学校を休学してまで幸村の側に居る事の意味。
仁王に言われるまでもなく、その意味を私は分かっているつもりだったけれど。
「だから、それは仁王の言うとおり償いの気持ちからだけど。それよりも、自己満足の為だから自分の為かな」
「それ以外の気持ちは無いちゅうんやな?」
「それ以外何があるの?」
そう言うと仁王は私の顔をじっと見つめた。
「……本気で言いよるみたいやのう」
「だから、言ってるじゃない。この行為は、ただの自己満足だからそれ以上の意味は無いって」
「そうなら、今はそれでよかろう」
私には理解不能な事で、仁王は一人納得していた。
私はこの時何も分かっていなかった。
幸村side
平日の火曜日の午後、いきなりが現れた。
「平日のこんな時間に訪ねてくるなんて、何かあったのかい?」
予想外の訪問に、挨拶の言葉も忘れてそう問うていた。
「こんにちは、幸村。特に、何も無いわよ。少しだけ、夏休みを早めてみたの」
「それは、どういう意味だい?」
「手術するまで、一緒に居るって約束したわよね?」
「ああ」
「だから、一緒に居ようと思って。休学届け出して来たの」
当たり前のようにそう言われて、驚くより何より、嬉しかった。だけど、休学までして側に居て貰うなんて。拒否するのが、本当だろうけど。
『そこまでしなくてもいい』その言葉が、出てこなかった。
それから、は本当に毎日病室にやってくるようになった。
昼前に病室に来て、はお弁当、俺は病院の食事を一緒に摂る。
お互い、大切な事から目をそらし、何も無かったフリをして、表面上を取り繕い。
緩やかに、日々は流れる。
偽りの平穏。
愚かにも、昔に戻ったような気になってしまうけれど。
―――だけど。
「今日はね、お弁当ちょっと多めに作ってきたから。一緒に食べてね」
一人で食べるには、大きすぎる弁当箱を包みから出して、ニッコリ笑いながらはそう言った。
「いや、いいよ。あまり食欲無いんだ」
「病院食って、あんまり美味しくないじゃない。だから、家庭の味が恋しいかなぁっと思って作ってきたんだけど」
パカっと明けられたお弁当の中には、炊き込みご飯の御握り、だし巻き玉子、ごぼうのきんぴら、肉じゃがなど色とりどりのおかずが所狭しと並んでいた。
普段食欲のわかない、病院食を食べていたせいか。
ゴクリ、無意識に喉がなった。
そんな俺の様子を、が微笑ましそうに笑って、おかずを取り分けてくれた。
「きのうの晩ご飯の残りとか、つめて来ちゃったから。手抜きなんだけどね」
はい、食べてと。微笑って差し出さて、一口食べると。
「おいしい」
と思わず、声が出た。
「そう、良かった。いっぱい、持ってきたから。どんどん食べてね」
俺が食べたのを見届けて、も箸を付けた。
久しぶりに食べた、家庭の味に思わず食がすすんでしまった。
空の弁当箱を片付けるの顔が嬉しそうで、それを見ているとこっちも幸せになれるような気がした。
それから、は毎日弁当持参で来るようになった。
初日は全く気が付かなかったのだが、二日三日と日を重ねるごとに俺は気がついてしまった。
味が違うと、部活の差し入れで食べていた味と、現在の味、それが違っているのだ。昔の味もそれなりに美味しかったのだが、現在の方がより完成された味になっていた。
それを認識するにつれ、皮肉な事に目の前のが本人の言う通り、25歳の内面を持つ俺の知らない人間であるだろう事が実感出来た。
「料理、上手くなった?」
「え?」
「何だか、俺が覚えているよりずっと美味しくなってるから」
「あ……。うん、そうかもね」
奥歯にモノがひっかかったような返事をするのは、きっと俺を思いやっての事。
私と彼女は違う、きっとそう言いたいんだろうけど。正気を失いかけた俺の側に居るために自分を押し殺している。
それが分かって、俺は何とも言えない気分になった。
側に居てくれるのは嬉しい。
だけど、それはの犠牲により成り立っている。
自分を押し殺し、学校を休学までして神奈川に居てくれている。
俺の覚えている、の笑顔で目の前の少女は微笑う。
同じに見えて、違う少女。
ふいに、その存在を肌で感じたくて手を伸ばしかけて、でもそれを躊躇う。
「どうかした?」
気配を感じとったが、首をかしげてこちらに問いかける。
「いや、何でも無いよ」
無難な返事を返しながら、俺はやっとそれを受け入れ始めていた。
――――俺の記憶のと、目の前のが違う人物だということを。
2007/10/26