守ってあげたい 59話
side
翌日学校に行って、まず私がしたことは休学届けを出すことだった。
私が固めた決意とは、手術の日。その日まで幸村の側に居る事だった。
そうすることで、現実に状況が変わる訳じゃない。私が居なくても、手術は成功し幸村は一人で乗り越えていくだろう。私のする事は、単なる自己満足かもしれない。
だけど、彼らに彼らの望む“彼女”を与える事が出来ない事へ対しての贖罪の意味もあった。
切原とのやりとりの中で、愚かな私はやっと気が付いた。
真実は時に、人を傷つける。
ならば、優しい嘘を彼らに捧げよう。そう、私は決意した。
己を殺し、過去の私を演じてみせよう。
学校に来て、2週間を超える休みになる為に、てっとり早く休学届けを出した。
理由は、親族の者の病気療養に付き添うためとか、適当に捏造してみた。問題がデリケートなせいか、休学といっても夏休みを挟むので、短い期間なせいかあまり詮索されずに済んで、正直ホっとした。
「ちょっと、休学ってどういう事?」
と、にかなり問い詰められたりしたけれど。
問題が解決したら、すべて報告することを条件に開放してもらった。
心配げな友人の様子を見て、ここでも迷惑をかけている。
そう思うと、何だか堪らなかった。
翌日、ボストンバックに着替えを詰め込み。一応、父親宛に置き手紙をして家を出た。
ボーっと車窓から、外の風景を見つめていると。思い浮かぶのは、自分の知らない過去の思い出ばかりだった。
沢山のボールに埋もれながら、ドリンクを作ったり。タオルを干したり。
毎日汗水たらしながらも、それが楽しくて。過去の私は笑っていた。
トンネルに入り、車窓に写る自分の顔がその頃の自分の顔と比べて、虚ろに見える。
その顔は、自分の記憶にある明るい笑顔とは重ならなくて、はっきり過去の自分と今の自分の違いを思い知らされた。
「大丈夫」
鏡の中の自分の語りかける。にこり、出来るだけ記憶の中の自分に重なるように微笑んでみせる。そうすると、それはピタリと重なった。
私は、その笑顔のまま小さくため息をついた。
柳side
その日は、試合のオーダーの事について幸村に意見を伺うべく。見舞いがてら、病院に来ていた。ノックをしようとして、中から聞こえてきた声に思わず動きが止まる。
「ちゃんと食べなきゃ駄目じゃない」
「どうかしたか?」
「……。いや」
そんな俺に、同行していた真田がいぶかしんで問いかけてきた。
歯切れの悪い返事を返しつつ、扉を開けるとそこには予想どおり、が居た。
「あら、いらっしゃい。あ、今日は副部長も一緒なんだ」
はそこで一度言葉を区切ると、座っていたパイプ椅子より立ち上がり。
真田に、深く頭を下げ謝罪した。
「ご無沙汰しております。ご挨拶が遅れまして、すいませんでした」
礼節を重んじる真田を相手に、出会いがしらの謝罪は有効だろう。
ちらりと、真田を見ると、どう思っているのかは知らないが。
堅苦しい顔で、「うむ」と短い返事をしていた。
「ところで、。一つ俺の質問に答えて欲しいのだが。いいだろうか?」
一通り、真田相手に今までの経緯を説明するを待ち、俺はそう切り出していた。
そう、問いかけると。真田に向けられていた、目線が俺を見る。
微笑みを含んだ、その柔らかな視線に俺は胸の奥が痛むような錯覚を覚えた。
「なに?」
「今日はどうかしたのか?」
この時間、平日の夕方午後7時にこの場所に居る事は決して不思議な事じゃない。
放課後すぐに、列車に乗ればここに来れない事はない。
だが、そんな無理をする理由を俺は思いつくことが出来なかった。
そんな俺の疑問からの問いかけへの答えは。
「休学してきた」
というとんでもないものだった。
流石の真田も咄嗟には、声が出ないようで驚愕の目線でを見つめるのみだった。
「ちょっといいか?」
咄嗟に、真田に聞かれたらまずい事情でも出来たのかと思い、を引っ張って廊下へと連れ出していた。
「どういう事だ?」
「どうも、こうもそのまんまよ。手術の日が決まったって、メールくれたじゃない」
「ああ」
「だから、手術の日その日までずっと幸村の側に居よう。そう決めたの」
どこか楽しげにそう言う、に一瞬言葉が出てこない。
「………。そ、れは、ありがたいが……。学校は大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。一応これでも、あっちの世界では大学出てるから、お勉強という点については余裕のつもり」
「なら、いいのだが……。真田に会った事は良かったのか?」
こっちの俺達を避けている。から直接聞いた訳じゃないが、そう感じていたから他の人間の接触を制限していた。幸村に雑音を入れないためとか、もっともらしい事を言って真田他、部員達を遠ざけていた。
「大丈夫。幸村の側に張り付くつもりだから、その辺は避けて通れないでしょ?だからいいのよ」
「は何かあったのかと思い、心配しておったが、全然変わっておらんな」
幸村とオーダーの事について、ひとしきり話した後の帰り道真田がそう言い出した。
「……。そう、見えるか?」
「なんだ、お前はそう思わんのか?今も昔も、は幸村の事しか見えておらん」
無骨な男。そう思っていた、真田がいきなりそう言われて目を見張る。
「俺が気付いて、なかったと思っておったのか。まぁ、その手の話を必要とは思わなんだので今までしなかっただけだ。は、勤勉で優しい。幸村には似合いの相手だ」
真田の思いもしない言葉に、少しだけとまどいながらも。真田のその言葉をヒントに、先ほどに感じた、違和感の正体に思い当たる。
そう、今日のは昔のままに見えた。あの、25歳というふれこみの少し大人びた瞳をした『』じゃなく、俺達の記憶の中そのままに見えた。
その違和感にずっと、俺は釈然としなかった。だが、物事をまっすぐに捉える真田の言葉にそれにはっきり気付かされた。
今日会った、は記憶が戻ったとかその類の話はしなかった。
なのに、昔のままの状態で居る。その事の意味は、彼女が彼女のまま昔の『』を演じている。そう、考える事が自然だった。
では、何の為に?
それは、多分幸村の為。そこまで、考えて心の奥底がキリキリと痛んだ。
自分の手の届く場所に、居るかもしれない“彼女”が遠ざかったそんな気がしたのだ。
「柳、の事は諦めたのだろう?」
そう問いかけられ、そこで初めて真田が存外に鋭い事に気付いた。
「そんなに、分かりやすかったか?」
「いや、うまく隠したつもりだろうが。長年側に居れば、分かるぞ。
その顔を見ると、まだ諦めはつかんみたいだな」
ポンポンと、宥めるように肩を叩かれ口に出さない事が友情であったことを知る。
どうせ、分かるはずもない。そんな思い込みで、真田を蚊帳の外にしていた。
だが、真田にとっての優しさは沈黙を守る事だったようだ。
「今、そんな事を考えている場合じゃないのは分かってる」
今が全国大会への大切な時期だということも分かっている。
幸村の抜けた穴を埋める為にも、恋愛などに惑わされている場合じゃない。
なのに、そう思うのに。どうしても、心はただ一人を求めずにはいられない。
頭では、分かっていても心がついてゆかなかった。
「ならば、それでいい」
「それに、病床の幸村の為に、を呼んだのは俺だ」
だから、大丈夫だ。そう言外に告げる。
side
真田達を送り出した後、帰り支度をしていると。
「そうやっていると、“俺の”が戻ってきた。そんな風に勘違いしそうだよ」
そう、声を掛けたきた。
「そう思ってくれても構わないわ」
手術の日まで側に居る、そう幸村に告げると。それに対する幸村の反応は、決して歓迎という訳でも無かった。
あえて言うなら、困惑とでも言うのだろうか?
無意識にだろうが、すがるような目線でこちらを時折見つめるのに、決してこっちに手を伸ばしてきたりしない。
でも、側に居る。そう告げると、幸村の瞳は確か、歓喜に輝いた。と、思う。
感情を抑制するすべを、心得ているのか幸村がその瞳に感情を見せたのは、その一瞬であった。
「東京と神奈川を、毎日往復するつもりなのかい?」
「ううん。流石にそれは、しんどいから。こっちに伯母さんが居るから、其処にお世話になるの」
「そうなんだ」
にこり、と微笑みを返しながら。私は嘘をついた。
父さんにも、母さんにも兄弟は居ない。いや、居たとしても見た事も、聞いた事も無い。
二人は、若い頃に駆け落ちをしてきたそうで、親戚など生まれてきて、このかた聞いた事も無い。母親の葬儀の時でさえ、現れなかったのだからこれからの人生に関わりがあることも無いだろう。
神奈川には、今日の午前中には着いていた。そして、すぐ私がしたことは寝床の確保だった。
最初ホテルに泊まる事も考えたが、不経済なのでウィークリーマンションを契約して来た。敷金礼金不要、保証人不要のかわりに前払いでお金を支払った。
支払いにあてたお金は、父親が生活費とおこずかいだけはたっぷりくれるので毎月余りがでる、そのお金を唯何となく置いてると、貯まってくるので、ソレで賄った。
家具などは付いていたので、食用品などの生活必需品をそろえた後、幸村の病室を訪れたのだった。
きっと、一人でウィークリーマンションに滞在するそう言うと心配をかける。
そう思うからこそ、必要な嘘だった。
少しずつ、嘘を重ねる。
必要な、嘘。
そうじゃない、嘘。
こうやって、積み重なっていく嘘が色んなモノを見えにくくさせていった。
2007/09/22