守ってあげたい 58話











幸村との約束を果たすべく、毎週週末の神奈川通いが始った。

と言っても、この時点で7月になったばかりで原作の記憶を辿れば手術は関東大会の決勝戦の日つまり23日の日曜日だということを私は知っていた。

だから、この病院通いはあと少しで終焉を迎える。
予想していたより、彼―幸村精市の側に居る事は苦痛ではなかった。

どちらかと言えば、穏やかな雰囲気を持つ彼の側で何をするでもなく側に居るだけで、会話もあまり続かないけど、無言で居る事が辛くない。むしろ、心地よいと感じられる空気を彼は持っていた。
幸村はあれ以来、過去の私の事に一切振れずに居てくれた。

それが彼なりの優しさだということが、分かる。でも、優しすぎる彼の微笑みを見るたびに自分で居て自分じゃない、人を見ているのだということが分かった。
何故なら、その瞳は私を見つめるにしては優しすぎていたから……。


愛おしくて堪らない。


口では語らなくても、その眼差しが雄弁にそう語っているみたいで。
寄せられる好意が重荷になるだなんて、思いもしなかった。


、大丈夫?何だかあまり顔色が優れないようだけど……」

「え?そう、顔色悪いかな?でも、大丈夫よ。夏は食欲落ちちゃって、いっつもこんな感じだから」


土曜日の午後。
幸村の病室で二人きり、穏やかな時間が流れていく。

穏やかで緩やかな時間が時を刻む、だけどそれが二人とも偽物だということを知っていながら、それを見ないフリをして過ごしていた。



その日は、土曜日の午前中に幸村を見舞い昼の3時過ぎには幸村の病室を後にしていた。お馴染みになった駅への道を歩いていると、スポーツバックを背負ったワカメ頭に遭遇した。


「!」


相手も同じようにびっくりしたその様子から、待ち伏せの類では無いらしい。


「………………。」


数秒間の睨み合いの後、口を開いたのは切原からだった。


「見舞いの帰りッスか?」

「あ、うん。切原君も、お見舞い?」

「いや、俺は家がこの近くなんで帰る途中ッス」

「……そうなんだ」


どう会話を続けたらいいかが分からなくて、何を話そうかと考えていると。

切原が一瞬口ごもった後に、口火を切った。


「土日は、病院には近づくなって柳先輩に言われたんですけど。それって先輩のせいッスよね?理由も言わずに転校して行って、あげく俺らと顔を会わすつもりもないって事っすか?」


ふいにそう切り込まれて、流石にぐうの音も出なかった。


「俺は、3年の先輩達みたいに物分かり良く無いッスよ」

「皆に会いたくなかった訳じゃないの。ただ……ただ……」

「ただ、何ッスか?」


答えを促すように、鸚鵡返しに問い返されてもちゃんとした答えが自分の中にある訳じゃない。

だから。


「ただ、ちょっと気まずかっただけ……よ」


こんな曖昧な答えしか返せなかった。


「ふうん。分かったッス」


あっさりと引いてくれた切原にホっとしたのもつかの間。


「なーんて、言うと思ってるッスか?」


その次の瞬間には、それを覆されてしまった。


「そんな風に、適当な答え返して時間がすぎればいいとか思ってるんじゃないッスか?そして、きっと次からは俺と会わないように気をつけよとか思ってるっしょ?」


はっきり違うとも言い切れなくて、どこか意地悪げな瞳で私を見ている切原をただ見つめるしか出来なかった。


「とりあえず」


そう言った後に、切原は踵と返すと同時にバックを持って居ない方の右手でグイっと私の左手を掴まれて無理やり歩かされてしまった。

思ったよりも早い足取りで進む切原に。


「何処行くつもり?」


と聞いても。


「ついてからのお楽しみ」


とそう言われてしまう。


5分も歩かないうちに付いたのは、白い壁が綺麗な大きな住宅だった。
表札が切原となっているから、どうやら切原の家らしい。

無言で開錠して、靴を脱ぐ暇も与えない程にグイグイと引っ張られる。


「ちょっと待って」

「全部先輩の言うとおりにしてたら、俺は何にも知らないまんまッスよ」

「だからって、こんな」


掌に赤い跡が残るほど、ぎゅっと握りしめられていた手は痺れる程でその拘束が解かれたのはリビングらしき部屋に入ってからだった。
ジンジンと傷む手の痛みに、非難の眼差しを向けるとドサリと床の上にバックを落とした切原が私を憮然と見ていた。


「俺柳先輩と仁王先輩が話してるのを、偶然聞いたッス」


そう言われて、思わず自分のトリップした話の事かと思わず身構えてしまう。


「氷帝で、先輩が跡部さん、忍足さんの二人と付き合ってたって。それ本当なんッスか?」


自分が思っていた事じゃなくって、ちょっとだけホっとしてしまった。


「柳先輩に聞いても、仁王先輩に聞いてもお前が知る必要は無いって言われて。3年の先輩がたは何か急に物分りが良くなっちまって、俺だけ蚊帳の外で…」


そう言って、切原は苛立った様子でガリガリと自分の頭を掻いて。


「だから、誰も教えてくれないなら。本人に会ったら聞こうって思ってたッスよ。偶然にでも会えたんだから、聞かなちゃ損ってもんッスよ」


そう言って食えない笑みを浮かべて微笑った。

つまり切原が聞きたいのは、自分達に何の連絡もせずに消えた理由と、後は跡部や忍足と本当に付き合っていたのかどいう2点だということは分かった。


「突然転校したのは、親の仕事の都合で仕方なくって。皆に連絡するのは、携帯壊しちゃって番号分からなくなちゃって……。で、そのうちズルズル日が経つうちに気まずくって、連絡しなかったの」

「そっちは、この際どうでもいいッス。それより、跡部さんと忍足さんの件は本当なんッスか?」


その問いかけに、どう答えるか少し考え込んでいると、ふいに目の前が翳りふっと見上げると切原が、間近に来ていた。近すぎる距離に思わず少しだけ後ずさる。


「跡部や忍足と付き合っていたかと聞かれると、その答えはYESよ」

「どうしてッスか?先輩は幸村先輩の事好きだったはずなのに」


苦しそうな、切原の問いかけ。

その悲痛な声音と表情に、過去の自分が愛されていただろうことが分かった。

本当に立海大じゃ逆ハーだったんだ。シリアスな現状とはかけ離れた事がちらりと頭を過ぎった。


「過去の私と、現在(いま)の私は違うわ」


言外に今は幸村の事を好きじゃない、そう言ったことになっていた。

そんな深い意味で言った訳でも無く、事実だけをのべるとそんな言葉になったのだ。
ここで、また例の話をするつもりは無かった。

トリップしたという常軌を逸した話しを今以上に広めるのに抵抗があったのと、あの話をして私自身の存在を否定されるのが恐かったからだ。

それぐらいなら、私は私として軽蔑された方がマシ。そんな風に思った。

そんな私の言葉が切原の琴線に触れたのか、急に切原は激昂した。


「俺は先輩が好きだったッス。だけど、幸村先輩の事好きな先輩の事も好きだったッスよ。なのに、アンタは!」


どん、と切原に突き飛ばされ私はソファの下の絨毯に尻もちをついた。


「ちょ、何!?」

「俺にも、抱かせろよ。どうせ、氷帝のやつらにもやらせたんだろ?」

「ヤ、嫌っ」


肩を押され、引き倒され圧し掛かられる。
咄嗟に、腕で押し返そうとしてもテニスで鍛えられた切原の身体はビクともしなかった。

仰ぎ見た、切原の瞳は赤く充血していてその瞳の色にとても恐怖を覚えた。
真っ赤に充血した瞳が、私を捉えたままゆっくりと近づいてくる。

両手を突っ張って、必死で距離を保とうとしても私の抵抗など意に介さない風情でその距離は狭まる。

どんどん近づいて来る切原の瞳を唇から逃げようと、首を振ると強く頤を掴まれその痛みに開いた唇にぶつかるように切原は私に口付けた。

荒々しい割りに、どこかぎこちないそんな印象のキス。
痛いほど、舌を吸われくちゅくちゅと口内をかき回される。強引で一方的な口付け。

口付けが首元に落ち、カットソーの上から胸を揉まれる。
思わず反射的に瞳を開け切原を見ると、切原の目はもう赤く充血していなかった。

それに少しだけホっとしながら、私は口を開いた。


「赤也」



私が切原を名前で呼ぶとピタリと動きが止まった。


「何で、今更俺を名前で呼ぶッスか!?」






「ねぇ、先輩俺の事名前で呼んで下さいよ」

「ダメ、名前呼びは特別な人にだけって決めてるの」

「なら、尚更俺の事“赤也”って呼んで下さい」

「もう、バカ言って無いでさっさと練習するっ」






夢で見た、他愛も無い日常の風景が咄嗟に頭を過ぎった。

大人びていて、それで居て子供の瞳をした可愛い後輩。昔の自分は、この後輩の事もとても大事に思っていた。

その思いが、私に名前を呼ばせた。




「ゴメン。でも、赤也に嘘付きたくなかったの」

「アンタは残酷だ。好きなのに、こんなに好きなのに決して俺のモノになりはしないのに。そうやって、俺の気持ちを平気で踏みにじる。何でもかんでも、本当の事を言えばいいってモンじゃねぇ。先輩の正直さは、人を傷つけるッスよ」


胸の奥を抉られる思いがした。

正直で居たい、そう思う事でそれがすべて正しいのだと思っていた。
でも、私がそう生きる事で傷つく人間が居るということを分かって居なかった。

ここまで来て、私はやっと気付いた。

まっすぐ生きたい、自分に嘘つかないで生きたいそうやって生きる事で私は人を傷つけて来た。
トリップの話にしてもそう、真実を話す事で幸村は苦しんだ。

私は私自身が楽になるために、安易に真実を話しすぎた。
人を傷つけない為にも、嘘を吐く事が出来たはずなのに。


「そうね。切原君の言うとおりね。私は、自分一人が楽になることばかり考えてた。本当に最低よね」

「せん……ぱい」


かすれた声で切原が私を呼ぶ。

その声をどこか遠くで、聞きながら私はある決意を固めていた。








その日の夜、私の携帯に1通のメールが着信した。


柳からのメールで、幸村の手術の日が決まったという知らせだった。









 






2006.06.27UP

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