守ってあげたい 57話 柳side
俺と彼女――と出会いは、それは入学式だった。
桜が咲き誇り、澄み渡る春の空が印象的な日だった。
将来大きくなる事を見越して、少し大きめに作られた真新しい制服に身を包み、皆未来への希望に満ち溢れているように思えた。
大抵が保護者との二人連れで、かしましく母親が口をひらき一緒に写真を撮ったりどこにでるある入学式の風景が繰り広げられていた。
かくいう俺も記念撮影を終えた後、母親同士の歓談にふける母を横目に何気なくあたりを見ていた。
そんな中、一人でぽつんと佇んでいる少女が目につく。
大抵が親子連れの中、唯一人その場に居る姿が珍しくて思わずじっと見てしまった。
その少女は、小柄で肩を覆うくらいの長さの黒髪に黒目勝ちの瞳に白い肌と、人形のような容姿をしていた。客観的に見て整った顔をしている。容姿については、そう判断出来た。
どうして、目を惹かれたのかそれを考えていると少女がふいにこちらを見た。
「ッ……」
目が合った瞬間息が詰まる。
心をわしづかみにされたような錯覚に陥った。
とくん、心臓が今までに無い鼓動を刻む。
誰しも明るい笑顔を浮かべる中、唯一人まるでその中に溶け込むのを拒むかのような排他的な瞳をしていた。
少女が何故そんな瞳をして、此処に居るのか?
どうして、一人で居るのか?
そんな疑問が、自分の中に生まれる。
データテニスを続けていくうちに、テニス以外の出来事でも貪欲に知識を欲している自分に気がついた。それが、目の前の見知らぬ少女にも適応されるらしいことに少し自分でも驚きながらも、暗い表情をしている理由を知りたいそう思った。
この思いが単なる探究心なのか、その少女への興味なのかその時の自分には分からなかった。
目が合ったのは一瞬で、次の瞬間には興味なさげに目を逸らされてしまった。
周りの喧騒も何処吹く風なのか、一人暗い表情をして佇む少女。
知りたい、そんな欲求にかられて近づきかけた時。
そんな中、友達らしき少女がその少女に近づいてきた。
「、一緒に写真撮ろう?」
友達らしい連れの少女に話しかけられ、先ほどまでの暗い瞳が嘘のように少女の瞳に微笑みが宿る。
「うん。いいよ、行こう」
二人の少女が桜の木の下に並び、後から来た少女の母親らしい女性がシャッターを切る。
その光景を横目で見ながら、と呼ばれた少女の表情は明るく先ほどまでの陰鬱な表情は何かの見間違いだろうかと思った。でも、それはやはり見間違いなどでは無かったのだ。
撮影を終え、友達と別れた少女がふっと桜を見上げ一つ深いため息を吐いた。
一人に戻った少女の表情は、つい先ほど見たものと同じ暗いもので、先ほど見た笑顔はきっと作られた微笑みだと思えた。
「蓮二。何してるの?もう、行くわよ」
談笑を終えた母に話しかけられるまで、俺はその少女を見つめ続けていた。
桜が咲き、皆明るい表情を浮かべる中少女の存在は異質で印象に残った。
だが、きっとテニス部での再会が無ければいずれは思い出さず忘れてしまう出来事だったと思う。
入学して、2週間後―――-俺はと再び出会った。
厳しい事で、有名な立海大付属テニス部に入部して地獄の練習が待っていた。
基礎体力はあるつもりだった。だが、その限界を試すかのように課される基礎訓練。
毎日毎日、呆れるくらい走らされ終われば腹筋、腕立て伏せ、スクワットと何セットも繰り返された。入部して、1週間も経たないうちに最初100名以上居た新入部員は半分以下になっていた。
同じように、多数入部して居た。マネージャー志望の女子も多数が辞めて行っていたそうだ。そんな中、は辞めずに残っていた。さっさと辞めていく人間にが含まれて居なくて、俺はどこかホっとしていた。
マネージャーとして再会したは、明るく元気な少女だった。
入学式のあの日に見た陰鬱な表情をした少女と、目の前に居るの印象が重ならなかった。
その違和感も日々の地獄のような練習と、毎日の繰り返しの中でそんな疑問も薄れつつあった。マネージャーとしてのは、一生懸命な上に頑張り屋で男女の感情を抜きにしても好感の持てる人物だった。
そんな日々が繰り返される中、連日のハードな練習が祟ったのかその日俺は朝から調子が悪かった。だが、一年生の分際で安易に休むという選択も出来かねて無理を押して朝練に出て、その後不覚にも部活中に倒れてしまった。
目覚めると、ベットの上に寝かされて居ていた。
ライトベージュのカーテンの間仕切りが視界に入り、その場所が多分保健室であろうことは容易に想像出来た。
カーテンの向こうから人の話し声が聞こえる。
気を失っていたのがどれくらいの時間なのか分からないが、起き上がり閉まっていたカーテンに手をかけようとした時に、保険医らしき女性の口からの名前が出て思わず俺はその手を止めていた。
「テニス部に一年のっていうマネージャーの子居るわよね?」
「人数が多くて、名前まで把握しきれて居ないがそのがどうかしたのか?」
一人は女性、もう一人は男性で聞き覚えの無い女性の声はおそらく保険医の先生でもう一人の聞き覚えのある男性の声はおそらくテニス部の顧問のものだ。
「実は彼女の担任の迫田先生に相談されたんだけど。彼女のお母さん癌らしいのよ。今日明日どうこうっていうんじゃないらしいけど、治らないらしくて……。多分だけど彼女の性格上、それを部活の顧問の先生に言えないと思うのよね」
「…………そう、なのか?」
「うん。ちょっと話した事あるんだけど。すごい頑張り屋のいい子なんだけど、弱音を吐けない子なの」
「………俺はどうすればいい?」
「具体的に何かしてあげて欲しいとか、そんな話じゃないの。むしろ知ってて知らないフリをして欲しいの」
「難しいな」
「矛盾してる事言ってるのは、分かってるわ。私も出来るなら力になってあげたいけど、それを彼女自身が拒んでいるから……。だから何かあった時や、融通を利かせられる時には助けてあげて欲しいの」
「分かった、出来る限りの事はしよう」
自分自身の体温が下がるのが分かった。それが、体調の悪さからでなく知ってしまった重い事実のせいだろう事は分かっていた。カーテンを開きかけた手を、ぎこちなく戻し俺は再びベットへと沈み込んだ。
誰もが明るい顔をしていた入学式で、一人沈んだ顔をしていたの顔が脳裏を過ぎる。
暗い表情をしていていた原因が分かり、知識欲は満たされはしたが心の奥は重い鉛を飲み込んだように暗く沈んでいた。
それから俺が、に対して何かする事が出来たかと聞かれればその答えはNOだった。
話を聞いて、力になってやりたい、支えてやりたいと色々考えてはみたけれどそれを実行する事は出来なかった。
保険医の先生が言うとおり、自身救いの手を必要としていないようだった。
ピンとまっすぐに伸ばされた、小さな背にどれぐらいの思いを抱えているのだろうか?
そう問いかけたくても、俺自身はただの傍観者でしか無かった。
テニス部の部員とマネージャーその関係を維持し続けるしかなかった。
の後姿を見守る日々、そんな毎日を送るなか微妙な変化が訪れる。
の態度が特定の人間だけ違って来たのだ。
それは―――幸村精市に対する態度だけ違っていた。
幸村は同じ一年生ながらも、卓越した技術を持とテニスセンスを持ち現3年生すら打ち倒す実力を持つ人物でありながらも、秀でたものが持つ傲慢さなども微塵も無く。
俺にとっても、同じ目的を持つ盟友とも思える人物だった。
最初、はあきらかに幸村を警戒していた。
それがしばらく続くうちに、少しずつの表情が変わっていった。
今まで見ていた笑顔から、より自然な笑顔に変わった。
彼女が綺麗に微笑う。
その表情に見惚れる。
それは今まで自分が見てきた表情がニセモノだったという事の証明で、現在の笑顔が本来のの表情らしい。
そんな風に俺はを微笑ませてやる事は出来ない。
そう思った時、それが幸村への初めての敗北だった。
俺がしたくても出来なかった事を幸村はいとも簡単にしていった。
病床の母親を見舞い、を支え励ました。
俺がそのポジションを渇望していたのを、幸村は知らない。
が幸村の姿を見て、微笑むのを見るたびに俺の心は少しづつ死んでいった。
ゆっくりと死んでいく恋心。
どんなに願っても、俺を見ることの無い少女。
間近にその存在を見るたびに心は痛むけれど、盟友と少女の為と無理やり納得して狂おしいほどの思いを封印することを決めた。
痛む心に無理やり蓋をして、友人であろうと努めた。
だが、3年になった教室にの姿は無かった。
突然の転校、それに動揺しながらも俺は二人を間近で見続けなくて済む事に安堵さえしていた。
そして、再び出会ったは俺の知るでは無かった。
仁王は言う。
「ありゃ、別人ぜよ。俺らが諦めなならなんだ、幸村の“ ”はもうおらんぜよ」
その言葉を聞いて、鼓動が跳ねる。
仁王の言葉を否定し、はでしかありえない。そんな言葉を紡ぎながらも、自分自身の言葉とはうらはらに幸村のもので無い“”を渇望している自分に気付いていた。
――――もう一度、彼女を望んでも許されるのだろうか?
2006.06.13UP