守ってあげたい 56話
先週の柳の偵察で俄かに収まりかけていた噂話がブリかえしたのか、月曜日に登校してみると。まーたあっちでヒソヒソこっちでヒソヒソとうっとおしいことこの上なしという感じだった。
「…おはよ」
どよーんとした感じでに話しかけると、苦笑いされてしまった。
「おはよう、。神奈川行ったんだって?」
「どうしてソレ知ってるの?」
神奈川行きの事は特別、に話すような事でもないので言っていなかった。
なので、いきなりそう問われて間髪入れずに問い返していた。
「……本当なのね。神奈川行きの電車のプラットホームでを見たって、あちらのお嬢様方が吹聴してまわっていたのよ。氷帝の男を食い飽きたから、今度は昔の男に戻ったとか何とか言いふらしてるわよ」
それを聞いてため息が漏れる。
私にプライバシーは無いのかと言い募りたいけど、跡部や忍足の事で恨みを買っていて直接私に危害を加える事も出来ないのでウサばらしに、噂を流すのがせいぜいなので。
まともに相手にするつもりは無いけど、あんまりな内容に苦笑が滲んだ。
「あっちの知り合いのお見舞いに、行っただけなんだけどね」
あははと乾いた笑いをこぼすと、同情した瞳で見られてしまった。
朝から気力を削がれた私は、やる気も一緒に削がれたのかフテ寝を決め込む事にして、授業をエスケープすることにした。
普段ならブツブツ言うも、今回ばかりは見逃してくれるのか何も言わなかった。
そのまま授業が始り、1時間目が終わって屋上にでも行くつもりで特別教室棟をホテホテと歩いていると遠目からでも目立つ長身で銀髪を見つけた。
するとあっちもこちらに気がついたのか、鳳が走って来るのが見えた。
ニコニコ顔の鳳が現れて、これ尻尾があるならブンブン振る姿が見えそうだなとか余計な事を考えてしまった。
忍足や跡部とは違い、鳳とはたまにメールしたり廊下などで会えば立ち話したりするくらいの距離を保っている。
「さん。何処行かれるんですか?」
「んー。あんまり大声では言えないけど、サボりかな?」
「ご一緒します」
「えっ?」
いいとも悪いとも言わない間に、さっさと自分の教科書をクラスメイトに預けて来てしまった。
「何処行きます?」
邪気の無い笑顔でそう言われて。
今更駄目とも言えないので、二人で連れ立って屋上に行く事にした。
真夏の日差しが厳しいので、北側の日陰に二人並んで座る。
風の通り道になっているのか、時折心地よい風が通り過ぎる。
「いい、サボリ場所ですね」
「んー。この場所は、忍足に教えてもらった場所なの」
「忍足さんに、ですか?」
「うん」
私がそう答えると、鳳は少しだけ複雑な顔をした。
「この間からずっと聞きたいと思っていたんですが、いいですか?」
「何?」
「さんと忍足さんは別れたのですよね?」
「……。別れたわ」
当たり前の事実を突きつけられる。
それが、まだ自分の中に何かを傷つけるのか心に痛みを感じた。
過去の話に出来るほど、まだ傷は癒えていない。
「なら、何故忍足さんと普通に話してるんですか?」
「……。友達に戻ったのよ」
「本当の事だったんですか……。」
「え?」
「いえ、忍足さんにさんにしたのと同じ問いをしたんですよ。そしたら、さんが言ったように友達に戻ったそう言ってたので……。」
つまりは、忍足の言葉だけじゃ信用できないから、裏を取りに来た。そういうことらしい。
「忍足の言葉だけじゃ信用出来なかった?」
「そういう訳では……。納得が出来なかったとでも、言うのでしょうか?」
まぁ、別れた恋人同士が友達に戻るだなんてこの歳の子達の間じゃ異例も異例だろう。年齢重ねても、お友達関係に戻れるのはかなり稀だと思うしね。疑り深くなるのも無理は無いかもしれない。
「ともかく、今は友達だから。電話もメールもするし、会えば話もするわ」
「俺と同じような関係という訳ですね」
そう切り込まれて、目の前の鳳の視線に男を感じた。
好きだと言われていたのだ。跡部とも忍足とも別れた今、鳳がどんな心境でいるかだなんてそこまで思い至らなかった。
「そうね」
かける言葉が思いつくはずもなく、苦笑を返すのが精一杯だった。
そんな私の様子を見て、鳳は深いため息を吐いた後。
「神奈川に行かれたそうですね」
そう言って、話題を変えてきた。重い雰囲気になりそうだったので、これ幸いと便乗して話を変える事にした。
「噂聞いたのね。行ってたわ、でも男を漁りに行った訳じゃないわよ」
そう冗談めかしに言って笑うと、鳳も同じように笑って返してくれた。
「私が立海大でテニス部のマネージャーをしてたってのは知ってるでしょ?」
「ええ」
「記憶が無いという話、この間話したわよね?だから、私もあっちとは極力関わらないでいこうと思っていたんだけど。私の助けが必要みたいなの」
「記憶喪失みたいな感じとはこの間伺いましたが……」
あの時は状況も状況だったので、大雑把にしか説明していなかった。
中途半端な説明しかしていなかったので、幸村や柳にした話と同じ話を繰り返し鳳に話聞かせることにした。
「信じられない話だけど、本当にあった話なの。まぁ、信じる信じないは個人の自由だから」
私は、そう言って話を締めくくった。
「俺の答えはこの間言ったのと同じく変わりません。俺はさんを信じます」
間髪いれずにそう返された、迷いの無いまっすぐな瞳。
純粋なる好意を向けられて、その気持ちを嬉しいと感じることが出来た。
「ありがと、そう言ってくれてちょっとホっとした」
「それで、助けとはどういう事をするのですか?」
「簡単に言うと側に居る事かな?」
それから、勝手に他校の事情を話してもいいかどうか自分では判断が出来なかったので、具体的に誰という固有名詞は出さずに、テニス部の中で難病にかかった者が居てその人物がとても精神的に追い詰められているということを説明した。
「そっちの人たちは、さんの事情知ってるんですか?」
「知ってるわ。……違うって分かっていても縋らずにはいられないほどに、追い詰められているって言えば分かりやすい?」
「追い詰められて、いるんですか?」
「ええ……。とてもね。だから、その人が手術をするまで側に居る事に決めたの。まぁ、でも厳密に言うと私って、あっちに居た私と違うじゃない?だから、どの程度助けになるかどうか分からないんだけどね」
「辛くないのですか?」
「どういう意味?」
「だって、その人たちが求めているのはさんであってさんじゃない人なのでしょう?それなのに、自分を殺してその場所に居続けるという事がどんな事なのか。俺にもそれぐらいの事は想像出来ます」
「私は大丈夫。だって、ここに私が居るから“彼女”が居ないのだから……。だから、これくらい平気よ」
「どうして、そこまでしてさんが犠牲にならなくちゃいけないんですか?」
「え?」
「今自分がどんな顔してるか、分かっていますか?『大丈夫』そう言いながら、どんなに苦しそうな顔で笑っているか自覚無いんですか?」
思わず自分の顔を掌で撫でる。笑っている自覚はあったけど、苦しそうな顔をしたつもりは無かった。
「さんにとって彼等がどんな存在なのか、俺には正直想像も出来ません。でも、俺が好きなのは今目の前に居る貴方です。その大切な人が辛そうにしているのに、それを黙って見過ごすことなど出来ません」
「………。鳳はテニス好き?」
「何ですかいきなり」
唐突な話題転換に鳳は訝しげな表情をした。
「いいから答えて」
「好きです。さんへと思いとはまた違った思いですが、俺はテニスが大好きです」
「じゃあ、それがもし出来なくなるかもしれないって言われたらどうする?」
「あっ…」
私のその言葉に鳳が息を呑む。
「つまりはそういうことなの。それに、強制された訳でも義務感からでも無いの。私が側に居てあげたいの」
「……分かりました。でも一つだけ約束して下さい。もし、辛くなったら俺を呼んで下さい。俺は忍足さんみたいに話すの上手くないけど、こうやって話を聞いたり側に居る事は出来ますから」
優しい優しい静かな瞳。その瞳の奥に明確な意思を感じた。
鳳の言葉があまりに優しくて、少しだけ泣きそうになってしまった。
「ありがと、もし辛くなったら。そうする」
泣き笑いの表情でそう言うと、尚更その笑顔が優しくなった。
「さん、もう一つだけ聞いてもいいですか?」
「いいよ」
特に質問は何個までって決まっている訳でのないのに、イチイチ確認を取ってくる辺り律儀だなと思ってしまった。
「さっき俺に話してくれた話って、跡部さんや忍足さんも知ってますか?」
「さっきの話って、異世界云々って話の方?」
「はい」
「言ってないわ」
特に話す必要性も無かったし、今更急にそんな事言われてもびっくりするだけだろうから、これからも話すつもりは無い。
だから、深く考えずに否定の返事をすると。何故か嬉しそうな顔をした。
「そうですか」
ニコニコ微笑むその顔に、どうしたの?と問いかけるのも憚られて私はそれ以上の問いかけをしなかった。
キラリ。
何処かの教室の窓ガラスかそれか誰かの手鏡に反射したのか、定かじゃないけど鳳の銀髪に一瞬光が差し込んだ。
キラキラ反射する光に一瞬見とれた後に、私は気がついた。
立海大で、私を甘やかそうとしてくれるの人物と、氷帝で優しく支えてくれようとしている人の髪の色彩が同じという事に。
2006.04.23UP