守ってあげたい 51話 仁王side
「に、おぉて来たんか?」
今日柳が氷帝に偵察に行くのは、前から決まっていた事で出来るなら自分も同行したいと思っていた。
だが、お堅い真田がそれを許すはずもなく、こうして偵察から戻って来た柳を捕まえて、首尾を聞いていた。
「会ってきたが、それが何だ?」
「おぉて見て、どうじゃった?」
柳は俺のその問いかけに、得心がいったそんな風にクスリと微笑んだ。
「幸村から聞いた話で、少し気になった点があった。それについて、話をしたら色々興味深い話が出てきた……。その様子なら、仁王も知っていたようだな」
「面白い話じゃったやろう?」
「仁王はの話を鵜呑みにしたのか?」
「初めは半信半疑じゃった。手っ取り早い方法で試してみたんじゃ」
「手っ取り早い方法とは何だ?」
データマンの習性というか、自分の知らない事があるのを嫌う柳らしい反応ですぐ問い返してくる。
「身体で試したんじゃ」
「なっ!?」
冷静沈着な『達人』との二つ名を持つ男も、所詮中学生なのか戯言にも敏感に反応する。
「ちゅうても、キスしてみただけじゃ」
人の悪い微笑みを浮かべて柳を見ると、一瞬だけ崩れた表情は既に元に戻っていた。
「あまりふざけた事ばかり、言わないでもらいたい」
「ふざけとりゃせんよ。言葉で信じられん時は行動に出るが一番、よう分かる。俺の個人的な意見では、ありゃ15歳の小娘がするようなキスやなかったしのう」
「…………。貴重な意見として、受け止めておく」
目の前の冷静な仮面を被った男が、心の中で何を考えているのかそこまで図りきれるほど俺は柳の事を知っている訳じゃない。
だが、この男もに対する好意を抱いていた事を知っている。
それを、押し殺し押さえ込んで幸村の良き友人として、振舞ってきたのは俺でも分かる事実だ。
「ありゃ、別人ぜよ。俺らが諦めなならなんだ、幸村の“”はもうおらんぜよ」
そう嘯(うそぶ)くと、普段は閉じている柳の双瞼が一瞬だけ開いた。
「たとえそうだとしても、現在(いま)だけは幸村を好きだったで居て貰わなくては、ならんのだ」
「全ては、幸村の為ちゅう訳か……。」
病状が思わしくないのは、聞いていたが幸村が追い詰められるほどに病状が悪いということらしい。
「手術をすれば、治るらしい……。だが、その手術の成功確立は20%だ」
「そらそら、流石の幸村も参るじゃろうのお」
「成功すれば、完治するらしいが。失敗すれば一生テニスは出来ないと、聞いた」
「きっついのぉ」
「だからこそ、が偽者か本物かという点は問題じゃない。幸村の側にが必要なのだ」
「……………。」
友情に厚い柳が言いそうな事だと思うが、中身が違っていようが問題じゃないという点に引っかかりを覚えた。
そんなつもりで言ったのでは無いだろうが、幸村の側にが居てくれるならその気持ちはどうでもいい。そう言っているように聞こえた。
この間会った、25歳のは本人が言うように歳相応の落ち着きをみせてはいたが、見も知らない人間の為に犠牲になれ、そう言われても享受するようには見えなかった。
「偽者のが傷つくぜよ。俺らの好きだったじゃ無かったとしても、はじゃなか?」
「確かに、はのようだな。昔の情景を夢に見る、そう言っていた。その点から推察するに、俺達の好きだったはきっとあの内(なか)に居る」
同一の存在なのだから、それ以上は言うなそんな風に聞こえた。
柳らしくない言葉で、分析力に優れていて冷静さが売りのはずなのに幾分地の感情が透けて見える。
柳の中で、どんな感情が渦巻きどうしてそうなったのかなど分かりえない事だが偵察から帰ってきた柳がいつもと違う事から、その理由が“”であることは明らかだった。
「俺はそういう風には思わんぜよ」
「……そう思う、理由は?」
「理由なんてありゃせん。あえて言うなら、男の勘じゃのう」
「ともかく、俺達は手を引くと、決めたはずだ。その約束を忘れるな」
そう言い捨てて、踵を返して柳は去って行った。
春休みの、まだが居なくなるだなんて予想もしていない頃3年生のうち、幸村と真田以外のレギュラー陣が集まって話した事があった。
その場に残ったのは偶然で、確か口火を切ったのは柳からだったと思う。
「いい機会だから、ちょっと話あわないか?」
「話?いーけど、短めにしてくれよ。俺この後、用事あるんだ」
のほほんとした丸井の相槌に促され、皆柳に視線が集中する。
「の事だ。ほとんどの者が感じていると思うが、と幸村が思い合っているという事を。皆色々思う所があるだろうが、出来るなら二人を暖かく見守ってやって欲しい」
「簡単に言えば、手を引けという事ですね」
穏やかさの中に、切り込むような鋭さで柳生がそう言うと、柳は怯む事なく鷹揚に頷いた。
「人が人を好きでいるのは、自由だと思う。俺は強制されたくない」
自分の気持ちは自分のものだ。そう強い口調で丸井は言い切った。
「勿論、それはその通りだが。なら丸井、お前は幸村と争うというのか?」
「……。それは…」
「つまり、俺が言いたいのはそういう事だ」
一人の女に複数の男。
正常に考えれば、争いが起きるだろう。それが今まで無かったのは、不可侵協定という誰をも特別にならないという後ろ向きな決まりがあったからこそ、この状況を維持出来ていたのだ。
「俺は、一抜けでかまんぜよ」
元々、そんなに本気じゃなかったから俺は軽い気持ちでそう言っていた。
アイドル心理とでもいうのか、皆で花を愛でるような気持ちでいたのでそれを諦めろそう言われて、俺は簡単に了承の返事をしていた。
俺はその後そのまま帰ってしまったので、その後どうなったかは知らないがあの後丸井あたりがかなりごねたらしい。
だが、部の調和の為か何とか言って柳が押し切ったらしいということは聞いていた。
どうして、柳がそこまでしたのか?
その理由はそうしなければならないほどに、己が追い詰められていた。
そう考えるのが自然だろう。その気持ちが分かっても、対岸の火事のように無関心でいられた。
だが、今回ばかりはそうはいかないようだ。
芯の通った瞳をして、知っていて知らない女の顔をした少女。
過去の自分の存在に怯えていたように見えた。
自分自身の居場所を必死で探しているようにも見えた。だからこそ、柳のようなやり方ではまずいだろうことが容易に想像出来た。
あの強くて脆い不思議な存在を、捕まえたい。
俺の為に微笑ませたい、衝動的にそう思った。
自分のその感情が、今までのへの思いと全く違ったもので暖かな感情などではなく、激しい激情と呼ばれる部類のものであることを意識して苦笑が漏れる。
「俺はいまのが、一番好みやのう」
クツクツと笑いながら、今週末に来るであろうの事を思っていた。
先ほど、柳とのやりとりの時に柳の手帳をスリ取っていたのだ。丁寧にダミーを戻しておいたので、気付くはずもないのだが手帳を開くと週末にが来る事と、の電話番号とアドレスを発見した。
それを携帯に打ち込んだ後、再度この手帳を戻すべくまだコートに居るであろう柳を探す事にした。
「しかし、恋が目を節穴にされるっちゅうんは本当やのう」
達人と呼ばれるほどの洞察力を持ちながも、恋すれば普通の男に成り下がるのが可笑しくて仁王は笑いながらコートへの道を歩いていた。
だが、同じ女に二度惚れるなどこっけいなのは自分も同じだという事に気付いて尚更仁王は微笑みを深めた。
2006.03.31UP