守ってあげたい 45話
振り返った私を仁王は、ジっと底を見透かすような瞳で見ていた。
居心地の悪さを感じながらも、懐かしい人に会ったそんな風を装わなければいけないけど。
この目の前の詐欺師と呼ばれる男を騙しきれる自信は正直無い。
誰よりも、この男に会いたくないが為にわざわざ土曜日という日を選んで来たはずだった。
ため息が漏れそうになるのを飲み込み、ゆっくりと口角をあげて無理やり笑みの形を形どる。
「久しぶりだね、仁王。私が良くここに居るのが分かったね」
幸村に言われたように、まっすぐに人を見つめるのではなく少しだけ目線をはずして微笑みながらそう言ってみる。
「何となくそんな気がしていうんは言い訳やの。今日、が来るそんな予感がしたんじゃ」
「へぇ……。そうなんだ。本当は日曜に来ようと思ってたんだけど、ちょっと都合悪くなっちゃって今日来たの」
「幸村とは会うたんか?」
「うん。元気そうとは言えなかったけど、ちゃんと話はしたよ」
バレて、追い返されましたとは言えるはずも無いけど。
幸村ならきっと私の秘密を黙っていてくれるはず、訳も無くそう思うから騙せるだけ騙して見ようそう意気込んで慎重に言葉を選びつつ話をすることにした。
「立ち話もなんだから、どっか移動する?」
軽く頷いてくれたので、来る途中に見た小さな公園へと歩みを進める。
その中のベンチに腰掛けると何も言わないのに、自動販売機でジュースを買って来てくれた。
昔よく飲んでいた「午○の紅茶」のレモンティーを差し出されて、これはこっちにもあるんだとちょっと感心してしまった。
お金を払おうとすると、「これぐらい奢らしんしゃい」そう言われてありがたく頂くことにした。
そうは意識してなかったけど、喉を潤してみて自分が乾いていたことが分かった。
幸村と対峙するのに、緊張していつのまにか喉はカラカラになっていたらしい。
まさかこれを見越して、仁王は紅茶を奢ってくれたのかな?
そんな邪推が脳裏を過ぎるけど、そんな訳ないとその馬鹿な考えを打ち消す。
「ごめんね。全然連絡しなくて、新しい学校に慣れるの大変で携帯も壊れちゃって気まずいままずるずるきちゃって……」
「そんなん、全然かまわんよ。が元気なら俺はそれでええ。それより、何で髪切ったんや?」
跡部と忍足のファンに切られました。そんな事言える訳もないから。
「気分転換かな?特に理由は無いよ」
「ほう、そうか。失恋とかそんな理由を期待しとったけど。そうやないんやの」
「うん」
「ふうん。幸村が好きじゃった長い髪をあっさり切ってしもうたんは、幸村と終わったからそう思うたが、そうや無かったんやな」
「え?」
「の長い髪を、幸村が好いとったんはおまんも知とったはずじゃろ?」
そう切り替えされて、知っていたとも知らなかったとも言えるはずもなかった。
長い髪を好きだと言ってくれる人なんて、昔の私には居なかった。だから、髪を切られても何とも思わなかった。だけど、こっちの世界の私にはそう言ってくれる人が居て……。
ああ、分かっちゃった。
きっと幸村は髪を切った私を見て、それだけでおかしいと思ったんだ。
幸村ほどの人なら、きっと15歳の私が幸村に好意を寄せていることぐらい気付いていたはずだ。好きな人が、好いてくれる髪をわざわざ切る子なんて居ない。
また理由があって切ったのなら、ちゃんとその理由を言うはずだから。
一度病室で髪の事について聞かれて、世間話の一つとして流して何も答えなかった私を幸村はいぶかしんだはずだ。
自分の胸にかかるほどに短くなった髪を無意識に握り締める。
「……。幸村には内緒にしてね。髪ちょっとトラブルになって切られちゃったの」
嘘の中に本当の事を織り交ぜて話す。
こうすると、嘘はバレにくい。経験から知っている事。
「トラブル、それはいただけんのう。相談に乗るから話しんしゃい」
「うーん。その事については、もう決着ついたから大丈夫よ。ありがと、心配してくれて」
「跡部か忍足がらみの事かの?」
そう言われて、瞬間凍りついた。
「……。知ってたんだ」
「こっちには柳がおるからのう。情報収集力にはことかかんぜよ」
「幸村も知ってるの?」
「流石に状況が状況やから、雑音は入れとらん。幸村の事好いとったおまんが、いきなり人が変わったかのように跡部や忍足と付き合うやなんて流石の俺も信じられんかったが、今のその反応見て……どうやら事実らしいのう」
丸井や赤也はこの事知らんぜよ。そう続けられても突然告げられた事実に目を見張るしかない。
「…に、んげんは変わるよ」
非常に苦しいとは思うけど、そう言って誤魔化すしかなかった。
「まぁ、ほうじゃろうな。いつまでも変わらん奴なんておらん。二人ともええ男じゃけぇ、氷帝に行ったが惚れても無理ないかもしれんのう」
私はその言葉に苦笑で返すしかなかったけど、とりあえず何とか誤魔化す事が出来てホっとしていた。
「所で、ずっと気になっとった事があるんじゃが一個聞いてええか?」
「うん?」
「おまいさんは誰じゃ?」
今まで、好意的な笑顔で接してくれていた空気が一遍した。
獲物を追い詰める狩人のような顔をして私を見る。
「………。誰も何も、私はよ。それ以外の何者でも無いわ」
こみ上げる怯えを押し殺して、捕食者の瞳をした男を精一杯睨み返す。
「ああ……。違うのう、絶対違うぜよ。俺の知っとうはそがなゾクゾクするような瞳はせん」
得体の知れない恐怖感に支配され、ゆっくりと私へと伸ばされたてくる手を、馬鹿みたいに見つめるしかなかった。
頬をなぞられ、長い指が私の唇をなぞる。
「のう、。目の前のおまいさんは知らんやろうが、は俺がって呼ぶ度にいちいち苗字で呼べって煩かったんや。それが、今いくら俺がって呼ぼうが目の前のおまいさんはなーんも言わん。それはどういう事や?」
「………。そ、れは」
言い逃れは許さない、そんな風に見つめられて私は本日2度目の話を繰り返す事になった。
25歳の私の精神が15歳のこちらの世界の私の体に入り込んだなど、一つ間違えばおかしくなったそう言われても仕方ない話だと思うから。
話し終わって、どんな返事が返ってくるのか正直恐い。
仁王は幸村と同じように、真剣な顔で私の話を聞いてくれた。
「不思議な事もあるもんじゃのぉ」
「し、んじてくれるの?」
「俺の知っとうは、そがいな嘘つくおなごや無かった」
何だろう、信じてもらえて嬉しいはずなのに15歳の私のおかげで信じてもらえた事に素直に喜べなかった。
「幸村はこの事知っとるんか?」
「仁王と同じように……ううん、もっと早い段階でバレたわ」
「愛ちゅう訳かの」
「多分、そうでしょうね」
「目の前におる、は本人であって別人ちゅう訳か?それは俺にとっては好都合やの」
「え?」
「俺は相思相愛の二人を引き裂く趣味はないき。幸村を好きなの意思を尊重して、諦めとった。じゃが、都合良う外見はそのまんまで中身俺好みになって、帰ってきたを俺がもう一度諦めなならんちゅう事はなかろう」
「な…にそれ」
それって、本物は手に入らないからニセモノで代用しましょう。そういう風に聞こえた。
「馬鹿にしないで。貴方達の好きだった“”と私は確かに別人だけど、私は私で誰かの代わりにされて黙っていられるほどお人よしじゃないわ」
「ああ……。言い方が悪かったかの。惚れ直したって言うとるんぜよ」
顔色一つ変えずに、そう言う仁王を信じられるほど私はこの人の事を知らない。
何より、幸村と対峙したときからずっと心の片隅に凝り固まっていた感情が一気に表面化してきていた。
「貴方達が好きだった子と私は違う人間なの。なりたくてもなれないの、私は私でしかないんだから………」
吐き出すようにそう言っていた。
そう私は15歳の私に嫉妬していた。
幸村に愛され、そんな嘘は言わないというそれだけの理由で信じてもらえる。
裏切りも打算も知らない綺麗な15歳の自分、なれるならその存在に成り代わりたいそう思ってしまった。
綺麗な感情だけで人を愛して、愛されていただろう自分。それは昔私が欲しくてたまらなかったもの。
自分で自分に嫉妬するそんな馬鹿げた事態に、乾いた微笑みが滲む。
「苦しまんでええ。俺はそのマンマのに惹かれた言うとるんや。俺の言う言葉は信じられんか?」
「……信じられるほど、貴方の事知らないわ」
「まぁ、そうやろな。……なら信じられるまで、側におったらええ」
普段テニスラケット握っている、大きな手が私の頭を撫でる。
その心地よさに、しばし酔っているとゆっくりと仁王の顔が近づいてくるのが分かった。
口付けられる、そう思ったけど避ける気力も無い私はそのまま口付けを受けていた。
ゆっくりとあわせられた唇を割り、舌が入り込んでくる。
歯列をなぞられ、その快感にビクリを体を震わせるとなだめるように背を抱かれた。
進入してきた舌に、本能的に自らの絡め返すと背を抱く男の体が震えた。
ひとしきり口付けた後に、仁王が言った言葉が。
「俺の知っとる。はそんなキスせんじゃろな。ごちそうさん、これではっきりしたわ」
今までの雰囲気とはガラリと変わり、用は済んだとばかりに突き放されてそう言われる。
「……。試したのね」
「すまんと思うたが、これが一番てっとり早いと思うたんじゃ。いくら跡部や忍足と付き合うたちゅうても、15歳の小娘がそんなキス出来る訳ないきの」
好きだそう言われて、一秒でもその気になった自分を恥た。
物事をはっきりさせる為なら、平気で人を騙す。それを自ら体験して、思い知った。
ゆっくり手を振り上げ、おもいっきり仁王の頬を打った。
パン。
乾いた音が響き渡る。
ゆっくりとした動作をわざと取ったので、避けるなら避けられたはずだ。
わざと頬を打たせた男を睨みつけると、ニっと逆に微笑まれてしまった。
「惹かれたちゅう言葉は嘘やないき」
「……。信じないわ」
「信じてさせちゃる」
いくら言われても、その言葉をもう一度信じるつもりは無かった。
そんな時ふっと、あるたくらみを思いつく。
「今度は本当に信じてもいいの?」
「ええよ」
「分かったわ。でも、もう一度だけ殴らせて。……目閉じてくれる?」
私のその言葉に、大人しく従って瞳を閉じたのを確認して私はそのまま音をさせないようにその場を離れた。
目を開けた仁王がどんな思いをするのかそれを想像してちょっとだけ溜飲をさげることが出来た。
帰りの電車の中、私は神奈川に来たことを後悔していた。
2006.03.11UP