守ってあげたい 35話
…愛しとるで……。好きや。
ぎゅっと抱きしめられる温もり、触れ合う素肌の感覚と体内で忍足の熱を感じる。
ああ、今私は忍足と繋がっている。
身体が歓喜に打ち震える。
ゆっくりと律動が始まり、それがだんだん激しくなっていき身体が灼熱の感覚に侵されていく。
触れ合う素肌も、絡み合う粘膜も狂いそうになるほど熱い。
『はっあぁ……。ああ…ゆう…しっ』
―――――好き。
ピッピピッピピピピーー
枕元の目覚まし時計の音で目が覚めた。
覚醒は最悪だった。
よりによって、忍足に抱かれる夢を見るなんて。
その夢があまりにリアルで、封じ込めたはずの感情が蘇りそうになってしまう。
好きだと愛してると囁かれ抱かれ、この上もなく幸せだった記憶。
この幸せを守る為なら何でも出来るとその時は思った。
でも、現実の自分はとても臆病で愚かで、まるで釦を掛け違えるように。
一つ歯車が狂ったら、すべてがおかしくなってあっさりと壊れた。
壊れた恋。
私は跡部と付き合うことを決めて忍足の事は諦めたはずなのにこうやって見る夢で、自分自身の思いを思い知らされてしまう。
断ち切ろうとすればするほど、忘れようとすればするほどに苦しい程に募る思いは忍足への思い。
―――――好き。
目覚める瞬間まで、私の中にあった思いはその思い唯一つだった。
カーテンから漏れるすがすがしい陽光とはうらはらに、私の心の中は混沌としていた。
あれから、私は跡部と付き合うことを決めた。
これが正しいことかどうかなんて私には分からない。
だけど、温もりを欲している私と、どんな形でもいいから私を側に置きたいという跡部との間で利害が一致したとでも言うのだろうか?
自分の中で、この行動の理由を正当化しようとして必死だったのだ。
どんな言葉で取り繕っても、私のしている行為は逃げで跡部の思いを利用している。
こんな私を好きだと言って、一心に私を求めてくれる跡部に対して私は何一つ返せない。
「なんだ?」
「ううん。何でもない」
しまった、ついボーっとしていたようだ。
今はお昼休みでお付き合いが始まって、自然とお昼を一緒に食べることになった。
生徒会長と、200人の部員を纏めるテニス部の部長この両方をこなしている跡部は本当尊敬に値すると思う。朝は朝練、放課後は部活動と生徒会この二つに占領されていて自由になる時間はお昼休みくらいしかないのだ。
今はそのお昼休みに、例の生徒会室でお昼を食べている。
広げられたお弁当も重箱といったほうがいいような大きさで色とりどりの食材が、上品に配置されている。どう見ても、一人前に見えないのでとまどっていると箸を差し出されて「食え」と言われたのでご相伴になることにした。
今日も今日とて、そのお弁当を二人で食べている。
別段話すこともあまり多く無く、会話も途切れがちになるけれど無理に話をする気にもなれなくて二人で居て無言の時間が結構多い。そんな時に、跡部を見れば熱の篭った目線で私を見ている。
愛されている。
多分、いえ間違いなく。それは言葉でも聞いたけれど。こうして二人で居るときにでもそれは感じられた。
「美味いか?」
「うん。美味しいよ、跡部が羨ましいよこんな美味しいもの毎日食べられるなんて」
「フッ……。何なら、夕食もうちで食うか?」
案に夜、家に来ないかというお誘いだということが分かる。
それが何を意味しているのか分からない程馬鹿じゃない。
「……。それは謹んで辞退させて頂きます」
「そうか」
付き合いだすと、攫われるように身も心も奪い尽くされるようなイメージがあったけれど意に反して、私の意志を尊重してくれるのか強引に事に及ばれることは無かった。
だから冗談めかしに誘われる誘いを、のらりくらりとかわすような感じだった。
跡部と付き合い出すようになってすぐに、に跡部との事を報告したらかなり複雑そうな顔をされてしまった。
「本当にそれでいいの?」
そのの問いが今の私には何よりも辛かった。
「うん。もう、決めたの。それに実は跡部にはかなり前に告白されていたの、だけど例の1件があったから返事を待ってもらってたの。忍足との事も一段落ついたし、だから付き合うことにした」
なるたけ幸せに見えるように、明るく微笑んでそう報告した。
はそれ以上突っ込んでこなかったけれど、何か言いたそうな顔をして私を見ていた。
友達に隠し事をしている私は、うしろめたい気持ちもあってそんな様子のを不審に思っても、問いかけるのが恐くて何も言えなかった。
忍足side
と別れて、半ばヤケになって己がわざわざ遠ざけた女どもと遊び歩いた。
どんな女を抱いても、俺の飢えは無くなることは無く。
降り積もるように虚しさと寂しさだけが、募っていく。
そんな時に、靴箱に手紙が置いてありラブレターかと思い開けてみると、昔の女でありの友達でもあるから呼び出しだった。
正直すっぽかすつもりだったが、何処から調べたのか当日メールにまで連絡が入って仕方なくその場所に行くことにした。
部活の無い水曜日の放課後。
と行ったことがある駅前の喫茶店。「AQUA」に16時の待ち合わせだった。
流行のカフェスタイルには程遠く、どこか古ぼけた感じの店が懐かしく感じられて、と付き合っていた頃には頻繁に通っていた店だった。
「待たせたな」
「ううん。そうでもないわ」
16時前に到着したはずが、はそれよりも前から待っていたのか既にコーヒーを飲んでいた。対面にドカリと腰掛け、適当にブレンドを注文する。
「で、今更何の用や?」
「と何があったの?」
「何がって、何があったのかなんてお前なら知っているはずや」
「分からないのよ。に聞いても、最初の予定通り告白してきた忍足君を振ったとしか言ってくれなくて」
「がそう言うなら、そうなんやろうな。お前とと二人で俺コケにしとったんやから。その予定通りになって、嬉しいちゃうんか?」
「ま、真面目に聞いて。と忍足君の間に何があったのか私は知らないし、なりゆきであんな事になちゃったけど。今のを見て黙っていられないの」
「…………。」
「忍足君の事振ったっていう日から、の様子がおかしいの。すごく辛そうな顔するのに、無理して笑ってるの。問いかけても、大丈夫だって。死にそうな顔して、笑っている姿見てそれを見過ごす事なんて出来ない。それに、はずっと否定してたけど。本当に忍足君の事好きになってたと思うの。だけど、私に遠慮してその気持ち押し殺してて……。は優しい子だから、ずっと素直になれなかったのだと思う」
「遠慮ってなんの事や?」
「私が、忍足君に気持ちを残しているの知ってたと思うの。今はちゃんと吹っ切れたんだけどね。友達の好きだった人を好きって言うのは、女の子にとっては結構勇気がいるのよ。私は、が忍足君の事好きだって言うなら。祝福するつもりだったんだけど……」
「………。どんな言葉で取り繕っても、が俺騙してたいうことには変わりないやろ」
「忍足君は、本当にの事好きだったの?」
「なんでそんな事お前に言わなあかんねん」
「は、私の思いを少しでも忍足君に分からせてる為にあんなことをしようとしたの。好きで好きで堪らなかったのに、その相手の瞳には私なんて映っていなかった。それが悲しくて泣いていた私をは抱きしめてくれたの」
の言葉が悲鳴のように聞こえた。自分の傷を紛らわすために、相手を深く傷つけていた事に初めて気がついた。どうせ自分に近づいてくるのは上辺だけを見た女ばかり、勝手にそう思っていた。
だから、どんな風に扱ってもいいとそう思っていた。
「結局は俺の罪っちゅう訳か」
砂を噛む思いとはこのことだと思いながら、自嘲の笑みが出る。
「俺はの事が好きやった。だからこそ、俺を騙したの事が許されへん」
「……。誰かを好きになるって、そんな綺麗な感情だけじゃないと思うの。打算だったり、計算だったり、嫉妬だったりと複雑な感情を皆抱えてると思う。じゃあ聞くけど、最初から忍足君の事だけを好きじゃないと恋は成立しないの?」
俺の好きなタイプの足が綺麗で、うっとおしことを言わない女。それが佐倉やった。
ちょうど、女が切れたときに告白してきたから付き合っただけ俺の事を最初から好きやった女。
そんな女を腐るほど、騙して適当に扱ってきた俺。
「確かに言うとおりやな。が俺の事最初から好きやったら、きっとこんなに好きになったりせえへんかったわ。……分かった。とりあえず、ともう一回話してみるわ」
そう俺が言うとは心底安心した顔をして。
「良かった」
そう言って微笑んだ。
に言ったとおり、どうなるか分からないがもう一度だけ話をしてみるつもりだった。
だが、翌朝の朝練の時遅めに部活に行った俺を跡部が待ち構えていて。
「遅かったな忍足」
「なんや、まだ遅刻やないやろ」
「お前に言っておくことがある」
「もったいつけよって、早よ言えや」
「と付き合うことになった」
挑戦的に笑うでもなく、真剣な顔をしてそう言う跡部。その言葉にどれほどの思いを込めて言っているのか容易に想像出来た
と他の男が付き合うその事実を聞いて、ショックをうけている自分が居て、今更ながらにへの割り切れぬ思いをかみ締める。
「…わざわざ俺に言う事やないやろ?跡部も律儀やなぁ」
ことさら明るくそう言う自分の声が、他人の声のように聞こえた。
なぁ、。何処で俺たち間違ったんやろうな。
2006.02.10