守ってあげたい 34話
あれから忍足と私の距離が元通りになることは無かった。
意を決して、電話やメールをしてみても着信拒否に受信拒否をされてしまっているのでもうお手上げだった。
手元に残ったのは、返しそびれた忍足の家の鍵とこの胸の痛みだけだった。
結局には、詳しい説明はしなかった。
予定通り、私に告白してきた忍足を振ったそう言っていた。
「本当にそれでいいの?」
「いいも何も、予定通りの行動を取っただけだし……」
安心させるように、ニッコリ微笑んでみるけど多分うまく笑えてないと思う。
「は、忍足君の事好きになってたと思ったのは私の勘違いだったのかしら?」
「やだっ。勘違いよそれ、そんな訳ないじゃない」
出来るだけ明るくそう言って笑う。不自然だろうがなんだろうが今の私には笑うことしか出来なかった。
そんな私をがどんな思いで見守っていたのかなんて、私は知らなかった。
短い間だったけど、確かに私達は幸せだった。
その思い出すべてが優しすぎて、尚更辛かった。
抱き寄せる腕の強さも、コロンの香りも口付けの感触もすべて鮮明に思い出せる。
忍足の思いを踏みにじったのは私。だから、辛い顔をしたり誰かに弱音を吐くことなんてしてはいけない。そう思っていた。
別れてすぐに、忍足は複数の女の子と一緒に居る姿が見られるようになった。
それも私に見せ付けるがのごとく人前で、イチャイチャしている。
辛い。
忍足のあの腕が、身知らぬ女の子の肩に回され腰を抱く。
それを傍観する立場に居るという事がどれほど辛いか改めて身をもって知った。
昔味わった、届かない片思いをもう一度体験しているのだ。
昔と違うのは、どんなに思っても手に入る可能性は無いということで……。
自分のせいでこうなったのは、分かっている。だから、どうする事も出来ずにただ私は届かぬ思いを抱えたまま立ちすくむしか無かった。
その日は放課後デートらしくて、いそいそと帰っていったので一人やることもなくとぼとぼと下校していた。
校門を出て、5分も歩かないうちに黒塗りのリムジンが目の前に止まる。
見たことのあるこの車は、もしかしなくても。
「跡部?」
そう問いかけると、タイミングよく扉が開かれ。
予想どおり跡部が居て。
「よく分かったな。乗れ」
開かれた扉に、乗るのが当然という風情の跡部に反論するのも面倒くさくなって大人しく乗車してみた。
「珍しく素直だな」
「色々ありまして、今ちょっと弱ってるの」
「………。忍足との事だな……。悪かったな」
「ああ。あの事ね」
自分が告げていない事を第三者の口から告げられて、正直いい気はしなかったけれど。
それがまぎれもない事実なら、しょうがないと思う。
「別にいいわよ。嘘言われた訳じゃないし、跡部が言ったのはまぎれもない事実だから…」
だから、気にしないでと続けて微笑ってみる。
そんな私の顔を跡部が複雑そうな顔で見ていた。
「何?」
「いや。腹減っているか?」
「ううん。大丈夫だけど」
「なら、このままこの間行ったマンションに行くつもりだが。いいか?」
私を好いているらしい、跡部と二人きりになることがどういう意味を持つかなんて分からない訳じゃない。
でも、それさえもどうでもいい事とそんな風にしか思えなくて。深く考えずに承諾の返事をしていた。
「忍足と、あれからどうなったんだ?」
部屋について、ソファに座って落ち着く間もなく跡部が問いかけてきた。
「………。もう知ってるんじゃない?」
「憶測は出来るが、はっきりお前の口から聞きたい」
「予定通り、終わらせたわ。告白されたから、振って終わりにしたの。まぁ、これで忍足もちょっとは大人しくなるんじゃない?」
無理をしている自覚はあった。だけど痛む心を見ないフリをして、何も無かったと自分自身に言い聞かせていた。
「そうか、一応ケリはついたんだな。ならこの間の告白の返事が欲しい」
「え?」
そう言われて、告白されていた事を思い出した。
かなり長い間保留にしていた告白の答えを今欲しいというのだろうか?
「、俺はお前が思っている以上にお前の事を見てきた。だから、そんな風に笑っているお前の本心も分かっているつもりだ。だからこそ、あえて今その返事が欲しいと言っている」
「ズルイわ」
まっとうな精神状態の時なら、跡部の誘いを断ることは簡単だろう。だけど、目の前の男はすべて分かっていても尚、私が欲しいと言っている。
「俺も忍足と同じくらいロクな事はしてきていない。だが、を思うこの気持ちは本物だ。たとえお前が今心に誰を思っていても、俺のこの気持ちは変わることは無い」
一点の曇りの無い。迷いの無い強い瞳で私を見る。
その瞳があまりに綺麗で、その思いの強さと綺麗さに飲み込まれそうになってしまう。
「インサイトの持ち主の跡部には、何もかもお見通しなのね。そうよ今でも、忍足の事好きなの。でも、私は取り返しのつかない事をしてしまって……。二度と元には戻らないの」
パタパタと水滴が滴り落ちる。それが、自分の瞳から零れ落ちた涙だと気付いて苦笑が漏れる。
いくら泣いても涙は枯れ果てる事は無いのだろうか?
思い出すたびに涙が溢れ出る。こんな風に涙脆い私は私じゃない。
スっとハンカチが目の前に差し出される。
ブランド物の派手なハンカチが、いかにも跡部らしくて遠慮なく受け取って涙を拭う。
「泣いてるは、お前らしくない。は小生意気なぐらいがちょうどいい」
そのあんまりな言い草に。
「小生意気って、小生意気なのは跡部の方じゃない」
と反射的に言い返していた。私のその様子を見て、嘲笑でもなくクスリと跡部が微笑う。
「泣き止んだな」
そう言って私を見つめる瞳があまりに優しくて、こんどはその跡部の優しさに泣きそうになってしまう。
「どうして、そんなに優しくしてくれるの?」
「何度も言ってるだろ。好きだからだ」
「私はそんな風に思ってもらえるような女じゃないのに」
「お前の価値は俺が決める。たとえ、自分でもそんな風に己を貶めるようなことを言うのはやめろ。お前は俺が惚れた女だ。たとえ、全世界を敵に回したとしても俺が守ってやる」
「ぷっ、くくくっ…。笑っちゃ悪いと思うけど。跡部気障すぎ」
そう茶化しながらも、まっすぐに好意を寄せてくれるその胸に飛び込んでしまいたい誘惑に襲われる。
「……。はじめは、忍足の変わりでもいい。俺のところに落ちて来い」
プライドの塊の跡部がこの言葉をどんな思いで言ったのかと思うと、それ程に私を思ってくれているのだという事が分かる。
プライドの高い跡部が人の変わりでもいいと口にするほどに思われている。
グラリ。
心が傾いてゆくのが自分でも分かる。
今ここで、跡部の思いを受け入れるのが私にとって逃げだということは重々分かっていた。
だから惹かれる心を必死でせき止めていた。
「出来ないよ。跡部、そんな風に思ってくれても私は何一つ返せないから」
「俺はお前に出会って、見返りを求めない愛情というものがどういうものなのは初めて知った。俺がお前を愛したいだけだ。どんな形でもいい、側に居てくれ」
跡部のなりふり構わない懇願に、心の中の何かが切れた。
ずっと誰かに、抱きしめて欲しかった。忍足を失ってから、空いてしまった穴を誰かに塞いで欲しいとそう願っていた。
この決断はきっと間違っている。
それは分かっていても、弱い私はその誘惑に勝てなかった。
だから、跡部がもう一度「俺のところに落ちたこい」といった言葉にコクリと頷いてしまった。
その私の様子にしばらく信じられないといった風情でとまどっていたが、すぐに立ち直って。
「触れてもいいか?」
そう問いかけてきた。
今までこっちの承諾なしにキスとかしてきたのに、今更ながらにこわごわと問いかけるその姿が微笑ましくて思わず涙まじりに笑ってしまう。
「いいよ」
承諾の返事をすると、ゆっくりと引き寄せられてぎゅっと抱きしめられた。
その暖かさに、思い出されるのはやはり忍足との記憶でこんな風に誰かにすがることが間違っているのは分かっていた。
でも、誰かが側に居ないと寂しさでおかしくなりそうで弱い私は差し出された手を拒むことが出来なかった。
「、好きだ。忍足のことなど、すぐに忘れさせてやる」
ぐいっと頤をとられ、唇と唇が触れ合う。
強引なキスで、すぐに唇を割られ跡部の舌に舌を絡め取られてしまう。歯列を舐めあげられその刺激にビクリと身体が震える。縮こまっている舌を強引に吸い上げられ絡められる。
なにもかも奪いつくそうとするような、強引で情熱的なキス。
その熱に酔いながらも、私は頭の隅で忍足とのキスと比べていた。
その場でそれ以上を求められても私はきっと拒まなかったと思う。
だけど、ひとしきりキスをした後に跡部が「送っていく」と言って開放してくれた。
跡部は跡部なりに私を大切にしてくれているらしくて、その心遣いがまた痛かった。
帰り際にやっと携帯番号とメルアドを交換して、試しにメールを送ってみるとたったそれだけでも跡部にはかなり嬉しい事柄らしかった。
その様子が、歳相応の15歳の素顔が透けて見えてなんだか微笑ましかった。
ズキリ。
心が痛む。この痛みを紛らわすためだけに、跡部と付き合ってもいいのだろうか?
そんな疑問が頭をよぎるけれど、今の私に必要なのは抱きしめてくれる熱い腕(かいな)で嬉しそうな跡部の顔を見ると尚更罪悪感に蝕まれるけれど。
打算的な私は、跡部と付き合うことに決めていた。
これが、間違いかどうかなんて今の私には判断が出来なかった。
2006.02.05UP