守ってあげたい 32話
目の前で狂ったように笑い続ける忍足。
全身が凍りつくっていうのはこういう事だと、身を持って知った。
「あの、さん?」
目の前の光景に、どうする事も出来ずに立ちすくんでいると鳳がためらいがちに問いかけてきた。そこでやっと、我にかえることが出来た。
大丈夫と微笑み返して、目の前で乾いた笑みで笑い続ける忍足へとゆっくりと近づいていった。
手を伸ばして、忍足へ触れようとした時にふいに忍足はその笑みを止め、頬に触れようとしたその手を振り払われてしまった。
「俺に、触るな」
「ち、がうの。忍足、聞いて。そうじゃないの」
「何がや、お前がさっき言うたんやないか。俺に近づいたんは、友達の復讐のためやって。丁度、さっきに会うて来たとこや。アイツにも騙されてもうたわ。二人して俺を騙して、さぞかし面白かったやろうな」
「の復讐のために、忍足へと近づいたのは本当だけど。だけど、今は違うの」
「もうええわ。聞きたない。お前らに、つき合わされるのはもうゴメンや」
何もかも拒絶した瞳をしたまま、忍足は去って行った。反射的に、追おうとすると鳳に手首をつかまれ阻まれてしまった。
「離して、今忍足を追わないと」
「貴方達に、何があったのか何て俺は知りません。だけど、さん貴方にとって俺はその他大勢でしかない存在なんですか?」
その時の私の頭の中は、忍足の事で一杯だった。さっきまで、鳳の怖いくらい真剣な告白を受けていた事なんて消し飛んでいた。
目の前の、鳳の何処か傷ついた瞳を見てやっとその事を思い出す事が出来た。
「そうじゃないわ……。その他大勢なんかじゃない。うまく、言えないけど。鳳が好きになった私と、今ここに居る私は違うの。だから、鳳が寄せてくれる好意に答える訳にはいかないの」
「俺が、メールしていたさんとこの目の前に居るさんとが、別人っていう訳ですか?」
「………。タイムスリップ、いえ記憶喪失とでもいうのかな?とにかく、そんな感じ。ある日目が覚めたら、氷帝の編入日だったの」
信じられないのならそれでもかまわない。そう続けて、鳳を見上げるとひどく悲しげなそして優しげな瞳をして私を見ていた。
「さんの言う事を100%信じた訳じゃないですが、俺の好きになった貴方は少なくともこんな冗談を言う人じゃなかった。だから、さんの言う事を信じます」
「……ありがとう。だから、鳳が私の事好きって言ってくれても素直に受け入れる訳にはいかないの」
「そうだとしても、たとえさんが違うさんだったとしても、俺のこの気持ちは変わりません。さん、貴方が好きです」
まっすぐな思いに心を打ちぬかれるっていうのは、こういうことなんだって思った。
きっと、自分に愛する人が居なければまっすぐに自分の事を思ってくれるこの目の前の少年の思いを受け入れていたかもしれないと思うけど。
だけど、今の自分の思いは忍足へと向かっていた。
「ごめん。さっき最後まで言えなかったけど、今は本当に忍足の事好きなの。だから……」
「そうですか……。でも、貴方が誰を好きでも俺の思いは変わりません」
とても、強い思いを秘めた瞳で私を見る。その強さがとても羨ましくてたまらなかった。
そんな事をしているうちに、チャイムが鳴ってしまい。忍足を追う事が出来なかった。
午後からの授業は、全く頭に入らなかった。時限休みを待ちかねて忍足のクラスに行って見てもその姿は無かった。携帯にメールしても電話入れても、電源を切っているのか電話は繋がらないしメールの返事は返ってこなかった。
が私を気遣って、話しかけてくるけど今の状態で何をどう告げるべきか判断が出来なくて曖昧に笑って誤魔化すしか無かった。
放課後私は、まっすぐ忍足の家であるマンションへと向かっていた。
エントランスでインターフォンを押しても無反応だったけど、幸か不幸かこの間の帰りに忍足から合鍵を貰っていたのでそれでロックを解除して中に入る事にした。
居ないかもしれない、だけど多分忍足は中に居るそう思えて仕方なかった。
エレベーターを上がり、部屋の前まで来て震える手で初めて貰った鍵を使って扉を開けた。
室内は、夕方の薄闇の中投げ捨てられた忍足の荷物が散乱しているのが見えた。
「忍足、居るの?」
私の声に、ソファの影がムクリと起き上がった。
居てくれた、その事実に安堵のため息が漏れる。
「何しに来たんや?」
「話をしに来たの」
「話?ああ、愚かな俺を笑いに来たんか?」
「ちがう」
「どう違う言うんや?お前の予定どおり、俺を夢中にしてそれから振るんが目的やったんやろ?アホな俺はお前の望みどおり、夢中になってしもうた。持ち上げて突き落とす、復讐としては最高のシナリオやな……」
「それ、誰に聞いたの?」
忍足に告げていない事実を言われて、背筋が凍る。知っている人間はあまり多くないのに・・・。
「………。跡部を問い詰めたら、あっさり教えてくれたわ。おかしいと思うたんや、あれだけのこだわっとんが、手のひらかえしたように無関心になるやなんてな。その裏で、お前は跡部と二人俺の事、笑っとったんか?」
皮肉げに、歪められた口元。私を見る瞳が、少し前とは違って別人のように冷たい。
自業自得なのかもしれないけど、心が切り裂かれるように痛い。
「……跡部が、そう…なの」
表面上の事実は、その通りなので跡部が忍足へ告げた事は全部事実だから。
ただ、最初の思惑と違ってしまっているのは私の心の中だけで……。その心の中の変化さえ跡部はおろか、にも言っていない。
どう言えば、忍足に伝わるだろうか?
目の前の事実だけを、並べ立てていくと本当に忍足の言うとおりの事柄しか出てこない。
ただ、一つ違うのは忍足を落として振るつもりだったのが。私自身が、忍足に惚れてそれが出来なくなったという事だけで…。
「し、信じてくれないかもしれないけど。はじめは、忍足の言うとおり惚れさせて振るのが目的で近づいたの、でも側に居て一緒にいるととても心地良くて、誰よりも忍足の気持ちが分かって……。いつしか、本当に好きになってたの。最初の動機は、褒められた事じゃないのは分かってる。でもこの、忍足の事好きだっていう気持ちに嘘は無いから……。」
嘘偽りの無い、本当の気持ち。これ以上の言葉もこれ以下の言葉も私の中には無かった。
「フン。騙すつもりで近づいたんが、一緒におってみたら良さそうな男やから振るのが惜しなった、それが真相やないか。どんな綺麗な言葉で飾り立てても、言うてる事は一緒や。こんな女に一瞬でも本気になった自分が恥ずかしいわ」
氷より冷たい瞳で見られる。侮蔑の視線に、泣きそうになる。
「を弄んで、捨てた忍足を本気で許せないと思った。でも、谷崎先生を思う忍足の気持ちも分かったから、その傷を癒してあげたいって思ったの。最初はこの気持ちが、同情なのか共感なのかも分からなかった。でも、いろんな気持ちを取り払ったら忍足に対する“好き”っていう感情しか残ってなかったの」
「俺やって、の事が好きやった。その気持ちには何の嘘も計算も無かった。やけど、お前は俺を騙してたやないか?」
「騙してなんかいないわ」
「じゃあ、聞くがいつから俺の事好きになって、いつまで騙してたんや?」
「………そ、んなの。分からないわ。気がついたら、好きになってたの」
「ほらみ、俺の失恋を笑いながら、騙し取った時期もあるんやないか」
「忍足の気持ちを笑ったりなんかしてない」
「もうええ。嘘はもう沢山や、綺麗な恋愛しようとした俺がアホやったんや。そうやって、俺の事好きやっていうのも、質の悪い嘘なんやろ?これ以上、お前の嘘なんかには騙されん」
「違う、私が忍足の事好きなのは嘘じゃない!」
心からの言葉を尽くしても、忍足の心には届かないのか疲れたように目じりを指で揉んだ後に眼鏡をはずし、一つため息をついて、前髪がかきあげる。その表情が、あまりに空虚で見ているこっちの背筋が凍える思いがした。
「お前の言葉はもう信じられん。まぁ、どうしても好きやって言い張るんなら彼女の一人にでもしたるわ」
ポロリと、何かが零れ落ちた。それが、自分の涙だと気付くのにしばらくかかった。
「しらじらしい。涙なんて見せよって、そこまでして俺にしがみつきたいんか?なら、抱いたるわ。こっち来いや」
グイっとひっぱられて、ソファに引き倒されて覆いかぶさられても現実感が一つも無かった。この前、ここに来たときにはこの場所でお互いの気持ちを告げて幸福なひと時を過ごした。それから1週間もたってないのに、私に覆いかぶさる忍足の顔は驚くほど冷たい。
ネクタイを解かれて、ブラウスの釦を全て外されても私は呆然としたままだった。
冗談だと笑ってくれるような気がしていた。まるで、悪い夢を見ているようだった。
「何や、誘ってくる割にはマグロかいな」
嘲りの言葉の次に、荒々しいキスが降ってきた。同じ忍足とのキスなのに、凍えるほど冷たく感じられる。分け合う体温も同じだけど、心がそこに無いと感じるだけでこんなにも心が痛い。
「……いっ、や」
「何や、焦らすつもりか」
精一杯の力で、忍足を押し返しても大人と子供のように扱われてしまう。
「そんなつもりじゃないのに……」
「男と女でそんなつもりも、こんなつもりも無いやろ?それが、遊びやったら余計にそうやろ?」
「…あ…そび?」
「そうや、遊びや。を抱く理由は、遊び以外の理由はあらへん」
「……。忍足にとって遊びでも、私は本気だから」
こめかみから伝って、耳に零れ落ちる涙。涙で滲んだ瞳で、忍足を見上げる。震える声で、真実の思いを告げる。
「もう、遊びでも本気でもどっちでもええわ。ウダウダいいよるから。その気が失せたわ。帰れ!」
どんな言葉を尽くしても、忍足には届かない。何処で間違ったんだろうか?
背を向けた忍足にかける言葉も無く。
私は、身づくろいもそこそこに忍足のマンションを後にした。
そこから、どうやって自分の家にまで帰ったか私には記憶が無い。
気がついたら、一人部屋でひざを抱えてぼんやりと虚空を見つめていた。
ポロリまた涙が毀れる。
でも、その涙に気付く者は誰も居ない。
2006.01.29UP