こわしたくないもの

何度も言ったのに。危ないから、壊れやすいからあっち行ってくれって。
「あ、こら!」
俺の作ってる船の模型に、由佳は興味津々で。
だけどさ、もちろん触らせてやるわけにはいかなかったからどうにか追い払ってたんだけど。
やっぱりコイツは我慢できなくて手を出してきて、俺の声にびっくりして手を引っ込めようとして、案の定その手を勢いよくマストにぶつけて、壊した。


「由佳!」
「芳くん?」

我ながら、瞬間手を出しちゃうかと思った。
5つも年下の妹をひっぱたくなんて、それは何があったってまずい。
でも俺は腹を立てたし、その理由もあったし、抑えられないかと思ったけど、その瞬間に父さんと母さんから俺たちに掛けられた声が由佳を咎めてたから、俺をなだめて、というか慰めているようだったから。どうにか押し止めるのに間に合ったらしい。

うわーん、と、由佳が泣き出した。「お兄ちゃんのばかぁ」なんて、言ってる。
「由佳、そうじゃなくてお兄ちゃんに言うことあるだろう?」
父さんが少し固い声で由佳に言ってる。
むかつく、けど。
でも謝ってもらったってさ、元に戻るわけじゃないし。・・・直せるかな、これ。
俺はやっぱり腹を立てていて、そして謝ってもらいたいわけじゃなかった。

「芳くん、直せそう?」
母さんが寄ってきた。
「わかんないよ、そんなの」
ちょっと不機嫌な声で返事をする。固定してたピンになってる部分が折れたみたい。確か雑誌に直し方も書いてあったはず。折れたところは削って、爪楊枝か何かを差してピンにして、本体の方には錐で穴を開けるんだったかな。上手くやらないとぐらぐらしたままになりそうだ。
とりあえず、本持ってこなくちゃ。
母さんは、困ったように微笑んだみたいだ。

たぶん俺は少し、ほっとした。
由佳を許してやってねとか言われたら、きっと反射的にむかついて、言い返したと思うから。
だってさ、俺まだ怒ってるんだし。怒ってておかしくないよなぁ?
由佳はまだ泣いていて、父さんは怖い顔をしている。俺は由佳の泣き声から逃げるように本を取りに行って、ゆっくり戻ってきた。

「ほら、言ってごらん。」
俺が部屋に戻るのに合わせて、父さんは由佳を促した。謝るように言ってるんだろうな。
「ふぇ・・・やだぁ・・・」
由佳の声は、ちょっとおびえてるみたいに俺の耳に届いた。
「由佳」
父さんの厳しい声がする。ふぇぇ、と由佳はどうしても何かを怖がっている。
頼りない声にはやっぱり、苛々した。

「由佳、お兄ちゃんがあの船一生懸命作ってたのわかるだろう?」
父さんは、静かに話そうとしてる。由佳は下を向いてる。俺は二人のほうを見ないようにしてるけど目の端から二人は離れなくて、聞かないふりでも全身が耳になってしまっている自分がいるのには気づいてた。
由佳は下を向いたまま小さく頷いた。
「由佳だって自分が一生懸命作ってるもの壊されたら嫌だろう?」
ゆっくりと、こっくりと首が振られる。でもさ、分かるのかなぁ、由佳に、それ。

俺が模型作りをするようになったのって、結構最近。
その前って、そんなに真剣に物を作ることなんてあったか、思い出せない。
ましてや由佳がこんなふうに何日もかけて、慎重に、丁寧に何かを作るところなんて、見たことない。まあそりゃそうだ、保育園児って普通そんなこと、しないよなあ。
だから由佳になんか絶対わかんないって思うんだ、俺の気持ちは。だからさ、父さん。
謝ってほしいわけじゃないんだけど。

「ひとが大事にしてるもの壊しちゃったら、何て言わなきゃいけないんだい?」
俺の気持ちをよそに、決まりきったやり取りは続く。俺自身だってむかし何度も直面したやり取り。
まあ父さんが譲らないのも、分かるけど。由佳はこれに、返事をしなかった。

「由佳?」
由佳は黙って涙を溢れさせている。
「由佳」
どんどん厳しくなる父さんの声に、堪り兼ねて俺は声をあげた。
「いいよ別に、謝ってもらいたいわけじゃねぇもん」
父さんはつうっとこっちを見た。

と、俺が予想しなかったことに。
「うわぁ〜ん・・・」
由佳はいっそう大きな声で泣き出したんだ。
父さんは目配せで俺を黙らせると、やっぱり厳しい声で由佳に言った。
「由佳、泣いてないでお兄ちゃんに謝りなさい」
由佳は泣くばかりで返事をしない。

父さんは少し困ったような顔で由佳の髪を手で梳くと、座り直して由佳を膝に乗せた。
「うぇ、やぁ、やだあ、やだよぅ・・・」
声を大きくする由佳のお尻に、すぱぁん!
痛そうな音が響いた。

「うわぁん!」
由佳が泣く。聞きたくないんだけど、何か言おうとしても父さんに黙っといでって目で言われる。・・・まあ脇から挟めるような言葉もないんだよな。何でか知らないけど俺が言うことは由佳をさらに泣かせるみたいだし。といって席を立つことも、やっぱり出来なかった。
ぱちぃん!
「ごめんなさいが言えない子のお尻は、どんどん痛くなるよ?」
「ふぇぇ・・」
ぱちん!
「やだぁ!」
由佳はどうしても、言えないらしい。うぅ、痛そう。

ぱしぃん!
「ほら、何て言うんだい?」
父さんは聞いてやりながらも振り下ろす手を止めない。
ぱしん!

「由佳」
「やだぁ・・・お兄ちゃん、怒ってるもん・・」

え、俺?
父さんの問いかけに由佳がどうにか絞り出した言葉は、俺を結構びっくりさせた。まあ、確かに俺怒ってるけどさ。

ぱしぃん!
父さんは、それを聞きながらもお仕置きを続けた。きょうの父さん、厳しい。
「お兄ちゃんが怒ってるなら、由佳は謝らなくていいのかい」
「でもぉ・・・」
ぱちん!
「由佳は芳貴に怒っててほしくないんだろう?」
「うん・・!」

それは即答だった。でもって、返事のあとの沈黙に、涙がいっぱい詰まってた。
何でか俺が泣きたくなったくらいだ。そんな理由ないのにさ。
ぱしん!
それでも父さんは、手を止めない。

「由佳、由佳が先にそれをお兄ちゃんに伝えなくちゃ。
芳貴が怒っているならそれはどうしてか、わかるよね?」
「ふぇ・・・」

ぱぁん!
「伝えなさい、ごめんなさいって。
お兄ちゃんの船を壊しちゃったけど、悪かったって思ってる、もうしませんって。
だから怒らないで、嫌いにならないでって。ごめんなさいって言うのは、そういうことだよ」

・・・・・。
ぱしん!

由佳はやっぱり少し怖がった声で、尋ねた。
「そしたらお兄ちゃん、怒らない・・・?」

ぱしん!

「由佳、それはまだ考えちゃだめだ。まず由佳の気持ちを伝えなさい」

ぱしぃん!
父さんの手は止まらない。言ってることもすごく厳しい。
そのくせ、気がついたら声はすごく優しくなってた。

「うぇ・・・・う・・。」
何か言おうとして、由佳は躊躇った。父さんは由佳を励ましている。
「言ってごらん、それは由佳が言わなきゃいけないことだ。
お兄ちゃんが怒っていても、もう怒ってなかったとしてもね。
悪かったって、怒らないでって思ってるんだろう?」
ぱぁん!

「言えないと、そのせいで嫌われちゃうかもしれないよ?
由佳だって、嫌なことされて相手がごめんなさいも言ってくれなかったら、余計に嫌だろう?」
え〜と、父さん?励ますっていうか、脅かしてない?
・・・・それはホントかもしれないけどさ。・・・でも、いや、俺、別に。
だって、由佳は。

ぱちん!
「・・・・。・・・・おにぃ、ちゃん・・・。・・・・・。」
・・・・・。
由佳は何とか何かを言おうとしている。俺は、由佳をじっと見つめた。
ほんとはもう、どうでもよかった。言えても言えなくても、どっちでもいい。
謝ってほしいわけじゃないんだ。

だって、由佳は。
言えないからって俺に由佳の気持ちが分からないってわけじゃない。

由佳の口から溢れた言葉は、よくわかった。
「・・・おにいちゃん・・・、・・・由佳のこと嫌いになっちゃやだぁ・・・。」
そんなの、知ってるから。分かってるから。そんなふうに、泣くなよ。

ぱちん!
「ほら、ちゃんと言いなさい?」
「・・・うぇぇ・・・えっ・・」
不安そうな声。もういいって、もう怒ってないって、言ってやりたい気もするんだけど。
「ふぇぇ・・・おにいちゃん、・・・」
由佳は言おうとしてるから、言えそうだから、俺も黙ってた。
ぱしぃん!
「うわぁん・・・!ごめ、ごめんなさぁい・・・」

ぱしん!
「うん、由佳、よく言えたね」

ようやく父さんは由佳をお仕置きから解放して、抱いた。
「ふぇ〜ん・・・」
由佳はまだ不安そうに泣いている。
俺のほうを見てる母さんに眼が合って、俺は俺の番だって気づいた。

「由佳、もういいよ、怒ってないから。でも、今度から気をつけてくれよな」
「・・うわ〜ん!・・おにいちゃん、ごめんなさぁい・・・!」

余計泣かせちゃったけど。でも、不安な声じゃなくてほっとして甘えた泣き声だったから。
別に船は直った訳じゃないんだけど、俺もほっとして気づくと苛々がどこかへ行ってて、
そして改めて俺は修理に取り掛かったんだ。

2007.02.22 up
お二方ほど他所様のお話の影響を受けているなと思ったり。
(そのうちのお一方はもうずいぶん前に閉鎖されてしまいましたが(-_-;))
そしてお母さんの出番が微妙ですね^_^;。

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