現実と虚構にまつわるお願い


管理人はこんなサイトを作ってしまうくらいにお仕置きが好きだというのは現実です、が。
現実世界で他者にこれを伝えたことはまだありません。
そしてたぶんこれからもないと思います。

ネットだって現実ですが。しかし私の生活の実感はここにはありません。
だからここは、管理人にとって現実からちょっと外れた夢との挟間。

管理人はお仕置きが好きですが、現実の誰かからお仕置きされたくはありません。
自分がお仕置きされることを想像するのは、まあ、かなりしますが、誰か他人のご協力を得てこれを実践する気はまったくありません。

もし管理人がそれを望むなら、相手は私を生まれたときから育て続けている両親か、この先の半生をずっとずっと共にしていく、そして、よほど、よほど尊敬できる、そして、対等になりたいと願う対象ではなく権威として服したいと思わせる配偶者か教師か、それしかありえないと思います。そして今現在、私は両親とそんな関係を築いていないし、そんな配偶者と、また教師とめぐり合う可能性もほとんどなかろうと思っています。いえ、配偶者や教師とそんな関係を築くつもりがないのです。現実の私はそれらの人と、本質的に対等でありたい。

だから、管理人は現実にお仕置きを望むつもりがありません。
また逆に、自分の子どもとこのような関係を築くつもりもないし、お仕置きを正しいことであるとも思いません。

お仕置きとは、非常に個人的な、そして私の頭の中だけにあり現実世界には適用されるべきでない、夢。


お仕置きとは、言葉を変えれば体罰です。
もっと言葉を変えれば、暴力です。
どんなに愛情があろうが、管理人はそう思います。

暴力には強制力がある程度あります。
痛い思いをするのがいやだから、何かをする、また、何かをしない、というのは、自然な感情です。
するべきことをしたい、するべきでないことをしたくないから、他人に、暴力をもって私を律してもらいたい、という考えが、すなわち、お仕置きに対する憧れです。
大好きな、尊敬する誰かが、私のために暴力を振るってくれるなら、甘んじて、いえ、喜んであるいは感謝してそれを受けたい、というのがお仕置きに対する憧れです。

それらはこんなサイトの根底にあり、これを否定する気はまったくありません。
けれど、暴力を受ける対象を、「私」以外に広げて一般化することは、出来ないし、してはならないと感じます。
他人の意思を、暴力でもって左右することは正しくなく、かつ、手段としても効果的であるとは限らない、と思うのです。

自分の意思を、自分の弱い意志を律するために痛みの力を借りるのは、最善のことではないでしょうが、善いことでしょう。
それが単なる痛みではなくて、心配してくれる、支えてくれる、自分のためを思ってくれる他人の気持ちが加われば、なおさら善いものでしょう。

けれど、他人の意思を左右するために、気持ちを示すことはともかく、力、痛みを加えることは。
相手の気持ちを曲げることなくそれを強めるためだけなら、相手が心底それを望んでいるのなら善いことかもしれませんが、相手の気持ちはわかりようがないのではないでしょうか。

痛いことと、悪かったと思うこと、は、ちっとも一致しない。
痛いから、ごめんなさいと言う。それだけならお仕置きになってない。
暴力で他人の意思を左右することはたぶんできない。できたとしても、正しくない。

悪かったと思って、二度としないようにしようと思って、でも痛い思いをしなければすぐに忘れてしまって?
それなら痛い思いをしてもたぶん忘れてしまうでしょうね。
そうでなければ、痛いから、お仕置きが嫌だからごめんなさいと言うのと同じ。

心配したんだぞ、とか、怒っているんだぞ、とか。お仕置きをする人が示した気持ちに触れて悪かったなあと思うなら、気持ちを示せばいいのであって痛みは要らない。

まあ、ね、気持ちを示す方法としてのお仕置きはありえますね。
少なくともお仕置きをしている人が本気だ、ってことは伝わるでしょうから。

でも叩かれたら痛いから。いえ、痛くなくても屈辱だから。
私はきっと一瞬腹を立てる。
腹を立てるんじゃなければ、悲しくなる。叱られた理由なんてそっちのけで。
管理人は心が狭いのですね、きっと。
こんなのはお仕置きする人の願いから外れた悪い気持ちで。
でもそう思ってしまって。自分が悪いとわかっているときですら。
そう思わせるリスクを負ってまで、お仕置きする効果はないのではないかと、基本的には思うのです。

まあ、でも、やってしまうかもしれないですけどね。
本気で怒っている時などにはね。
でも、感情に任せて暴力を振るうのはお仕置きとは違いますね。
効果がないとは限りませんが。

ともあれ、管理人にとってお仕置きとは自分のためだけのもので。
だから、管理人がお仕置きのお話を書く場合には。
基本的にはお仕置きされる人に自分が投影されているわけですが、お仕置きする人もふと立ち止まると自己の投影だと気付きます。
だからまったくの虚構でしかありえない。虚構でありたい。
そう思って書き、そう思って想像しています。他の方が書かれたお話もそう思って読んでいます。

そして自分の書いたお話で、他人様に暴力をそそのかす気もまったくございませんので。
読んで「お仕置きしたい」と思われる方はおいでではないと思うのですけれど、現実に暴力、痛みを与えるお仕置きをなさるのはお止めいただきたく、お願い申し上げておきます。

<ごあいさつEssaynext>
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