気がつく時間


「葵、2分の遅刻」

柘榴の声は淡々と事実を指摘しているだけで、葵はひやっと背中に寒気を感じた。
「ごめんなさいっ!」
思わず大きすぎるくらいの声でいうけれど、柘榴はすっと葵から視線を外す。
別にこれ以上話はないよ、といった柘榴の身振りに、ど、どうしようと葵は途惑った。

間違ったことをしたら、叱られる。
決して叱られたいわけではなかったが、それがこれまでの「当たり前」で、いまの自分の行動は明らかに褒められたものではなくて。
叱られたくなくて走ってきたのだが、間に合わなかったのに叱られないなんていうのは逆にその事実の方が怖いとしか思えなかった。

「あの、えっと…ごめんなさい、次から気をつけます」
繰り返した謝罪に柘榴は軽く視線を戻し、まるで遠くから眺めるように葵を見遣る。
目が合えばそれはそれで弱い。
たじろいで思わず下を向くと、はーっとため息が聞こえたような気がした。

「今日は気をつけなかったというわけかな。まあ、そういうことだけれど」
「や、ちがっ…!」
「違わない。前にも忠告した、覚えているかどうかは知らないけれど。
その上で遅れたのだから、私にはしてあげられることがない」

突き放されている、と。薄々感じてはいても、言葉にされればさらに痛い。
柘榴の科白には心当たりがあることもあり、葵は言い募るよりほかに仕方がなかった。
「お、覚えてます!
ぎりぎりで行動していると、いつか絶対遅刻することになるって言われたこと。
……。」

「おや、覚えていたの。それで?」
「……。」
覚えているだけではもちろん何の意味もない。
自分の言葉にその当たり前の事実に気付かされ、葵は唇を噛む。
次の柘榴の言葉は予測がついた。

「覚えていたのに直さないなら、やっぱり、私にできることはないと思うのだけど?」
仰せのとおり。葵は項垂れて、そうかもしれないと思った。

どうして、直さなかったのかな。
冷淡な柘榴を前に、葵は自分に問いかけてみる。
や、冷淡じゃないよね。柘榴の言うことが、筋だ。
で、どうして。

だってさ、遅刻したわけじゃなかったんだし。まだ、ね。そのときは。
遅刻しなければいいと思ってた。
朝は眠いし、朝でなくてもいつだって出かける前にはいろいろあって、
どうしてもぎりぎりになってしまう。
どうしても?
違う、「どうしても」って思っている、そうなっている、その行動が叱られている。

でも。ぎりぎりだったらほんとにまずい?
遅刻しなければそれでいいんじゃないんだろうか。
そう思ってた…いまも?。
ぎりぎりでも、いつもは何とか間に合ってた、どうにか。
遅れておいて言えることではないのかもしれないけれど、間に合えば、いいんじゃないか。

……。言えない、か。何せ現に間に合っていないのだ。
きょう遅刻したのは寝過ごしたから。
それ自体言い訳はできないけれど、そういう理由をどうやら柘榴はまったく問題にしていない。

いつか絶対遅刻する。それがたまたま今日だってだけ。
柘榴はきっと、こう考えている。
葵にとって今日の遅刻は「いつもやれてることがやれてない」だけど
柘榴にとっては「いつもやれてないからやれてない」ってだけ。
だから叱る気も起きないと、柘榴はそう言いたいのだろう。
直す気のない過ちをいつまでも叱ってくれるほど、甘やかしてくれ、とは言えなかった。

そこまで思い至って葵は、それでももう一度言おうと思った。
「ごめんなさい」
思い至ったから言うべきだと思う何かがある。
柘榴はよそに流していた視線を戻す。何も言ってはくれなかったが、聞いてくれてはいるようなので、葵はがんばって言葉を探した。

「……。」
「わかってなくてごめんなさい。言われたとき、たしかにぎりぎりでもいいと思ってた。
だから遅れた。
言い訳できることないけど、明日から、ほんとに、ちゃんと気をつける…
…ぎりぎりにならないようにするから。チャンスがあったのに、ごめんなさい」

チャンス。こういうことになる前に、柘榴は気付かせてくれようとしていたのに。
やってしまわないと気付かないっていうのも、情けない。
気付かせてくれようとしていた柘榴にも、申し訳ない話だと思ったのだ。

柘榴はじっと葵を見る。葵は、やっぱり逃げたいって思いを抑えて、ごめんなさいって気持ちで視線を受け止めた。柘榴は葵の中に何かを探しているようで、それに応えられていればいいと葵は願った。

「気付いてくれて、よかった。いまなら叱れる」

う。ようやくこちらを向いて話してくれた柘榴の言葉は物騒で、しかし、異議を唱えられるものでもない。
柘榴は葵の目を覗き込んだまま、言葉を選んだ。
「いつ気付いてくれるかと、実はずっと思ってた。
言葉で伝えても、もちろん叩いても、納得がいかない、自分のものにならないだろうから、気付いてくれなかったらどうしようかと思っていた。
気付いて…どうにかしようと思ってくれないと、何もしてあげられない」

「ごめんなさい!」
「いい。気付いたんだから、そのことは謝らなくていい。ちゃんと、自分で気付いたんだから。
謝ってほしいから言っているのじゃない。自分の得たものを知ってほしいから」
「でも。結局、遅刻した。そうならないように言ってくれてたのに」
「私のためにそう思ってくれるなら、ありがとう。
だけどね、後悔は自分のためにしたらいい。
遅刻したのはあなただし、それについては私はあなたを叱るから」

ゆっくり言葉を探して語られる、その同じ調子で宣告されてしまうと抗えない。
「う、やっぱり…そうですよね…」
いや、こちらが悪いと分かっているから、どんな調子だって拒めはしないのだけれど。

ところが、身を固くした葵に柘榴は存外真面目な声で無茶を言い出す。
「やめても、いいけれど?」
やめてもらえるものならやめてほしいって!
そう思う、それはすごくそう思うけれど。
気付いたから叱られる、叱れる、なのに気付いてないところまで、戻るわけにはいかなかった。

「……」
それでもそれはさすがに言えずに黙ってふるふると首を振ると、柘榴は葵の頭に手を置いた。
「葵はよく分かってる。叱るけど、葵はそれを無駄にはしない。
そう思ってる、だから叱る。それを知ってて」

葵が答えられないでいるうちに、柘榴は葵のお尻を剥き出しにした。
「いくよ」
「う…はい」
ぱしぃん!
柘榴の一打は、決して急がないけれど、ひどく重かった。

「いつもギリギリでは、いつか遅れるって分かったね?」
ぱしぃん!
「う、はぁ…い」
返事をしないと、先に進んでもらえないらしい。

「余裕を持って行動すべきだったのに、そうしなかった。挙句に結局は遅刻した」
「ご、ごめんなさいっ」
ぱしぃん!ぱしぃん!
「時間を守ることは、あなたの信用に関わること」
ぱしぃん!
「そしてやればできるはずのこと」
ぱしぃぃん!
「ぎりぎりを目指して動けるのなら、5分前を目指して動けない理由はないでしょう?」
ぱしぃん!
「できるから、やりなさい。明日からちゃんとするって、あなたが誓った」
ぱしぃん!
「その誓いが守れるように、この痛みを覚えておいて」
ぱしぃん!
「もう一度、約束して。明日から、どうするの?」
ぱしぃん!

「う…明日から、ちゃんと守る。ぎりぎりにならないようにする。
ほんとに、ごめんなさい!」
ぱしぃぃん!

ひときわ重い一撃で、お尻叩きは終わったようだった。
「痛いかな?」なんて尋ねてくるから対処に困る。
「べ、別に…」意地を張った答えに、また目の中をじっと覗き込まれた。

「そう、強いね。だけどお願い、この痛みは忘れないで」
「…。」
「明日から、ちゃんと、余裕を持って時間を守るって約束した。
だいじょうぶ、きっとできる、だけど。
…それって簡単じゃないんだ。例えば朝ベッドの中で、きっともう少しこのままって思う、もうちょっと、もうちょっとって。その声に流されてたら結局ぎりぎりだから、負けないで起きなくちゃ、ってことなんだけれど。
そのときのあなたの助けになるように。この痛みを忘れないで。
叩いたこと、無駄にさせないで。そしてあなたが痛い思いをしたことを。
ちゃんとできる。がんばって」
「う、うん」

柘榴は葵の服を整えて、はじめて微笑んだ。
「が、がんばります」
葵ははにかんで微笑み返し、がんばろう、と思うのだった。


2010.08.13 up
何でこんなに長くなるんだ〜。
そして最近拝読した他所様の日記とまた別の他所様の作品とに影響受けてるなあとしみじみ。
似てはいないと…思いたいけれど?

管理人、もう一本早い電車に乗ろう乗ろうと思いつつ、ぎりぎりの日々です。
ぎりぎり間に合ってない電車に乗るのを避けるので精一杯(-_-;)。
このお話かなり書き上げたところで明日こそ、と思ったのに・・・だったことから、
最後のカーさんの科白が延々長くなっていたりします(^_^;)。わたしもがんばろう。

50000Hitありがとうございました&お楽しみいただけたら幸いです。
これからもよろしくお願いします。


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