相愛



 1



キャロルが側室となってから、ファラオは一切の女を身の回りに近づけなくなった。
後宮での身の回りの世話は、全てキャロルとナフテラにさせる。
侍女が少しでもファラオに媚を売ると、ファラオの機嫌がたちどころに悪くなる。
側室に嫌がらせをすると即座にお払い箱になる。
ある時三人の侍女がキャロルを傷つけ、見るも無残な有様でファラオの部屋から這いずり出て来た。
周りの視線に晒された三人はその日のうちに暇乞いをして宮仕えを辞めた。
それを知り、見ていた女達は側室に近寄らなくなった。





その代わり、キャロルと女官長には仕事が増えた。
メンフィスが政務を執りに出てから戻ってくるまでの間に仕事を片付けておかねばならない。
侍女が三人減り、その分他の者に仕事が振られたので、下らない中傷は減った。
だが反対に、メンフィスが隙あらばキャロルに相手をさせようとするのでいい加減ふらふらだ。
今までは仕事が忙しいと見逃してくれていた節もあるのだが・・・・・
「キャロル、疲れているようですね。此処はいいから一度戻ってお休みなさい。」
「ナフテラこそ・・・あまり休んでいないのでしょう。」
「大丈夫ですよ。私は明日お暇を頂いています。今日中に片付ければ明日はゆっくりさせて頂けます。」
「そう・・・じゃあお言葉に甘えます。ありがとう。」
勧めてくれるのがありがたかった。実を言うと、侍女達に嫌がらせを受けていたときには張っていた緊張がゆるんだためか
眠くてたまらないのだ。
自室に戻って寝台に倒れ込み、そのまま眠ってしまった。
温もりの中で誰かが自分を呼んでいる。
そのまま再び、キャロルは眠りの中に沈んで行った。





目覚めたときには日が暮れていた。
辺りは闇に包まれ、王宮の各所に篝火が焚かれている。
慌てて寝台から飛び降り、ナフテラを探したが姿が見えない。
「女官長様なら仕事を終えて下がられました。明日は休日なので王宮には居られません。」
通りがかった侍女を捕まえて尋ねると目を逸らしたまま答え、そそくさとその場を去っていった。
じゃ、明日一日私は一人きりでファラオの世話をしなければならないの?
・・・・・まさかね。何時も二人一組だったし、誰かつけてくれるわよね。
「キャロル。こんな暗い所で何をしている?」
「きゃああっ!!」
「・・・・・大きな悲鳴だな。私は悪霊か何かではないぞ。」
「あ・・・あ・メンフィスだったの・・・」
よく眠れたか?」
「え?ええ。」
私が眠っていたことを、どうしてメンフィスが知っているのだろう。ナフテラが伝えたのだろうか。
「では夕餉に致すぞ。給仕を致せ。」





「あの・・・明日はナフテラは・・・」
「休みだ。」
「じゃあ、貴方の支度は?」
「お前がするのだ。」
「ひとりで?」
「当然であろう。他に誰が居る?」
クッションに寝そべってファラオは杯を回している。キャロルだけを傍に座らせ、酌をさせてご満悦だ。
反対にキャロルは落ち着かない。
ナフテラが居ないと言うことは、これからナフテラが戻ってくるまで全部のことは、自分ひとりでしなければならない。
「何をそわそわしている。殆どのことはナフテラが整えておいてくれた。お前は私の傍に居れば事足りる。
「で、でも。」
「食事が未だだろう。先ずは何か食せ。」
焼きたてのパンと蜂蜜、鳥の炙り焼き、子羊のロースト、野菜のスープ、サラダ。瓜やイチジクや棗。
メンフィスは葡萄酒を飲み、キャロルにはカルカデ。
その間も誰一人来ない。いつもなら給仕の者が料理や酒の追加に何度か入室してくるのに。
ぎこちない食事を終えるとメンフィスが身を起こした。片膝を立てて座り直すとキャロルの手を掴んで抱き寄せる。
・・・・・やはりそうか。
キャロルは諦めの気分で思った。
自分の立場は『側室』なのだから。メンフィスに逆らえるわけが無いのだ。
膝の上にキャロルを抱いて、メンフィスは黙ってぶどう酒を飲んでいる。
空になると黙って差し出し、キャロルが替わりを注ぐ。
「・・・どうした?」
「い・いいえ・なんでもないわ。」
誤魔化したが何だか身体が熱い。メンフィスに抱かれているせいだろうか。
逞しい腕、引き締まった身体。自分を見る漆黒の瞳は自信に溢れて輝き、声は低く落ち着いている。
セチのことが無かったら・・・いいえ、只の男女としてなら私はこの人を愛することが出来たのだろうか・・・
「そうか?」
秀麗な顔がゆっくり迫ってくる。キャロルは何か不思議な面持ちでそれを眺めていた。
唇が頬に触れた。額に、鼻に、そして唇に。
キャロルは抗うこともなく受け入れた。





「・・・・・汗をかいているぞ。」
キャロルを解放し、メンフィスが立ち上がる。
「ついて参れ。」
手を掴まれて連れて行かれたのはいつもの湯殿だった。
さすがにぎょっとしたキャロルが飛んで逃げようとする。
「何を考えている。まあそれでも構わぬが、先ずは介添えを致せ。」
こちらに背を向けたままのキャロルに声を掛け、衣類を全部脱ぎ捨てる。
熱い湯に身体を沈めると、ようやくキャロルが準備を始めた。
衣類を拾って畳み、衣装箱から夜着を出す。
今までの衣類は木箱に入れておくと下働きが洗濯するのだ。
それから香油を出し、湯船の横の長椅子に置く。葡萄酒を杯に注ぎ、リネンの薄布を広げて傍に座る。
ぶどう酒を受け取ったメンフィスが口に含みながら様子を観察していると、キャロルの様子が明らかにおかしい。
頬を染め、吐く息が荒い。
「・・・・・」
ざばりと立ち上がるとキャロルが弾かれたように立ち上がり、布を差し出す。
長椅子にうつ伏せになって指示し、香油を塗らせた。
引き締まった肌に塗られた香油が暖められ、かぐわしい香りを放つ。
キャロルは懸命に言われたことをこなそうとしている。その姿が本当に愛おしい。
ナフテラに教わったように、筋肉を揉み解そうとしているのだ。・・・そんな細腕ではとても無理だろうに。
だがキャロルの掌が自分の肌を滑ってゆく感触は本当に気持ち良かった。





暫くうっとりと身を任せ、もう一度指示して香油の入っていた箱から小さな壷を出させた。
それを受け取って枕元へ置き、キャロルに命じる。
「湯に浸かれ。」
「!!」
そのまま足を引っ掛けてやると見事に湯に沈んだ。大慌てで顔を出し、大きく息をつく。
「何をするの!?ひどいわ!!」
汗をかいたであろう?言われもせぬのにやらずとも良い事まで・・・ゆっくり浸かって居れ。」
衣装箱から肩衣を出す。戻ってくるとキャロルが慌てて向こうを向いて湯に沈んだ。
自分の姿を見られるのが恥ずかしいらしい。
背中に手を掛けて肩紐を解き、更に腰紐も解く。湯の中で結び目が締まって硬くなっている。業を煮やして引き千切った。
悲鳴を上げるのに構わず立たせ、薄布で包んで今まで自分が寝そべっていた長椅子にうつ伏せに寝かせた。
そして香油を塗ってやる。
白い肌を温もりと羞恥に染めてキャロルはじっとしている。身を屈めて肩に口付けると身体を震わせた。
「さあ、今度はこれだ。」
先ほど枕元に置いた壷を渡して起きるよう命じ、自分は長椅子に腰掛ける。
キャロルが壷の蓋を取って中を覗き込んでいる。
「なに?これ・・・・香油・・・じゃないわね。」
「アカシアの棘を砕いて蜂蜜と混ぜた物だ。言うなれば避妊薬だな。」
キャロルの手からぽろりと壷が落ちた。メンフィスの左手が受け止める。
「な・・・・・・・な・・・・・・・」
「お前に飲ませたほうほもう効いているはずだ。」
「な・・・・・なにを・・・」
「身体が熱いだろう。カルカデにマンドレイクから採った媚薬をを混ぜておいた。少量だがな・・・
 あまり苦しくは無いが敏感にはなるはずだ。」
「そ・そんな。」
「お前が強情だからだ。そんなことよりこれだ。先刻身体を揉んだようによく揉み込め。」
「どこへ?・・・・・まさか!!」
「そのまさかだ。」
「嫌よそんなこと!!したこともないのに出来ないわ!!」
「私はどちらでも良いのだ。実を言うとお前と褥を共にする度に我を忘れるのでな・・・・・
 このままではお前は瞬く間に身篭ってしまう。初めてお前を抱いてから未だいくらも経たぬと言うのに
 お前はどんどん変わってゆく・・・私は未だお前を知りたいのだ。」
肩を抱いて引き寄せ、再び優しい口付けがキャロルを覆う。
「・・・そうやってまた私を玩ぶのね・・・」
「・・・・・何度も言っているだろう?私はお前を玩んだつもりは無い。愛しているのだ。さあ、この薬を使うか使わぬかはお前が決めよ。」
「決められないわ。決める自由など無いって貴方は知っているでしょう。 あの契約がある限り、私は『貴方のもの』なのだから。」
「・・・・・そうか。ならば身体を拭いて待って居れ。」






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