ROSE
1
カツカツと軽快な蹄の音が、喧騒の溢れる石畳を渡ってゆく。
手綱を引く青年は、道を行く誰もが振り返って見ずには居られない際立った容姿をしていた。
鼻梁はすっきりと整い、漆黒の瞳は若さに似合わぬ落ち着きと自信を秘めている。
だが今、その瞳は暗く沈んでいた。
教会前の広場にいる少年に小金を渡して馬番を頼み、一人で目的の屋敷を目指す。
石畳を鳴らす長靴は、やがて密やかに白い大理石のアーチをくぐり、中庭へと進んでいった。
良く手入れされた草花が咲き誇り、池に設えられた大理石の噴水が大きな弧を描いて、水面へと虹の橋をかけている。
紅い薔薇の向こうに、想い焦がれる少女が座っていた。
足を止めて、青年は少女の姿を眺める。向こうを向いているせいで、少女の表情は見えない。
本当なら心弾む再会だった。相手がどう思っているかは分からないが、自分は相手に逢える日を願っていたのだ。
それがこんなことになろうとは・・・・・・
初めて会ったのは彼女が婚約者に引き合わされた、帰り道。
刻限より遅くなった夜道で、小女の馬車が盗賊に襲われているところに出くわした。
下卑た奇声を上げながら血に酔った男達が殺戮を繰り広げている。
御者が殺されている向こうで、馬が売り飛ばされるために馬車から外されている。
扉を打ち壊されて侍女が引き摺り出され、金切り声を上げながら暗闇に連れ込まれようとしている。
そして別の男が少女を馬車から引き摺りだすところだった。
馬の腹に蹴りを入れて、先ずは侍女を抱えた相手に突進。際を駆け抜け様胸を突く。
男が倒れるのに構わず、少女を捕らえた腕を切り落とし、手近の男を蹄に掛ける。
それだけで盗賊達は我先にと逃げ出した。
剣を振るって血糊を落とし、鞘に納めた。残念ながら馬は逃げたので歩かなければならない。
侍女が暗闇から這い出してくどくど礼を述べる。それを遮り、一刻も早く帰宅するよう、送って行こうと申し出た。
もとより遊び上手なわけでも人付き合いが上手いわけでもなく、黙って送り届けて黙って身を返すつもりだ。
少女は馬の背で大人しく揺られており、侍女だけが喧しく喋り続ける。
そして壮麗な門の前で少女を下ろし、侍女が帰宅を告げて使用人達が迎えに現れるのを確認し、その場を離れた。
「あの・・・・・・」
落ち着いた柔らかな声に振り返ると、少女が頭を下げていた。
「助けて頂いてありがとう御座いました。些少なりともお礼をさせて頂けませんか?
私は親に詫びなければなりませんのでこれで失礼致しますが・・・侍女に支度をさせていますので・・・・」
上げた顔はやや青褪めていたが落ち着いていて。
何よりも、その青い瞳に魅入られて。
一瞬後、我に返って断った。これ以上l此処に居てはいけないという声がしたからだ。
「そうですか・・・・」
その声に落胆の響きを感じたのは、気のせいだろう。
そのあと、偶然に会った。というよりすれ違った。
彼女は教会に礼拝のために来て、自分は傭兵仲間と食事の帰りだった。
軽く飲んだ酔いも一瞬で醒めた。少女が確かに自分を見て微笑んだから。
宿に帰ってもあの眼差しが消えなかった。何故あの時名乗ったのだろう。
いや、何故あの時あそこで出会ってしまったのだろう。
あのときに判った。少女の家はこの町、いや、この国でも指折りの名家だった。
貴族の称号を持ち、政治の中枢に関わり、婚姻と財力と政治力で絶大な影響を及ぼす旧家。
だが、翻って自分はどうだろう。
先祖は流れ来て、この国でやっと生活の糧を得た。昔は王族であったなどと、なんの役にも立たない貴種流離譚を聞かされて育った。
現実には、今の自分には爵位すら、財力すらありはしないのだから。
剣を取って戦うなら誰にも負けはしない。
そうやって、この腕だけで自分の運命を切り開き、やっと騎士の位を得たのだ。
あまりにも違いすぎる立場の差。
そしてそれが二人に悲劇を招いた。
ちょっとした諍いで、彼は彼女の許婚を殺してしまった。
彼女を侮辱したからだ。
どうやって調べたのか、あの侍女が使いにやってきた。
あのときに逢わなければ良かった。そうすればこんなに想い焦がれることもなかった。
約束の場所に現れた少女は、こういうことは初めてだと子供のように喜び、侍女のお喋りを一層増やした。
またお会いできる様取り計らうと申し出た侍女に釘を刺し、自分はまた暫く町を離れることを告げた。
途端に沈んだ少女と別れるのは、なぜか半身をもがれるように辛かった・・・・・
花ではなく小さな若木を贈ったのは別れる前日。
使いに来た侍女に、初めて自ら頼んだ。
そのとき彼女にはすでに婚約者が居て。
だからせめて、自分が死んだと判ったときにその手で引き抜いて捨てて欲しくて。
でも本当は、決して口にしてはならない想いを込めた。
そして、生きて町に戻った青年の元に現れたのは彼女の婚約者と名乗る男だった。
自分を痛烈に面罵し、嘲笑う相手の顔を、落ち着いて眺めることが出来たのに。
「あの娘だって可愛い顔で、親に隠れて俺以外の男と会ってたんだ。何をしてるか分かった物じゃないね。」
剣を引き抜いた手を止めることが、出来なかった。
気配に気付いた少女が振り向き、零れるような笑顔を見せた。
「いらして下さったのですね。この薔薇が咲いたらと仰ったので・・・・・」
それは、青年が口に出せない想いのありったけを込めて贈ったあの若木だった。
何処にでもある、何の変哲もない紅い薔薇が、大輪の花を咲かせている。
少女の家の財力をもってすれば、黄金の花でも手に入れられるだろう。
事実、求婚者や今までの許婚からは、遥かに高価な品々が贈られている。
だが少女はそれらには見向きもせず、青年が別れ際に贈った花を手ずから世話した。
それがあらぬ噂を招いたのだ。
「お待たせしてしまったのなら申し訳ない。ですが・・・・貴女にお会いするのはこれで最後です。」
「なぜ!?」
「・・・・・・・・・・・・・・旅に、出ます。」
そんな急に、何があったのですか?」
「何がと仰る。私は貴女の許婚を殺めたのですよ、いかに貴女を侮辱したとは言え・・・今は追われる身。」
「いいえ!いいえ!私は嬉しかった。貴方が私のために、その手を差し伸べて助けてくださったことが本当に嬉しかったのです。
貴方なら此処から私を助けてくださる、そう感じたのです。」
「ですがこれ以上貴女が私と関わると、貴女だけでない、貴女の家名にも傷が付く。新しい許婚も黙っていないでしょう。」
「連れて行って下さい。」
「無理を仰る。」
「承知の上です。」
「貴女は外の世界を知らない。与えられた世界で与えられた物事だけを素直に受け入れてきた貴女にとって、
全てを自分の腕だけで手に入れるということが何を意味するのか・・・・・」
「これから学びます。貴方に。貴方なら教えて下さるでしょう。」
「・・・・・苦しいことですよ?」
「貴方と一緒なら平気です。」
「一生、追われる事になる。」
「平気です。」
「・・・・・・・・・・殺されるかも知れない。」
「一緒に生きてください。」
虚を突かれた。
少女は真っ直ぐ、自分を見つめて微笑んでいる。その迷いのない瞳。
「死ぬのはいつでも出来ます。私にとっては今までこそが墓所のようなものでしたから。
与えられた物、与えられた毎日、与えられた結婚相手・・・・・
私が始めて心から欲しいと思ったのは貴方です。ですから・・・・・一緒にいきたいのです。」
行きたい。生きたい。一緒にいきたい。
声にならない声が聞こえる。
紅い薔薇を一輪、折って少女に捧げた。
「少女に前に膝を折り、胸に手を当てて誓う。
貴女とこの花に誓いましょう。これから先、死が二人を分かつまで、ともに有ることを。」
受け取った少女が髪に飾って笑う。
「違います。死が二人を分かとうとしても、です。命有る限り、世界の果てまでも二人は一緒です。」
透き通るような掌に接吻した男が立ち上がり、たおやかな肢体を腕に抱く。
そして初めて、秘めた想いを口にした。
「愛している・・・キャロル。」
二人の想いを、贈られた薔薇だけが見ていた。
END BACK
以前書いたのを加筆。以前の文はこちら。