ROSE
さくさくと、足元で柔らかな青草が踏みしだかれる音がする。
やがて足音は白い大理石のアーチをくぐり、中庭へと進んでいった。
良く手入れされた草花が咲き誇り、池に設えられた大理石の噴水が大きな弧を描いて、水面へと虹の橋をかけている。
紅い薔薇の向こうに、想い焦がれる少女が座っていた。
足を止めて、青年は少女の姿を眺める。向こうを向いているせいで、少女の表情は見えない。
だがやはり貴女は・・・・・・
少女の家はこの町、いや、この国でも指折りの名家だった。
貴族の称号を持ち、政治の中枢に関わり、婚姻と財力と政治力で絶大な影響を及ぼす旧家。
だが、翻って自分はどうだろう。
先祖は流れ来て、この国でやっと生活の糧を得た。昔は王族であったなどと、なんの役にも立たない貴種流離譚を聞かされて育った。
現実には、今の自分には爵位すら、財力すらありはしないのだから。
剣を取って戦うなら誰にも負けはしない。
そうやって、この腕だけで自分の運命を切り開き、やっと騎士の位を得たのだ。
あまりにも違いすぎる立場の差。
そしてそれが二人に悲劇を招いた。
ちょっとした諍いで、彼は彼女の許婚を殺してしまった。
彼女を侮辱したからだ。
だが密やかに流れた噂は揉み消され、彼女には新しい許婚ができたという。
気配に気付いた少女が振り向き、零れるような笑顔を見せた。
「いらして下さったのですね。この薔薇が咲いたらと仰ったので・・・・・」
それは、青年が口に出せない想いのありったけを込めて贈ったものだった。
何処にでもある、何の変哲もない紅い薔薇。
少女の家の財力をもってすれば、黄金の花でも手に入れられるだろう。
事実、求婚者や今までの許婚からは、遥かに高価な品々が贈られている。
だが少女は青年から贈られた花を手ずから世話した。
そしてあらぬ噂を招いたのだ。
「お待たせしてしまったのなら申し訳ない。ですが・・・・貴女にお会いするのはこれで最後です。」
「なぜ!?」
「・・・・・・・・・・・・・・旅に、出ます。」
そんな急に、何があったのですか?」
「何がと仰る。私は貴女の許婚を殺めたのですよ、いかに貴女を侮辱したとは言え・・・今は追われる身。」
「いいえ!いいえ!私は嬉しかった。貴方が私のために、その手を差し伸べて助けてくださったことが本当に嬉しかったのです。
貴方なら此処から私を助けてくださる、そう感じたのです。」
「ですがこれ以上貴女が私と関わると、貴女だけでない、貴女の家名にも傷が付く。新しい許婚も黙っていないでしょう。」
「連れて行って下さい。」
「無理を仰る。」
「承知の上です。」
「貴女は外の世界を知らない。与えられた世界で与えられた物事だけを素直に受け入れてきた貴女にとって、
全てを自分の腕だけで手に入れるということが何を意味するのか・・・・・」
「これから学びます。貴方に。貴方なら教えて下さるでしょう。」
「・・・・・苦しいことですよ?」
「貴方と一緒なら平気です。」
「一生、追われる事になる。」
「平気です。」
「・・・・・・・・・・殺されるかも知れない。」
「一緒に生きてください。」
虚を突かれた。
少女は真っ直ぐ、自分を見つめて微笑んでいる。その迷いのない瞳。
「死ぬのはいつでも出来ます。私にとっては今までこそが墓所のようなものでしたから。
与えられた物、与えられた毎日、与えられた結婚相手・・・・・
私が始めて心から欲しいと思ったのは貴方です。ですから・・・・・一緒にいきたいのです。」
行きたい。生きたい。一緒にいきたい。
声にならない声が聞こえる。
紅い薔薇を一輪、折って少女に捧げた。
「少女に前に膝を折り、胸に手を当てて誓う。
貴女とこの花に誓おう。これから先、死が二人を分かつまで、ともに有ることを。」
受け取った少女が髪に飾って笑う。
「違います。死が二人を分かとうとしても、です。命有る限り、世界の果てまでも二人は一緒です。」
透き通るような掌に接吻した男が立ち上がり、たおやかな肢体を腕に抱く。
そして初めて、秘めた想いを口にした。
「愛している、キャロル。」
二人の想いを、贈られた薔薇だけが見ていた。
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