「ミヌーエ、そなたメンフィス様とキャロルの語らいの時間を邪魔して何とするのです。
 せっかくメンフィス様が心安らぐ一時を持てたというのに。不調法にも程があります。」
「・・・・・申し訳ありません、母上。ですが。」
「ではありません。ファラオのお心が穏やかであるよう気を配るのも臣下の勤め。気を付けなさい。
 全くこんなことだから、この年になってもお前には浮いた噂の一つも無い。
 回りの友人達も皆、子供は嫁を貰ったり嫁いだり。中には孫の顔を見せに来てくれる方々まで居るのですよ。
 お前も親孝行の一つでもしておくれ。」
・・・・・耳が痛い。
ファラオとキャロルが中庭の長椅子で語らっているところへのこのこ行ったのは確かに間が悪かった。
しかしそれは大切な用だったのだ。
それにファラオは明らかにほっとした顔をなさったし、用事は滞りなく済んだ。
ファラオも労って下さった。
それでどうして説教を受けるのだろう。





翌日、回廊で宰相に出くわした。
「おお、これはミヌーエ将軍。ちと相談したき事がござっての。お時間を頂けまいか?」
「は、何か心配事でも?」
「いやいや個人的なことじゃ。昼食を一緒に致した折にでも。」
「畏まりました。ではその時に伺います。」





今日は謁見も無い、立て込んだ仕事も特に無い。王宮には何処と無くのんびりした雰囲気が漂っていた。
ファラオは執務室でせっせと書状に印を押している。
宰相は各地からもたらされた報告書に目を通し、将軍は警備についての打ち合わせを近衛隊長と話し合っている。
黄金の髪の侍女が、杯を載せた盆を提げて回廊を渡って行った。
ファラオに水を命じられたのだろう。
数分後。
執務室から物が割れる音と怒声と金切り声とが響き渡った。
聞いた者達が動きを止め、顔を見交わしてから宰相と将軍を見つめた。
・・・あきらかに縋るような目だ
二人は顔を見合わせ、どちらとも無く嘆息して執務室へと入っていった。





惨憺たる有様だった。
高価な黒檀の机の上には水溜りが出来て、飛び散った飛沫で書類が濡れている。
ファラオが立ち上がったために椅子はひっくり返り、クッションが床に落ちている。
杯は机の横に落ちて砕けており、転がっていった盆が部屋の隅でまだカラカラ音を立てていた。
キャロルは柱にへばりついて、まるで猫のように毛を逆立てて怒っており、
ファラオは憤怒の形相で仁王立ちしている。そしてやっぱり左頬が赤かった。
二人はもう一度顔を見合わせ、嘆息した。
「ファラオ、これはなにが御座いましたので?」
「あやつが私の言うことを聞かぬからだ!」
「あったもなかったも無いわよ!」
若い二人が同時に叫ぶ。
そして次の瞬間、キャロルは一言、
「メンフィスの馬鹿!!」
と叫んで部屋を飛び出していった。





「ちょっと戯れ掛かっただけでこの様よ。そんなに私に接吻されるのが嫌か。」
ミヌーエが引き起こしてクッションを乗せた椅子に、どすんと座ってファラオががなり立てる。
「こんなことは初めてだ。今までの女達はこうすると大喜びだったぞ。一体何が気に入らないのだ?」
「は・・・」
「それは・・・」
将軍はファラオのあけすけな物言いにたじろぎ、
宰相は顎鬚を引っ張っている。
「しかしファラオ、昨日はあれほどキャロルと睦まじく過ごされていたではありませんか。」
「そうだ。蓮をやったら、あやつ本当に嬉しそうに礼を申した。少しは好意を示したかと思ったのだが。
 何故今日は嫌がる?」
・・・メンフィス様、手順を省略しすぎます。
ミヌーエは思わず内心で突っ込んだ。
「メンフィス様、落ち着かれませ。先ずはキャロルを追いかけて謝ることですな。」
「何故私が謝らなければならぬ?」
黙って見ているミヌーエの前で、年嵩の宰相は穏やかに喋る。
「おそらくキャロルは怯えたのでしょう。物慣れぬ娘は皆、どうして良いか分からぬときはそんな反応をするものです。」
「・・・・・イムホッテップ、やけに女心に詳しいではないか。」
「昔取った杵柄というもので御座います。」
イムホテップが澄まして言った。
「・・・・・・・・・・」
メンフィスの視線がこちらを向いた。
「どうかなさいましたか?」
「ミヌーエ、謝るときには何か贈り物を持っていくほうが良いのだろうか?」
「はあ・・・」
困った。考えてみると自分もこのようなことを経験していない。
色街の女達と遊ぶ時には深入りしないよう割り切って居たし、只一人の人には手痛い傷を負わされて以降、
女は周りに居ないのだ。
宰相にちらりと目をやると、だまって微笑っていた。
「・・・・・そうですね・・・キキャロルの性分ですと、贈り物は受け取らないかと。それより言葉をかけたほうが良いように思いますが。」
「分かった。行って来る。」





昼食を共に摂りながら、宰相は将軍に打ち明けた。
「いや、実を申せば女官長殿に相談されましてな。『息子に浮いた噂の一つも無い。
 ファラオとキャロルの様子を見て、少しでも女性に興味を示してくれれば』と。」
「それで?」
「昨日のファラオとキャロルの中庭の会話、あれは私達が仕組んだのですよ。キャロルに一日暇をやってゆっくりさせ、
 ファラオの勘気を収めてキャロルと過ごさせる。ところが其処に貴方が現れてファラオはそそくさと行ってしまわれた。
 てっきり黙って見守られると思ったのじゃが。」
「それは失礼なことを致しました。しかしこれも仕事ゆえ。」
ついつい口調が恨みがましくなる。
「分かっておりますよ。黙っていた私達にも非はありまあすのじゃ。じゃが女官長殿の親心ももっともなこと。
 お心の隅にでも留めて置いて頂きたい。」
「分かっております。」
・・・・・耳が痛い。





「ミヌーエ!!」
「メンフィス様。ここに。」
将軍の姿を見るなりメンフィスが駆けて来た。
「一体あれはなんなのだ!?私の姿を見るなり泣き出すし飛んで逃げる。、謝ろうとすると怒り出す。
 慰めてやろうとすると『触らないで!!』と来た。どうすれば良いのだ。」
怒った口調だが明らかに困惑している。どうして良いのか分からないのだ。
・・・・・この二人は良く似ている。
ミヌーエは不意にそう思った。
意地っ張りで頑固で不器用だ。思ったことは直ぐ口に出すのに肝心なことは喋らない。
「なんだ。何がおかしい?」
「あ、これは失礼致しました。」
自分でも気付かぬうちに笑っていたらしい。
自分より年下の主君が噛み付いてくるのを、ミヌーエは微笑ましく思った。
・・・・・メンフィス様、もっと恋をなさいませ。
それがどういう結末を迎えるかは分かりませぬが、貴方様にとって決して無駄にはならないと存じます。
「・・・正直に申し上げて私にも、キャロルの考えは分かりかねます・・・。
 ですがファラオ、部下に一人、この道にかけては名うての者が居りまして、何時も話しておりました。
 『喧嘩をしたときは贈り物に限る。ただし高価な物は駄目。花とか菓子なんかのちょっとした物と優しい言葉だ。』と。」
「そんな物が?女とは分からぬものだな。」
「はい。全くもって理解しがたい生き物だと存じます。ですが昨日はそれで上手く行ったのでは?」
「・・・・・ミヌーエ、そなた女は居らぬのか?ナフテラがこぼして居ったぞ。『早く孫の顔が見たい』と。」
「これはしたり。我が心はメンフィス様一筋と言うことは、とうにご存知だと思っておりましたが。」
「まあ良い。女が欲しいなら言うが良い。いくらでも居るぞ。」
「お人の悪い。メンフィス様の行いを拝見していると、女には夢も希望も持てなくなります。」
「ほざけ。・・・まあたしかに今までの女はそんな輩ばかりだったし、それで良いと思って居ったからな。
 キャロルだけだ。今までの、どんな女とも違うのは。」
「それはひょっとして、惚気ていらっしゃるのですか?」
「なんとでも言え。・・・お前にはもう分かっているのだろう?」
一瞬見せた表情が何より嬉しかった。





キャロルがふくれっ面をしながら花を摘んでいるのを見て声を掛けた。
「あら将軍、お仕事は?」
両腕一杯に花を抱えて振り返る、その姿が何とも愛らしい。
メンフィス様が夢中になるのも無理はないな。
「休憩時間です・・・キャロル、朝のことですが。」
その途端、少女が真っ赤になった。
「な・何?メンフィスに謝れって言うの?嫌よ絶対。あれはメンフィスが悪いんだから!」
「いいえ、その反対ですよ。ファラオは貴女に謝りたいと考えていらっしゃるようです。」
「え?・・・でも嫌。あんなので謝っているなんて思えないわ。」
「どうしてですか?」
「だっていきなり腕を掴んで『泣くな』って言うんですもの。吃驚して逃げたら散々追い掛け回されて・・・
 やっと逃げてきたの。暫く戻らないから。」
「とは言ってももう持てないでしょう。」
「・・・・・・・・・・」
両腕一杯どころか、話しているうちに山のように摘んでいた。
「持ちましょう。一度戻ってまた来れば良い。」
「そうね・・・有り難う。」
不意に茂みが音を立てた。
将軍が振り向くと同時に剣を抜く。
気配を探る。四・・・五人・・・六人。
「キャロル。足に自信は?」
「結構。」
「では、声を掛けたら真っ直ぐ王宮目指して走りなさい。」
「でも!」
「助けを呼んで来るのです。・・・・・行きなさい!!」
声と同時に花を投げ捨て、少女が一直線に走って行く。背中から剣戟が響いている。
だが、御柳の木陰から伏兵が飛び出してきた。将軍には目も呉れずにキャロル目掛けて襲い掛かる。
「きゃあぁぁっ!!」
「キャロル!」
打ち込まれた一撃を弾き返しながら叫ぶ。
「止まらず走りなさい!止まったら斬られます!衛兵を呼ぶのです!!」
防戦一方だった将軍の剣に殺気が籠もる。数合斬り合い、隙を見ながら相手の急所を狙ってゆく。
少女は背後から振りかざされた剣をかわしたが、衣の裾を捌き損ねてその場へ転倒した。
起き上がる間もなく、空気を裂いて白金の輝きが落下してくる。
次の瞬間、どすんと鈍い音がして兵士が剣を取り落とした。キャロルは逃げずに反対に転がり、兵士の足に体当たりを食らわしたのだ。
バランスを崩した兵士の身体が大きく泳ぎ、そのまま目の前の水面目掛けて落ちて行く。
派手な水飛沫に構っている暇は無い。二人目が襲い掛かってくる。
起き上がった拍子に手に触れた小石をぶつけ、一瞬怯んだ目に砂を叩き込む。
相手の絶叫を聞き流し、立ち上がって再び走り出す。





「メンフィス!!賊よ!!」
執務室からファラオが飛び出してきた。既に片手に剣を掴み、肩衣は其処へ放り出している。
「何処だ!?」
「泉の向こうの御柳の先!!」
「出合え!賊だ!!」
衛兵とファラオが叫び合い、混乱の場へと向かう。
ミヌーエはキャロルが逃げおおせたのを確認し、再度防御に徹した。
もう殺す必要はない。あとはキャロルが王宮へ助けを呼びに行く間だけ持ちこたえれば良いのだから。
だが数合切り結んで分かった。この者達は兵士だ。
だとすると・・・・
自分の予想はおそらく当たっている。
三人を切り伏せ、四人目に傷を負わせた所にファラオと衛兵が駆けつけた。
騒乱はものの数分で収まったが、賊は一人も生きていなかった。
二人は即死。一人は暫く生きていたがやがて息絶えた。
残りは自らの心臓に剣を突き立てた。。
「・・・・・!!」
「キャロル!!来るな!!」
ファラオの肩衣と鞘を抱いて、兵士の向こうに少女が立ち尽くしている。
その顔が変に青白い。と思った途端、少女の身体がふらりとよろめいてその場にくず折れた。



キャロルが目を覚ました時には全てが終わっていた。
医師が様子を診た後、大事なしと判断して下がって行く。
「・・・気分はどうだ?」
「ええ・・・大丈夫・・・此処は?」
「お前の部屋だ。・・・全く、あんなところへのこのこ来るな。辺りは血の海だということくらい分かっておろう。」
「御免なさい。でも何だか責任感じて・・・」
「そう思うなら勝手にうろうろするな。ミヌーエが居なかったら今頃どうなっていた事か。」
「!将軍は?将軍は大丈夫なの?」
メンフィスが合図をして将軍が入ってくる。
「大丈夫ですよ。かすり傷一つありません。」
「良かったわ。御免なさい。迷惑掛けて。」
「いいえ、こちらこそ助かりました。貴女は足が速いのですね。カモシカのようでしたよ。」
「・・・・・で。お前達に聞きたい。二人で一体何をしていたのだ?」
「・・・・・」
「・・・・・」
青い瞳と濃茶色の目がお互いの顔を見てから、同時に漆黒の瞳を見つめる。
「なんだ。私に言えぬ様な事か?まさか・・・」
「誤解ですよ。」
「なにもないわ!何考えてるの?」
「では申せ。」
「良いのですか?」
「言うわよ。・・・・・メンフィスが朝の騒ぎの後私を追い掛け回したのは、私に謝るためだって。
 でも私が許さないって言ったから将軍が困ってただけよ。」
「そ・そうか、済まぬ。」
微妙な沈黙がその場を支配する。
「それでは私は未だ仕事が残っていますので。」
「あ、ああ、分かった。大儀であったな。」
「ちょ、待って・・・・・」
キャロルが何か言いかけたがミヌーエは部屋を出た。これ以上邪魔をするのは野暮だろう。
朴念仁の自分でもこれくらい分かる。
後は二人次第だ。
・・・・・それにしても。今日の賊を差し向けたのはおそらくあの方だ。
メンフィス様もそれはお分かりになっただろう。
今は未だこれくらいで済んだ。
だが。





ミヌーエの眼に少女の姿とあのお方の眼差しが浮かぶ。
頭を一つ振って幻を追いやると、ミヌーエは表情を引き締めた。
・・・・・私の行く道はファラオと共にあるのだ。





                                                                          END





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