腹の虫





最近、兵士の間で黄金の髪の少女のことが話題になっている。
見慣れない容姿だが誰にでも優しく、親切で礼儀正しく、何より笑顔が愛くるしい。
朝は声を掛けると「おはよう御座います」
扉を開けてやると「ありがとう」
ちょっとした怪我をしても丁寧に手当てをして心配してくれる。
年長者には敬意を払うし、同年代の者にも変に馴れ馴れしくない。
ちょっとした人気者だ。





只一人に対する時を除いては。





問題はその只一人が、この国の至尊の身分であることだ。
今は未だ、プライドが邪魔をするのか理性がブレーキを掛けるのか、見て見ぬ振りをしているが、
爆発するのは時間の問題だろう。
現に、キャロルがファラオ以外の、特に若い男と言葉を交わすたびにファラオのこめかみが引きつっている。





午後の執務室に、ファラオが呼びつけた娘が入室してきた。
扉を開けてもらって礼を言っている。
「水をお持ちしました。」
机に置いて黙って下がろうとする。
「待て。これをやろう。どうだ、美しいだろう?」
机上の小箱を開けると、入っていたのは贅を凝らした細工の腕輪。
太陽の光を浴びて燦然と輝く。
ところがキャロルはろくに見もせずに、
「要らないわ。」
と一言。取り付く島も無いとはこのことである。
そのままさっさと出て行こうとするので、せっかくメンフィスが企んだ『贈り物作戦』も木っ端微塵になってしまった。
「待て、やろうと言うのに何故礼を言わぬ。」
「要らないからよ。」
「扉を開けたぐらいでいちいち礼を申すのにか?」
「言う言わないは私が決めることよ。貴方に指図されることではないわ。」
殆ど子供の喧嘩だ。
後はお決まりの叫び合いで、業を煮やしたメンフィスがキャロルの腕を掴み、
悲鳴を上げた少女がファラオの横面を引っ叩いて逃げ出すという展開だ。
これが殆ど毎日のように繰り返されて、さすがのメンフィスも計画を変更せざるを得なくなった。





つまり、自然に礼を言う展開にもって行く。
さてどうしたものか。
ファラオの思案はそこで停止する。
相談する相手が居ない。
ミヌーエは堅物だしイムホテップでは年嵩すぎる。ウナスにいたっては未だに色街の女共に
「ボク、可愛いわね。」
等とからかわれている有様だ。
何より、ファラオである自分が他人に頭を下げるなど、矜持が許さない。
そんなこんなでいらいらする、周りにとっては非常に良い迷惑な数日が過ぎた。





キャロルが池の蓮の花を摘んでいるのが見えた。
手を伸ばしているがなかなか届かない。
通りがかった兵士が替わりに目的の花を摘んでやって、キャロルが嬉しそうに礼を言っている。
それを見た瞬間。
ファラオの中で、プツンと音を立てて何かが切れた。
後はもう、書類も何もかも放り出してキャロルの傍へ飛んでいった。
兵士が仰天して跪く。
キャロルが吃驚して悲鳴を上げる。
兵士には目もくれず、少女の肩を掴んで強引に振り向かせた。
情けないとは思いつつ、非難の言葉が口をついて出る寸前。
引っ張られてバランスを崩したキャロルがメンフィスにしがみ付き、二人はそのまま池に落ちた。
派手に水しぶきを上げて二人の姿が水中に没する。
勿論、メンフィスはこれくらいのことで溺れたりしない。
水中でじたばたもがくキャロルを抱え、難なく岸に泳ぎ着いて少女を引っ張り上げる。
ところが。キャロルは再度悲鳴を上げると、自ら池に飛び込んだ。
周りが沈黙する。
怒り頂点に達したメンフィスが怒鳴りつけようとして自分の姿に気付く。
濡れ鼠になった自分の、いや、キャロルの姿を想像して同じように沈黙する。
少女が水面から顔だけ出して、やはり沈黙する。
奇妙な静けさが辺りを支配する中、耐え切れなくなった少女がくしゃみをして止まっていた時間が動き出す。
黙って肩衣を外し、顔だけ出しているキャロルの上に放り投げて踵を返す。
今日は完全に失敗だ。





翌日、女官長から奏上があった。
キャロルの体調が優れないので休養させるとのことだった。
勿論原因は昨日のあれしかない。
自分のせいだ。分かっている。分かっているが腹の虫が収まらない。
午前中の仕事は何とか片付けたが、午後は執務室で臣下を下がらせ落ち着かなく過ごした。
まるで檻の中の獅子のようにうろうろ歩き回る。
どんな様子だろう。体調が優れないということだが何か病気にでもなったのだろうか。
爪を咬んでイライラしているその様子を、イムホテップが穏やかな眼差しで見つめている。
気付いたファラオがむっつりと声を掛ける。
「イムホテップか。何用だ?」
「キャロルのことがお気に掛かりますかな?」
携えてきた書類を片付けた後、老宰相は穏やかに年若いファラオの心中を解きほぐす。
「女官長殿より聞き及びました。キャロルの体調が優れぬとか。」
「そのほうも私のせいだと申すか?」
いきり立つ少年王にまあまあと手を上げてなだめ、老人はこんなことを言った。
「見舞い?私が?」
「そうです。人は誰しも病を得たときは心細く思うもの。ささいな言葉で傷付く事もあるが心安らぐこともある。
 暖かい笑いを得ることもありますでしょう。」
「だが、あやつはいつも私に逆らってばかりいるのだぞ。今更行ったとて喜びはすまい。」
「さあ・・・それはどうでしょう。」
含みのにある言葉にメンフィスの表情が動く。
「何か経験でもあるような口ぶりだな。」
老宰相は自分のことをあまり喋らない。分かっているのは早くに伴侶を亡くしたということだけだ。
「・・・大切なものほど後で気付くものなのですよ・・・些細なことだからと後回しにすると、取り返しの付かないことになる・・・」
最後はつぶやくように言うと、我に返ったように微笑んだ。
「ああ、これは年寄りの繰言ですな。どうぞお忘れください。」





明るい午後の日差しの下、中庭の長椅子に黄金の髪の少女が所在なさげに座っている。
今日は一日大事をとって休むようにと女官長から命があったのだ。
ぼんやり物思いにふける少女に、背後から声が掛けられる。
「キャロル、隣に座っても良いか?」
声を掛けた途端、少女の背中が緊張する。
だが断る理由が無い。
「・・・・・どうぞ。」
言って立ち上がろうとする、その手を掴まれて「やる。」と一声。
蓮の花が一本。
ぽんと渡されて思わず受け取ってしまった。
元は大きく美しかったのだろう。
だろうと言うのは、摘んでから時間が経ってしまって萎れているからだ。
「どうしたの?これ・・・」
「王宮の中で一番大きくて美しいのを探して選んでいるうちにこうなった。」
つっけんどんに言って黙っている、その顔が赤い。
「・・・・・昨日は悪かった。」
やはりつっけんどんに言って黙っているので、謝られたと気付くのに数秒の時間が必要だった。
メンフィスが。あのメンフィスが謝っている。
「どうしたの?貴方が謝るなんて。何かあったの?」
「なんでもない。」
ますます赤くなっている。
黙って見ているうちに、キャロルの口からくすくす笑いが零れてきた。
「なんだ。何か可笑しい?」
照れくさいのを誤魔化しているのか、噛み付くような口調が何だか可愛らしい・・・
と言ったらまた怒り出すだろう。
「いいえ、何でもないわ。ありがとう。」
メンフィスが弾かれたようにこっちを見た。
「お前、今私に礼を申したのか?」
「きゃあっ・・・お花が・・・」
「肩を掴まれ、吃驚した途端に蓮の花が地面に落ちてしまった。
「あ〜あ・・・もう、メンフィスったら・・・」
「そんなことなどどうでもよい!もう一度申せ!」
「嫌よ。」
「なに?」
「だってせっかくのお花が落ちちゃったんだもの・・・可哀相。」
拾った花の香りを嗅ぎながらちらりとメンフィスを見やると、傍目にも分かるほど慌てている。
「花くらいいくらでもやる。だからもう一度申せ!」
「・・・・・メンフィス・・・」
嘆息交じりに笑う。
「昨日も言ったでしょう。言う言わないは私が決めることよ。貴方だって命じて言われた『ありがとう』なんて
 嬉しくないって分かってるはずよ。」
メンフィスがぼすんと隣に座り、真剣な顔で聞いてきた。
「お前は宝石や腕輪より、花なぞのほうが良いのか?」
「比べるのではなくて、必要なときに必要なものがあればそれでいいわ。
 宝石や腕輪も時には必要でしょうけど、今の私には必要の無いものばかりだもの。」
「では何が欲しい?お前の欲しい物ならどんなことでも、なんでも与えてやれるのだぞ。」
キャロルが肩をすくめて見せる。
「今はお花が嬉しかったからお礼を言ったの。
 物が欲しくて言うのではなくて、メンフィスが私のためにこの花を選んでくれた、心が嬉しいのよ。」
「心?」
「そう。相手を思う心ね。親切とか大切に思うとか、そんなこともかしら。
 些細で壊れやすくて後回しにしやすいもの。だからお礼は必ずその場で伝えなさいって母がよく言っていたわ。」
「そうか。それでお前はよく相手に礼を述べているのだな。」
「そうね、自分では気付かなかったけれど、私そんなによく言っているかしら。」
「本当だ。よそんなに言えると感心するくらいだ。兵士達には片端から言ってい・・・」
ぴたりと声が止まる
「?どうしたの?いきなり黙って・・・」
「なんでもない。」
まずい。これ以上言うとまずい。
ファラオともあろう者が、たかが女一人の挨拶や礼を貰えないと口にしたら、下らない焼餅を焼いていると言われてしまう。
「ファラオ、失礼いたします。」
声を掛けてきたミヌーエの存在を、これほどありがたいと思ったことは無かった。
キャロルがぽかんと口を開けているのに気付きながら、そそくさと立ち上がる。





そして回廊の柱の陰では、老宰相と女官長が二人、並んで溜息をついていた。





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