「 CREAM 」
彼の漆黒の瞳。
それは全てのものを呑み込んでしまう色。
その瞳で見るものをはっきりと映し出す色。
その瞳に映るわたしをずっと見ていたい。あなたにもっと呑み込まれたい。
その瞳にわたし以外の女(ひと)を映したりしないで・・・
そっと呟く彼の腕の中、見おろす黒い瞳がすうっと細まり、唇が降りてくる。重なる唇から漏れる吐息がふたりを熱くする。
離さないで、メンフィス・・・
壊れてもいいから・・・もっときつく抱き締めて・・・
震えるキャロルの瞳から透明な雫が零れ落ちていた。
何を恐がっている?
お前だけだと・・・何度そう言えばいい?
もどかしさばかりが募り、彼は抱きしめる腕に更に力を込めた。
白く柔らかな肌をそっと撫で再び唇を重ね、その夜も思いのたけを込めて彼は彼女を抱いた。
それでも彼女の瞳から涙は枯れることがなかった。
―――――リード家の別荘のうちの一つがニューヨーク州イーストハンプトンにある。
渋滞に巻き込まれなければマンハッタンから車で2、3時間程で行ける避暑地だ。
キャロルは家族にも友人と共に外国に旅に出ると嘘をついて独りそこへ旅立った。
勿論メンフィスにも何も言わずに。
留守の間、庭の手入れや家の掃除等、別荘の管理を一手に引き受けるケヴィンとメアリーのジョーンズ夫妻を訪れ夕飯をご馳走になった後、
キャロルは独りその別荘で眠りについた。
暫く独りになりたいの。
そう言うキャロルにメアリーおばさんは、おやまあ、一体どうしちゃったの?と肩をすくめながらも、
邪魔はしないからゆっくりとお過ごしなさいと片目を瞑ってくれた。
久しぶりに会うジョーンズ夫妻の元気そうな顔が思い出され、自然と頬が緩む。
でも。
・・・メンフィス・・・怒っているわよね、突然こんなことして・・・。
置き手紙を読んだ彼の怒った顔を思い浮かべてはまた溜息が零れる。
季節外れの訪問にこの家自身が驚いているのだろうか。強風に窓ががたがたと音を立てた。
毛布を頭から被って耳を塞いでみる。
風の音は聞こえなくなった。
でも代わりに聞こえるのは彼の声。低く囁く愛の言葉と優しくキャロル、と呼ぶ声。
・・・会いたい・・・
メンフィス、本当はあなたに会いたい・・・
思わずそう呟いてしまいそうで、キャロルはキッと唇を噛み締めて強く瞼を閉じた。
愛しすぎたから。
それが理由だなんて自分でも矛盾してるって思う。
でももうこれ以上は無理。
あなたを信じてないわけじゃない。あなたがわたしを思ってくれていることは痛いくらいに伝わってくる。
会えない日でも毎日のように届くあなたからの沢山の贈り物。
お願いだからもう止めて。何も要らないし何も欲しくない。目に見えるものなんて何一つ要らない。
幾ら言っても聞き入れてくれないから、わたしの部屋はあなたからの贈り物で溢れかえっている。
あなたの心だけが欲しいのに。
あなた自身しか欲しくない。
そう言うわたしにそれならもうお前のものだろう?って軽く笑うあなたにこの気持ちが解るはずなんかない。
夢を見るの。
息をすることなく横たわるあなたの夢を。
きっとそれは喪失への不安。
例えば事故である日突然この世からあなたがいなくなってしまったら・・・。
わたし以外の女(ひと)に心を移してしまったら・・・。
そう、わたしは不安で堪らない。
いつかわたしから去っていくかもしれない、いつかあなたを失う日が訪れるかもしれないと、そう思うだけでいてもたってもいられない。
あなたを失うことが怖くて不安で堪らない。もうあの夢は見たくない。
きっと愛しすぎたから。
あなたを愛しすぎたから・・・自分が自分でいられなくなるのが怖い。
今ならまだ間に合う。
今なら自分を取り戻せる筈。
だから・・・
だからさようなら、メンフィス。
わたしを許して・・・。
どれくらいの時間眠り続けていたのだろうか。目が覚めた頃にはすっかり太陽が高い位置まで昇ってしまっていた。
シャワーを浴びて近くのカフェで遅めの昼食を摂ろうと思い立ち、ベッドを抜け出す。
車の運転の出来ないキャロルのこの街での移動手段は自転車だったが、暫く誰にも使ってもらえずに放置されていた自転車はストライキを起こしていて全く役に立たなかった。
仕方なく徒歩でカフェまで行き、帰り道には回り道をしてビーチを歩いた。
オンシーズンには沢山の人間で賑わうこのビーチもオフシーズンのせいか誰もいない。遠くに大きな犬を連れた老人が見えるだけだ。
砂浜を歩いていくと高台になっている場所がある。その高台から海を見渡すのが大好きだった事を思い出し、登ってみた。
「うわあ・・・・」
何年ぶりだろう。この景色を目にしたのは。
最後に此処へ登ったのはまだジュニア・ハイ・スクールの頃だったかしら・・・?
懐かしさに胸を熱くして海を眺めていると、突然砂浜に一台の車が乗り込んで来るのが目に入った。
見覚えのある赤いクラシックカーに胸の鼓動が早くなる。
あれはまさか・・・
まさか・・・メンフィス・・・・?
運転席から降り立つその人の黒髪が潮風に靡く。
クラクションを鳴らしながらライトをアップダウンさせて合図を送る彼のその姿に彼女は気付けば駆け出していた。
その胸に飛び込みたい気持ちをぐっと堪えて目の前で立ち止まる。
やっぱりメンフィスは怒った顔をして彼女を見ていた。
「・・・どうしてここが・・・?」
「尾けて来た」
「嘘!?」
怒った顔が一瞬だけニヤリと意地悪くなる。
「俺から逃げられると思ったか。お前が何処へ行こうと必ず見つけ出す」
「ええ!?」
「・・・冗談だ。・・・いや、強ち嘘でもないか・・・絶対此処だと思った」
「お見通しだった・・・そういうこと?」
ふっと笑ってメンフィスは風に乱れる髪の毛を掻き揚げて海の方へと視線を投げた。
「・・・ハンプトンか・・・好い所だな。美しい街だ。・・・成る程、金が余って仕方のない連中がこぞって別荘を買うわけだ。ここもリード家のプライベートビーチか」
「・・・またそんな皮肉を言いにわざわざ来たの」
ふっと短く笑うとメンフィスは真っ直ぐにキャロルへとその瞳を向けた。
強い思いのこもった視線に耐えかねて逃れようと思っても瞳を逸らすことが出来ない。
やっぱりメンフィスの瞳には抗えない。どこまでも呑み込まれてしまいそうになる。
呑み込まれたいと思う自分が確かにいるのに、怖い。これ以上あなたに溺れていく自分が怖い。
「責任取ってもらいに来た」
「せき・・・?」
「・・・もうお前無しじゃ眠れない身体になってしまった・・・・これはお前の所為だ。だから責任を取れ」
「な・・・に・・・?」
「責任取れって言ってるんだ。俺をこんな遠くまで来させるなんて」
「せ、責任って・・・どういうことよ」
「こういうことだ」
熱い口付けがキャロルを襲い、その腕にぎゅうっと閉じ込められる。
たったそれだけのことでもう決心がぐらついてしまう。
・・・勝手なこと言わないで・・・・。
そう言いながらも彼女は気付けば彼の背中に腕を廻していた。
目が覚めるともう日もたっぷりと暮れかけていた。
彼に翻弄された後はいつでもそう。気が付くと彼の腕の中で眠ってしまう。
日も明るいうちからわたし達何やってるのかしら。
腕の中でそう呟くとメンフィスはmake love、ただひとことそう言って軽く笑った。
熱を取り戻した彼の指が唇が、わたしの身体中を這い廻る。
絡まる指が切なくて愛しくて、わたしはただ途切れ途切れにあなたの名前を呼び続けた。
・・・わたしは愛されている・・・
この人は冗談ではなく、きっと世界中の何処までもわたしを探しに来るだろう。
わたしが何処へ逃れようともきっと行く先などお見通しなのだろう。
逃れられるわけなどないのに。
あなたの瞳も声も、その指も唇も、何もかもがわたしを愛しているとそう告げているのに。
ねえ、わたしが居なくなって悲しかった・・・?
あなたは何も答えない。ただわたしの身体をゆっくりと愛おしむだけ。
もう何処にも行くな・・・
愛してる・・・お前だけを・・・
ゆっくりと動きながら彼が言う。
彼が動くたびにその黒く長い髪がさらさらと揺れてわたしをくすぐった。
その艶やかな髪までもがわたしを愛撫してくれるなんて。
やっぱりもう逃れられない。こんなにも愛してるのに。
そう悟った時、あなたの息遣いが変化した。
来て、メンフィス。
もっときつく抱き締めて。
あなたと一緒に何処までも行くわ。
何処までも。
覗いた冷蔵庫の中にはオレンジとダークチェリーパイとぺリエだけ。
彼は甘いものが苦手なくせにわたしの為にいつもスイーツを買って来てくれる。
ちょっと待って。すぐにコーヒーを淹れるから。
後ろから邪魔をする彼の所為でコーヒーの粉が飛び散った。
抗議の声を上げる彼女に彼はただニヤリと笑ってぺリエを口に含む。
漸くコーヒーメイカーのスウィッチをONに出来たと思ったキャロルが振り向くと、メンフィスがダークチェリーパイを彼女の口に押し込もうとしているところだった。
ちょっと、待ってって言ってる・・・
有無を言わせずに一口齧らされる。
サクッと音がしたかと思う間も無く、甘酸っぱいダークチェリーの果汁が口いっぱいに広がり、芳香が鼻腔に流れ込む。
その時コーヒーメイカーのスウィッチを切る乾いた音が背後で聞こえた。
待てない。
そう言ってわたしの口の横に付いたクリームをあなたがぺろりと舐めて、それから・・・
それから・・・・
< Fin >
KA-Z様より頂きました〜〜!!(絶叫)
犬のこしらえた作をお読みになって作ってくださいました、
「愛のみょんみょん劇場現代版」!
ああ・・・王様は現代でもやっぱり王様・・・くっ(握拳)
なにげに「・・・・・あ・・・(ニヤリ」となってしまうKA−Z様のスゥイーツを
どうぞ御賞味下さいませ。
胸焼けしてないよ、って言う方は
次召し上がる?
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