手を噛む犬






つるさんが送ってくれた、ヒロミの絵に触発されて書きました。






 知り合いから、バイトを紹介された。
 泊りがけのバイトで、日当が良かった。
 そろそろ次のライブのために、スタジオに籠もって練習や、新曲だって作りたい。
 そう思っていた阪東には、渡りに船だった。
「しばらく帰らねーから」
 お前も好きにしてろ、と言うと、分かった、とヒロミは頷いた。
 明け方の玄関先で、自分だって昼からバイトで、本当はまだ寝てたいくせに、わざわざ見送りに起きてきたヒロミを、かわいい奴だと阪東は思った。
 駐輪場からバイクを出し、エンジンをかけて振り返る。
 部屋の窓から顔を出して、ヒロミはまだ阪東を見ていた。

 汗にまみれて一週間。
 程よく膨らんだ封筒を懐に、阪東は帰った。
 部屋には誰もいなかった。
 せっかくメシでも奢ってやろうと思ったのに。
 好きにしてろ、と出かけに自分が言ったことも忘れて、気を悪くする。
 まさか三つ指ついて待ってろなんて言わないが、俺が今日帰ってくることは知ってんだから、うちにいたっていいだろ、と思った。
 誰もいない部屋で、シャワーを浴びて、横になったら眠くなる。
 うとうとしていると、ギッと音がした。
 ドアが開く音だ。
 ヒロミが帰ったのか、と思い、でも、一度睡魔に捕まったらもう駄目だった。
 数日来の疲労がドッと出て、阪東は、本格的に眠りに落ちた。

 それから、どれくらい眠っていたのか。
 目覚めると、窓の外はうす暗かった。
 テレビをつけて時間を確認し、阪東は、自分が半日も眠りこけていたという事実を知る。
 ヒロミはいなかった。
 テーブルの上にポカリスウェットの缶があって、缶の下にコンビニのレシートがあり、裏返すと走り書きがあった。
 「バイト」と、ボールペンで書かれた文字を、まじまじと見る。
 ヒロミの書いた字、というのが、阪東には珍しかった。
 筆圧の強い小さな字は、アイツの性格みたいでおもしろい。
 たった三文字を飽かず眺めながら、早く帰ってこい、と思った。

 テレビをつけたまま、また寝ていると、夢を見た。
 高校時代の夢だった。
 まだ髪が黒く、学ランのヒロミをバイクの後ろに乗せて、海辺の道を走っていた。
 目が覚めて、そういやヒロミをバイクに乗せてやったことってねーな、と思った。
 殊更に意識していたつもりはない。
 つもりはないけれど、その理由には、すぐに見当がついてしまう。
 寝る前に見ていたヒロミの走り書きを手に取った。
 レシートの裏に書かれたメモだ。
 ひっくり返すと、ヒロミが買った物の名前が並んでいた。
 ポカリスウェットが二本と、雑誌が一冊、野菜ジュースと缶ビールが各一本。
 アイツ水分ばっか摂ってんのか、と阪東は苦笑する。
 ヒロミが買った雑誌は阪東の知らない雑誌で、たぶん漫画だった。
 こーいうの読むんだな、と新鮮な気分になる。
 うちには持って帰ってこないから、知らなかった。
 こーいうの読むって知らなかった、というか、全体、阪東はヒロミのことをよく知らない。

 同じ高校に通っていても、普通に親しかったことなんて一度もなかった。
 よく吠えてよく噛みつく、野良犬みたいな後輩が、あるときを境に、黙って阪東を見つめてくるようになった。
 女のような目で見ていると、確か、そう思ったのだ。
 ヒロミのことは、阪東だってよく見ていた。
 だから、すぐに気づいた。
 よく見ていた、つまり、そういうことだ。
 女のような目で見ていると思ったから、女のように扱った。
 ヒロミの卒業と同時に掻っ攫い、近くに置いてみた。
 すると、意外におとなしかった。
 しつけが良く、無駄吠えもしない。
 自分のことはあまり話さないし、阪東のことも聞いてこない。
 それはそれで居心地は良かったけれど、こうして、ふとしたときに、お互いを知らないことに気づく。
 切なかった。

 走り書きの残されたレシートを手に、阪東が考えこんでいると、ドアが開いた。
「……」
 玄関先に、ヒロミが立っている。
「よお」
 声をかけると、黙ったまま頷いた。
 散らかった靴を足で片しながら、上がってくると、上着を脱いでハンガーにかける。
 テーブルを挟んで阪東の向かいに座り、煙草に火をつけた。
 その間、ずっと無言だった。
 「ただいま」くらい言えねーのか、と言おうとして、自分も言ったことがないのに気づいて止めた。

 ヒロミは、黙ったまま阪東を見ている。
 煙草を一本、吸い終わった後も。
 あんまりじっと見つめてくるので、負けず嫌いに火がついた。
 くだらねー、と思いつつ、阪東もヒロミを見つめ返す。
 二人とも喋らない部屋で、聞こえてくるのはテレビの音だけだ。
 警察二十四時的な番組で、昔の自分たちみたいなガキが、バイクごとネットに突っこんで、網にかかった魚みたいな、大漁だった。
 昔の自分たち、なんて。
 今だって、それほど変わっちゃいない。
 そう思って、テレビを消した。
 相変わらずクソガキなヒロミの顔を、阪東は、睨みつけるみたいにじっと見た。
 ヒロミも、元から小さい目を細めて更に小さくして、阪東を見ている。
 傍からは、今にも取っ組み合いのケンカが始まりそうな、そんな雰囲気に見えるだろう。
 でも、違う。
 黙りこんで、自分を見ているヒロミを見ているうちに、じわじわ分かってきた。
 分かると同時に、思わず笑ってしまう。
 ホントに素直じゃねーな、と思った。

「何だよ?」
 阪東に笑われて、ようやくヒロミが口を開いた。
 そのヒロミの腕を掴んで引く。
 テーブルに体のあちこちをぶつけ、阪東の腕におさまったヒロミは、いてーんだよ、と唸るように言った。
「さみしかったんなら、正直にそー言えよ」
 けれど、上機嫌で阪東が言うと、ヒロミは、
「は?」
 きっとそうすると思った赤い顔などせずに、いかにも心外そうに聞き返してきた。
「何だよ、それ?」
 バカじゃねーの、と言われて阪東もムッとする。
 ヒロミを抱きしめ、乱暴に唇を奪うと、
「だから、俺がいなくてさみしかったんだろ」
 そう言った。
 いきなり殴りつけなかったのは、自分も大人になったんだと思う。
 それなのに、ヒロミは、
「は?ちげーよ」
 白けた顔で言って、阪東を押しのけた。
「は?」
 阪東は目を丸くする。
 百パーセントの確信で言ったのに。
 マジかよ、と呟く阪東の前で、ヒロミは体を起こした。
 俺がバイトでうちを空けていて、一人にされたヒロミはさみしかった。
 という読みが外れたなら……。
 ふいに、不安が頭をもたげる。
 阪東は、ヒロミのことを知らない。
 ヒロミが一人のとき、誰と何をして過ごしているかを知らない。
「おい……」
 柄にもなく、おびえたような声が出た。
 すると、ヒロミは、
「さみしいとか、そういうんじゃねーし」
 そう言って、立ち上がると、
「それだけじゃねーし」
 そう言って、おもむろにシャツを。
 自分の着ているシャツを捲って、腹を見せてきた。

「……」
 突然のヒロミの行動に、阪東は言葉を失う。
 座っている阪東の目の前に、ヒロミは立っている。
 腕なんかと違って、普段外に出していないから、腹の皮膚は真っ白だった。
 腹筋に沿って舌を這わせると、ヒロミがどんな顔をするか、阪東は知っている。
 ヒロミが何を考えているのかは分からないけれど、それは知っている。
 顔を上げると、半眼のヒロミが阪東を見ていた。
「やりたい」
 ヒロミがポツリと言う。
「……」
 黙っていると、聞こえなかったのかよ、と言われた。
「阪東は俺を誤解してる」
 そう言うと、ヒロミはカチャカチャと音を鳴らしてベルトを外し、
「こっから先は、お前がやれよ」
 バックルを差し出してきた。
 阪東は、何だか魔法にでもかかったみたいに、差し出されたバックルを手に取り、ベルトを抜いた。

 ジーンズを膝まで下ろし、腰を引き寄せる。
 腹を舐め、性器を舐め、尻の割れ目に指を入れると、嬌声が上がった。
 見上げればヒロミが、いやらしい顔で阪東を見下ろしていた。
 自分のことを誤解していると言われたが、当然だ。
 阪東は、ヒロミのことをあまり知らない。
 ヒロミが帰ってくる前にも考えていたことだった。
 仰向けで床に寝ると、待ちかねたようにヒロミは阪東に跨る。
 一気に沈め、繋がった場所で、きつく阪東を締め上げた。
 締められた痛みと、一瞬で弾けてしまいそうな感覚を、息を吐くことで阪東はやり過ごす。
 ヒロミの姿が目に毒だと視線を逸らせば、テーブルの下に、あのコンビニのレシートが落ちているのが見えた。
「阪東」
 ヒロミが呼んだ。
 こっち向けよ。
 するっと頬を撫でられる。
 阪東の上に跨って、ヒロミは、笑いながら腰を振っていた。

 阪東は、ヒロミのことを知らない。
 何を考えているのかも、知らない。
 だけど、それを切ないなんて、緩んだことを考えていたら、噛まれた挙句、食い殺されるのは自分の方だ、と。
 ヒロミを抱きながら、否、抱かされながら、とりあえず今日、それだけは分かった。






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ここ最近、俺様な阪東のことばかり考えていて、さすがに飽き始めたところで、つるさんからヒロミの絵が届きました。
さすが、何ていいタイミング。
先輩が卒業するまでは、裸に学ランなんて破廉恥な姿で鈴蘭をウロウロしていたヒロミちゃんの、セックスアピールは腹にあると主張して止みません。
書いた後気づきましたが、コンビニのレシートって、たぶんそんな詳しく買った物書いてないですね。









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