恋の効用





 真夏の炎天下にテニスをする。なんて、いつものこと。
 全国大会への出場を決めた現在、これまでにも増して練習は厳しくて。でも、それも予想の範囲内のこと。
 なのに、どうして今日に限ってこんなにも疲労困憊しているのか。



 帰り支度の部室で、越前から寄り道に誘われたのも断ってしまった。「珍しいこともあるもんだ」と、横から顔を出した菊丸が大げさに驚いてみせる。
 5、6人固まって駅前の方へと向かって歩いていくチームメイトたちに手を振って。
 珍しいこともあるもんだ、と自分でも思いながら家路を辿る。自転車を駆る。
 漕ぎ慣れたペダルがやたらと重い。
 本当に、どうして今日に限ってこんなにも疲れているのか。



 今日の午後、青学のテニスコートには青と白のポロシャツ、レギュラーの証をまとった部員が7人。
 肩の治療で九州に行っている手塚を除けば、いつもよりも1つその姿は足りなかった。
 そして、足りないその1つが、桃城の体から常のパワーを失わせた。



 午前の練習を終え昼休みを経て、再び集合したコートに河村の姿はなかった。

「タカさんどうしたんすかね?」

 口はばったい言葉を使えば「憧れ」の人の姿を、整列する部員たちの中に見とめられず、思わず隣に並ぶ乾の腕を肘でつつく。

「河村なら病院だ」

 青学のデータマンは、整列のときにも決して手放すことのないノートを広げ、桃城も知っている病院の名を口にした。関東大会の会場からほど近い総合病院だ。

「そんなに……」

 下を向く。「悪かったんですか」という言葉は飲みこんだ。
 関東大会の初戦で、河村が氷帝の樺地とくり広げたまさに死闘という名がふさわしい試合の記憶は、いまだ青学テニス部員の間で新しい。その後、2回戦以降にも普通に出場していたから、あのときの腕の怪我はもう治っていると思っていたのだが……。

「心配ない」

 乾は、データノートの背で俯く桃城の頭を軽く叩いた。

「河村の腕はもう完治している」

 桃城がよほど情けない顔をしていたのか。乾は、乾にしては珍しい労わるような調子で、本当に単に念のための検査だから心配するな、というようなことを言った。

「竜崎先生と大石が大事を取らせただけだよ。ほら、河村は自分できちんと病院に行ったりする方じゃないだろう?」

 手塚のことがあったから、顧問も部長代理も神経質になっている。そう付け加えた乾の横顔は、少し寂しそうだった。

「タカさん、ああ見えて自分のこととなると大ざっぱですもんね」

 繊細そうに見えるのに、意外ですよね、と。



 いつになく柔らかな態度の先輩に、つい油断してしまった自分が悪いのだろう。



「ほう」

 視界の端で、黒縁眼鏡のレンズが光った。

「桃城には、河村が繊細に見えるんだな」

 頭を上げた桃城に、乾は人の悪い顔で笑う。

「見た目から河村を繊細と断じる者は、まあ……そうはいないな。何しろあの体格にあのプレイスタイルだ」

 そう言って、わざとらしくデータノートのページを繰る。

「いや、見た目っていうか。ほら、性格っすよ。タカさん中身はどっちかっていうと……」
「おっとりしてるよね」



 焦って1歩下がったところを、いつのまに近寄ってきていたのか、端正な顔に優雅な微笑をたたえた不二に遮られる。この暑いのに、汗ひとつかいていない。

「おっとり、のんびり、大らか。悪く言えば鈍い。タカさんがデリケートかそうでないかで多数決を取ったら、きっと後者が勝つよ」

 青学の天才にして河村のダブルスパートナーは、切れ長の目を剣呑に開いて桃城を見つめた。

「もっとも、彼のことをよく知らない人間も含めての多数決を想定すれば、の話だけど。……つまり、タカさんのことをよく知らなければ見た目からも性格からも、おそらく彼が繊細って評価は出てこないはずなんだよね。桃は、どこでそんなにタカさんのことをよく知ったのかな?」
「ああ、俺もさっきからそれが気になっている」

 立て板に水で言葉を継ぐ不二に乾も加勢する。

「同学年の俺たちほど河村とつきあいが長くないはずの桃が、如何にして『繊細に見えて意外と大ざっぱ』などと評せるほどに河村のことを理解したのか」
「気になるね」
「気になるな」
「……」

(つきあいが長いって、たった1年でしょうが)

 部内で最も弁の立つ先輩2人に挟み撃ちにされ、ぐうの音も出ない。わけではないが、さすがに口を開けない。
 救いを求めるように大石を見遣れば、部長代理殿は1年生を集めて何やら熱心に指導中で。菊丸と目が合ったので、視線で「HELP ME」を訴えれば、触らぬ神に祟りなしとばかりに逸らされた。



 そんなこんなで、その後も、何処まで本気で何処まで冗談か分からないコンビの追及を散々に受けたわけだが。
 別にそれが疲れの原因ではない、と少々の負け惜しみもこめて桃城は考える。



 ラケットを握っていないときの河村は、桃城の耳には時に甘くさえ響く声で、桃城のことを「桃」と優しく呼んでくれる。「桃」と優しく呼んで、笑いかけてくれる。
 ただ、その彼がいないだけなのだ。



 コートに河村の姿がないだけで、気のせいではなく体感気温は上昇した。
 集中力が切れやすく、竜崎先生から怒鳴られることが多かった。
 自主練の時間には、「ラリーしましょう!」と飛びつくように駆け寄る相手がいなくて物足りなかった。
 練習後の疲労困憊度は普段の倍に感じられた。
 ただ、河村がいないだけで。



 いつになくセンチメンタルで、帰り道は1人になりたかった。

(俺やっぱりタカさんのことが好きなんだな)

 自転車の重いペダルを漕ぎながら今更のように考える。
 いつから、どうしてこんなに好きになってしまったのか。
 あまりにも簡単に答えの出てしまう疑問と、考えても答えの出ない疑問とを頭の中でもてあそびながら。
 周りに誰かがいたら、きっとぼんやりしているように見えただろう。
 いや、実際ぼんやりしていたのだ。河村のことを考えて、おそらく傍目には放心しているような。
 近頃、そんなことが多かった。
 河村への恋を自覚してから、正確にはもう少し前から。桃城は、良くも悪くも単純バカだと評価していた自身の中に、何か別の部分が生まれてしまったことに気づいていた。
 心の中の、そこだけ他とは時間の流れが違う。ふんわりと包みこまれるようなその部分で、桃城はいつも河村のことを想った。



 今も。



 だから、ゆっくりと後ろに流れていく景色の中に、危うく見逃してしまうところだった。
 「え?」と思わず声が出る。
 乗客を満載したバスが、自転車の横をかすめるように通り過ぎていく。頭よりも先に体が反応して、無意識のうちに自転車にブレーキをかけていた。



 通り過ぎていくバスの中に、河村がいた。
 乗降口のタラップぎりぎりの場所に立ち、彼は吊り革ではなく天井に渡されたバーを握っていた。
 制服を着ていなかったから、一瞬分からなかった。体にぴったりとした黒いTシャツを着て、遠目にも大人びて見える。
 そうして、再び頭よりも先に体が反応して、桃城は河村を乗せたバスを追いかけていた。



 追いかけてどうするというつもりもなかった。
 たとえば、バスを追いかけて河村が降りてきたところをつかまえて。それでどうするというつもりもなかった。本当に、ひたすらに無心に追いかけていた。
 ただ1つ分かったことといえば、あれほど重かった自転車のペダルが突然軽くなったこと。
 ほんの一瞬河村の姿を見ただけで、桃城の心身に底からこびりつくように溜まっていた疲労はすっかり消えていた。








 隆の出ない桃タカ。
 桃が中学からきちんと隆のことを好きだったらこんな感じだろうと。
 君は僕のホスピタル、というのは、月光下騎士団のおじさんたちの「涙は、悲しさで出来てるんじゃない」から。
 どこのジャンル、カップリングでもこの曲で何か書いているような気がします。
 でも、この曲はどちらかといえば桃というより隆だな、と今歌詞を見ていて思いました。



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