卒業式には出ないつもりだった。 のに、河村が迎えに来たせいで、早くに家を出るはめになってしまった。 どんなにだらだら行ったとして、遅刻も難しいような時間だ。 学校で一番の不良少年として、教室に一番のりはいかがなものか。 「今日はあったかいね」 しかし、亜久津の内心の葛藤も知らず、河村は笑う。 あったかくて、よく晴れてて、いい日に卒業式が当たった。 亜久津の通う山吹中学と、河村の青学とは、たまたま同じ日が卒業式だった。 二人ともに、中学と同じ学校の高等部に進学するだけである。 節目としての卒業式など、(あるいは他校に進学するのでも)ムダ以外の何ものでもない。 亜久津はそう思う。 が、どうやら河村は違うらしい。 いつもはまとめている髪も、今日は背中へと流れるままにし、耳の上だけ掬って留めている。 見覚えのあるようなないような、白いリボンが頭の後ろで揺れていた。 ハーフアップというんだそうだ。 髪型が普段と違うことを亜久津に指摘されると、 「卒業式だから」 河村は照れた顔で言い、亜久津の視線を避けるように横を向いた。 淡紅色の花をつけた生垣の、永遠につづくような長い道を並んで歩く。 「ジンチョウゲ」 亜久津が呟くと、河村は、ああ、と頷いた。 頷いて、子犬のように鼻をうごめかす。 亜久津は意外と植物の名前を知っている。 河村はそんなことを言ったが、記憶力のムダにとても良い亜久津は覚えている。 他でもねえ、お前に教えてもらったんだ。 「春だね」 河村は立ち止まり、いとおしむように花木を眺めた。 今日の卒業式に、ひと月後の入学式。 節目節目を大事にする河村は、また、季節の変化にも敏感だ。 つい昨日も、うちの店だと今なら鯛にサヨリがおいしい、などと嬉しそうに話していた。 家の商売柄もあるのだろう。 「行くぞ」 亜久津が歩き出すと、慌ててついてくる。 河村の中で、季節は、亜久津がそれを感じるよりもはっきりと区切られていく。 そんなことをふと思った。 振り返ると、河村は亜久津を見ていた。 この夏が終わったら。 この夏が終わるまでは。 半年前、二年ぶりに再会した彼女が、口癖のようにしていた言葉が耳によみがえる。 テニスバッグを肩にかけ、二年前とは違う、背筋の伸びた後ろ姿を思い出す。 河村は、亜久津よりほんの少し低い位置から、亜久津を見つめていた。 無心な、子どものような丸い瞳だ。 「どうした?」 亜久津が聞くと、やさしく笑って、 「ずっと、こうやって、もう一度亜久津と歩きたいって思ってた」 そう言った。 でも、多分無理かな、って思ってた。 それができるようになって、だから、今年はいい年だったなって。 そう言うと、突然歩調を速めて亜久津を追い抜いた。 テニスをやめた今年、ではなく、亜久津と再び歩けるようになった今年。 本人と一緒にいるからそう思っただけかもしれないけれど、亜久津は嬉しかった。 追い抜かれたのを追い抜き返す。 細い道の先に、亜久津が乗るべき電車の出る駅が見えてきた。 白い駅舎の上に、いっそ不必要に思えるほど高い空が広がる。 あそこに着く前に言おう。 亜久津は、背中に河村の気配を感じながら思った。 自分も同じことを思っていた、と言おう。 河村と異なり、日常の小さなことに、亜久津は季節を感じることはできない。 花は花だな、と思い、知っていればその名前を思い出すだけで、魚についても同じだ。 テニスと真摯に向き合うことができたのは、結局、一試合きり。 それも最後の最後で、だ。 だから、亜久津にとって、この一年を際立てるのはただ一つ。 河村と、もう一度一緒に歩けるようになった。 振り向けば、卒業式仕様にされた河村の髪が、早春の風に揺れる。 「式が終わったら迎えに行く」 だから待ってろ、と亜久津が言うと、別にいいのに、と赤い顔をする。 それでも何となく河村は嬉しそうだ。 もう一度二人で並んで歩けるようになったから、中三の一年はいい年でした。 たとえ河村とは見ている世界が違っても、抱えている大事なものの数が違っても。 それさえ同じならOKなんじゃないか、と亜久津は思う。 駅の前で手を振って別れた。 遠ざかっていく河村の、髪に結ばれた白いリボンが、朝の光に照らされてきれいだった。 戻る 山吹の制服にはボタンがないので、亜久津は学ランまるごと隆にやればいいと思います。 |