梅雨の明けた日 2





 梅雨の明けた日、始発電車で海に来た。



 開いたばかりの海の家に荷物を預け、着替えもそこそこに河村は出ていく。ビーチサンダルは土間に脱いだまま。後には点々と、貝殻のような足跡が続いた。
 明け方の海岸は静かで、人影もまばらである。
 穴場なんだ、と行きしな言われたことを思い出した。得意げだったそのときの表情も、子供のようにはしゃいだ今の姿も、彼が、ごく限られた人間の前でしか見せないものだ。
 よしず張りの簡易更衣室の前を抜け、青い旗の下をくぐって波打ち際へと駆けていく。
 夜更かしの亜久津とは違い、朝の早いことは全く苦にならないらしい。 河村は海水に足をひたし、つめたい、つめたい、と飛沫を跳ね上げながら、とても楽しそうに笑った。
「亜久津!」
 変声期を経てもそれほど変わることのなかった声が、亜久津を呼ぶ。
 寄せては返す波が、膝に当たって砕ける。裸の胸を反らし、波に足を取られないよう踏みこたえた。
 河村は、もう一度大きな声で亜久津を呼んで手を振った。海の青さを映した中、少しだけ灰色を混ぜたような空を背に、その空を丸く切り取るように。
 こんな光景を、どこかで見たことがある、と。
 2人きりで海に来たのは初めてなのに、亜久津は、どうしてか強烈な、目眩のするような懐かしさを感じた。
 白く砕ける波にまだ低い日の光が反射して、とても眩しい。頭を上げると、真夏の太陽のような河村の笑顔が視界に入る。
 懐かしくて、眩しくて、くらくらして、きらきらして。
 彼に心を許されているという事実が、しびれるような嬉しさと、ほんの少しの焦りを亜久津の胸に生じさせる。
 花茣蓙の上にシャツを脱ぎ捨て、波打ち際へと亜久津は走った。全力疾走だった。勢いのままに水に飛びこむ。河村は悲鳴、ではなく歓声をあげた。
 冷たい朝の海に全てを流すように、亜久津は、沖へ沖へと向かって抜き手を切った。
 早くおいでと振られる手を取って、その場にねじ伏せてやりたい。そんな凶暴な気持ちが、自分の中には確かに、ある。



 だから、そんなに簡単に俺を信用するな。



 泳ぎ始めるとき、河村に、ついてこいとは言わなかった。それなのに、彼は当然のように亜久津の後についてきた。
 もっとも、ついてくるなとも言わなかったのだけれど。
 赤銅色に焼けていた去年の夏ほどではないが、今年も早々に日焼けした顔が、白い波の間に見え隠れする。
 2人の距離は1馬身。河村は追いすがるのに必死の態で、けれど、待ってくれ、とは一度も口にしない。
 亜久津は、遊泳区域を示すブイに沿って水を蹴った。本当は、こんなものは無視してしまってもいいのだけれど。
 河村に悟られないよう、泳ぐ速度を少しだけ落とした。隙間なく縦に並んだところで止まり、立ち泳ぎの姿勢で待ち受ける。ようこそ、と水の中で左右に広げた腕に、はたして彼は飛びこんできた。
 ぶつかったせいでバランスを崩し、沈みかけた体を支える。剥き出しの肩に河村の手がかかって、鼓動が急にスピードを増した。
 ありがとう、と言われたのに憮然とした表情をつくって頷き、どうしたんだ、と小首を傾げる河村を、何でもねえ、と突き放す。



 俺が本当のことを言ったら、お前はどうする。



 逸らした視線の先には、海面から突き出した大きな岩があった。その上に赤い鳥居が立っている。
 水温は少しだけ上昇し、砂浜には、いつのまにか海水浴客が数を増していた。
 目を閉じて斜めに天を仰ぐ。と、眩しい日の光に目裏を焼かれる。
 亜久津は泳ぎを再開した。今度は、鳥居の方を目指して抜き手を切る。河村は、今度も当然のようについてくる。
 振り返ると、無心な丸い目が、亜久津を捕らえて細められた。
 そうしてまた、黙々と泳ぐ彼の姿に、追いかけているのは自分の方かもしれない、と亜久津は思った。






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 泳ぐアクタカさん。去年の夏に書いた話の続きです。キスくらいするかと思ったんだけどしなかった。まだ午後もありますし。




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