据膳待機




 珍しく店の手伝いがない午後、学校から帰って亜久津の家に行って、でも、特にすることもないからぼんやりしていた。背中合わせで雑誌を見ている亜久津が何だか静かで、おかしいな、と振り返ってみたら、頭の真後ろに彼の顔が来ていて驚いた。
「何、亜久津?」
 俺のトレーナーの裾に、亜久津の手がかかっている。そのまま捲られて、暖房の入っていないリビングの、冷たい空気に素肌が晒された。
「寒いよ、亜久津」
 頬に触れることもなく、顎をつまむこともなく、目を閉じさせることさえなく、重ねられた亜久津の唇は、当然のように煙草の味がした。正確には、唇ではなく、口の中が。苦い苦い俺のファーストキスは、そのままセックスへと続く一本道だ。
 突然の行為に驚きもせず、また、拒みもしない。亜久津は、怪訝な顔で俺を見る。
 立てよ、と促されて立ち上がり、亜久津の部屋へと向かう。亜久津の手に握りこまれた片腕が痛い。握力は、俺とどっちが強いんだろう。そんなことを考えた。
「腕、放してもいいのに」
 そう言うと、凄い目で睨まれた。逃げないから、と言いかけて、俺は口を噤んだ。


 亜久津は、自室のドアを乱暴に開けると、中に俺を押しこんで鍵をかけた。
 優紀ちゃんは、今日は帰らない。俺は、逃げない。だから、亜久津にとって部屋の鍵をかけるという行為は、念のためにするというよりも、多分単純に興奮剤だ。
 窓に歩み寄り、カーテンを閉める。亜久津の部屋のカーテンは遮光カーテンだから、晩秋の弱い日差しは、それで完全に遮られてしまう。暗い部屋の中、亜久津は、使われた形跡のまったくない学習机の上に放り出された紙袋から、コンドームの箱やローションのボトルを取り出して、ベッドサイドに置いた。
 いつになくテキパキとした彼の動きに、俺は何となく、もしかしたら緊張してるのかな、と思った。今から2人でしようとしているこのセックスが、亜久津にとっても初めてのセックスなのか、俺は知らない。それなりに長い亜久津とのつきあいだが、俺たちは、お互いの前で、これまで一度もそういった話をしたことがなかった。そういった話、つまり、いわゆる下の話である。
 というより、2人でいるときには、そもそも会話自体があまりない。それを、共通の話題がないせいだ、と受け取るか、それとも、会話なんてなくても大丈夫な仲だ、と受け取るかは、俺次第だ。ネガティブもポジティブも俺次第。Tシャツを床に脱ぎ捨てて、上半身裸になった亜久津が、少し上擦った声で、いいんだな、と言うのに、頷くのも頷かないのも。
 いったん捲られた後、また着直していたトレーナーを、亜久津の真似をして床に脱ぎ捨てる。まるで、タマネギの皮でも剥くみたいな無造作さで。


 ベッドに腰かけた亜久津が、目の前に立つ俺の方に手を伸ばしてくる。状況にショートカット機能でも付いているのか、どこよりも先に股間を触られて、その躊躇いのなさに、ああ、男同士なんだ、と俺は思った。
 目の前にぶら下がった亜久津とのセックスを前に、俺の下半身では、勃起したペニスがジーンズを内側からいびつな三角錐に押し上げている。座っているから、俺ほどはっきりとは分からないけれど、亜久津も多分同じで。
 腰の辺りから引き寄せられて、ベッドに倒れこむ。勢いあまってヘッドボードにぶつけた頭を押さえながら、痛がる振りをして、こっそり笑った。体の作りも何もかも、同じであることが嬉しかった。普段、用を足したり1人でするときみたいに、慣れた動作で自分のものを取り出し、相手の手に握らせる。そのタイミングまでが同じで、おかしくて、嬉しかった。


 互いの頭を腕に抱えこんでキスをする。煙草の味のする舌に口の中に入りこまれ、同じく煙草の味のする口の中に舌を差しこむ。亜久津、と呼ぶと、河村、と返ってきた。それだけで、もう十分だから、だから、そんなに強くしなくてもいいよ。俺のペニスを握る亜久津の手に手を添えて言うと、亜久津はニヤリと笑った。
「とりあえず一度出せよ」
 そう言われても、何というか……困る。この期に及んで何を、と笑われそうだが、俺も男だ。自分だけフィニッシュというのは、何というか……とても寂しい。興奮しきってはいるものの、射精には未だ程遠い亜久津のペニスを片手に、俺は途方に暮れた。
「いいから、さっさとテメエがイくとこ見せろ」
 俺の内心を悟っているのかいないのか、亜久津は笑いを収めることなく、擦る手の動きを激しくする。何だか今、凄いことを言われた気がするけれど。擦られながら、頬から耳までべろりと舌で舐められて、たまらず俺は放出した。


 俺は、本当は寒いのって苦手だ。もちろん、冬の朝の市場とか、必要となればいくらでも我慢なんてできるけれど、本来、好んで寒さを味わおうなんて思わないし、好むと好まざるにかかわらず、味わわなければならない寒さは、いつでも嫌だった。それなのに、どうして今、亜久津のベッドの上に裸で転がって、射精の後、一気にひいていく汗に体が冷えるなんていう、この上もなく寒い感覚を心地良いと思っているのだろう。
 そんなことを考えながら、ぼんやりしていると、片手を精液まみれにされた亜久津が、洗面所で手を洗って部屋に戻ってきた。詰めろ、と俺を壁際に無理やり寄せながら、ベッドに乗り上げてくる。
「河村」
 何か、瓶の蓋をひねって外すような音がした。
「うん?」
「ケツ上に向けろ」
 言われるままに体の向きを変えると、亜久津の手が俺の足の間に入りこみ、両側から尻の肉をグッと外に広げる。恥ずかしがっている暇もなかった。尾てい骨の上にローションがぶちまけられ、程なく穴のあたりまで到達する。力を抜くよう言われても、せいぜい、枕にしがみついている拳を開くくらいが関の山だ。
 そんなことをしている間にも、亜久津は、俺の顔の下から枕を取り上げて、少し浮かせた腹の下に敷いてしまう。枕まで汚れるよ、と言ったけれど、元より亜久津だ。聞く耳なんて持っていない。
「広がってきたぜ」
 俺の体内に侵入させた何本かの指を器用に蠢かせながら、いかにも弄る気の口調で亜久津は囁く。合間合間に、いっそうそ寒いほど優しい声で名前を呼ばれながら、俺の喉から漏れるのは、屈辱とも歓喜ともつかない低いうめき声だけで。俺は、たとえばアダルトDVDなんかの、わざとらしく喘ぐお姉さんの声は、あれは本当にわざとなんだな、と考える。
 妙に落ち着いているのと、嬉しいのと、恥ずかしいのと、そこに、一応は俺も持っている男のプライドなんてものがミックスされて、頭の中はもうグチャグチャだ。いっそひと思いにやってくれ、と亜久津に懇願したら、亜久津は、今日一番の楽しそうな顔を見せた。誰がひと思いになんてやるかよ、と笑う。
「5年だ」
 亜久津は言った。
「お前はな、河村、この俺を5年も待たせたんだ」
 ひと思いに楽になんてさせてやるものか。飢えた動物みたいな亜久津の顔、哄笑が、いつかのテニスの試合を思い起こさせる。
 亜久津は俺の手を取った。
「抜くなよ」
 そう言って、俺自身の指をそこに突き立てさせる。不自然な姿勢でベッドに転がりながら、ヘッドボードにもたれる亜久津を見上げる。と、目の前にあったのは、勃起した亜久津のペニスだった。
「あ、亜久……」
「咥えろ」
 困惑は、亜久津の言葉に遮られる。嫌なのか、と目顔で問われ、俺は首を横に振った。
「嫌じゃないよ」
 亜久津はいつも、俺の本当に嫌がることはしない。もしかしたら、本人はしているつもりなのかもしれないけれど、亜久津のすることなら何でも、俺は本当に嫌だとは感じない。
 命じられるままにペニスを口にする俺を見て、亜久津は目を瞠った。その後、少し安堵したような息を吐く。亜久津、と彼のものを咥えたままで俺は呼んだ。
 自分と同じ男の性器を口で愛撫しながら、その男を受け入れるために、自らの指で尻の穴を広げる。客観的に見れば、凄いことをしている。自覚はあった。半分はポーズの自嘲だけど、俺って変態だな、と思う。
 でも、相手が亜久津なら、全部が少しも嫌じゃなくなる。気の弱い俺も、相手が亜久津なら、もしも誰かに変態って指さされても、それがどうしたって、胸をはって……胸までははらなくてもいいかもしれないけれど、とにかく、それがどうしたって、少なくとも言い返すことはできる。
 それは、亜久津が好きだから、とか、単にそれだけで済む理由じゃなくて、もっと違う、何か、原則と例外が逆転するような。つまり、俺は亜久津としかセックスしたくなくてできなくて、そういえば、亜久津と再会してから、いわゆるオカズのほとんどが、この幼なじみになってしまった俺なんだから、亜久津とこういうことをして何が悪いんだ、みたいな。
 異常だというのなら、同性だということよりも、たった1人の人間に、こんなにも執着してしまうことの方が異常だった。
 口に含んだ亜久津の先端を夢中で舐めていたら、いつのまにか、ベッドサイドのコンドームの箱を取って、中のパックを破いていた亜久津が、河村、と俺を呼んだ。


 初め正常位で挿入しようとした亜久津は、それが難しいことを悟ったらしい。俺の体をくるりと180度回転させて、背中から圧しかかってきた。
 時間をかけて広げたとはいえ、尻の穴は、元々がセックスのための器官でない。俺のそこは、体の大きさに比例して大きな亜久津のペニスに悲鳴をあげた。四つん這いの姿勢でひたすらに息を吐きながら、俺は亜久津が全て収め終えるときを待った。
 体を進めながら、亜久津は、狭い、と呟く。受け入れやすさという点では、俺のそこは、たとえば女性器には遠く及ばない。おそらく、亜久津も俺と同じように苦痛を感じているはずだった。
 けれど、振り返ると、案に反して背後の亜久津は、苦痛など微塵も感じさせない涼しい顔で。ただ、両の目だけがギラギラとしている。
 もし痛かったらやめてもいいよ、と立場が逆転したようなセリフを吐く俺の肩を軽く小突き、こんなもん痛えうちに入るか、と亜久津は言う。
「やめねえぞ」
 俺というより、むしろ自分に言い聞かせるように。まるで通りに水でも撒くみたいに、結合部にローションを振りかける。頷くと、後ろ頭を取られて引き寄せられた。無理な姿勢で首を伸ばし、無理な姿勢で振り返り、キスをした。
「入ったぜ……」
 亜久津が肩で大きく息を吐く。動いてもいいよ、と言おうとしたのに、声が出ない。苦しくて苦しくてたまらないのに、痺れるような幸福感を俺は感じていた。
 俺の中に亜久津がいる。
 俺の耳もとに唇を寄せて、お前は俺のもんだ、と亜久津が囁く。苦しげなのに、どこか満足げなその声は、最高じゃねえの、と懐かしいセリフに続き、最後に、好きだ、と至極シンプルな、でも、俺の一番聞きたかった言葉で終わった。
 その後、亜久津はもう喋らなかった。俺がある程度亜久津の大きさに慣れたのを見てとると、グラインドを開始し、程なく果てた。
 脱力して、重なりあったままベッドに崩れる。そのまま、眠りに落ちていく瞬間、少しだけ見た亜久津は、これまでに見た中で一番、穏やかな顔をしていた。


 目が覚めると、俺の横に亜久津の姿はなかった。
「何慌ててんだ」
 ハッとして起き上がる。と、闇に沈んだ部屋の隅から亜久津の声がした。
 亜久津は、部屋の隅で煙草を吸っていた。ずっと起きてたのか、と聞くと、ああ、と頷く。
「今、何時だ?」
 時計を探してキョロキョロする俺に、亜久津は自分の携帯電話を投げて寄越した。確認したディスプレイには、午後6時27分の表示。結構な時間が経っていた。けれど、帰るね、と言おうとした口は、亜久津の視線を感じた瞬間、泊まってもいいか、に変わっていた。
 俺が起きても、亜久津は部屋の電気をつけない。段々と暗闇に慣れてきた目に、床に蹲る亜久津の姿が見えた。俺をじっと見つめている。
「河村」
 亜久津は、足もとの灰皿に煙草を押しつけ、俺を呼んだ。吸いかけの煙草が、断末魔みたいな細い煙をあげる。
 俺はベッドを下り、あちこち痛む体を引きずるようにして、亜久津の側に行った。隣に腰を下ろし、剥き出しの肩に頭を凭せかける。さっきまでの行為の汗もすっかり引いた亜久津の肌は、ひどく冷たかった。
 今日は定休日だったから良かったけれど、明日の朝にはまた店の手伝いがある。もちろん、学校も。ここで帰った方が楽なことは分かっていたけれど、どうしても、今だけは亜久津と離れたくなかった。
 顔を上げると、鼻先が触れ合うほどの距離に亜久津の顔があった。亜久津は俺の手を握り、セックスを今日はもうしない、でも、またする、というようなことを告げた。頷くと唇が重なる。亜久津が笑うのが気配で分かった。




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 タイトルにある据膳はタカさん。まるで、手を出されるのを待っているようなタカさんに、亜久津が焦れて手を出した、というような話。結果的には良かったんじゃないでしょうか。
 素直な亜久津と恥ずかしがらないタカさん。お互いの前でだけ、普段の自分と違う自分でも良いんじゃないかと。
 珍しく一人称。久しぶりの全部えろ。いつものアクタカさんとは、多分パラレルの2人です。でも、いつもの2人も、何となくこんな感じの初体験をしていそうな気がします。初体験……良い言葉ですね。今、打っていて胸がキュンとしました。ところで、タカさんはともかく、亜久津が初めてかは、実は決めていません。どうだろうか……。
 最後のところの、午後6時27分というのは、これを書いていたときちょうど、ハイ口ウズの「夕凪」を聴いていたから。アクタカで、特にえろアリの話を書くときはいつも、ハイ口ウズかRCサ/ク/セ/シ/ョ/ンばかりを聴いています。何でか。「SHELTER 0F L0VE ツル・ツル」とか、背景にありそうなものも含めて、アクタカだなあ、と思います。RCの場合は、アクタカっていうか、亜久津っぽいのか。





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