コードネームはG大作戦






 11月9日。河村隆の誕生日まで、とうとう10日をきった。山吹中3年亜久津仁は、その日に向けて気合十分だった。
 何と言っても、幼なじみだった2人が再会し、曲がりなりにもつきあうようになってから、最初のイベントである。
 もっとも、つきあっているというのは、亜久津はすでにそのつもりだが、河村の方にその認識があるのかは、いまいち判然としない。ここは一つ、2人の関係を一歩先に進めるためにも、河村の誕生日という絶好のチャンスを利用して盛り上がりたい。
 利用するというと聞こえが悪い。亜久津には、河村の誕生日を誰よりも、たぶん河村本人よりも嬉しいと思う気持ちだって十二分にあるのだ。
 河村はいつも、「亜久津」と優しく亜久津に微笑みかけ、何かとささくれがちな亜久津の心を癒してくれる。そんな彼の存在を、愛しいなあ、とも、ありがたいなあ、とも、亜久津は常々思っている。
 ただ、素直でない性格その他色々から、どうしても好きだとか、あまつさえ愛してるなんて、河村に対しストレートに口にはできない亜久津である。だからこその河村の誕生日。このチャンスを利用して、日頃の感謝だとか、できれば好意も伝えたい。
「おしっ」
 亜久津は拳を固めて気合を入れた。


 さて、そんな風に気合を入れたところで、亜久津は一つ、困ったことに気がついた。
 河村がどうしたら喜ぶのか、プレゼントに何がほしいのか、さっぱり分からないのである。
 服にしろ音楽にしろ食べ物にしろ、2人の好みは違う。ほとんど180度違う。しかも、違うだけならまだしも、亜久津は河村の好み、たとえば河村の趣味だとかを、そもそもまったく知らないのである。
 ゲームが…好きなんだっけか?
 どうも記憶に自信がない。
 何となく河村がゲーム好きだということは覚えているが、じゃあどんなゲーム?と言われると、たちまち返答に窮する。自身ゲームをやらない亜久津にとって、ゲームソフトはおしなべて、俺と河村の時間のじゃまをするものに過ぎないのだ。
 もしかすると、自分は意外と河村のことを知らないのか。
 たとえば、河村と青学で同じ部活だった連中なら、河村の欲しいもののデータくらい、いくらでも持っていそうだし、持っていなくても「何が欲しい?」なんて気軽に聞けそうな気がする。
「チクショウ……」
 もはや輪郭もおぼろげな青学テニス部の面々に暗い呪詛を向けながら、一人歯がみする亜久津であった。


 ところで、亜久津が河村の誕生日について悩んでいる場所は教室である。ちなみに昼休み。
 珍しく午前中から授業に出ていたかと思ったら、突然、携帯電話を開いて(カレンダーで河村の誕生日を確認していた)、「おしっ」と気合いを入れたり、突然、歯がみをし出したりする不良生徒に、先生方もクラスの皆さんも大変に困惑していた。
 今も、昼食をとるクラスメイトたちの机が、亜久津の机を中心に、中心から一定の距離を取ったきれいな円を描いている。
 もちろん、同じクラスの中にも、廊下を行き交う他クラスの生徒の中にも、亜久津に話しかけようなどという勇気のある者はいなかった。
「あれっ、亜久津じゃん」
 原則としていなかった。
「お前が教室にいるのって違和感あるよねー」
 失礼なことを言いながら、手近のイスを勝手に拝借して亜久津の前に座る勇気ある例外、別の言い方をすれば物好きは、元亜久津と同じテニス部のエース、千石清純である。
「千石…」
 いかにも遊び慣れていそうなカラーリングの髪を前に、亜久津は思った。
 千石ならば、自校他校問わずつきあいも広いし、女好きだから、誕生日の祝い方やプレゼントの選び方にもそつがなさそうだ。
「わっ、何?ちょっと、あっくん?」
「うるせえ。黙って顔貸せ」
 亜久津が千石を引きずって教室を出ていった後、残されたクラスメイトは皆、これから亜久津にカツアゲられたれたり、あまつさえ殴られたりするのであろう生け贄の無事を祈りつつ、心の中で手を合わせた。
 後に残されたのは平和な昼休み。この場合、生け贄とは千石を指す。


 さて、そんな風に亜久津のクラスメイトたちが千石の無事を祈っている頃、皆の予想に反して、千石はカツアゲられもせず、殴られもしていなかった。では、何をしていたか、というと、屋上で亜久津の話を聞いていた。その内容は、あろうことか相談である。
 あの亜久津が、俺に!相!談!
 これはしばらくネタに困らない。相談相手にそう思われているのを知ってか知らずか、亜久津は常にない思いつめた様子でだった。
 寒風吹きすさぶ屋上で、話の途中に昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴った。元より授業をサボることなど気にする亜久津ではないし、千石とて、さほど真面目な生徒ではない。2人は、初冬の空に吸い込まれていくキーンコーン…という高い音を、まるで他人事のように聞き流しながら、話を続けた。
 きっと、亜久津が5時間目にいなくて、亜久津のクラスの人や先生は、ホッとしてるだろうな。
 亜久津から分けてもらった煙草を咥え、両手で肩を擦りながら、千石はぼんやりと思った。


「手作り」
 意外と饒舌な亜久津の長い話がやっと終わって、紫煙とともに千石の発した第一声がそれだった。
「手作りぃ?」
 ヤンキー座りの亜久津が、フェンスにもたれて立つ千石を、うさん臭げに見上げる。
「そ、手作り」
 目の前に出された餌は毒餌か。警戒する野良犬のような亜久津の前に、派手なオレンジ色の頭が突き出される。
「だって、亜久津の好きな娘って、家の手伝いだっけ?で、忙しい娘なんでしょ?だったらヘタにパーティーなんかやったら、かえって迷惑だろうしさ。気も遣うし。やっぱ、プレゼントでガツンといくのがいいと思うんじゃん?」
 好きな「娘」。亜久津は、自分が祝おうとしている相手が男だということを、千石に言っていない。いわんや河村であることをや。
「で、プレゼントでガツンといくなら手作り。物はさ、正直お金出せば当日まで誕生日忘れてても大抵買えるんだよね。限定品とかなら別だけどさ。亜久津、そういうので彼女が何欲しいか、とか分かんないんでしょ?」
 千石の「彼女」に、かすかな胸の痛みを感じながら、亜久津は頷く。
 たとえば、河村が欲しいと思うなら、発売初日の入手困難なソフトだって、何だって手に入れてやるつもりだ。それが今の自分の嘘偽りのない気持ちだけれど、残念なことに、河村が何が欲しいのか、亜久津にはまったく見当がつかない。
 それに、あまり高い物でも困る。
 千石と話していて、初めてそのことに思い至ったのだが、プレゼントを用意するには、当然のことながら資金が要った。亜久津の薄い財布には、現在、一般的な中学生の所持金相応の額しか入っていない。
 優紀は、息子が誰かの誕生日プレゼントを買おうとしていることを知れば、いくらだって出してくれそうだが、母親からもらった金で買うというのも何となく違う。適当に街でカンパを募っても良いのだが、カツアゲをして得た金でプレゼントをしても、河村は喜ばないような気がする。
 河村に喜ばれることが一番なのだ。
 眉間に深い深い皺を刻んだ亜久津に、千石がダメ押しのように囁いた。
「だからさ、手作りだって。手作りはプレゼントの王道にして最終兵器!亜久津くんが、あたしのために…って、感激されること請け合いだよ?」
「感激…」
女声でしなを作る千石を見上げ、オウム返しにくり返す。
「そ、感激」
「感激…」
 亜久津、嬉しいよって河村が感激。
 亜久津、嬉しいよ、大好きだよって河村が感激。
 亜久津、嬉しいよ、大好きだよ、俺のことどうにでもしてって河村が感激。
 1秒ごとに、亜久津の頭の中で、河村のリアクションが増えていく。
「おーい、あっくん、どうしちゃったの?あっくーん」
 フリーズしてしまった亜久津の顔の前で、千石はひらひらと手を振ってみた。反応は、ない。
 ところで、千石は、1つ、亜久津に言っていないことがある。
 手作りが王道で最終兵器にできるのは、一般的に女の子であり、まかり間違っても亜久津のような男ではない。
 ま、半分冗談だし。
 靴の裏で煙草を消して、千石は立ち上がる。5時間目はともかく、6時間目は出なければ。6時間目は隣のクラスと合同の授業である。隣のクラスには、あの、とうに引退したというのに自分の世話をやくクセがいまだに抜けない、山吹中テニス部の元部長がいる。
「俺、先行くね」
 屋上から校舎の中へと続く扉に手をかけながら、千石が振り返ったとき、亜久津はまだ固まったままで、スペクタクルに美しい冬の空なんかを眺めていた。
 千石は知らない。
 亜久津仁の意外な行動力と執念を。そして、自分が半ば冗談で勧めた手作りのプレゼントのために、これから1週間に渡って亜久津の取ることになる行動を。




 その日、山吹中学の被服室は、かつてない緊張感に包まれていた。
 原因は、部屋のど真ん中の机で、顧問の教師、伴田と向かい合う1人の大柄な男子生徒。
「亜久津君、鎖編みはもう少し緩く余裕をもって編まないと後が編みにくいですよ」
 その男子生徒は、言わずと知れた亜久津仁である。
 この、校内でも有名なヤンキーが、「おい、ジジイ」と咥え煙草で現れて、いつもは平和な家庭科部の活動が、にわかに張りつめたものとなってしまった。
「おい、ジジイ。ケーキ教えろ」
 いきなり現れた亜久津が、伴田の襟首を掴まん勢いで発した言葉に、家庭科部の面々はわが耳を疑った。
「ケーキ、ですか?」
「ケーキだよ」
 思わず作業の手も止まる。迫力のありすぎる亜久津の外見とケーキの取り合わせには、違和感が満ち溢れすぎていた。
「亜久津君、ケーキを作りたいんですか?」
 しかし、さすがは年の功。伴田は別段驚いた様子も見せない。
「どなたかのお誕生日でも?」
 洞察力もさすがである。クリスマスにはまだ間があるし、バレンタインでもない。亜久津自身、ケーキは大の好物なのだが、伴田もそこまでは知らない。となれば、誰かの誕生日。
 亜久津は無言で頷いた。
「そうですか」
 伴田も頷く。
「しかし…困りましたね」
 皺の浮いた口元から顎の辺りを撫でながら、伴田は振り返る。亜久津もつられて伴田の視線の先を見た。そこでは、家庭科部の部員たちが、各々運針に勤しんだり、型紙を作ったりしている。女子生徒がほとんどの彼らは、一部では狂犬のあだ名でもって呼ばれている問題児と目を合わせてしまわないよう必死で下を向いていたが、それに頓着する亜久津ではない。
「何が困ったんだよ?」
「いやあ」
「『いやあ』じゃねえ」
「うーん…」
「『うーん』でもねえ」
「でもねえ」
「『でもねえ』でもねえ。はっきりしろ!」
 はぐらかすような教師の態度に、亜久津は段々とイライラしてくる。握った拳を、思わず振り上げかけた瞬間、
「亜久津君、編み物をしませんか?」
 突然、伴田が言った。
「あみもの?」
 あみもの=編み物の変換が、咄嗟に頭の中でできず、亜久津はリピートする。
「そうです、編み物」
 伴田は、被服室に置かれている手芸の本の中から何冊かを取り出し、亜久津の前に広げてみせた。
「君には残念ながら、今日は調理の日ではないんです」
 伴田の説明によれば、家庭科部では曜日ごとに活動の内容が違っていて、調理室を使って実際に料理を作るのは、週に1度と決められている。以前、亜久津は、この家庭科部顧問に引き込まれて、調理室での活動に参加したことがあるのだが、それはたまたま曜日が調理の日だったかららしい。
「今日は被服の日なんですよ」
 そう言って、もう1度、部員たちの方を振り返る。
「じゃあ…」
 調理の日とやらにもう一度来る。踵を返しかけた亜久津を、ちょっと待ってください、と伴田は引き止めた。
「何だよ?」
「亜久津君、どなたかにプレゼントのご予定があるんですよね?」
「ああ?」
 亜久津は答えなかったが、顔が赤らみ、鼻の頭に皺が寄っていた。肯定したも同然だった。
「だったら、食べたらなくなってしまうケーキよりも、ね?いつまでも残る物の方が良いんじゃないですか?」
 伴田の言うのはもっともだった。河村に手作りのプレゼントをする、と決めて、亜久津は当然のように食べ物を考えたが、よく考えれば、食べ物は食べてしまえばなくなっておしまいである。
「どうですか……編み物?」
「あみもの…」
 亜久津の目が、机の上の本の中で、キラキラと輝くようなニットに吸い寄せられる。


 かくて、場面は遡る。
「まずは鎖編みから始めましょうか」
 亜久津仁のこれまで見たこともない真剣な顔を前に、伴田はにんまりと笑った。

 亜久津仁は、中途半端が嫌いである。努力は嫌いだし、手抜きは好きだが、中途半端は嫌いである。その日伴田は、教え子のそんな性格の一端を垣間見ることとなった。
 セーター、である。
 伴田の勧めにより、河村の誕生日プレゼントとして編み物をすることになった亜久津は、最初の鎖編みと腕慣らしの2、3段を編んだ後、では本格的に編む物を決めましょうという場面になって、なぜかセーターにこだわった。
「セーター、ですか?」
 伴田の疑問形に亜久津が頷く。
 言うまでもなく、セーターはあまり初心者向きの編み物ではない。しかも、相手の誕生日はいつかと亜久津に聞けば、何と1週間後、との答えが返ってきた。
「ジジイのたわ言なので、いつものように流して下さってもけっこうですが、マフラーはどうでしょう?まっすぐ編めば良いですから、増し目や減らし目とも無縁ですよ?」
「くどい」
 どうせ編むなら大物、という気持ちがあるのか、絶対セーターだ、と亜久津は譲らない。
 俺の編んだセーターを着る河村を抱きしめたい。二重の抱きしめ!などと不埒かつ訳の分からない願望を決然とした表情の裏に亜久津が隠しているとは、さしものベテラン教師にも分からなかった。
「分かりました」
 そうして短い対峙の後、持ち前の頑固さを発揮した生徒に、とうとう折れたのは伴田の方だった。


 とりあえず、学校の近所にある手芸用品店で毛糸を買っていらっしゃい、と亜久津を送り出し、その間に、すでに机の上に出されている棒針のほかに、かぎ針やなわ編み針も用意してやる。
「ま、身ごろ辺りで失敗したら、その時点でマフラーに変えてしまえば良いだけの話ですし」
 呟いた伴田に、「あのう、先生…」と手が上がる。
「亜久津…君は」
「ああ、新入部員です。仲良くしてあげてくださいね」
 家庭科部員たちの青ざめた顔を前に、伴田はにんまりと笑った。




 その夜、亜久津優紀は、ちょっとした感動に打ち震えていた。
 珍しく早い時間に帰宅した彼女の息子が、これまで物置として使われているところしか見たことのなかった学習机に向かっている。どうやら、残念なことに勉強ではないようだったが、何がしか熱心にやっていることは確かだった。
「仁、あまり根をつめると体に毒よ」
 灯りのもれる扉に声をかけてやりながら、きゃ、あたしったら普通の母親みたい、と廊下をキッチンに向かう優紀の足取りは軽い。
「コーヒー…。お夜食もアリよね」
 息子の変化を誰かに話したい。キッチンでコーヒーが入るのを待つ間、優紀は携帯電話で彼女と息子の、共通の知人にメールを打った。
「びっくり!」
 そんなタイトルのメールである。エクスクラメーションマークの後ろには、驚きの感情を表す顔文字が入っていた。
 ちなみに、メールの送信先は、亜久津が現在、自室の机に向かってしていることを最も知られたくない、もしかすると世界で唯一知られたくないかもしれない相手である。
「くそっ」
 前身ごろのなわ編みで、一目間違えてもう一度段の最初から編みなおす。誰も俺に敵いはしない、今までどんなヤロウが立ち塞がろうとも叩きのめしてきた亜久津仁といえども、編み物の道は険しく、そして奥深いのであった。


 翌朝のことである。山吹中学の職員室で、登校早々突きつけるようにして差し出された、編みかけのセーターを前に、伴田は驚嘆していた。
 まるで機械で編んだかのように、きれいに揃った編み目。しかも、前身ごろはすでにほぼ完成している。驚きを表情に出すような伴田ではないが、これを編んだ人物が、つい昨日まで編み物の「あ」の字も知らなかったことを考えると、称賛の拍手さえ送りたいような気分だ。
「どうだ、ジジイ?」
 しかし、そんな伴田の内心において驚嘆および称賛を受けている人物、すなわち亜久津は、常の自信も何処かに置き忘れてきた様子で、編み目を確かめる教師の顔色をうかがっている。
「うん」
 一声発して頷くのに、ビクリと肩を震わせる。
「とても、きれいに編めていますよ」
 この調子、このペースで編めれば、十分、亜久津がプレゼントをしたいという相手の誕生日にも間に合うだろう。そう告げたときには、あからさまにホッとしていた。
 そんな亜久津に、伴田は自らの不見識を恥じる思いだった。亜久津仁という少年の稀有な才能は、決して、その身体のみに宿るものではない。亜久津が何かに真剣に取り組んだときに発揮される集中力。その成果である編みかけのセーターを前に、やはり彼にはテニスを続けてほしかった、と一テニス指導者として伴田は思う。
 そして、昨日、亜久津が被服室を訪れたときから目にしている、彼のこれまで見たことないような真剣であったり、心配気であったりする表情。この少年に、そうした表情でもって思う相手がいる、ということに、一教師として嬉しさを感じる。友達であっても、恋人であっても、家族であっても良い。亜久津にとって、努力を厭わせない存在は得がたいものであろうし、また必要なものでもあろう。
「そのセーターの相手は、亜久津君にとって、とても大切な人なんですね」
 伴田にセーターの出来をチェックしてもらい、職員室を出て行く。亜久津の背中に声をかけると、肯定の返事は、職員室のドアをガラスが割れてしまいそうな勢いで閉める大きな音だった。


 それからの亜久津は凄かった。昼間は休み時間に教室で、放課後は被服室で、夜は自宅で、昼夜をわかたずセーターを編み続けた。
「授業はきちんと受けないと。教えませんよ、目の減らし方」
 伴田の脅しとも言うべき台詞に、お得意の「俺に指図するな」も出さず素直にしたがって、授業中は真面目に授業を受けている。チャイムと同時に編み棒や毛糸の入った手提げを取り出す亜久津を、クラスメイトは相変わらず遠巻きにしていたが、亜久津が恋人のためにセーターを編もうとしている、という噂が、主に千石の口から広まったこともあり、おそろしく真剣な、客観的には端的に恐ろしい顔で編み棒を動かすその姿に、静かな感動もまた、一方では広がっていた。
「亜久津君、これ、良かったらセーターと一緒にあげて」
 家庭科部の部員たちは、皆で作ったというかわいらしいクマのぬいぐるみを、部活の時間が終わり、帰り支度をしている亜久津に差し出してきた。
 いかにも通りすがりを装って被服室にやってきた千石は、そのクマの首に、「今月のラッキーカラー」とセーターと同色に、白抜きのアルファベットでメッセージの入ったリボンを巻いた。
 移動教室の際には、誰かにイタズラでもされたら一大事、と件の手提げを持って廊下を歩いている亜久津の前に、「亜久津先輩、お話聞きました!僕、感動したです!」と涙目の太一が現れ、
「セーターは暖かいのだ」
「この季節にぴったりなのだ」
 ユニゾンは新渡米と喜多。
「彼女、きっと喜ぶよ」
 あくまで控えめだったのは錦織。好意をもって発せられたはずの「彼女」に、亜久津の胸は少しだけ痛む。
「がんばれよ」
「がんばれ」
 励まし方まで地味だったのは南と東方。
「あのセーター、どう見ても男物だよな…」
 どうして誰もツッコまないんだよ。1人、困惑していたのは、もちろん室町である。


 河村の誕生日は11月18日。今年は土曜日で学校は休みである。
 前身ごろ、袖2本と編みあがって、残るは後ろ身ごろが少し。これさえ編みあがれば、後はあらかじめ伴田に教えてもらった通りにパーツとパーツを合わせて仕上げをすれば完成である。
 学校で作業を行う最終日の金曜には、とうとうクラスの女子から、「ラッピングも大事だから」と包装紙その他を贈られた。




 たとえば、河村でなかったら。
 土曜日の朝、編みあがった後ろ身ごろと前身ごろの肩を合わせてはぎながら、亜久津は考える。
 たとえば、河村が相手でなかったら、自分はプレゼントをするのに、これほど一心になることはできなかっただろう。それは、亜久津が河村のことをとても好きだ、というのももちろんあるのだが、本当は多分、彼が誕生日を祝われれば、とても素直に、それはもう心から喜んでくれると信じているからだ。
 亜久津がセーターを編み始めてすぐに、千石が、「メンゴ」と相変わらず、本当に悪いと思っているのか分からない謝罪つきで、男のプレゼントで手作りはあまり一般的ではないことを教えてくれた。
「彼氏から手編みのセーターもらったら、女の子は引いちゃうかもしんない」
 千石はそう言ったが、結局、河村にセーターを編むという計画を、亜久津が中止することはなかった。
 編み物がおもしろくなってきたわけではない。何となく、河村なら大丈夫だ、と思ったのだ。
 河村なら、引きもしないし、笑いもしないだろう。もしかすると、一般的には「重たい」のかもしれない手編みにこめられた思い、それは、もはや念と言っても良いようなものだったが、その中から、彼の誕生日を祝いたい、という自分の気持ちを選り分けて喜んでくれるだろう。
 千石は、自分の忠告に聞き耳を持たない相手に、何故か嬉しそうな顔をした。
「そのセーターって、色も形も割とコンサバで、おとなしめな人に似合いそうだよね。たとえば…誰とは言わないけど、誰かの幼なじみとか」
 一心不乱に編み棒を動かす、亜久津の耳元で囁いた。
 あのときは危なかった。驚いて取り落としかけた編み棒から目が全部抜けて、危うく最初から編み直しになるところだった。
 思い出して憤慨しつつ運針していたら、何目か飛んだのを見落とした。
「千石の野郎…」
 呟きながら数段をまとめて解く。
 肩をはぎ、袖をつけ、裾と袖口の処理をして、最後に首の部分を丸く取る。そうして、とうとうできあがったセーターを前に、亜久津の口からは、思わず笑いがもれる。
「ふ…はは…」
 笑いはスロースタートの含み笑いから、やがて高笑いに。
「できた!できたぞ!」
 ついでに、「河村!河村!」とシュプレヒコールでもあげたいような気分だった。テンションも高く叫びまくる亜久津に、隣家から苦情がこなかったのが不思議なほどだった。


 うす茶色のクマを小脇に抱え、ラッピングを施したセーター入りの鞄を肩にかける。
 河村には、電話で在宅を確認した。仕上げに予想より時間を取られてしまったことが逆に良かったのか、昼時もすぎたので、少しなら店を抜けられるという。
 大丈夫、きっと喜んでくれる。
 玄関で靴を履く亜久津の目に飛び込んできたのは、ぬいぐるみの首に巻かれたリボン。てっきり「Happy Birthday」か何かだと思っていたメッセージは、「Come on Baby」だった。
 カモンベイビー。
 それが、「バーニング!」や「グレイト!」ほどではないにしろ、テニスの試合中、ラケットを握ってテンションの上がった河村が、しばしば口にしていた台詞の1つであると亜久津は知らない。しかし、知らないは知らないなりに、ぬいぐるみのクマがどことなく河村と似ているように見えることも相まって、いつのまにか入っていた肩の力が抜けた。
 そんな強気で、家を出る。誕生日の河村に会ったらまず何を言おう。決まっている。まずは思い切りカタカナで「ハッピーバースデー」だ。
 カモンベイビーにオッケー。勝ち試合を確信して、亜久津は扉を開けた。




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 タカさんお誕生日を個人的に祝おう企画。書けました!この後は、亜久津の予想通り、タカさんはガッツリ喜んでくれます。あまりに亜久津の予想通りなので省略。最後になりましたが、タカさんおめでとう!そして、このみ先生、タカさんを生み出してくれてありがとう!

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