コンモドゥス帝 

〜筋肉とエロに生きた、その熱き漢(おとこ)の生涯〜

ギボン『ローマ帝国衰亡史』第4章より

コンモドゥス帝


その11

コンモドゥス帝は、幸せだったよね。



いかがだったでしょうか。

自分は、コンモドゥス帝は、幸せだったと思いますよ。なにしろやりたいことは、全部やりつくした生涯だったんですから。

普通、ワルぶってみたいとか、やりたい放題やってみたいとか、そういう欲求があっても、ここまでは行けないし、やれないですよ。たまたまの偶然が重なって、こんな悪い結果になってしまったんです。

お父上がマジメすぎた点、実の姉に殺されかけた点、帝位についた時、すでに皇帝権力が強くなりすぎていた点、コンモドゥス帝の周りに、命がけで諌言するような本当の意味での志士がいなかった点。

皇帝の行動を苦々しく思う高潔の士は、当時もいたんだろうけど、命をかけてまで、体当たりでなんとかしようとかいうパワーのある人がいなかったんでしょうね。そこは、戦前の陸軍の横暴が始まっていらい、国家を見捨てて、引きこもってしまった、あの西園寺公と同じです。

いますよねえ、こういう人。国家とか会社が、自分の気に入った方向に行ってるときは働くけど、気に入らない方向に行ったらさっさと身を退いて、外から文句ばかり言ってる人ですよ。

マルクス・アウレリウス帝時代にいた立派な人たちが、コンモドゥス帝になった途端にバカになるわけがないから、途中で「投げてしまった」人が多かったんです。おそらくね。

つまり、


私ひとりの命で、あなた様の目が醒めるなら、こんな命、安いもんだァ〜!!!!

という熱い人が、コンモドゥス帝には、ひとりもいなかったんですよ。いたら、コンモドゥス帝の運命も変わったでしょうに。

でも、まあとりあえず、ギボン先生に、ここまでとりあげられて、後世の評価という意味でも、幸せなほうです。例え、それが悪評だったとしても。 一番悲しいのは、「そんな人いたっけ?」みたいに、忘れ去られることです。

人間、自分が生きた証が何も残らないというほど、やりきれないことはないですから、みんな、がんばるんです。色々と。



■その10


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