エラガバルス帝
〜ギボン先生曰く「史上最低の君主」〜 ギボン『ローマ帝国衰亡史』第6章より |
その2 皇帝は、あやしい教祖さまだった ・・・・・ですがねえ。悲しいかな、帝政が長く続くと、人々の心にも変化がでてくるんですね。ギボン先生は、ハッキリと「共和政が正しく、帝政は間違っている」と言っています。ローマの人々も、共和政のころと帝政のころでは、随分変わってしまうんです。 人々は、現実と戦うことを放棄してしまうんです。「はぁぁ・・・・・・イヤだけどしょうがないや。ガマンするしかないのか」と、いった心境でしょうか。この時代は、特に、皇帝が暴政でもって国民を苦しめ、その皇帝を殺したところで、また別の皇帝が現れて暴政で国民を苦しめることが、ずーっと続いていたのです。こんなのが何十年も続けば、誰だってそうなります。 あと、皇帝が、国のことを最高権力でもって決めてしまうので、人々が自分の頭で考えることができなくなってしまうのです。 だから、ローマの国民は、明らかにエラガバルス帝が、ローマ皇帝としてはふさわしくないにも関わらず、エラガバルス帝の前に膝を屈したのでした。 さて、エラガバルス帝、やる気の無い、エラガバルス帝です。 この人、かなり、あやしいです。 エメサには、エラガバルスと呼ばれる太陽神が祀られていた。神体は黒い円錐の石で、シリアのこの聖域に天から降ったものと、一般には信じられていた。 まあ、古代にあった迷信の類ですが、現代人の我々も、笑えませんな。ただの石っころを数百万円で売ったりする悪党が根絶しない限りは。 エラガバルス帝、 彼自身の帝位を一にこの守護神の庇護によるものと考えた。彼にとっては、この神に対し迷信的感謝を捧げることだけが、治世唯一の重要国務だった。 そう、エラガバルス帝は、あやしい教祖さまだったの。なーんか、黒い変な石に、「神さま〜!!!神サマァ〜!!」とかいうアブナイ人だったの。勿論、エラガバルス帝のエラガバルスはこの黒い変な石から来た名前です。 で、国政をほっぽりだして、プラプラ遊びながらやーーーっとのことでローマにやってきたエラガバルス帝、これだけでもローマの人々は怒り心頭だったでしょう。ですが、そんな彼らをさらなる絶望が襲ったのでした。さて、エラガバルス帝、ローマ入場のパレードを行います。 ローマ市の街々を練り進んだとき、路上には一面金粉がまかれ、華やかな馬衣で盛装した白馬六頭曳きの戦車上に厳かに安置されていたのは、高価な宝石類で囲まれたこの黒石だった。 これほどシュールな光景はなかったでしょうね。つくづく、コンモドゥス帝がマシにおもえてきます。 次いではパラティヌス丘上に建てられた壮大な神殿で、エラガバルス神への供犠の祭事が贅をつくして執行され、経費などは一切問題ではなかった。 ローマの人々は、この黒い変な石にささげるあやしい宗教行事につきあわされることになりました。しかも国の税金でです。なんだかな〜って感じですよね。 はじめの方に書きましたが、これも帝政の影響なんでしょうか。国民が卑屈で従順になってしまって、自分の頭で考えられなくなり、あきらかに間違ったことでも、従わざるを得ないような(言い方は悪いですが)奴隷根性が染み付いてしまったんでしょうか。少なくとも、共和政時代だったら、こんなことは考えられませんでした。 祭壇には芳醇をきわめた葡萄酒類、珍奇をすぐった犠牲動物、天下の名品ともいうべき香料類が、ところ狭しと捧げられた。そして祭壇類では、シリア処女たちの一団が、東方の土俗音楽に合わせ淫靡きわまるダンスを踊ってみせるし、国務軍務の高官たちも、すべてフェニキア風の長衣を着け、顔つきこそ神妙そうだが、内心は怒りに燃えながら、卑屈きわまる奉仕を強要された。 本当に、誰かキレなかったんですかね。ワンマン社長の道楽に社員がムリヤリつきあわされるとかいう例が思いつくけど、それとは比較にならないくらいひどい。 ところで、シリア処女のエッチなダンスがどんなんだったか気になりませんか?気になって気になってしょうがないけど、詳細は書いてないから分かりません。こういうことは、ちゃんと書いておかないといけませんよね。でもギボン先生は書かない。ちゃんと、どんな風にエッチなのかなぁーと読者に想像できる余韻を残してくださっているのです。そちらの方が、このエッチなダンスを万人が自分好みにアレンジできて楽しいですよね。 まあ、その後、エラガバルス帝のやったことといったら、なんか、いろいろとこの黒い変な石のためのあやしい宗教行事くらいです。詳しくは書きません。 |
■その3 |
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