若緑のねむるころ 3
一樹はキョンが時々顔を出すという洋食屋に連れて行かれた。表通りから一本奥に入った店で、落ち着いた雰囲気だ。 「学生でこういうところに顔を出すんですか」 席について一樹がたしなめるように言うと、キョンは笑った。 「古泉は意外と固い家だったんだな」 「若者の放蕩を父は嫌いましたから。自分を反面教師としてか」 キョンは静かに笑って、ウェイトレスに注文した。よく来るらしく、彼女は親しげに微笑んでいる。 「俺だって別に素行不良というわけじゃない。ここの店主は父の知り合いなんだよ。それに長門は和食しか作らない」 「ながと?」 「長門有希。こっちの家の女中だ。帰ったらすぐ会えるぞ」 「どんな方なんですか?」 キョンは目を細めた。彼女を説明しようと想像しているらしい。 「めちゃくちゃ出来る。仕事が速い。口が固い。無駄口叩かないし美人だ」 「それは素晴らしいですね」 一樹が誉めると、キョンは妙な顔をして首を傾げた。 「というかな、俺はあいつが仕事してるとこ見たことないんだが、いつの間にか全部片付いてるんだよな」 「もう一人いるとおっしゃっていた奉公人がなさっているのでは?」 「ああ、あいつなあ。谷口っていうんだが、あいつは違うな。まるで使えん。悪いやつじゃないんだがなあ」 「はあ」 「大事な用は絶対谷口に頼むなよ。口も軽いぞ」 そう言っているわりに、キョンの顔は楽しげだ。使用人をどの者も大事に思っているのがわかる。 やがて運ばれてきた料理に、食うか、とキョンは笑った。一樹は反射的に微笑んで、目の前のこんがりしたカツレツにナイフを立てる。それを暫くの間眺めていたキョンは、やれやれ、と言ってため息をついた。 「何ですか」 一樹は視線を上げたが、キョンは首を振って何も言わない。 こいつは思っていたよりもはまりすぎている、とキョンは感心した。銀器の似合いそうな奴だという思いつきだけで連れてきたが、フォークを口に運んでいる様は外国映画か何かのようだ。彫り物のような顔をした目の前の男は、白皙の美青年といえばいいか、紅顔の美少年といえばいいか。瞼を伏せて静かに咀嚼している様は、西洋人形のように見える。 「確かに美味ですね」 そう言って視線を上げて少し微笑んだ一樹の瞳は、何も知らぬげな少女のようでもあった。 自宅は、閑静な住宅地の一角にあった。平屋の一軒家だ。本家よりは小さいというだけで、やはり立派な屋敷だ。一樹は本当に幼い時暮らしていた家はこれほどの家ではなかったかと思った。父が財力を得る前の話だ。そこそこの家に、家族三人と僅かな使用人で穏やかな生活をしていたような気がする。そう考えると、どうしてかまだ敷居もまたいでいないこの家がどこか懐かしく思われた。 キョンががらりと玄関扉を引いて呼びかける。 「谷口。帰ったぞ」 へーい、という声が庭からして、すぐばたばたと足音が近付いてきた。玄関脇の樹の後ろから、若い男が顔を出す。 「おかえり!客はどこだよ、昨日ばかでかい荷物が届いてきてさあ、お前運ぶのは俺しかいないっつうの、」 「黙れ谷口。古泉は後ろだ。客じゃなくて家族みたいなもんだから口に気をつけろよ」 太い桜の幹とキョンの影になって隠れていた一樹が、少し移動して谷口に会釈する。作り物のような笑顔で微笑むと、谷口は慌てて頭を下げた。こりゃどうも、などと言いつつちらちらと一樹を気にしている。 「これからお世話になります。古泉一樹です」 「どうも、谷口です」 それだけ言ってそそくさと裏へ下がる谷口を見て、一樹は玄関に入りかけているキョンを慌てて追った。 「あなた、あなたの奉公人はあんな風に話すんですか」 「同い年だよ。面白いなあ、長門も確か同じくらいなんだぜ」 「いえ、それにしても」 「いいんだよ、谷口は子供の時から知ってるしな。今更俺しかいない屋敷で馬鹿丁寧に話すのもあほらしいだろう」 いかにも面倒そうにキョンはそう言うと、革靴を脱いで家に上がった。 一樹は後を追いながら、少しうろたえてしまう。自分の家より余程格式のある家の息子が、まさかこんなことを言うとは思わなかった。両親は限られた奉公人にしか自分を触らせなかったし、奉公人は決して自分たちの前で無駄口を叩かなかった。あんなくだけた態度は論外だ。さっぱり、キョンという人間が分からない。気位の高い男に主人面されても仕方ないと覚悟を決めて、それこそ奉公人になる気概で彼の家に世話になりに来たが、いざ蓋を開けて見れば当人は下男にすら主人扱いされていない。 家に上がると、ここが食堂、ここが書斎、と案内しながら、ふとキョンは足を止めた。 「なあ、古泉。その言葉遣い、何とかならないか」 「言葉遣い、ですか」 「何度も言って悪いが、後見人は俺の父であって俺じゃない。俺とはもっとくだけた付き合いでいいだろう」 キョンは他意のない表情だ。 「いえ、これは癖のようなものですから」 一樹は微笑んでみせる。 その人形のような顔に、何か言い募ろうとしたキョンは結局言葉を濁して、がしがしと頭をかいた。 |