砂漠のふたり

back contents



 警戒心があるのか、ないのか、良く分からない。遠野は知人にそう、よく言われる。踏み込めば踏み込ませてくれるくせに、一歩退く、そんなふうに言われたこともある。――遠野自身に自覚はないのだが、そう感じる人は多いのだろう。だからか、遠野にとって友人とはっきり呼べる人間は、数えるくらいにしかいない。
 つまみの枝豆を口にしながら、今はどうだろう、と遠野は笑いたくなった。
 一人暮らしの部屋に良く知りもしない酔っ払いを引っ張り込み、酒を酌み交わしている。それこそ、友人たちには驚かれるのではなかろうか。遠野でさえ、驚いているくらいなのだから。
 元々、遠野は人を自分の部屋に招くのが好きではない。
 行きたいと言われれば断りはしないが、落ち着かないので結局部屋ではない場所に移ってしまう。
 この辺りが、警戒心云々と言われる要因なのかも知れない、と遠野はビールを煽る。本日二本目――サークルの飲み会を除いて、だが――がカラになった。
 マキセさんは遠野の横でベッドにもたれ、黙々とビールを飲み続けている。時折つまみも口にするが、酒のスピードがやたらと速い。顔色が変わらないので油断していたが、これはやばいのでは。と遠野は漸く思った。そして自分も酔ってきているらしい、と気づく。頭の回転が鈍い。
「大丈夫ですか」
「何がです」
「いや、随分飲んでいるみたいなんで」
 遠慮がちな遠野の言葉に、マキセさんはぱちぱちと瞬きを繰り返し、「ああ」と手にしている缶ビールを眺めた。
「そうかも知れません」
「何か嫌なことでもあったんですか」
 口にしながら、あ。と遠野は思った。訊くつもりはなかったのに。
 ずっと訊ねたいと――タクシー乗り場で見かけてから思っていたが、あまり突っ込むのも失礼かと黙っていたのに。ビールのせいだろうか。遠野はカラになった缶ビールをじっとりと睨む。
「君には関係のないことです」
 また関係ないと言われた。遠野は今度は突っ込んだことへの申し訳なさより、その言い方の冷たさにむっとした。
「そりゃあそうかも知れませんが、マキセさんが飲んでいるのはうちなんですよ」
「だから口を出す権利があると?」
「権利とかじゃないですが、疑問を口にするくらいはいいでしょう」
 遠野は、自分がやけに酔っている、ということに気づく。自宅だからだろうか。いつもならこんなふうに、怒ったり、絡んだり、しない――していないはずだ。多分。
 缶ビールではなく、マキセさんをじっとりと睨む。マキセさんも、あまりよろしいとは言い難い目つきで遠野に視線を返した。数秒間、無言で睨み合う。
 ――先に折れたのは、マキセさんだった。視線を外し、大きな溜息を吐く。
「聞いたって面白い話じゃありません」
「別に面白い話が聞きたいわけじゃない」
 そうですか、とマキセさんは再び溜息を吐いた。「失恋です」
「は?」
 聞こえませんでしたか。幾分投げやりにマキセさんは言った。
「恋人と別れたんです」
 もう三ヶ月も前になりますがね。とマキセさんは続けた。
 遠野は上手く相槌も打てないまま固まる。目の前の男と、失恋、という言葉が結びつかない。いや、彼だって、失恋のひとつやふたつ、するのかもしれないが。しかし。
 しかし、それで、あんなふうに涙を流していたのか。そう考えるととても、不思議な感じがした。
「何でですか」
「は?」
「何で別れたんですか」
 自分でも後々何て無神経な、と思うくらいに突っ込んだことを、遠野は訊ねた。マキセさんは顔を顰める。「私も大概ですが」
「君も、随分酷い酔い方をする」
「何でですか」
 遠野は繰り返す。マキセさんはやっぱり自棄のように、仕方なさそうに口を開いた。
「相手が職場の上司の身内と結婚が決まりましてね」
「結婚?」
「そうです」
「マキセさんの恋人なんじゃあなかったの」
「恋人でしたが、結婚すると言われたのでは、仕方がありません」
「仕方がないって、そんな――」
 遠野の手のなかで、めきりと缶が潰れた。「捨てられて何でそんなこと言えるの」
 今度はマキセさんの手のなかで缶が潰れる。眉尻がきりきりと上がっていた。
「捨てられたんじゃありません」
「捨てられたんじゃなきゃ、何だって言うんだ。大体恋人がいるのに結婚するって――」
 途中で、がっと床に倒されて、衝撃で遠野は言葉を途切れさせた。「何するんですか!」無理に肩を押さえつけてきた男を見上げて、遠野は怒鳴る。蛍光灯のあかりが眩しくて、マキセさんの表情が確認できない。
「……何が分かる」
 マキセさんは妙に抑えた、静かな声で言った。先程までは、お互いに感情が高ぶって大声になっていたのに。
 遠野は背筋を粟立たせた。殺されるかも知れない、と思った。それくらい、怖い。
 よく知りもしない、男。引っ張り込んで酒を飲ませて怒らせて――遠野は自分のあまりの軽率さに、震えた。
 けれど、マキセさんも遠野と同じくらいに震えていた。押さえられた肩から、それが伝わる。
「君に、何が――」
 切ない、とはこういうことを言うのだろうか。遠野はふと、酔いの醒めたはずの頭で思った。
 そのために、突き飛ばして、逃げる。その選択肢を掴み損ねてしまった。


back contents

2009.04.29


Copyright(c) 2009 NEIKO.N all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!