例えば流川があの日…、そう、居残り補習した教室でのあの時、花道が「嫌じゃない」と言って受け入れたキスを過大解釈していたとしたら、いや、間違いなくしているこの状況をどうすべきだろうか。
花道は右腕の筋を伸ばして唸った。ストレッチ中の体育館である。
延々考え続けてさすがに飽きてきたが、放っておける問題でもなく未だ花道の頭を悩ませて一週間が経った。
せめて部活中くらいはバスケに集中したいものだが、渦中の男が同じ空間にいるのだ。無視することもできない。
だから考えてみる。想像してみる。
流川にとって自分は既に想いが通じ合った仲になっているとして。恋人に接するように常時迫ってきていたのだとして。
それなら花道の拒絶は、それなりにショックだったのかもしれない。
彼女どころか女の子と碌に接した事のない花道には想像することしかできないが、彼女が「こんなのもう嫌だ」と言ったらやっぱりちょっと…かなりショックかもしれない。
でも、と花道は馬鹿馬鹿しい想像に鼻息を荒げた。俺、女じゃねーし!彼女じゃねーし!そもそもあのキツネとそういう事になった覚えはないし!
腕組みをして一人憤慨していると、その頭にバコンとハリセンを振り落とされた。振り仰げば彩子が仁王立ちで睨んでいる。

「ちょっと桜木花道!練習中に余計なこと考えてるともう一回基礎練からさせるわよ?」

なんでわかったんですかという言葉は飲み込んだ。彩子に頭が上がらないのは入部当初からだし、何か言い返したら今度は現キャプテンの宮城がうるさいことになる。
余計な波乱を起こすこともないと大人しく左肘を伸ばして、花道は横目に流川を盗み見た。
相変わらず、流川だ。いっそ清々しいほどに流川すぎている。
自分でもよくわからない揶揄だと感じながら、花道は心の中で盛大に息を吐いた。
なんだかもう面倒くさい。一々意識するのも。やっぱりおかしな症状にみまわれるのも。
たった一人の人間に対して、どうしてここまで自分がコントロールできなくなってしまうのだろうか。
認めたくない感情の余波が胸を襲って、花道は火照った身体を精一杯伸ばした。
このままずっと自分らしからぬ姿を晒したまま日々を送るのだろうか。そんなのは、天才の沽券に係わる。
ならばどうしたらいい。どうしたら、今の状態から抜け出せる。
答えは出ないまま、時間だけがただ過ぎるばかりだった。

流川とは、元々会話らしい会話があったわけではない。同じ学年で同じ部活に席をおいているという接点を除けば、花道は流川と係わることなく高校生活を終えただろう。
だけど、二人は出合ってしまった。
一方は憎き恋敵として。そしてもう一方は素人のくせに目立つ野郎だという認識で。
そこからどういうわけか関係は一転し、一方は恋心を抱き、もう一方はそれを曖昧ながらも甘受してしまった状態にある。
これを、自分はどう展開したいのか。花道はそこでいつも行き詰まるのだった。
流川を完全に受け入れて、自分も同じものを返せばいいのか。そんな事はできるわけがない。
じゃあ今までの事を全て消去して、流川の想いも何もかもなかった事にしてしまえばいいのか。…それも何だか違う気がした。
結局堂々巡りの思考はやがて苛立ちを募らせ、元来気の長い性質ではない花道は、行き場のない憤りをどうすることもできずにバスケへぶつけていた。

「おい、花道」

それを遮ったのは、宮城の声だ。
自分でもあんまりなフォームでシュートを放ったとわかっていただけに、その声には応じたくなかった。しかし相手は宮城で、しかもキャプテンである。そう易々と無視を決めさせてくれる男ではない。
身体のすぐ後ろに回りこまれて耳をひっぱられる。

「はーなーみーちー!聞いてんのか!」
「…、んだよリョーちん!痛え!」
「痛くしてんだよ、当たり前だ!…それより、なんだそのめちゃくちゃなフォームは」

下からキッと睨まれて、花道は言葉を詰らせた。そんなのは自分がいちばんよくわかっているのだ。
拗ねるように視線を逸らすと、宮城は少しの間花道を見上げ、それから左に目配せしたかと思うと花道の視線の反対側へ身体ごと向きを変えた。

「流川、ちょっと来い」

瞬間、花道の身体は石のように硬直した。
だって、なんでそこで流川。混乱する花道を余所に、重い足取りでやってきた流川は「なんすか」と宮城を一瞥する。

「あー、悪いけど流川、お前ちょっと花道のフォームみてやれ」
「な…!」

思わず花道は頓狂な声を出した。動揺のあまりそこから先が言えずにいると、宮城は流川の肩を叩いてにこやかに笑う。

「いやーもう、コイツのフォームがひでーんだわ。俺たちがあんなに苦労して付き合ったっていうのにもうめちゃくちゃなの。だから、な?」

悪いけどお前、居残ってつきあってやって、と続ける宮城に花道は開いた口が塞がらなかった。
もちろん流川は嫌な顔をしているし、実際「なんで俺なんすか」と抗議もしている。
しかし宮城は何故か頑として譲らなかった。先輩の言うことが、とかキャプテン命令だ!とか、宮城にしては強引すぎる手段で無理矢理流川を居残らせる段取りまでとってしまっていた。
腑に落ちないその思惑に、彩子の影が潜んでいたと知るのは後になってからだが、とにかく花道は不幸にも、今最も顔をみたくない相手と強制的に二人きりになってしまったのだった。


「…で?」

一頻り状況に唖然とした後、流川の低い声が花道に問いかけた。
久しぶりにまともに目が合った気がする。思いながら花道は強張った唇を開いた。

「なんだよ。気にしねえで帰ったらいいだろ」
「…んな訳にいくか」
「あ?まさかお前、本気で俺に付き合う気か?」
「そう言ったら?」

挑戦的な流川の声音に身体の熱が上がる。これには覚えがある。怒りだ。

「いらねえよ!早く帰れ!」
「嫌だ」
「なんで!」
「…、…から」
「…あ?」
「…どうしていいか、わかんねーから」

それが、バスケじゃない事を指しているのがわかって花道は詰った。唐突すぎる核心に、しかし流川の言葉を反復して驚愕する。
どうしていいかわからない、と流川は言った。
自己中心的、唯我独尊、無感動無表情の流川が、初めてらしくない言葉を吐き、同時にらしくない行動を起こしたのだ。
先輩に言われるまま花道の個人練習に付き合い、花道と向き合う。けれど、そうした行動の起点が彼の行き場のない困惑にあるのだとしたら、…そこまで思い至って花道は瞠目した。
こいつも、同じだ。…俺と。

「俺だって、…わかんねーよ!わかんねーから、お前といたくねえんだよ!」
「…いたくねーの?」
「そう、だ」
「…でも俺はいたい」
「な、」
「すきだから、どあほうといたい」

どあほうは?と返されて、強烈な熱線に射抜かれて、花道は今度こそ言葉を失った。
わからないからお前といたくないと言ったのに。言った傍から愛を告げられる。
そもそもこいつ、好きじゃねーんなら、もういいとか何とか言ってなかったか。
無情に閉ざされた保健室のドアを思い出して不意に言い返したくなったけれど、灼熱の視線がそれを許さなかった。
そこには何の逃げ道もなくて、花道はただ泣きたくなった。
「どうすりゃいいんだよ…」とまるで泣き言のように漏らせば「俺を好きになれ」と真っ直ぐにみつめられる。
ああ、今頃になって気付いたけど。花道は保てなくなった涙腺に最後の抵抗をしながら流川の目を見返した。
俺を好きだと言うこの真っ黒い瞳だけは、実を言うと随分前から気に入っていたのだ。

「どあほう」

呼ばれる声に顔を上げて、花道は応える。
もう後戻りはできないと思いながら。







今わかっていることだけを、ひとつずつ流川は伝えた。
花道と一緒にいたい。
キスしたい。
触りたい。
抱きしめたい。
聞いていくうちに羞恥に耐えられなくなった花道がストップをかけるまで、流川は不自由な日本語でストレートに愛を語った。
それから、花道の譲歩できる範囲で一通りの事をした。
キスをして、肩を撫でて、ぎゅっと抱きしめる。
花道が挙動不審に動く以外は流川の思うまま事が進められ、今は花道の首筋に頬をすり寄せて懐いている。

「どあほうの、匂いがする」

すん、と鼻を鳴らして満足気に告げられて、花道はどうしようもなくなった。
恥ずかしいし、馬鹿だと思うし、妙に忙しない心臓がうるさくもあってまともに拒絶することもできない。
なのに、心のどこかで歓喜している自分がいるのだ。

「…、うう、」

勝手に熱を持つ身体がいよいよ限界で、花道は流川の肩口に顔を埋めた。
これじゃ何の解決にもなっていない気がしてならない。

「も…、ルカワ、いつまでもこんなとこにいられねえ、から…」

どうにか伝えた言葉に、流川はあっさりと腕を解いた。しかし、目はまだ柔らかく花道を映したままで、その蜜みたいな甘さに身体の真ん中がどくりと音を立てる。

「どあほうの家、行きてー」

そう請われるまま小さくキスされて、花道は自分でもびっくりするくらい簡単に頷いていた。
ちゅ、という馬鹿みたいに可愛らしい音が鳴ったのも原因のひとつかもしれない。
けれど、キスより何より、請われて素直に頷くくらいには、どういうわけか花道も流川から離れたくなかったのだった。







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