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帆足の言葉に弾かれるように大沼は看守の着衣、それから皮靴を奪った。大沼は年のわりに体格のいい少年で、服の大きさはちょうど良かった、着込んでしまえば不自然なところは何もなかった。
まして火事の混乱の中ならば、看守の偽者と気づかれることはないだろう。
「できたら行け」
「お前は、」
「俺はここで火を煽らなきゃならん。後で追うから早く行け」
「追うって言っても、火が」
「心配いらない。俺は少しなら空が飛べる。いいか、外門と守衛は確実に潰せよ」
帆足が心配いらないと言うので、大沼は黙ってうなずいた、そして右手を目線の高さに差し出した。帆足はその仕草に一瞬虚を突かれたような表情を見せたが、すぐに意図を理解し、その差し出された手のひらを、パン、と叩いた。
そして大沼は走り去った。その姿が見えなくなると…、帆足は両腕を広げて気を集中した。
応えるように一陣の風が彼のパサついた頭髪を掬い上げ、それからまもなく暴風が吹き荒れ始めた。やがてそれは、台風が直撃したかのような、猛烈な風に変わる。
その中心に位置する帆足だけが、この時この監獄で唯一、平静を保っていた。轟音が帆足を包み込む、そして外界から彼を遮断していく。
彼は強い風の中に身を置くのが好きだった。風が身体の中を通り抜けていくような清涼感がたまらない。できることなら、自分で起こした風よりも、自然に起こった風のほうがいいが…、しかし、今はなんでもいい。
なにしろ、ここに収監されてからというもの、淀んだ空気のなか息も詰まりそうな日々を過ごしてきたのだ。この時ばかりはとにかく、風が吹けばなんでも満足だった。
瞼を閉じ、天を仰いで喉を広げ、腹一杯に風を吸い込み…、次には背を反らしてその身を預ける、もう二度と味わうことはないとさえ思った至上の時だ。これだけでも、大沼に感謝してやってもいい。帆足はまじめにそう思った。
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