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蔵本はテーブルの隅をポンと叩いた。西基地の全権を預かる『死神』の名は、蔵本が現役の中尉だった頃から、すでに東基地にも響き渡っていたのだ。
「で、どうでした?バッさん一人で?荒木は連れてかなかったんすか?」
「あいつにも仕事あるから。それに、初対面の相手に挨拶しに行くのに、あれが何の役に立つって」
「ああ確かに。それで結局どんな感じ」
「いやそれがだ…、随分感じがいいというか、表情も穏やかだし、物腰がえらい柔らかくて拍子抜けしたよ。落合長官はあなたに期待しておいでですから、一緒に頑張りましょう、とかつってな」
「死神、お世辞うまいんだ」
その死神の声真似をする井端の表情が例によってちっとも穏やかでなく、蔵本は笑いの漏れた口元をカップで隠した。
「お世辞言うな。まあ死神ってのは単なるアダ名なのかな。でもなんで死神なんだろう。よくわからなかった」
「グダグダですね」
「何が」
「レポとして」
「すまんな」
「いや謝られても。とにかくお疲れさんです」
皿の隅に塩を小さく盛りながらぼそぼそと喋る井端は、いかにも一仕事を終えた後といった様子で、半分ほど魂が抜けており…、つまるところ、一言で言うと疲れているように見えた。
「…で、何の用すか、俺に」
しばらく間を置いて、蔵本は再び口を開いた。井端が疲れていることは充分に理解したが、しかし、蔵本とて多忙の身だ。ゆでタマゴをかじるその口に、先の言葉を喋るよう促す。
「まさか外出るついでになんとなくお茶に誘ったわけじゃないでしょうよ」
「ああ、それは当然」
「何すか」
「あのな、軍に戻ってくれ」
「は!?」
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