十字架の罰

  
■第六章■   

まるで、ライエルを守るような遅い夜明けであった。

光隆が目を覚ました時、いつもなら陽が顔を出していてもおかしくはなかった。

湖のへりで、二人は眠っていしまったのだろう。身体を起こすと、太秦のと目があった。

「お前はいつでもライエルの側にいるな。」

太秦は何も応えない。動物なのだから当たり前と言ったらそうなのだが、なんだか腑に落ちない。

「太陽を浴びたら駄目だとか言っていたからな。」

ライエルは眠ったままだ。光隆の小さな声では到底起きそうにもない。

一応、病人だったわけだし、しかも激しい運動の後だ。

光隆はライエルを抱き上げると、ゆっくり歩き出した。

太秦は後からついてくるだけだ。いつも同じように、ライエルを守るように後ろからついてくるのだ。

何から守るというのだろうか?

昨日もそうだった。太秦は、森のためではなく、ライエルのために光隆を呼びに来た。新参者の光隆には到底理解できない謎である。

「太秦。私は湖に出てくる。お前がライエルを見ておけ。」

ちょうどいい大きさの桶の場所など光隆にはわからない。光隆は昨日ほったらかしにしておいた大きな水桶を手に外へと出た。

遅いながらに陽は元気欲顔を出した。こんなに遅いのが嘘のようだ。森の方も落ち着いたようで、住人は今頃一息ついている頃だろう。

水桶を無造作に置くと、先ほど呑気に眠っていた場所で大きく伸びをする。骨がギシギシ言うのは、こんな所で眠ってしまったせいかもしれない。他にも要因がないとは言えないが。

冷たい水をすくうと、ゆっくりと飲み干した。喉を通る冷たい水はカラカラだった喉を一気に潤す。ついでに顔も洗ってやった。ボーッとしている頭をはっきりさせてくれた。

ふと、思う時がある。

こういう生活も悪くはない、と。

こんなに時に身を任せたことはない。いつも人とは反対を歩いてきた男だ。

「本物の鬼になるのも悪くはない。」

桶と共に持ってきた刀を鞘から出すと、血の臭いが辺りを包み込む。心臓がドクンッと鳴った。

鳥がざわめく。狼が吠えた。

仕事をしたばかりの刀を湖に付けると、着物の端でそれを拭いた。

「ご苦労だったな。」

久方ぶりの活躍に、彼自身は満足していたようだ。キラリと光るその姿はどこか自慢げに思えた。

陽を一思いに斬ると、鞘へとおさまった。

その姿を見て、陽は嘲るだけだった。

空の水桶に目をやると、今やらなくてはならない仕事があったことを思い出させられる。

「この桶は重いが、仕方が無い。」

ため息混じりにそう言うと、水桶に半分ほどの水をすくうのだった。

大きな水桶だ。小さなものは見つからなかった。本来ならば、こんな水桶に水を入れて運びはしないだろう。タップンタップン水がはねる。水の量は減らしたつもりだが、それでも桶の中で大暴れしていた。

暴れるたびに、光隆の着物は水が滴る。着物は水分を得て、どっしりとしてきた。桶の水もまだ重い。

戻った頃には、上から下まで水浸しであった。湖から屋敷まで、光隆が通った後が残る。

開けっ放しの戸をくぐり、光隆は桶をまたライエルの隣に置いた。

太秦の監視はまだ続く。一生、光隆がここに居座る限り二人は、否、光隆は監視される。

「ライエル。朝だ。うむ。しかし、ライエルにとって朝は夜か…?」

耳元で囁いてやると、ライエルが小さく唸った。

ライエルが反応を示すと、光隆は満足そうに口元を緩め、大きな水桶に手を入れた。勿論、水を飲むためだ。

一口水を含むと、光隆はライエルの唇に押し当てる。まどろみの中、ライエルは素直に唇を開く。

無意識の中、ライエルは長い口付けを強要する光隆の背中に手を回していた。陽で暖められた着物をしっかり掴むと、まるでしっかりとした意識を取り戻したかのように、ライエルは光隆の口付けに応えた。

「ん…。」

まるで、続きを欲しているようだと、光隆は苦笑いするしかなかった。

昨日の今日。無理やり本能に従わさせたような抱き方をしたのだから、今日は拒絶されると思っていた。

ところがどうだ?

まるで、何年もの間離れていた恋人同士のように。彼は離れたがらなかった。

離れようとすると、着物を握る手を強くする。

「寝ぼけているのか?」

ただ、寝ぼけているだけだとしたら、これは罪だ。光隆がため息をつく暇もなく、すぐに唇はふさがれた。

彼の誘いを断れるはずがない。時折唇の間から洩れる卑猥とも取れる吐息も、着物の間から垣間見れる白い肌も、無意識のうちに光隆を誘う。

離れようとしないライエルをいいことに、光隆は彼の期待に応えてやることにした。

「愛している。」

耳元で囁いてやると、彼は嬉しそうに笑った。

続け様に愛し合う二人を見て、太秦は小さくため息をついた。邪魔をしないように端に座り、外に神経を尖らせた。






 ライエルに誘われるがままに、光隆は彼を抱く。そんな姿を太秦は何回見てきただろうか。ため息がつくほどの回数を、まるで出会えなかった昔を埋めるがの如く、二人は繋がった。

光隆がこの森を訪れて10日が経った。この10日間、彼らの生活は波乱万丈にも思えたが、光隆にとっては平穏で、幸せな時だった。生まれて以来、こんな平穏な日々にありつけたのは、この数日のみだった。

鬼退治にやって来た侍達は、3日前の争い以来、この森には姿を現さなかった。それが、森の住人達の小細工だとは、勿論光隆にはわからないわけだが。

おかしなことと言えば、ライエルがやけに素直になったことである。光隆もこれには首をかしげたが、光隆はそれを愛という一言で終らせ、無理やり納得させた。

光隆とライエルは相変わらず、あの湖の畔でひと時を過ごしていた。月が泳ぐ湖は、今日も美しさをひけらかしている。

水浴びをするライエルを見る光隆の目は10日間、変わってはいないだろう。しかし、ライエルの返す瞳は変わったようだった。

「見ているだけではなく、入ったらいかがですか?」

光隆に近づいて、にこりと笑って見せた。優しい微笑みに、光隆の表情も自然と笑顔になる。

「笑顔」それは、光隆にとっては必要のない。いや、縁遠いといった方がいい言葉だった。決して、「笑顔」になったことがないというわけではないが、本当の意味での「笑顔」を光隆はしらなかった。

「それは、神聖な湖の中で陽が昇るまで犯してくれという誘いか?」

そっと、頬を触る。ライエルはもっと近づいて、ぐっと顔を近づけた。美しい双方の緋色の瞳がより妖艶に輝く。

「それはいいかもしれません。でも…、風邪を引いては困りますよ。」

「お前が看病してくれるならそれもいい。」

軽く口付ける。ライエルはそれに応えた。

「何を言っているんですか?風邪を引くときは一緒でしょう?」

「その時は太秦にでも任せよう。」

小さなため息がこぼれる。ライエルが肩を震わせた。クスクスと、小さな笑い声が聞こえる。何がおかしいのかと、光隆は眉をひそめたが、ライエルは答えなかった。

幸せな日々とは、時の流れを忘れさせるものだ。それは、人間ではない、そうヴァンパイアでも同じで、ライエルはすっかり時の過ぎるのを忘れていた。

気づいたのは、気づいてはいけない時だったに違いない。

光隆が眠りについた頃。ライエルは光隆の隣で、自らの異変に気がついていた。

胃がキュウッと締め付けられるのを感じる。震えが止まらなくなるのを、この身で感じる。

怖くなって、光隆に力任せに抱きつくと、寝ている光隆は強く抱きしめてくれた。それに安心と恐怖を感じる。

もう、近いのだと、ライエルはわかった。いや、わかっていたことだった。


  
  
  
第七章

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