十字架の罰
■第七章■
小鳥の囀り。木々の挨拶。太陽のお裾分け。どれも朝には当たり前の行事となってしまった。部屋の中にその光が直接入り込むことはない。しかし、その明るさは見えるだけでも十分なものだった。
重い瞼をゆっくり上げると、愛しい恋人がいることを実感する。腕の中にすっぽりと納まって、小さくなって眠っているライエルの姿をほほえましく思う。
ライエルは、夜行性といえよう。どうしてか、ライエルは光隆に合わせて行動を始めた。それでも、朝瞼をこじ開けるのは一苦労で、いつも光隆の協力のもとどうにかこうにか起きていた。
今では二人で昼起きて朝方前には寝るという不可思議な生活が当たり前になっていた。
「ライエル。朝だ。」
声をかけただけでは起きない。数百年も夜に活動していれば当たり前だ。ライエルを寝かしておくこともできたが、起こすようにと言われている手前、何度か声を掛けるようにしている。
「ライエル。」
少し揺するが返事はない。数度声を掛けてみたが、これでは当分起きることもないようだ。
光隆は静かに布団を抜け出すと、刀を手に表へ出た。日の光が異様に明るく感じた。伸びを一つすると、身体の節々が悲鳴をあげる。それでもよくなった方だ。身体は鈍ってしまったものの、肩は痛みを感じない。どうやらライエルが与えていた薬は特殊なもので、傷には良く効くらしかった。
「さて、」
湖で水浴びをするのは最早日課になっていた。ライエルの様に夜に入るには寒すぎるため、光隆は一人昼間に入る。風呂の類は置いておらず、ライエルにそれを強要しがたかったのもあって光隆は水浴びをする羽目になった。
しかし、慣れてくると快適なもので、一人広い湖を泳ぐこともあれば、風呂のようにつかって考え事をすることもあった。
「幸せぼけだな。」
刀をこんなにも抜かないで過ごす日があっただろうか?
こんなにも人を斬らないで済む生活があっただろうか?
光隆は平和を感じていた。初めて味わう感覚だ。夜ゆっくり眠れるという幸福を物心ついてから初めて味わった。
否、相棒は喜んでいるのか悲しんでいるのか。
「刀にも休息は必要だ。」
湖の畔に置かれた相棒はどこか優しそうに光隆を見ていたような気がした。
相棒とは十五年の付き合いになる。十歳の誕生日に父から貰ったものだ。地元では有名な鍛治氏に作らせたと、言っていたのを記憶している。
相棒にはこの十年、世話になった。なりすぎた感もあったくらいだ。
一日に何人という人を斬った。どんな刀よりも人の肉を、人の骨を、人の血を知り尽くしているだろう。
刀は人を斬るために生まれてきたのかもしれない。しかし、人を斬りたくて生まれてきたわけではない。まるで、光隆とその相棒は似たもの同士だった。
光隆が声を掛けても相棒を返事はしない。ただ、じっと光隆の決断を待つだけだ。光隆が相棒を強く握り締めた時が合図。
罪を背負う時は二人。
無信教ではあるが、光隆は毎度手を合わせる。斬ってしまったヒト達に。
手を合わせられない相棒の分までしっかりと。
そろそろ、相棒にも休息が必要だ。
そして、光隆にも。
人の血で汚れた心を全て浄化させなければならなかった。
十年来の汚れはなかなか落ちにくい。
そんな罪を浄化する場所に光隆はこの森を選んだ。
たとえ、「鬼」と言われようとも。
「日光浴ができぬ身体とは、可哀想な奴だ…。」
ふと、ライエルの姿を思い出す。いつも闇に輝く金色の髪。二つの緋い瞳がさまよう。白い肌もその闇に相応しかったが、太陽の下で微笑むライエルも見てみたいと、光隆は思った。
「想像もつかぬ。」
だが、見てみたいものだ。
無理だからこそ、こんな欲が出てくるのかもしれない。
「戻るか。」
恋人のことを思い出せばすぐ近くにいるとわかっていても会いたいというもの。光隆は逸る気持ちを落ち着かせて、着物を羽織った。
「幸せとは恐ろしいものだ。」
光隆は静かに笑い、相棒を連れてすぐそこの小屋へと戻っていった。
「ライエル?」
薄暗い部屋では物音一つしなかった。ライエルはまだ奥の部屋で眠いって、当分は起きないのだろうと予想ができた。
光隆はまた寝るのもいいか。と思い、奥の部屋に入る。
「ライエル。まだ寝てるな。」
奥の部屋ではライエルが一人さびしそうに眠っているのが見て取れた。否、「さびしそう」というのは光隆の勝手な想像だが。
「ライエル。まだ起きないのか?」
「ん…」
反応があった。先ほどにはなかった反応だ。覚醒し始めているということだろう。
「まだ寝ているか?」
隣に座り、ライエルの肩に手をかけるがはっきりとした反応は無い。
「困った奴だ。」
光隆はクスクスと笑うと、己も布団へと入った。安らかに眠るライエルの頬に口づけをして。
「みつた…か?」
「ライエル?目が覚めたのか?」
「ん…。」
緋色の瞳が中をさまよう。何を探しているのか光隆にはわからなかった。半開きの口からは発達した犬歯がその存在を主張する。
「光隆…」
「ん?」
「欲しい…」
緋色の瞳が見開かれた。まるでそれは彼のものではない。
「ライエル?!」
光隆が叫ぶか叫ばないか、ほぼ同時にライエルは光隆の上に馬乗りになり首筋に噛み付いた。犬歯を立てると、光隆が顔をゆがめた。
「う…」
体内の熱がそこに集まる。勢いよく吸い上げられる血の流れに光隆は何もなすすべがなかった。
「ライエル…」
苦しみの中、光隆は彼の名だけを呼び続けた。当の本人は自我を忘れて首筋に集まる活力を吸い上げる。喉が鳴る度に苦痛が脳に響くようだった。
「ライエルッ」
最後の力を振り絞ると彼の名前を叫んだ。ライエルがピクリと肩を震わせた。首筋から唇が離れる。刹那、ライエルは瞳を振るわせた。
正気に戻ったのだと、すぐにわかった。
「よかった…」
「光隆…」
光隆はライエルに微笑みかけると力なくうなだれた。『大丈夫だ』と、言うと光隆は静かに意識を飛ばした。
息はしている。顔色は真っ青で、血の気が引いてはいるが。首筋の傷からいっても、ライエル本人が吸ったのだとライエルはすぐに理解できた。光隆の様子からかなりの量を吸ってしまった。
「やってしまった…」
ライエルは肩を震わせ、恐怖におののいた。しかし、コレが真実。
絶望とは反対に胃も心も満たされていた。口の中に広がっている光隆の血は心を落ち着かせる。
いつも感じていた喉の渇きは今だけはない。
そっと、光隆を寝かせると、不安そうに太秦を見た。太秦は何も言わずにライエルを見つめ返した。
「光隆…。」
ライエルは静かに眠る光隆を見つめて涙を流した。
第八章
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