高杉は部屋で一人、不機嫌そうに座っていた。

彼の表情は普段から穏やかとは言えないが、発している雰囲気がまるで違う。

隻眼に明らかな苛立ちが浮かび、傍らに置いてある刀を今にも抜き放ちそうだった。



――万斉が帰ってこない。



高杉が不機嫌な理由はただそれだけであり、同時にこれ以上無い理由でもある。

補足するが、高杉はただ万斉が帰って来ないだけで不機嫌になる事はない。

河上万斉は鬼兵隊の活動資金を億単位で稼いでくる人間だ、数日留守にするなど周知の事実。

寧ろ戦艦内で見かける日こそ稀少で、高杉もそれは熟知していた。

では何故彼が不機嫌なのか、それはある約束が果たされていないからである。



「チッ…」



戦艦よりも仕事場にいる事が多い万斉は、その身に何か起きた場合の発覚は最も遅い。

そのため、高杉と彼の間では定期連絡を絶対としているのだ。

仕事が忙しく遅れる日は多々あったが、万斉はこの連絡だけは怠った事がない。

大げさでは決してなく生存確認も兼ねているのだ、忘れればどうなるかなど今更である。

しかも今回の仕事は昨日で一旦の目処が立ち、鬼兵隊へ戻る予定だったのだ。

それなのに彼は姿を見せず、連絡も一切無い。

この事態を軽んじるほど高杉は馬鹿ではなかった。



「失礼します」

「武市か、どうだったんだ?」



高杉は躊躇いを見せず、すぐさま武市を中心とする諜報部隊を動かしている。

その武市がここに来たという事は、何らかの成果があったということだろう。

十中八九面白くねぇ報告だろうな、と内心で呟く。

高杉はこの手の勘を外した事がない。



「姿は発見できませんでしたが…、これを見つけました」

「………………!!」



武市が見せたものに、流石の高杉も絶句して隻眼を見開いた。

サングラスとヘッドフォン、そして音楽プレーヤー。

意味を問うまでもない、それらは河上万斉が肌身離さず身に着けている物だ。

手に挟んだ煙管から硝煙がゆるゆると流れ出る様が、凍りついた部屋の空気に似合わず滑稽だった。



「現場に僅かですが戦闘の名残があったようです、おそらくは……」

「負けやがったか」



高杉は推測した。

おそらく万斉は予定通り戦艦へと帰還する途中で襲われ、そして敗北を喫した。

万斉が…などという驚愕は無い、強い者などいくらでもいるし紙一重で命を落とすのが戦だ。

そして彼は現在動ける状態になく、最悪殺されているだろう。

でなければ、そのサングラスとヘッドフォンが放置されたままでいるはずがない。

この二つは万斉の鎧なのだから。



「襲撃しやがった奴の目星は付いてんのか?」

「不確定ですが、男が二人…誰かを抱えて春雨の宇宙船に乗っていったとの情報があります」

「……何?」



高杉は一瞬混乱する。

もし武市のいう男が本当に春雨の一員で、抱えられてたのが万斉だとしたら辻褄が合わない。

何故なら、春雨が万斉を襲撃するメリットなど何一つ無いからだ。

鬼兵隊と宇宙海賊春雨は、立場こそ対等とはいえないが一応同盟を組んでいる間柄である。

万斉が稼ぐ活動資金の中には春雨に流すための金もあり、春雨も当然それを知っていた。

おまけに彼には表向きの地位がある、それを利用すれば不法入国すらある程度安全に行えるのだ。

つまり万斉を襲えば、春雨に渡される資金が止まり不法入国を誤魔化す確実な方法まで失いかねない。

挙句鬼兵隊に対しての契約違反ともなり、ヘタすれば戦争にもなる行為である。

だからこそ春雨だけはありえないハズなのだ。



「…結論出すには情報が足りねぇ、もう少し周辺洗っとけ」

「晋助様、もし春雨だった場合は…」

「ああ?知るか。どっちにしろ情報来んの待つしかねェ」

「情報ですか?」

「万斉か連れ去った奴らか、このまま探ってれば反応はあんだろうよ」



これが春雨による鬼兵隊の壊滅を意味しているのならば、万斉の死体を放置しない理由が無い。

先程も言ったが、河上万斉は鬼兵隊を支える誰よりも重要な人材だ。

その彼が死体で発見されれば、これ以上無いほどの陽動になる。

しかし陽動は、相手側の心の準備が出来ていないうちに発動させなければ意味が無い。

此方がこんな風に動いてからでは遅いのだ、向こうとてその程度は分かっているはず。

それとも――



「テメェはもう少し役に立つモン持って来い」

「分かりました、失礼します」



武市が去り扉を閉める音を聞きながら高杉は隻眼を鋭く細める。

……何かが根本的に違うような気がして仕方が無い。

単純で、しかし重要な部分の認識にズレがあるような違和感を覚えていた。



「人身売買の輩にでもやられたか?」



春雨は人身売買にも手を出している、その手の者は当然江戸にも潜んでいるだろう。

日常生活を営んでいる人間を拉致し、春雨に売り飛ばして利益を得る者も存在する。

宇宙船に乗り込んだ男達は春雨の人員ではなく、春雨に人を売りにきた人間かもしれない。

現に武市は、万斉らしき男を抱えた二つの影が天人だとの報告はしてこなかった。

天人はごく一部を除き、一目で分かる姿をしている。

真夜中だという点を差し引いても、異形ではない天人か人間かのどちらかになるだろう。



「………………」



だが…この説も高杉を納得させるには足りなかった。

まず拉致を行うのは組織でも下の者だ、幹部級がやる事じゃない。

そして万斉がその辺の人間や天人に対し、簡単に敗北を喫する腕だとは思えなかった。

高杉に身内の贔屓目など存在しない、事実として河上万斉は強いのだ。



「……ああ、そういう事か」



ふと、高杉の頭に納得のいく仮説が過ぎった。

いや仮説ではない、気がついただけだ。

万斉を襲撃した犯人は、彼が春雨にとってどういう存在か分かっていなかったのだ。

だから偶然襲われて、偶然春雨に連れて行かれた可能性が高い。

そうなると、偶然生かされているのかは疑問だが。

まぁ死体をわざわざ運ぶ意味は無いし、人身売買目的なら大丈夫だろう。



「……武市呼び戻せ、諜報は続けろ」

「りょ、了解しました!」



部屋を出て近くにいた隊士に声を掛けてから、高杉は再び部屋に戻る。

どうやら春雨と直接交渉する必要が出てきたようだ、それもなるべく早急に。

契約しているとは言え、自分達は春雨の限られた一角にしか知られていない存在。

もし管轄が違う部隊が来ていたとしたら、万斉は最悪殺されてしまうだろう。

認めよう、万斉が殺されてもこちらは泣き寝入りをするしかないのだ。

春雨はそういう存在、万斉一人のために鬼兵隊全てを犠牲にする事は不可能。

高杉は総督として、万斉を斬り捨てて他の隊士を守る義務があった。

それがどんなに、高杉の個人的感情を無視する結果になったとしても。

春雨相手に戦争は起こせない、全てにおいて向こうが上なのだ。



「……馬鹿野郎が」



吐き捨てた罵りの言葉が誰に対してのものか判断する者はいない。

煙管の灰を乱暴に捨て八つ当たりをする姿は誰にも見せられない。

冷静にならなくてはならない、だからこそ誰もいない部屋で高杉は感情をぶつける。

ここに武市が戻り、戸を叩いた瞬間に己は鬼兵隊総督へと変わらなくてはいけないのだから。

必要ならば…、万斉を見捨てる指示を出す鬼兵隊総督へと。

―――荒れ狂っていた感情は、数回のノックにより凪となった。



「…失礼します」

「行くぞ武市、手配はお前がやれ。後は俺が出てやらァ」

「分かりました。用意させますので此方に来て下さい」






刀を腰に戻し、着物を翻し、眼光鋭く部屋を後にする。

鬼兵隊総督となった彼は、高杉晋助という一人の人間を己の奥底へと完全に沈めていた。










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