欲と戯れの所在 3 柳
カチャリと小さな音が立つ。
何故、今の状況で鍵を掛けるのだろうか。
頭を占める疑問符は、振り向いた蓮二の笑みに溶けた。
「さて、俺たちもミーティングだ」
だが、続いた言葉が再び疑問を呼ぶ。蓮二が予測したシングルス1の対戦相手の資料は既に見ている。策は個人に任せると決まってもいた。
「弦一郎、お前が主題を持っているはずだぞ」
何を議題とするのかとの蓮二への疑問を視線に乗せれば、答えはすぐに与えられた。そして、更なる疑問が浮かぶ。話し合わねばならない事柄など、俺には何ら覚えがなかった。
問いの代わりに首を傾げると、静かに近付いてきた蓮二の手が、行動を以って回答を告げた。
静まりつつあった僅かな残り火を長い指が辿っていく。
「れ、蓮――」
「今ならば、聞く。俺に、何を望んでいるのだとしても」
燠に風を与える行為に一歩下がりながら、思わず呼びかけた蓮二の名を静謐な声が遮った。
目前にある蓮二の頬は僅かな赤味が差している。
告げられた言葉は蓮二の行動によって意味を読ませていた。
導き出した答えが間違ってはいないかと、幾度も繰り返し蓮二の声を反芻させる。それは俺の心が捻じ曲げた誤答ではないと言い切れるのかと。
それでも、その意味が胸奥にまで沁み込んでいく。
「告げたら、戻れんぞ。それでも、聞くか?」
躊躇いを含ませながら腕を伸ばし、情けなくも震えた声で問いながら細身の体を抱きこんだ。
抵抗は、なかった。
委ねられた体は、思うよりも熱かった。
「俺から言い出したことだ。二言はない」
耳元に吐息が掛かる。擽るようなそれが腕の力を強めさせた。
決意の言葉を発してもなお、蓮二の体は細波一つ起こさなかった。その覚悟に相応しく返さねばと、息を吸い込む。
「そう、か。ならば、言おう」
出した声は囁きのようだった。返れぬ道を振り返りたく思うのは、寧ろ俺の方であったのかもしれない。求める思いは既に境を越えていたが、それでも、友として共にある今を、惜しむ。
だが、その感傷は、蓮二を抱いている腕が緩まない事実が砕いた。
瞬きを一つ、深く息を吸い込みなおす。
「俺は、れ――」
俺は蓮二が好きだ。そう、告げるつもりだった。
だが、言葉は最後まで告げることはできなかった。不意に腕の中で抗った蓮二によって。
離せと一言のみ告げられ、力の抜けた腕から温もりが消えた。深い溜息を吐く姿に、何が怒らせたのかと考えてみるも思い浮かばない。
「いつまで待たせる気だ? 弦一郎が好きだ。たったこれだけだろう?」
告げるために幾度も息を整えねばならなかった言葉を、蓮二はさらりと口にした。視界に広がる曇りなき目が、部室の灯りを映し、揺れる輝きを帯びている。
その近さに気付いた時には、唇が柔らかな冷たさの一瞬を知っていた。
「あ……いや、その……うむ」
言葉に詰まりながら、再び身を攫っても構わないのかと、腕が逡巡を見せて揺らめいた。
離れた蓮二の顔には笑みがある。俺の頬が熱いのは気のせいではないだろう。だが、怒っている訳ではないならばと、腕を蓮二の背中へ回すように伸ばす。
「それで、俺にどうしてほしいんだ?」
抱き寄せた瞬間に、熱い風が耳を弄っていく。俺の背中を伝う指までが熱を煽っていく。
既に消えて久しいテレビの画面へと視線が流れた。
「あれが、お前ならばと……」
回らない頭が、勝手に言葉を押し出していた。
微かな震えの後、また離された体。
「先刻の、か? お前にしては随分と生々しいことだな」
声は冷ややかに響いた。
それでも、笑みを含むかのような菩薩の如き柔らかな顔が、小さく頷きを返してくれた。
胸内から湧き上がる、己ですらも制御するに難いものを、その静けさのままで受け止めてくれる。自惚れと言われようが、それが蓮二の思いを告げているかのようで、胸奥に熱いものが込み上げてきていた。
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