8日目
歩きながら調達した食糧で栄養を補給する。
少なくなった人数と不二が向かっていた方角を考え向かう先を変えていた。
もう誰にも会えないかもしれない。
その思いが少しでも貴方の近くへと、島の中心にある校舎へと足を進ませる。
最後に見掛けた不二の走り去っていく姿が向かっていた先も校舎ではないかと感じている。
河村を喪った事で不二は一つの問いを大きく膨らませ抱えている筈だ。
何故、死ななくてはならなかったのか。
皆も、菊丸も、河村も。全ての仲間達の死への疑問の回答を求めているだろう。
何故、死ななくてはならないのか。
目覚めた時に聞こえた声が貴方ではなかったのならこの答えをこそ求めたであろう。
俺が最初に捨てた物は疑問だった。行動への疑問を捨てる事で躊躇いを捨てた。
躊躇いを捨てる事は情を切り捨てる事と同意だった。
俺は貴方の言うがままに動く。貴方の求めるがままに動く。
捨てたのは自らの意思だった。代わりに得たのは自らの欲望への意志。
唯一つ求める欲望への意志が足を前へと進ませていた。
進み続けた先の校舎へはまだ距離のある平屋の家屋の脇に人影を見つけた。
探していたトリコロールが残る最後のトリコロールへと顔を埋めていた。
不二を抱えるように右腕を回した大石は頬に額にと傷を作り、左腕が……なかった。
今更だ。
俺が屠った彼等の中には原型すらも解らない程にバラバラになった者もいる。
そして、そのバラバラにした相手の発した名前を持つ者が此処にいた。
氷帝200の部員を束ねる男、跡部景吾。
その手には紅を滴らせた長い日本刀を構え、その目には鋭い光を湛えている。
先の橘と同様に此処にいた仲間を全て喪った長の狂気を含ませながら。
「テメェらが殺ったんじゃねぇなら、誰が殺ったか見たのかって聞いてんだよ。
ここに残ってるヤツなんてもう数人だけだ。
覚えてるぜ。放送かけてるのはテメェらのトコのヤツじゃねぇか。
わかってんだよ。グルになって楽しんでたんだろ?」
跡部の目に浮かぶ狂気に巻き込まれそうな自分がいる。
全てを喪っていくのは俺も同じだ。それが自分で選び切り捨てた物だとしても。
だが、選び続ける俺には思い出してはいけない物でしかない。
再びの結果のわかっている選択をするつもりはない。
今は躊躇いを捨てた唯一つの欲望に動く俺だけが残っていた。
手に持つバッグを下ろし壁に立て掛ける。
ズボンに挟んだ銃を取り出し左手に握り締め静かに狙いをトリコロールへと定めた。
響いた銃声は三回。
大石の前髪の間から紅く一筋流れた。
抱えられていた不二の背中には二つの紅い花が咲き始めていた。
ゆっくりと横に倒れていく二人に暫く止まっていた跡部の体が俺の方へと向く。
その体に向け銃口を構え一歩前へと進む。
「テメェか。ヤツラを殺ったのは」
掛けられた言葉は問いではなく確信が込められていた。返答は要らないだろう。
そのまま照準を跡部の左胸に当てる。
跡部もまた、口を再び開く事なく刃を反した。
足を擦りながらジリジリと近付いてくる跡部の体に外される照準を軽く直す。
跡部の右足が大きく動いたと同時に右手を前に突き出し引き金に掛けた指を握り込んだ。
倒れている跡部の胸から流れる紅が地へと広がっていた。
バッグを再び手にし、跡部の横を抜けトリコロールへと近付く。
膝を付き二人からトリコロールを剥ぎ取り今までと同様にバッグへと入れた。
転がる二つのバッグからは未使用だと思われる煤のない銃が二つ。
穢れる事のなかった俺の仲間たちには二度と会う事はないだろう。
同型だった銃から弾だけを抜き取りポケットへと入れる。
立ち上がり倒れたままの跡部の側まで戻り、手にした日本刀を手首に二度当てた。
俺の右掌に一筋ついた一本の線が同じ紅を滲ませていた。
手首に残る8本の傷が『これで独りになった』と嘲っている。
だが、頭に響く貴方の声が『俺が独りになる事はない』と優しく笑う。
影も見えない貴方の牢獄を思い貴方を目指し足は進む。
味方もなく、死にゆく者の憎しみを背負い、唯一人で貴方は待っている。
俺を……時を待っている。
俺が全てを負うとは言わない。だが、貴方一人に持たせる気はない。
だから、俺は紅い闇を進む。
この足が貴方へと進んでいるように……。
進む先には幻影と思わせるような光景があった。
先程見た大石と不二の姿と同じで違う光景が広がっている。
オレンジを纏う二つの姿が重なっていた。
幸村の膝に縋るように抱えられた切原に微かな動きも見られない。
その幸村の唇からは強く噛締め切ったのだろう紅が流れていた。
右腕を染め上げる紅でさえも抑える素振り一つ見せない。
俺に気付き振り向く幸村の顔には憎しみが刷かれていた。
「君も、人を踏みつける生を選んだのか?」
俺の紅い装飾に悟ったのだろう。
本来返せる言葉はない。俺は選んだ。生でなくとも。
仲間を踏みつけ同胞を敷石とする欲望を確かに選んでいた。
「それを俺は否定しない。だが、お前は俺の事を言っているのではない。
お前が信じている者の事だ。違うか?」
だが、俺は憎しみを持ったままの幸村を攻撃する気にはなれなかった。
穢れていないならばこそ死への旅路を憎しみで埋めたくはなかった。
「ならば、それは本当に生の為だけに踏みつけたのか?心から望み踏みつけたのか?
お前は自分がそんな人間を信じていたと思うのか?」
慣れない多弁に口が渇く。俺は言葉を操る術を持っていない。
これは俺の中の欲望を弁護する言葉に過ぎない。
残る者は既に俺を含め4人だ。
状況から見て切原を絶った者こそが幸村の言う者だろう。
まだ流れ続ける切原の額の紅は時の経っていない事を告げる。
幸村がそれ程に信頼を置いた相手だ。真田か柳と見て間違いはない。
繋げる言葉は何方かによって変わる。だが、俺の知るのは一方だけだ。
「俺は真田と戦うだろう。
真田は只管に突き進む。俺と同じく盲目なまでの信念を持って。
会えば何方の意志が強いのかを決する事になるだろう」
言い切り幸村の目に憎しみを探す。
其処には既に気付いていた者の哀しみが溢れていた。
「知っていたさ。いつだって真田は信念の下に動いていた。
今度だってそうだ。理由だってわかってる。でも、だから許すと言える訳がないだろう!」
抱き締める腕に力を込め、切原の体に顔を埋める姿は正しい長の立場を叫んでいた。
行なった事象を理解し、正しい人の在りようを示していた。
友と呼んだ相手への理解と信を持ちながらも間違えはしない。
奪われた守るべき者の命への罪に責めるべきを見失いはしない。
命を絶つ事への公正なる判断に自らの心を引き裂かれても。
ゆっくりと銃を取り出し構えを取る。
「真田は俺と同種の人間だ。許しは要らないと言うだろう。それがどれ程の罪であっても。
唯一つの何かを選び手に持った罪だ。自らの全てを捨ててでも選んだ道だ。
俺たちには突き進む道しか見えない」
恐らくは、真田の心は俺と同じだ。手に取るようにわかる。
目の奥が熱くなっていくのを抑え、銃口の先を憎しみを解いた幸村の額へと向けた。
「それは、君もだと言う事か」
怯む事なく俺を見る幸村は痛みを堪えるような表情で呟く。
「ありがとう」
俺への表情へ口の中で告げ静穏に見える空間に最も似合わない音を響かせた。
持っていたバッグの中身を整理する。
8枚のトリコロールと残弾、僅かな食糧と水を残し全てその場に出した。
既に残るは二人。俺を入れても三人だ。
ならばもう必要はない。
最後まで強く正しく優しくあった男に一つ頭を下げバッグを背に負い歩き出す。
俺の前には一つの道しか見えない。俺に見えるのは貴方へ向かう道だけだった。
『みなさん、こんばんは。
今日の死亡者は、青春学園三年、大石秀一郎君、同じく青春学園三年、不二周助君、
氷帝学園三年、跡部景吾君、
立海大附属二年、切原赤也君、立海大附属三年、幸村精市君です。
現在残る生存者は三人になりました。そろそろ決着がつきそうです。
ボクの所まで来られるのは一人だけです。待って、いますよ……』
柔らかく響く貴方の声が最後の言葉で僅かに途切れた。
誰に対してであっても紅く染まる事を望む貴方ではなかった。
変わった筈がない。貴方が唯一つの情熱を穢す事を望む筈がない。
知りながら俺は目を閉じた。
貴方の言葉のままに動いた。
それでも、今もまた響かせる。貴方の言葉だけを心に広げて押し込める。
俺は望む。唯一つの欲望を叶える事を望む。
日付が変わるだろう頃に見えてきた校舎が薄青く光っている。
その時、闇に覆われた島に静寂を引き裂く銃声が二度響いた。
【大石秀一郎、不二周助、跡部景吾、切原赤也、幸村精市死亡】
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